2008/12/31

(No.661): 2008閉


音楽のこと。
開店休業stereogimmikと新生混沌deweyとドラムの基礎教習で明け暮れた年。

二輪のこと。
今年の初めの12ヶ月点検にてインジェクション絶好調になり
さらに脂の乗ったM400で距離も順調に伸ばした年。
来年早々車検なり。

四輪のこと。
筆者28年の四輪人生においてエポックな年。
FIAT Panda100HPと廻りあう。

来年も諸々宜しくお願いします。

2008/12/29

(No.659): GTA4の日常


GTA4 普通の日。日常。



今日はこれだけ。
動画編集で力尽きる。








2008/12/28

(No.658): deweyの土曜とGTAの日曜


土曜日。

一ヶ月以上ぶりにスタジオ練習。
deweyの。
筆者以外の平さんとkeiさんは仕事が
鬼のように忙しいとのことで
なかなかスタジオ入りが困難である。

deweyはなんとか来年はライブをやりたいと思っている。
というか、ものすごくライブをやりたい。

やりたいなら自分たちで動かなければならないが
実際、諸々のダンドリを付けるのは
おそらく筆者がやることになるだろう。

筆者お知り合いの方からのオファーも、現行deweyでは
少々ブッキングが難しいのではないかと感じている。

即ち、初代deweyのように、全編オリジナル楽曲ではなく、
今のところは全編コピー楽曲となっている。
もちろん3ピース故のオリジナルアレンジではあるが
出所は既成楽曲である。

こうなると、とたんにブッキングし難くなる。
全部の出演バンドが、同じようなら
イベントのカラーとして成立もするだろうが。
なかなかムツカシイ。

飛び込みでどっかのハコの通常ブッキングにでも
応募してみようか
とも思っているが、審査用の音源すらない。
YouTube動画はあるにはあるが、
あれは、あくまでも自分たちの戒め用動画なので
如何ともし難い。


ということで、12/27分の練習風景。
1曲を通さずに、適当に編集しました。






日曜日。

GTA4の日。
前半、タクシーツアー。
後半、警察に追われ、最後は・・

動画も録画。
現在編集中。













2008/12/26

(No.657): 旧音源の発掘を継続


連日、1980年代に制作した稚拙拙楽曲群MDバックアップから
Cubaseを使ってコンピュータへ取り込む作業を行っている。

取り込むといっても、MDを再生し、その再生音を
Cubaseへレコーディングするというやり方である。

折角なので、アナログではなく、MDのデジタルアウトを
使って取り込んでいる。
MDプレイヤーとCubaseとはRME Hammerfall multifaceを介して
(これのI版・既に生産終了モデル)
44.1KHzのSPDIFで接続している。
なお、物理的接続は同軸(コアキシャル)ではなく光ケーブルである。

取り込んだ曲は、簡単なマスタリングを施した後、
何らかの形で配信しようと思っている。
筆者のバイオグラフィーページとタイアップして曲をアップしようか、
それともサーバの容量の問題もあるので、Myspaceか、
或いは他のサーバへアップしてそこからリンクしようか、など
現在、検討中である。


さて、その中身の話である。
駄作の方が遥かに多いため、全曲を取り込むのに若干の躊躇がある。
従って、聴きつつ、ほほーうむんあぴょーんと思うものだけ
取り込むようにした。

作り込み過ぎて、酷いダンゴ状になっている曲もあれば
スカスカのチープな貧弱作品で収まっている曲もある。
忘れていた曲を久しぶりに聴くと、様々な感慨が溢れる。

懐かしさもさることながら、ひどく客観的に聴くことができる。
その為アラも見えるが新しい発見もある。至極楽しい作業だ。
もちろんアラばかりではあるが。


対象楽曲の録音環境は、古いものだと、
1980年代初頭にまだ多重録音の機材がなかった時分の
カセットデッキ2台によるピンポン録音、
次いで、4TRのカセットMTRで作られたもの、
1986~7年頃からはハーフインチの8TR・MTRで作られたものになっている。

曲というよりはアイデアのスケッチにも等しく、それは
綺麗な言い方では習作、しかし実際には手すさびという方が正しいだろう。
どの楽曲からも、尋常ではない「ごっこ」力が、ある種の説得力を持って
発せられている。

とにかく、歌がやばい。
変過ぎる。下手過ぎる。
最高だ。


不自由と稚拙というワードを思い起こすまでもなく、
手持ちの粗末な機材と貧賤なアイデアで、
エキセントリックな音楽表現を記録したに過ぎない。

模倣の中に個性を見出せればまだいいほうで
模倣にも何にもなっていない。
しかし逆説的にこれはこれで個性的かとも思う。

1990年以降は、後年になるに従ってその毒が薄れ、
所謂「音楽」然とした楽曲になってしまう。
そのような状況を鑑みれば、
評価、比較、或いは時代の潮流という様々な要素があったにせよ
これら80年代に生まれた筆者の楽曲は、音楽的完成度の如何に関わらず
ある意味筆者のアイデンティティを確立させた作品群であろう。


なおさら誰も聴きたくはないだろう。
公開が楽しみだ。









2008/12/24

(No.656): アルバイトの記憶 その3


(帽子は死守し追うな)
筆者はこの西武球場整理員バイト仲間から
テクちゃんと呼ばれていた。
その理由は、筆者の髪型がテクノカットだったからだ。

最近、どこぞのお笑い芸人の何某が
テクノカットだと吹聴しているようだが
あんなものと一緒にされては迷惑至極。
テクノカットとは、髪型だけではなく、
心意気もテクノでなければならない。
皆から「テクちゃん」と呼ばれるほどの心意気を見せ給へ。


さて、今回は実際の仕事現場における
いくつかのエピソードをご紹介しよう。


先のお話のように、場内のチーム編成は
「下通路」「中通路」「外周」「外野」と
分かれていたが、私の知る限りでは、「下通路」が
一番大変だったのではないだろうか。

実は筆者はバイトを始めた時分から
「外周」チームに入っており、リーダーになる前に
それ以外のチームで仕事をしたことが数えるほどしかなかった。

「下通路」は2回程度しかない。
「下通路」は仕事が大変な割りには人気が高く、
応募者はいつも沢山集まっていた。
その理由とは。

「下通路」の要員は7回表になった時点で、選手のいるベンチ脇へ
降りることができるからである。
全員ではなくリーダーから選抜された者のみが与えられる名誉である。

そのベンチ脇で片膝を立ててスタンばるのである。
チェンジのタイミングや試合終了時に投げ込まれるモノの回収が
主な目的である。
だが、野球ファンにとっては選手と話せるチャンスでもあり
スタアを間近で見ることが出来るという特典がある。
何より、実際のグラウンドを踏めることの方が大きかったようだ。

従って、「下通路」は人気が高かった。
しかし、普段の試合中では、片膝で客席側を向いて座り続けるので
かなり重労働である。客席側を向いているので試合も見られない上に
ファウルボールも多い。

書いてて思い出した。
ファウルボールをお客さんが取ったら、返してもらうのが原則。
ボールを取った客のところまで行って、
帽子を取り、お願いしますッと元気よく言って手を差し出す。
ボールを返してもらったら、ありがとうございましたッとお礼を言い
ライオンズのバッチを差し上げる。
このライオンズ・バッチは事前に渡されており
自分で数個ポケットへしまっておく。

このファウルボール返却についても、数々のエピソードがある。
返してくれない客なんぞ当たり前。
いろいろ面倒なことを背負うはめになるのだ。
だから「下通路」は、7回ベンチ入りとは裏腹に大変な部署なのである。


さて、
前置きが長かったが、これからが本題である。
忘れもしない、1983年の西武VS巨人の日本シリーズでのこと。

第何戦目か忘れてしまったが、筆者は7回表で1塁側のベンチへ入った。
ベンチへ降りたのは、これが最初で最後だった。
別に「下通路」を担当していたわけではなく、
いつも通り「外周」だったのだが、日本シリーズということと、
この試合終了後に、かなりの混乱が予想されていたので
いつもよりも多くの人数をベンチ脇へ降ろすことになったからである。

そんな事情で下通路のリーダーから、下へ降りてみないかと誘われ
そりゃ願ってもねぇこって記念になりやすえへへと頭を下げる。
全部で5~6名くらいだったと思う。

入る前にボックスシート内から下へ降りるのだが
その手前で球場スタッフに注意事項を言い渡される。

モノを拾う時に帽子を絶対に落とすな。
もし客がグラウンドに降りてきても絶対に追うな。
選手と話すな。

というものだった。
なんで「帽子を落とすな」なのか、理由を忘れたが
確か帽子を拾う姿がカッチョワルイとかそんな理由だった。
日本シリーズということもあり、全国が注視しているので
テレビ中継も完全フォローしており、バイトとはいえ
球場関係者の素行を特に気にしていたようだった。
別にカッチョワルイとは思えないが。


帽子を目深く被り立膝でスタンバっている時、
工藤選手に話しかけられた。
よく覚えていないが、確かこんな挨拶程度だった。

「バイトか」
「はい」
「たいへんだなー」
「いえ、へへへ」
「バナナ好きか?」
「あ?はい・・・」
他の選手へ向かって
「ほらーなんとかかんとかー云々・・」

バナナのことについて聞かれたのが印象に残っているが
なんか内輪ネタで盛り上がっており
うっせぇなボケと思った覚えがある。

後になってあれは工藤選手だったと気付いたが
当時から野球選手など全く興味がなかったので
別段感慨は沸かなかった。
ちなみに工藤選手、調べたら筆者と同じ年の生まれだった。
学年は1個下だけど。

試合終了。
どっちが勝ったのか覚えていないが、
紙コップやら、紙吹雪やら、大きなビニールシートやら、何やら、
一斉にグラウンド内へ投げ込まれるので
それっと、グラウンドへ出て回収にあたる。

お客が一人、グラウンドへ進入する。

それを、あろうことか、整理員の一人が追いかけてしまった。
もう、帽子を落とすどころの騒ぎではない。
警備員が出てきて、そのお客は取り押さえられた。


事務所に戻ると、グラウンドに降りた全員が烈火の如く叱られた。
これほど、人から叱られるバイトも珍しい。


その夜のプロ野球ニュースでは
試合終了後のそのアクシデントもしっかりと放送されていた。








2008/12/23

(No.655): 20年前の数々


久々Cubase。
1980年代にしこたま作りに作った楽曲の数々。
マスターテープはほとんどDATであるが
1990年代にそのほとんどをMDへコピーしている。
そのMDからMP3へ永久保存するために
Cubaseへ取り込み作業を執り行う。



やばい。
懐かしき自作曲の数々が、次から次へと。
とても1日では押さえきれない数だ。
数週間はかかるだろう。
Cubaseもフル稼働。



こうして聴くと、手前味噌ながら
80年代後半が一番脂が乗っていた時期だと思う。
今聞いても面白い曲が多い。

後日、その中から何曲か、MP3でアップしようと思う。

おおー







2008/12/22

(No.654): アルバイトの記憶 その2


(番号連呼の仕来り)
1983年当時、西武球場の整理員バイトを仕切っていたのは
関連会社のTさんだった。当時38歳くらい。
この関連会社というのが、ビル警備の仕事を生業としている
会社らしく、Tさんは屈強な体育会系の方であった。
しかし、外見とは裏腹に、非常に面倒見のよい方で
バイト達からは良きお兄さんと慕われていた。

現場でバイトを仕切っていたのはTさんであったが
このTさんの上司にAさんという当時50歳前後の方がいた。
このAさんは、17時の全体ミーティングの時にだけ出てきて
いろいろ注意事項や、訓示だのを垂れるのである。
このAさんは皆にあまり好かれていなかった。

なぜなら、この方は陸上自衛隊の元自衛官だったということで
17時ミーティングの方式が軍隊形式で行われるからであった。
今思うと、よくもまぁこんなことをやっていたと呆れてしまう。

17時ミーティングの開始。
各チームごとにリーダーを先頭に縦に並ぶ。
「気を付け」と「休め」の体形も決まっており
確実にやらないとAさんから罵声が飛ぶ。

号令と共に、端から順番に番号を発する。
声が小さかったり、タイミングが悪いと、またAさんから罵声が飛ぶ。

特に、「4」と「7」についてはそれぞれ「シ」「シチ」と
発声しなければならない。
「ヨン」とか「ナナ」と言ってしまうと、最初からやり直しである。

一人の失敗が全員に影響を及ぼす、
チームワークの重要性ということを教育しているつもりだと思う。

特に、40名も50名もいた日で、
最後に「47」シジュウシチというところを
「ヨンジュウナナ」なんて言った日にゃ、
殴りこそしないが、殺されるのではと思うほど叱られる。
そして1番からやり直しである。
そんな塩梅なので、このミーティング時に
怒って帰ってしまったバイト君を数名見たことがある。

このミーティングは球場前の駐車場エリアで行われる。
通行人や、開場前に来ているお客さんが、
この番号連呼の様子をよく見ていた。
何あの人たち?なんて蔑視されていたことだろう。

しかし、40名ほどが一回で綺麗に番号呼称を終えた時は
実際、なぜか達成感と格好良さとが去来したものだ。
ちょっと意味は異なるが全体主義って、
こんな錯覚から起きるのだろうかと想った記憶がある。


さて、開門30分~1時間ほど前になると、場内に入り、
それぞれ持ち場に着く。
自分のチームに新人がいる場合は、この時間を使って
ダンドリやら仕事のやり方を教える。
また、食事休憩ローテーションなども各メンバーへ伝えておく。

リーダーが持っている無線機へ本部から開門時間の連絡が入る。
特殊事項については、先のミーティングで伝えられるが
無線で来ることもある。
例えば、今日のボックスシートに芸能人誰それが来るので
お客が集まらないようになどの指示が来る。

開門する時は、入場ゲートのチームから
「かいもーんッ」と無線で一斉同報される。

開門したってー
とメンバーに伝えると、皆、緊張した面持ちになる。









2008/12/21

(No.653): アルバイトの記憶 その1


過去日記の2006年1月25日の記事。
第25話 回想アルバイテンの巻 2006,1,25
の西武ライオンズ球場の整理員のバイト話し。

1982年とか3年とか、そのくらいの時期だから
もう25年以上も昔の話か。
もちろんまだ西武ドームなんか存在しない時代だ。

このバイトに関しては様々な面白いお話があるのだが、
先ずはそのさわりのみを記憶を紐解きながら話そう。


尚、最初にお断りしておくが
筆者は、野球のやの字も知らないうえに
プロ野球というものに一切興味がない。
今でも興味はない。
選手の名前はおろか、チーム名すら知らない。

が、このバイトは大学時代4年間やった。
エンターテインメントの裏方の仕事が大変面白かったからだ。





整理員とは、メガホンなどを持ってお客を案内する係り。
売り子ではない。
夏は緑色半袖Tにライオンズマーク入りのオーバーオール、
春秋は長袖の緑色のジャンパーで青いスラックスだった。
どちらも、青いライオンズキャップを被るのを義務付けられる。
もちろん全て汗臭い。


ナイターの場合、バイト集合はだいたい15時くらいだった。
球場に隣接している事務所に集まる。
このバイトは女性は採用しない。
男性のみ。
大学生で時給450円くらい、高校生で時給380円くらいだった。
今考えると恐ろしく安い。

ただし、お弁当が出る。
ご飯とおかずが別々になっていて冷めない容器に入っている
所謂仕出し弁当。わりと美味い。


毎回、整理員バイトは30~40名の応募があった。
それら人員を以下のようなチーム編成に構成する。

先ずは大きく1塁側と3塁側に別れる。
球場内の各場所によって、以下のチーム分けがされる。

「下通路」、「中通路」、「外周通路」
 ここまでが内野エリアであり、指定席エリアである。
自由席エリアと外野は「外野」としてそれで一つのチームである。
これが、1塁側と3塁側 それぞれにわかれる。

この他に、「ゲート」と呼ばれるチームがあり
これは文字通り入場ゲートを受け持つ。
確か場内に入れない、駐車場チームもあった。


各チームにはリーダーを置いた。
チーム構成人数は、チームによっても日によっても異なるが
平日ナイターで3~4名くらい、休日では6~7名くらいか。

リーダーももちろんバイトである。
長期間勤務している人をリーダーとする事が多かった。
リーダーは業務用無線機を携帯する。
これで各チーム間と連絡を取ったり、
本部からの指示を受けたりする。



1983年の後半と1984年のシーズンは
筆者は1塁側外周のリーダーだった。
リーダーは、自分のチームの人員の配置と休憩時間の
ローテーションを作る。

チーム員の選別は、その日の朝礼(17時頃の全体ミーティング)
の前にリーダーがメンバーを募集するか、
勧誘して必要人数を集めるのである。


外周チームの主な仕事は、
指定席エリアと自由席エリアの境に立ち
指定席エリアへ入ってくるお客に指定券の提示をお願いすることである。
メガホンを使って、それを広報する。
内容はきっちりと決まっており、暗記しなければならなかった。

試合内容や試合の進みによって内容は少しづつ違っていた。
即ち、1塁側なので、ライオンズが勝っている時と
負けている時で、丁寧さのニュアンスを若干変えていた。

また、外周チームの仕事はそのほかに
ボックスシート側(ネット裏側)に選手が出入りするゲートがあり、
そこへ客が乱入しないようにゲートの門番という仕事もあった。

試合が終わると、酔った客がここから
選手控え室方面へ入ろうとするので、それを阻止するのだ。


全員笛を持っており、ファウルボールの時は
ボールの方向を指差しながら、笛を吹く。
ただ、外周まで飛んでくることはあまりなかった。

今回は整理員とは主にどういうバイトだったかを話したが
いよいよ次回は、このバイトで実際にあった、面白い話を話そう。








2008/12/20

(No.652): Panda100HP12ヶ月点検実績とアバルト


FIAT Panda100HP 12ヶ月点検の巻。
先週入庫し、本日引き取り。
で、肝心のその12ヶ月点検費用である。

41,564円(税込み)

意外とリーズナブルだった。
いや、入庫時に6万円くらいなどと
聞いていた所為かもしれない。

主だった明細は以下の通り。
12ヶ月点検費用として
・指定項目に基づく整備一式 21,000円
・専用テスターによる検査 5,000円
・ベルト類、下回り増し締めタイヤローテション等 4,000円
・エンジンオイル(セレニアK)+フィルタ交換一式 7,585円
・その他産廃処理、ショートパーツ代 2,000円

テスター検査代が整備一式に含まれていない、とか
下回り増し締めが別料金とか、
ちょっとなぁと思える箇所もある。





帰りしな、お店の方とアバルトについて
お話をする。
「アバルト・グランデプントが出ますね」と問う。
「実車は来年の2月頃になりますね」
「ほほー」
「納車は5月頃ですね」
「イヤ別に買うわけではないですが」
「日本で4箇所しかショールームがないんですよアバルト」
「そうなんですか」
「東京は弊社が担当致します」
「ここでも展示されるんですか」
「いえ、別のお店で専用のショールームで」
「じゃ見に行ってみようかな」
「本国のアバルトからの指示で、アバルト専門のメカニック
でないとクルマにも触っちゃだめなんです」
「ほえーそうなんですか」
「日本に今、4人しかいないんです」
「ほーえー そうなんすか」
「専門のスタッフじゃないと販売も許されていません」
「やっぱりホンモノのアバルトですから厳しいんですね」
「アバルトの意向でプレミアっていうか、そういう
差別化を計っているようです」
「春には500アバルトも出ますよね、売れればいいですね」
「どうなんでしょうねぇ」








2008/12/19

(No.651): homeとSL


PS3で「home」が12/11正式リリースした。
「home」とはソニー・プレイステーション3の新しいサービスである。
「home」は米リンデンラボ社のセカンドライフと近似である、
という記事をニュースやメーリングリストなどで見かけた。

しかし、home開発者のインタビューを見ると
どうやら、それは誤解であったようだ。
「Homeはあくまでも「ゲームのため」「ゲームをより楽しく遊ぶため」の
サービスであり、セカンドライフとは,根本的な思想がまったく異なる」
とのこと。
なんせ、homeは無料だ。

homeの世界ではセカンドライフのように商品の売買はあるようだが、
仮想通貨や仮想経済もなく、あくまでも
PS3のゲームを軸としたユーザ同士のコミュニケーションが目的なのだという。
要するに3DのSNSである。

homeの映像を観れば流石PS3だと、うなるばかりであるが、
セカンドライフのように、モノを創造し育むという分野においては
まったく機能を実装していないようだ。
能動的ではなく受動時環境。

絵が綺麗なだけで、これでは魅力がない。
やはり、セカンドライフのように、FBIが介入するほどの、
「善も悪も存在し、やろうと思えばなんでもできる」的な要素がないと
すぐに飽きそうだ。


逆に言うと、
セカンドライフはそういう危うさが最大の魅力であろう。









2008/12/18

(No.650): PPシンドロームの乾燥肌


大人に成れない大人という輩がいる。
その一端を担っているのはもちろん筆者である。

筆者の場合、顕著なのが、「大人の会話が出来ない」
ということに尽きる。
大人の会話?
そんなシラケルことなど出来ない。

例えばこうだ。
あまり親しくない人と、たまたま数分間の時間を潰すため、
ちょっとした世間話をする。
そんな時の、「大人の会話」くらい滑稽なものはない。

相手を気遣って、本心でもないことをさも興味がありそうに話す。
しかも、もちろん笑顔で、である。
こんな「大人の会話」を話す自分が滑稽である。





またちょっと目を離すと全然やっていなかったりする。
ドラム練習。
毎日やらないと意味がないんだよ。
とは言うものの、なかなかやれないのも事実。

久々に叩くと、やはり元の木阿弥。

ドラムっていう楽器は、
皆が思っている以上に本当に練習が必要である。
やらないとすぐに出来なくなる。

20年位前に、ドラムって簡単そうー
叩けばいいだけじゃん、なんて思っていた。
当時の自分を探し出して
全裸体育座りで左手始まり4連譜をやらせたい。

こんな雑文を書いている暇があったら
さっさとスティック持ちやがれッこの冬の乾燥肌防止ローションがッ








2008/12/17

(No.649): FIAT雑感


FIAT CAFEが12月12日にオープンしたとの由。
上記サイトで見る限り、かなりお洒落なお店である。
2Fがカフェになっているようだ。
会社から比較的近いので今度行ってみよう。

さて、そんなFIATであるが、
久々に公式サイトを見てみると
いつの間にかPanda4×4が姿を消している。
実はもうずっと前からだったのだろう。

FIAT500、G.Punto、Panda。
この3種のみ。
潔いにも程がある。
しかも、全車種、デュアルロジックという
ATモード付5速シーケンシャルトランスミッションである。

もはやPanda4×4がいなくなり
通常ラインナップからマニュアル車が消滅してしまった。
Panda100HPは限定車ということで
カタログ車ではなかったが、6速マニュアルは、もう
ほとんど奇跡に近い。
よくぞ買ってくれた私、と声を大にして言おう。

次のFIATのマニュアル車は
500ABARTHを待たなければならないだろう。
しかも、300万、いや400万円以上の価格帯で
売り出されると予想している。
そんなの買えるわけがない。

この流れを鑑みても、
Panda100HPの選択はど真ん中大正解であったと言える。
その100HPも12ヶ月点検中。
どのくらいの費用になるのかまだ不明。
後日報告しよう。








2008/12/16

(No.648): サンレコ1月号雑感


表紙はブライアン・イーノ氏。
デヴィッド・バーン氏と共作した
新譜の話しとiPhone、iPodTouch用のアプリ「Bloom」の話し。

デヴィッド・バーン氏といえば
大きなジャケットを着て、踊り狂っていた
トーキングヘッズのPVを思い出す。

新作はお互いのデータ交換によって生まれたものだという。
興味しんしんだ。

そして、イーノが作った「Bloom」。
iPodTouch、欲しくなった。



筆者はブライアン・イーノの「第四世界の鼓動」
というアルバムを持っている。(ジョン・ハッセルとの共作)
筆者が初めて環境音楽と呼ばれる音楽に触れた作品である。
環境音楽は後にアンビエントという言葉に成長した。

サンレコの解説に、非常に素晴らしい表現があったので
引用する。
聴くこともできるが無視することもできる音楽。
嗚呼、素敵なワードだ。

「第四世界の鼓動」を聴いたのは1983年くらいだったと思う。
アルバム年は1981年くらいか。
本当に、この頃の音楽は、今思うと多種多様であり
そのどれもが、新たな可能性のベクトルを示していたと思う。

25年以上も前に、
私たちの前で、新しいことをやってみせた方々が、
今の世でも第一線で創り続けているという事実は
非常に高揚する。



なんせ、次ページにはYMOだ。
イーノとも同世代。
時を越えてなお降臨し続けるお三人方々。
今年、イギリスのロンドンとスペインのヒホンでの
YMO名義でのEUツアーの模様。
そのライブ音源の新譜も出る。出た。

生演奏に近似だという。
是非聴きたい。
珍しく教授のインタビューが数ページ。
60歳前後になり、スライ&ザ・ファミリーストーンの
ファンクのグルーヴが出来るようになったというくだり。
是非聴きたい。
メロディは弾かずに、3人ともバッキングに徹しているという。
是非聴きたい。

Tシャツ付き限定盤を買った。
ゲンバイで買ったが、Tシャツ、付いているのか。








2008/12/15

(No.647): 仮想でも円高恩恵


セカンドライフの冒険などといって
ほとんど冒険もせず、アパートのメンテナンス
しかやっていない。
メンテナンスと言えば聞こえは良いが
新たに何か施策を施したかと言えば
全くそういう風でもなく
毎日ログインはするものの、粛々と地味な管理作業を
行うのみである。

部屋もだいぶ空きが増えてしまった。
それでもまだ数部屋は埋まっている。
えらいものだなぁ。


リンデン社からメールが来る。

はて、なんじゃろうかと開けてみると
おまいさんは、今月の見ヶ〆料がちっと足らねぇようだ、
7日以内に、ほれ、口座に入れねぇってぇと
30日間のアカウント免停にするぞこの80%治癒円形脱毛症がッ
という詔を頂戴する。

WEBから自分のアカウントページの
バランスを見ると、「US$-10」となっている。
日本円を入金する。
入金した翌日、ちゃんと引かれていた。

しかし、円高だ。
外国に特に米国に対するお金のやりとりをする場合は
非常にお得である。
なんせ、1ドル90円台、先週末なんぞ88円だった。
従って、今のうちUS$を買いだめしておく。
それをセカンドライフのバランスへ充填する。
こういうときは円高はお得だ。

所持しているリンデンドルもけっこう小金持ちになってきた。
毎週お小遣いでL$300づつ頂ける。
しかし、このリンデンドルを日本円にしようと思うと
今はマズイ。円高なので。
貯めるだけ貯めよう。


南側のSIMが突如雪山に変わった。
しかも、南東のSIMには雲まで届くような絶壁がッ
その上はなにやらスキーリゾートのような塩梅。




その真下が緑豊かな草原。
奇怪な世界である。
セカンドライフ。









2008/12/14

(No.646): 12ヶ月点検入庫雑感


FIAT Panda100HP 12ヶ月点検に出す。
ディーラより12ヶ月点検案内のDMが来たので
そうだそうだもう1年経つのかといった塩梅式で
入庫する。
担当メカさんに軽く気になる点を伝える。
相変わらず10km/h程度の低速時にキーキーと鳴くこと。
寒い日の始動直後にクラッチを繋げる際の
クラッチペダルあげが一瞬引っかかっているような
感じがすること
を伝える。

正式な見積もりはまだ聞いていないが
入庫時点での話だと6万くらいだという。

一瞬耳を疑った。
6万円って、なんでそんなにかかるの。
これだから外車は維持費が高けぇだの
へちまだの言われるのだ。

FIATとは庶民の足ではなかったのか。
FIATとはそういう志の自動車ではなかったのか。
だから、
ランニンングコストは庶民が納得できる範囲ではないのか。

アルマーニのスーツを着た小奇麗なスタッフに
薫り高いコーヒーを給仕され、
香りの良いフレグランスを焚いたショールームは
誰が見ても一見敷居が高そうに仕立て上げられている。
そういうやり方自体が胡散臭い。
そんなのはマセラティやランボルギーニに任せていればいい。
FIAT500の理念はどこへいってしまったのだろうか。


12ヶ月点検の基本料金が3万数千円なので、
それにオイルだのフィルターだのという消耗部品代と
交換工賃がかかるという。
それにしたって4万円後半くらいだろう。
フレグランスを焚くお金があるなら
それをユーザのランニングコスト代へ還元して欲しいものである。


今年はnavu3でも買おうかと思っていたが
この分では12ヶ月点検で消えそうだ。
FIAT SPAZIOのコンテストで賞品が気になるところだ。

しかも2月にはM400の車検まである。
最高だ。








2008/12/12

(No.645): 驚愕の体感温度


泣きながら拾い上げた石の中に
1億3千万年前の海老の化石が埋まっており、
しかも、それが未発見の新種だということで
学名に自分の名前が冠された日にゃ
真冬全裸二輪大会の準優勝よりもはるかに誉れであろう。

夏のライディングも好きだが
冬のライディングも好きだ。
面倒臭い重装備を背負う。
シールドが曇る。
なにしろ、寒い。
しかし
ここ数日の気温はこれが12月なのか
と驚くほどに暖かい。

そんなのはほんの僅かである。
冬は寒いのだ。
どこが楽しいのだ。寒い。寒すぎる。




外気温10度、湿度20%、オートバイの時速60kmの
ライダーの体感温度
ずばり -2.5 度

マイナスにーてんごどッ
口にしてみよう。

えらく愕然とした。
外気温10度といったら、むしろ普通の東京の初冬の気温であろう。
これが、日中でも5度とか4度とかになると
自動計算しなくてもわかる通り、
常軌を逸した数値になることは陽を見るよりも明らか。

暑がりの人。
夏など言うに及ばず、真冬でもちょっと暖房が効き過ぎたり
ちょっと身体を動かしただけで、暑い暑いと
大汗をかくような暑がりのあなた。

今すぐに冬のオートバイに乗って欲しい。
いや、乗るべきだ。
おそらく、マイナス体感温度が心地よく感じるのではないか。

心底羨ましい。
筆者は、夏でもめっぽう寒がりの人なので冬は特に辛い。
ましてや、オートバイで氷点下の世界を文字通り体感している。

それでも乗るってぇのは、
おめぇいってぇどういう了見でぇ。








2008/12/11

(No.644): スネア行脚


ドラマーにとってスネア・ドラムは
そのドラマーのアイデンティティを顕す重要なパーツである。

筆者は未だドラマーとしては半人前であるが故に
ドラマーとしてのアイデンティティが明確にない。
まぁ強いてあげれば、「楽して儲けるスタイル」であろうか。

兎に角、そんな中にあったので
自分色のスネアなどを物色する気色もさしてなかった。
動機は、ライブハウスによっては
「基本スネア持込で」という箱も多いため
取り敢えずマイ・スネアは必要であろうということくらいだった。

ただ安かった。というだけで買ったのが
クラシックバーチ材をシェルに持つ
LudwigのLRP514というスネア。



音はけっこう気に入っている。
バーチ材の所為か、大人しい音。
柔らかい。
これはこれで、良いスネアだと思っている。
自分に合っている。

が、
そんな折、ある動画を見て、このスネアが
欲しいのではないだろうか、私。
と思い至ったのである。
その動画のURLはもはや消えてしまったが
あるスネアを紹介してるような動画であった。

そのスネアは、LudwigのLM400。
ドラマーなら必ず通過すると言われるスネアである。
シェルはスティール(ラディアロイ)材。



金属スネアは、練習スタジオなどでperlの定番スネアを
叩いたことはあるが、あれとは音の質感が異なる。

しかも、国内の販売店を調査すると
驚くことにその販売価格の差が激しすぎる。
上は7万5千円、下は4万1千円まで。
同じスネアが、である。

同然、4万1千円にするけど。







2008/12/10

(No.643): ドラクエの果て


ドラクエ5終了。
ラスボスを倒して、エンディングまで一気に流れる。
スタッフロールを終えると一番最後にセーブを聞かれた。
セーブし、そのセーブデータでプレイし直してみる。

お話の途中(と言ってもラストへ向かう後半部分)から
再開される。
しかし、もちろん、培ってきたレベルや
武器や防具や道具などは、全てそのまま
仲間ももちろん、全員が揃っている。

ダンジョンの宝箱ももちろん、全て開封状態。
異なるのは、ラスボスが存命になっているだけなのだろうか。

レベル上げのつもりで、最後の塔の中を行ったり来たりする。
再度、ラスボスまで行ったら
とりあえずやめよう。

ドラクエ5終了。
2009年3月の9は買おう。
10はWiiだからいらないや。

今度はPSPのソフトでも物色するか。
GTA4もまだ先は長そうだ。





シゴトが、今までとまったく異なるシゴトになりそうだ。
今やっているものとも、さらに違う。

禿げそうだ。

まぁクビになるよりは、マシか。

嗚呼ドラム叩きてぇッ








2008/12/09

(No.642): カーナビゲの略


カーナビなどいらねぇ地図だ地図、紙の地図が
一番でぇいとあれほど鼻の穴をふくらませて
いたというのに、唐突にこれが欲しくなった。

正社員や派遣社員を16000人も削減するというSONYのカーナビ。
カーナビって20万円くらいするものだと
思っていたが、5万円くらいで買えるんだ
ということをつい最近知る。
しかも、nav-u2ならヨド○シで3万円代である。

このnav-uのいいところは、取り付けの工事が
不要ということと、なんせ、手持ちで使用できる
ということに尽きる。
バッテリー駆動且つアンテナ内蔵で本体のみで稼動可能。
つまり、クルマ以外での使用も考慮されているということである。
取りも直さず、オートバイでも使用可能だ。
もちろん、徒歩でもOKだ。

ワンセグ機能付きのnav-u3vは6万円台。
ワンセグ機能無しのnav-u3は5万円台。
流石にちょっと高価だが、20万円よりは安い。
やはり旧モデルのnav-u2が買いだろう。
内蔵メモリが2GBであるが、上位のnav-u3は倍の4GBだ。
地図情報が圧倒的にnav-u3の方が秀でている。

実際、2GBと4GBでどれほどの詳細地図における違いがあるのだろうか。
これが差額2万円強を埋められるものなのだろうか。

カーナビなどいらねぇ地図だ地図、紙の地図が
一番でぇいとあれほど鼻の穴をふくらませて
いたというのに、唐突にこれが欲しくなった。

その顛末は。








2008/12/08

(No.641): 独鈷の久々ドラム


久々のドラム練習。
ドラム教習カリキュラムは11月末を以って
滞りなく終了。
いやさ滞りは、てんこ盛り的に存在する。

毎日、5分でもやんなさい
という先生の言いつけも守らず
ここ2週間で、実に1回分の30分程度しか
やっていなかったものだから
久々にエクササイズをやると
そりゃもう、何から何まで全力で駄目。
駄目がネギしょって鍋にまっしぐら。

一番基本中の基本である、16分での4連譜。
アクセントが順に移動するというエクササイズ。
(大文字がアクセント・ストローク)

R l r l  R l r l  R l r l  R l r l
r L r l  r L r l  r L r l  r L r l
r l R l  r l R l  r l R l  r l R l
r l r L  r l r L  r l r L  r l r L


これを、BPM105から始めて、今日はBPM120で
もう駄目だった。
毎日練習していれば140は普通にできる。らしい。
特に、2番目の1拍目16分裏のアクセントが
ほんとうに叩きにくい。
もちろん、右足は各拍の頭で踏む。
嗚呼、難しい。体がいうことを効かない。

そんな筆者も、実は密かな得意分野がある。
それは、3連譜である。
不思議だが、これは本当に力まずに
ある程度高速BPMでも対応できるようになった。
そして、何より、ノレる。

R l r L r l  R l r L r l
r L r l R l  r L r l R l
R l r L r l  R l r L r l
r l R l r L  r l R l r L

この3連王道アクセント移動は
それこそBPM140までは割と普通にプレイ可能だ。
しかし、実戦でこのパターンが出てくるのか
といえば、まずもって出現することはない。

もうちょっと速いBPMで出来るようになれば
6連のオカズも夢ではない。

最後は、これも王道、シングル・パラディドルで。

R l r r L r l l  R l r r L r l l

フィンガーストロークは未だ習得できず。

左の人差し指の第二間接の親指側の皮が
べろんとなった。
力んでいる証拠ではあるが、
ちゃんとグリップができているという証でもあり
すこしほっとする。
何でもやればできるのだ。
とにかく矯正あるのみ。







2008/12/07

(No.640): 金星とぱんだカフェ


しかし、昨日目撃した謎の光の正体は
なんだったんだろう。

普通の常識で考えてみると
やはり金星のようだ。

12月の金星は南西の空、日の入り後に見え、
ものすごく明るいらしい。所謂宵の明星である。

12月6日の日の入りは16:28。
まさに筆者の確認した16:33に合致する。

12月の日の入り後西の空は
金星と木星、それに月の三役が揃い踏みの
華やかな空を見ることができるという。

筆者は、ものすごく明るい1点の光しか確認していないが
いろいろ調べてみると、金星だったのだろう
という結論に達した。

しかし、なぜ消えたのか。
それが、未だに謎だ。
雲があったので、雲に中に隠れたのだッ
と言いたいところだが
光源の周りに雲はなかったのを記憶している。

明らかに、光自体がフェードアウトしていった。
フェードアウトというのは比喩ではない。
本当にフェードアウトしていった。

その消滅したという事実を無視すれば、
状況はあきらかに「金星」である。

あまりに釈然としないので、
ぱんだ珈琲店を訪なう。










2008/12/06

(No.639): 西南西の空に不思議な光


12月6日本日、16:33頃、東京都内の位置から
西南西の空、60度くらいの高さに、
未確認飛行物体を見た。

筆者はパンダ車を運転していた。
雲が浮かんだ夕焼けになりつつある
西の空の上空に一点の光を見て
ああ金星かなと思った。
しかしまだ日も割と高いのに、
それよりも明るい光って、金星すごいなと思った。

しかし、その光がだんだん強くなってきて
クルマのヘッドライトのように
滲んで拡散する光ではなく、
くっきりと丸い輪郭がわかる光だった。
ちなみに、地上から観測する星星の明かりも、
同様に滲んで見える。
それを考えつつ今思うと、あれは普通の光じゃなかった。
厚い大気を通過していながら
輪郭のはっきりした光だった。

あれは金星ではない。
明るすぎる。
動かないから星かと思った。

そして、その光が今度はだんだんとフェードアウトしていき
10秒ほどで完全に消滅した。

もはや、金星などではない。
星が10秒くらいの短時間で光を強弱したり
まして消滅するなど考えられない。

光に気づいてから消滅するまで
時間にして1分間くらい。
消滅したのではなく、遠ざかって行ったのかも知れない。
だとしたら、尋常ではない速さだ。

他に、この光を目撃した人はいないだろうか。

<イメージ図>


12月6日本日、16:33頃、東京都内の位置から
西南西の空、60度くらいの高さに、
不思議な光を見た方はいないだろうか。
今回の話はマジです。








2008/12/05

(No.638): 全員が失念の記念


自分の周りが順調にLinux化してきたのを
記念した短歌。

家パソコン この際だから リナックス 
動かなくなるじゃん キューベースとか



もっともCubaseはノートPCに入れてあるので
関係ないんだけどね。

さて、シゴトで
httpsのSSL認証サーバを構築する。
いやさ、してもらう。

調べる。
電網は本当に便利である。
隣のお兄さんが親切にノウハウを伝授してくれている。
この世界には隣のお兄さんがたくさんいらっしゃる。
みな、寝る間も惜しんでカチャカチャとキーボードを叩き
自前サーバを拵え、
電網にやんごとなき計らいを執り行ってくれている。

電網のネタはそんな人たちで造られている。
ほとんど。




地元の小学中学同級生達。

12月になったら皆で会ってどんちゃんやらかそうぜ
この餃子の王将の味噌ラーメンがッ
と誓い合ったのが確か10月のあの頃。
今日がその日だったことを、その全員が失念しており、
夜になって、メールや電話が飛び交う。

きょうだっけ
きょうだったねぇ
じゃまたこんど
じゃまたこんど
はいはいー
はいはいー








2008/12/04

(No.637): 2話ゲーと都内二輪


レベルが、レベルが低いのか。
最終の塔に行き着くのに、もはやレロレロの有様である。
しかし、全員レベル38オーバー。
楽勝でエンディングまで行ける筈である。

ドラゴンクエスト5。
ベホマを人数分よりベホマラー2回の方が
MP消費が低い。

レベル上げのために最後の塔の周辺を
うろつく。
嗚呼愉快。




Grand Theft Auto 4 売り上げNo1との由。
13万本を売った計算。

13万人もいやそれ以上の人数が、
このゲームをやっているとは到底思えないが
事実それほどの人気ぶりとのこと。

手配エリアからの脱出は星3つだと
すこぶる手ごわい。
嗚呼愉快。




いつも最後には原動機付自転車に追い越される。
必ずだ。
彼奴等は普通に交通規則を無視するので
信号待ち四輪の列の後ろになんざ
並ぶことはせずに、対向車線だろうが
なんだろうが一番先頭へ躍り出たい。
それでも何が何でもじっと四輪の後ろで待つ。
嗚呼愉快。







2008/12/03

(No.636): FIAT CAFEにちなんで


FIATが元気だ。
12月12日には東京の青山にFIAT CAFEがオープンする。
ディナーもあるくらいなのでカフェなんだろう。
FIAT500の展示もありそうだ。

そして、FIAT SPAZIOという
FIATファンのコミュニティサイト。
FIAT CAFEのオープンを記念して
フォト・コンテストを実施している。
カフェの写真を募集しているようだ。
クルマも一緒に写り込まなければいけないのだろうか
ちょっと不明。

これは、すわ応募しなくてはッ。









2008/12/02

(No.635): 電網ダークサイド


昨日、滞っていたwebサーバのポート空け作業が
ようやく完了したという知らせを受ける。
これで、本番環境のサーバへインターネット経由で
入っていける。
よかったよかったと思っていたその翌朝、
昨日までrootでログインできたのに
今朝から何故か弾かれてログインできない、
なんぜなんぜと思っていたら
fopさん、webサーバ乗っ取られたようです。
と連絡を受ける。

ハッキングによってrootのパスワードを
変えられてしまったらしい。
この名だたる電網世界への扉を開けた刹那
まさしくあっという間にその毒牙の餌食となる。
ちょっとしたことでrootのパスワードを
破られたらしい。
どこの国のハッカーだか知らないが
そら恐ろしい世の中である。

無防備だったけど
1日くらいはもつと思っていたんですけど
1日ももちませんでしたねぇ
と、作業を担当してくれている部署の方が仰る。
電網世界では日常茶飯事なのか。


まだ立ち上げたばかりのサーバで
中身はほとんどない状態であったので
盗まれる情報もなく、且つそのサーバを踏んで
他のセグメントへ移ることもなかったようで
サーバのOSもろともバッサリと消した。

Linuxを入れなおしてもらう。
今度はrootではログインできないような
仕組みを仕込んでもらう。
へぇそういうことができるんだ
と別な意味で感心する。
セキュアな環境へ少し変貌を遂げた。

電網の中が目に見えないだけに、
現実感が希薄だが、
アクセス・ログには、
ダークサイドから伸びてくる触手の形跡が
しっかりと残っている。
くわばらくわばら。







2008/12/01

(No.634): 冬支度の二輪近隣


たぶん冬だろう。
おそらく冬になったのだろう。
朝バイク。

危なっかしいくらいのセル一発始動。
チョーク目一杯にて2700rpmで約1分間暖気。
寒いので少し長めにする。
2分くらい。

プラグをそろそろ交換しないと
またいつものようにカブリそうだ。

ユニクロのヒートテック素材のタートルネックを着て
RSタイチのウインドウストップ素材のジャンパーを着て
ペアスロープのジャケットに冬用のインナーを装着し
オーバーパンツを履く。
滞りなく冬の装い。

気温8度の中を走る。
まだいける。
まだまだ。これからだ。

環八手前で16,000kmを踏む。

プラグ交換。
エアクリ交換。
したい。

油温78度。

ドカ匂を嗅ぎながら駐車場に停めていると
同じ駐車場のバイク乗りの方に
そのドカティ何CCですかと問われる。
四百です。と答えると
ひどく驚かれていた。
その方はBMWに乗っているのであるが
ドカティにそんな小排気量があったか
という驚きにみえた。
ドカティ調子は良いですかと問う。
冬になるとエンジンのかかりが悪くなりますが
いたって元気です。四百なので回しても
たいしてスピードもでないです。
と答える。
速ければいいってもんでもないですからね。
そうですよね。
わっはっはっはっは。