2013/05/30

(No.1989): DOEPFER MS404で何か作ろうとしたら


ハーマナスーの香ーりー
とどーけよー
とツクグロウ鳥が啼くので
DOEPFER MS404でなにかやろうかと
思い立つ。


かの世田谷ベースでも言われている通り
「遊びは面倒くさいほうが楽しい」
の名言のごとく、MS404で遊ぼうと
画策したのだが、実際、
音が出るまでの作業が面倒臭いったら
ありゃぁしない。

MS404はstereogimmik用ラックマウントに
あるので、それをどっこいしょと取り出し
っていうか、ラックどこに置けばいいのよ、
とか、
あれ、電源はどこからもらおうか
とか、
電源ここからじゃ届かねぇじゃん
とか、
オーディオアウト結線ね、えーと
あ、ミキサー立ち上げねぇと
とか、
そうだ、
MIDIつなげないと音出せないじゃん
よく考えたら
とか、
いやそんなこと、どれをとっても
当然と言えば当り前田のクラッカー
なんだけれどもね、キミ、
ここが重要なんだよ、キミ、
いいかい、
だって、あれだよ
やっぱ作りてぇー音出してぇーって
熱い時に打ちたいじゃないの
音を出したいじゃないの
こういうさー
音が出るまでの作業がもろもろと
あるってぇと、
あッ!ほら、狭いから 
今、肘でコードひっかけて
なんか落ちたしー
もうーうぜー

とか。


そんなことをぶーたれてたら
頭頂にとまっていたツクグロウ鳥が言った。

「アンタねー そういうことが面倒臭いと
思っちゃったら、アンタもう終いだよ。
電子雑音響エレエレなんて面倒臭いこと多いんだから。
打ち込みなんか、めんどいでしょう。
エレエレやめなはれ、やめれやめれ」


「はいッごめんなさいこれからは心持を改めますッ」
キリッ




ラックを引っ張りだして、蓋開けて中身確認。
赤いのは今は亡きカナダのElectrix社の
ボコーダーwarpfactory





それをよっこらせと、ラック3段積み。
下の段が写ってないけど。



















2013/05/29

(No.1988): 新しいカタチのライブ告知


さて、
ご存の通り零細の体で営んでいる
我々deweyにおいては
零細の零細としての理を奏でるため、
年に数えるほどのライブを6月24日に
つつがなく執り行うべく丁寧に世界に
しかしあからさまに告知している関係で
今回のこの屑ブログもそんな体で
お送りする塩梅式なれど、次回は
deweyのライブでは珍しく平日ゆえ、
しかも月曜ゆえ、
お見えになるお客様の人数は
ステージ上よりも少ない
ということが想定範囲として
あるわけでありますが、いや、キミ
何をゆっておるのだ、
何をゆっておるのだ、
ゆっておるのだとゆっている
そんなことは何度も、そう何度も
経験しておるではないか、
あれは、
もう10年くらいも前になるかのぉ
ステレオギミックというテクノユニットで
テクノ道を驀進していたと思いねぇ
大塚の今はなき某ライブハウスの
ブッキングの方から
(偶然大塚だが特に大塚がホームと
いうわけではない)
ステレオさんそろそろトリでお願いしますよ
という声援を受け、
わかりましたもうなんちゅうんですかね
ひじょーに満員にしてみせますと
がぜん張り切って、告知もがんがんして
チケット手売り(予約)して
準備万端で臨んだそのライブは
それまでそこそこ入っていたお客さんは
前のバンドが終わると水が引くように
帰っていき、幕が開くと
お客さん1名、ステージ上2名
という状況で燃える、燃えるでしょう
このじっとりと手に汗がにじむ状況は
その塩梅式は後にdeweyにも引き継がれ
今日を形成する土壌となって
おりまするゆえ
安心してどうじょ来て下さい。










おまけ

【dewey Live情報】
2013.06.24(MON)
大塚Deepa
OPEN 17:30 START 18:00
ADV/DOOR ¥2000/¥2500
 (23:00~Bar URASHIMA Time to till morning. Entrance Free!!)

[Live]
BUZZ SQUAD
DOOOMBOYS
花とワルツ。
dewey
Lemonade-Launcher
BIG FIRE

[FLOOR LIVE]
スパナ乙

[RESIDENT DJ]
Macho
Hoshiya
広ヰ茶魔
おにる 


twitterにて @dewey_lumb_fop までリプ頂ければ
チケット取り置きします。


2013/05/28

(No.1987): バイキングの軍師を呼ぼう


昭和三十年代によく散見した取っ手が窪んだ
円形の金具を持った襖。
建てつけの悪い所為でかけた指先の具合に、
思い切り勢いで開けようとしたものだから、
その指先の生爪を十分に剥がしながら
出血の類を生じ、はううははんと唸る。
そんな旧本館とはうらはらに近代的な
巨大ホテルの体をそこはかと醸し出しつつ
しかし一流観光ホテルには今一歩
成り切れない感をそこはかと醸し出しつつ
旧本館に隣接するこちらは昭和五十年代的
旧本館とは姉妹館での夕食バイキング。

そんな宿泊施設にありがちな、そうさ
いつものような可も不可もない
そんな夕食バイキング型式食事なのだろう。
そう思っていた。
しかし、それは見事に裏切られた。


宿泊施設におけるバイキング型式は数多
経験があるが、筆者は嘗てこれほど緻密で
高品質な美味しいバイキングを食べたことが
なかった。
上述の一流観光ホテルには今一歩
成り切れていない感などと記した自分を
罵りたい衝動にかられるほど
このバイキングに衝撃した。
一体一流とはなんだ。

ここのバイキングは、
コンテンツが豊富というよりも
一つ一つの味の質が高いという印象。
メニウの民度がすこぶる高い。
しかし、
けっして種類が少ないということはなく
少なくないのに一つ一つの完成度が高い。

和食と中華を主軸としながら職人による
その場で揚げる串揚げ、その場で焼く
うなぎ蒲焼系、などを周囲に配し、
その他スイーツ系、飲み物という一般的な
メニウも並ぶ。



先ず刺身をいくつか取って来て食べる。
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
刺身、寿司といったものは目の前が海という
こともあり至って新鮮なのは当たり前としても
生臭さなど微塵もなく、それも素材の味が
素晴らしい。
しかも、いわゆるフツーのネタは少なく
魚に疎い筆者は初見のものが多く名前も
覚束ない。

次に「うなぎ釜めし」なるものをよそってきた。
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
うなぎの加減が筆舌に尽くしがたい。
たかがバイキングなのになにこの美味さ。
嫌な油っぽさなどなく、ほくほくとして
ほくほくとしてほくほくとして
なにしろ後味が凄い。
流石本場のうなぎだ。
いや、この本場の地で数年前、所謂
うなぎ屋でうな丼を食べた事があるが、
そのうなぎ専門店のうなぎよりも
美味さのレベルは数段上だった。
ただしく尋常ではない。

赴きを変えて、餃子を食べる。
なんでも地元産B級グルメ的餃子らしい。
へ、そういうのが駄目なんだよと思った刹那
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
ニンニクではなく生姜系と思われるが
白飯にこれほど合うのもそう多くはないだろう。

中華の流れで豚角煮を食べる。
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
やわらかくて肉は口の中ですぐに形を変える。
そして味付けが絶妙だ。
美味過ぎる。
腹がはち切れるほど喰いたい衝動に駆られる。

海苔の佃煮。
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
地元産だという。
この奥行き感はなんだ。なんだこの海苔の佃煮。
この海苔の佃煮だけで白飯三杯はイケる。
お土産に買ったほどだ。

串揚げ。
一口食べて、「うめぇー何これ!」と絶叫する。
たくさんあった串揚げから
豚肉を薄くして揚げたもの、
エビを揚げたものを頂く。
豚肉にはウスターソースを
エビにはタルタルソースを。
どれも絶品至極。
なんか下ごしらえが違うのか。



あと、カニ。足が比較的長いカニ。
型番不明。
筆者はカニが食べられないのだが
カニ好きならたまらんだろう。
喰い放題だ。
カニ足を山盛りでわさわさ喰っている
おっさんが多かった。

自分で作る鍋もあったのだが、
腹いっぱいで流石に食べられなかった。

うなぎの串焼き、肝焼き的なやつとか
タレで、塩で、とか。もうやめて。



普通、バイキングなれば、
手抜きというかやっつけ的な
そういう事態はだいししょいし
何かしらあるはずなのだ。

ところがだ、
ここのは、それが皆無だ。
妥協が一切ない。
その全てが美味いのだ。
そして何より、二食付き宿代は安価だ。
一万円でお釣りがくる。
これはちょっと異常だ。


ちなみに朝のバイキングも凄かった。





2013/05/23

(No.1986): ツクグロウ鳥のレーベル運営


ホッヘンセハー、フローヘンコハー
と鳴くツクグロウ鳥をそれぞれの頭頂に配し
我々は電網会議室B2号室にてdewey全容に関する
取扱について討議を打った。
3分48秒の本会議において概ね以下の事柄について
決裁した。

以下、議事録より抜粋転記。

「8曲入りくらいの」
「公式音源を」
「itunes配信で」
「プレスCDで」
「作りましょうぞ」
「断る理由がどこにありましょうか」
「物販です物販」
「余ったらステージから投擲しましょう」
「へッフンホハー、フンヘンセハー」



頭頂のツクグロウ鳥があまりにも啼くので
ツクグロウ鳥にレーベル運営を頼んでみる。

「なあキミ、そういうわけだからひとつ
頼むよ」

「へッセンコハー、フォーヘンセハー」

「いや、そう言わずに頼むよ、キミにしか
できないんだこの仕事は、お願いだよ」

「ホッセンホハー、フローフェンコハー」

「いやーありがとう、恩にきるよ」



tsuqugrow label

暫定案






2013/05/22

(No.1985): 遠巒の廻廊(三)


フェルディナンド・セジュウィッチバーグ博士は
大学の研究室で一人、手に汗を滲ませながら
古文書のページをめくっていた。
この古文書は、2年前イギリス・ウェールズ地方の
マズレーという古城に所蔵されていた多数の古書の
中から見つけ出したものだった。

彼はこの古文書は紀元前2~3世紀に書かれたもの
だろうとみているが、正確な年代測定はまだ
できていない。
分厚い本のような体裁ではあるが、紙ではなく獣の
革に鉱石を解いた溶液で記述してある。
ページによっては、彫り物のように革に筆跡を付けて
その傷に溶液を沁み込ませている。

書かれている言語は非常に複雑な体系を持つ
古代ケルト語の一種とみられ、オキュパイアアボート
と呼ばれる配列群表を参照しながらでなければ
一つの文字としても解読できないものであった。


セジュウィッチバーグ博士は配列表と古文書とを
何度も交互に見ながら、確かめるように、
ある部分を指でなぞり、そしてうめき声をあげた。

「むぬぅ・・」

汗ばんだ指が革に張り付くのを嫌がり
ハンケチを探してズボンのポケットを探った。

彼がなぞっている部分には、こう書かれてあった。

「エミッタとコレクタに圧を掛け、つかの間、
エミッタとベースの狭間に問い合う小声の或いは
弱小の波を渡し、そうなれば、誰でも、何時でも
大声の波がエミッタとコレクタの狭間から
得られるだろう」


原理を知らなければ、何のことを書いているのか
わからなかっただろう。
エミッタやコレクタ、ベースといった単語自体が
一字一句同じということも彼が驚愕した原因だった。


「こ、これは、トランジスタの動作を示しているのか」


トランジスタの動作とは、
エミッタ・コレクタ間に電圧をかけ
そしてエミッタ・ベース間に入力信号を入れると
増幅された出力信号がエミッタ・コレクタ間から得られる
というものである。

しかもその数行先では
「高純度のガジションの単結晶を用い、
運子の多い単結晶と少ない単結晶を合わせること」
とある。

ガジションというのは現在のゲルマニウム等の
半導体を指しているものと推測できる。
しかも「運子の多い単結晶」とはN型半導体を
「少ない単結晶」とはP型を指しているのではないか。
偶然としては明らかな類似、いや、類似などではなく
明らかにそのものを指しているとしか思えない。


この先には一体は何が書かれてあるのだろうか。
そう思ったセジュウィッチバーグ博士は
好奇心を抑え切れず次々とページを読み進めていった。
あるページまで解読を進めて博士は確信した。

「こいつは、、オーパーツだ。間違いない。」


大部分の記述は、作付けや狩りの話し、天候のこと
あるいはオルフェイアと呼ばれる集合体(現在の
村や町)の構造について、或いは死者の埋葬に関する
話であった。
しかし、前後を空白のページに挟まれたページには
先ほどのトランジスタにような奇妙な記述が散見していた。

例えばこんな記述がある。

「自由稼働軸を輪軸と平行に輪枠に固着し、巨大なる
偏位を許容する継台手を介在し、自由稼働軸の放出力と
駆動輪歯型軸様を接合する ~」

”自由稼働軸”という部分を今のモーター機械と訳せば
1925年に実用化したWN駆動方式という電車用駆動システム
の説明となるのだ。

セジュウィッチバーグ博士は鉄道工学までは
門外漢ではあったが、彼の友人であるビャン氏が
強電工学博士であり、お互いの趣味の鉄道模型も相まって
その方面でも知識を持っていた。


セジュウィッチバーグ博士は震える手で
そっと本を閉じた。
全ては解読していないが、おそらくここに
記載されているものは、いわゆるオーパーツに属する
異様な遺物なのだろう。
兎に角、知人の研究所を当たって正確な年代測定を
するべきだと思った。

半分は間違いであって欲しいという思いもある。
近代のものであれば、それはそれで安心できる
というものだ。
そんなことを思い巡らせていると先ほどよりも
少し興奮は収まり落ち着きを取り戻した。

セジュウィッチバーグ博士は思い出したように
また本をめくりだした。
なぜなら一点気になる事があったからだ。
どうしても解読できない文字があるのだ。

しかもその文字列の登場数がかなり多い。
決まって、例の空白ページの下方に記載されている。
実際は空白のページではなく、
その文字のみが記載されているのだ。
現代語の文字に置き換えるとそれは

デウ

と読める。
いったい何を著わしている言葉なのか。
今はわからない。
何かの名前だろうか。

セジュウィッチバーグ博士はひとしきり眺めたあと、
また本を閉じ、机の上に転がっていたiPhoneを拾って
知人の研究所の電話番号を探した。




(続く)






2013/05/21

(No.1984): 「案出」への渇望


(原文ママ)
世の本流とは幾千里も遠く離れた辺境最果ての
荒野(あれの)を、道の草を喰む牛歩の如く、
たらたらと進みゆく筆者であるが、
四半世紀以上にも及ぶ電子電気雑種音響を
親密に、放音、放波、そして放響している
その愚行を追って篤と考えるに、
ここに、僅かな恵みというには憚りながら、
即ち、点は線となり、線は面となり、けだし
果たして3Dへと立ち上がる気配を揚々と
感ずるに至る。

様々なステークホルダーの中にあり、須らく
犬のような好奇心と蟻ほどの勇気で創造性豊かな
電子雑音響の体験ができそうだという予感がする。

予感を模糊の氷河にはせず、予感を光の収束の
頂点とした盤石の実義とするため、その法則の
一端を担う「案出」を身近に配すよう務むる。

先鋒、王令による挙兵の如く、
一つの懇命に委ねる。
我々は思惑のトラップを設計し、
軽やかなまでの陽炎の終焉を、
時には潤沢な蜜の上で
時には凍てつく氷柱の下で
常に我々の周囲に配し、繋ぎとめ、
「案出」の「案出」たる存在に耳を傾ける。

今、頂に咲く美しき渇望を瞻仰する。
arturia minibruteの姿を拝す。



(訳)
円安で値上がりしねぇうちに
買っちまおうかってぇ了見なんだがよ
よっく考げぇたらそもそもおいら
あれだ、御足がねぇんだった
でもminibrute欲しい。








2013/05/20

(No.1983): 晃一郎と吉之助(軍装の二人)


しばらく続いたの雨の所為で外気には
湿気が感じられる。しかし五月の湿気は梅雨の
それとはまた違い、いくぶん過ごしやすい。
晃一郎は二階の部屋の通りに面した一尺ほどの
小窓を開け放ち、久々に興じた五月晴れの
清々しい匂いを部屋の奥へと誘うことにした。

晃一郎は畳に胡坐をかきながら、帯に挿した
扇子を抜くと右手だけで勢いよく広げた。

「暑いな、まだ昼前(めぇ)だってのに何だってんだ」

そういうと扇子をせわしなくぱたぱたと煽る。

「晃さん、ここはどんなあんべぇ(塩梅)でやんした
一向に音が鳴んねぇんで」

畳に地下置きしたMacBookProに立ち上がった
AbletonLive8を、吉之助はうつ伏せで見据えて
目だけを晃一郎に向けながら言った。

「馬鹿野郎、何遍言やぁ覚えるんだ。ボコーダーの
キャリアと声が逆だって言ってんだろ」
「あ」
「おめぇ、これじゃひょーひょーとしか鳴らねぇじゃ
ねぇか」
「めんぼくねぇ」
「それよりそろそろ来るぜ、もういいかげんにしねぇか」
「もうそんな刻限で」
「市電で銀座四丁目から切通までならそろそろだろう」


晃一郎が小窓から表通りを見下ろすと田原町行きの
東京市電が左右に揺れながら上野切通の停車場に
入ってきたところだった。
フロックコートを着た紳士のあとから、欧州にあるような
軍装に身を包んだ冴えない二人の男達が降りて来た。


「おいでなすったぜ」


二人とも同じ軍服を着ているが髪の長い方の男は詰襟を
締めずにいるので軍服の下の肌をさらしている。
短髪の男は襟章の詰襟をきっちり締めているが、
どこか患っているのか目の下にクマが酷い。
それぞれの腕には腕章が付けられている。
腕章には赤い文字が刻まれているが
意味は不明だ。


「なんすか、あの風体は」

小窓の端から見ていた吉之助は彼らから視線をそらさずに
言った。

「上野区軍律立憲政策に関係する者たちだ」
「えええ、するってぇと、堅気じゃねぇ奴らで?」
「まぁ、そういうことにならぁ」
「あ、あんなれんじゅうと、なんで晃さんが
つるんでるんでさぁ」
「その話ぁそのうちしてやるがよ、六月の二十四日に
提唱会ってぇのをやるのよ」
「六月二十四日?来月の?」
「それもあとで聞かせてやるよ、さ、来るぜ」
「あ、あ、あっしやぁどうすりゃいいんで・・」
「別にとって喰われやぁしねぇさ」

二人の男たちはこの二階家の階下へ到達したのであろう
戸をがらがらと開ける音がした。

「おい、おめぇ下に行ってあがってくるよう言って来い」
「ええ、おいらが、ですかい?」
「いいから、行ってこい、喰われやぁしねぇよ」

吉之助は襖を開けて、暗い階段を覗き込む。

「早く、行ってこい」

吉之助はしぶしぶと階段を降りて行った。
僅かにして階段を上がってくる複数の足音を聞きながら
晃一郎は着実に時代が動き始める予感を抱いていた。





2013/05/19

(No.1982): deweyの6/24ライブ用リハの日(その一)


deweyのリハーサルスタジオの日なので
代々木のスタジオを訪なう。
6月24日ライブ用のリハである。
3月初旬のライブ以降、久しぶりの音出しであり、
ステージで使うライブ用ミキサー、各種シールド類など
前回ライブ以降何も施しをしていないので、
大丈夫かしら壊れていないかしら、という心配は
杞憂に終わる事なく、しっかりと滞りなく、断線
という事態でスタジオスタッフさんにシールドを借りる。

6月24日ライブでは3月ライブの曲とほぼ同じ
曲構成で臨むが、tai-raさん制作の新曲を追加するため
若干の入れ替えを行う。
全編を通して、ほぼボコーダーが登場する。
メイン歌唱もあるが曲のほんの一部で使用することもある。
ない曲もある。

新曲を混ぜつつ、既に本番の曲順を考慮して
リハを行う。
今回も平沢カバーをやるが、一曲だけにする。
前回もやった曲だがアレンジを少し変えている。
その平沢カバー曲時、tai-raさん側の音がうまく同期しない。
ズレる。

「おかしいですね」
「MIDIならBPM変わっても合うはずなんだけど」
「なんでズレるの」
「なんで」
「おかしい」
「なんで」

問題解決は後にして先を急ごうとしたら
tai-raさんMacBookがなぜか挙動不審になり
2度も落ちる。


「これが本番だったら、恐ろしいですね」

嗚呼、コンピュータでつくる音楽って楽しい。








2013/05/17

(No.1981): 突貫のdeweyオフィシャルサイトの捧呈


オフィシャルサイトらしきものがなかった。
deweyには。
せいぜいマイスペースとかなんとかいう
ところで更新も何カ月も滞っている状態の
そんなものしかなかった。

なんとかならんものか、
なんとかなりませんか、
とツイッターにてdewey相方tai-raさんに打電
したところ、
その夜、作りましたとのメール。
まったくなんの冗談なのだろうと
リンクを見て驚愕した。

ちゃんとしている。

そうそう、こういうのでいいんですよ。
やれ、麻布のなんとかいうフランス料理店の
モルネーソースじゃなきゃとか
やれ、赤坂にある空気がピンと張り詰めた
静かで芳醇な酒と肴を出す店じゃなきゃとか

そういうのではなく、
街のそば屋のかつ丼で十分。
まさに街のそば屋の親子丼的な
オフィシャルサイトだ。

ところで
deweyのライブ履歴調べてサイトに
アップしたのだが
これで全部じゃなかったような・・・
拙ブログから引っ張り出したのだが
まだ足らない気がする。

まぁいいけど。
そういうところが
街のそば屋のラーメン的で良い。

日本そば屋のラーメンは意外とうまい。
ホウレンソウと海苔は必須ね。


dewey official site



winXP+Chrome環境は音と動画の再生ができません。
出来ないと思います。
たぶん。
おそらく。








2013/05/15

(No.1980): 唐突に思い出したサンレコのこととか


筆者はサウンド&レコーディングマガジンを
創刊号より購読していた。
「いた」という過去形で物語る場合の作法として
それは「今」ではないことを意味する。
なぜならここ5年くらいは、ほんのたまーに
買う程度になってしまったからだ。

なぜなら、それはもう、もどかしくて
整然と読んでいられないからだ。
新しい機材やソフトウエアなどには当然興味はある
のだが、DAW音楽制作のハウツー的な記事を
見るにつけ、もう、もどかしくて読んでいられなく
なるのだ。

DAW初心者とか、そういう言い方も好きではないが
そういう方々向けの記事なのであろうが、さらに、
たくさんの人々にDAWの楽しさを知ってもらおうとか
さぁキミも誰それみたいなイカしたリズムループを作ろうとか
そういうのは、裾野が広がって業界の活性化にもなるし
いいんじゃないでしょうか、
いや本当に、全然いいんだけども、
筆者個人の想いとしては
そんな方向がどうにも読む気をなくしてしまうのだ。


サンレコは創刊号から1980年代を通してずっと
筆者のレコーディング技術のバイブルであったし、
この雑誌がなければ筆者の今日はないと言っても
けっして過言ではない。
ミュージシャンというよりエンジニアでいたい。
電子雑音響を奏でる似非エンジニア的な。
おまえさん、コンプレッサーの使い方をサンレコから
教わったことは忘れてはいまい。

それと
1993年か4年くらいには祐天寺浩美さんの
「お部屋一刀両断」コーナーにも出させて頂いた。
そんな筆者の音楽人生においてある種特別な位置に
存在するサンレコ誌であるが、まるで恩を仇で返すが如く、
この敬遠ぶりは見事なくらいである。

本屋さんにて。
サンレコとドラムマガジンが目の前の棚にあって、
ドラムマガジンの方を取って立ち読みしてしまうほどだ。
以前では考えられぬ。
電気グルーヴが表紙の号も結局買わなかった。
今後ひょっとするとクラフトワークの表紙でインタビューも
掲載的な号が出るかもしれないがそれはそれで
これは買うかもしれないという優柔不断な態度で
臨もうと画策しているものの総じて鑑みれば
やはり敬遠してしまう系統になってしまった。

誌面は昔も今も基本路線は変わっていないはずだから
おそらく筆者の想いが現代とズレてきたのだろうか。




2013/05/14

(No.1979): kraftwerkライブ観た。今回で5回目。


kraftwerk 3D 赤坂BLITZ。
computer worldの日。




筆者は1981年(筆者大学1年)からこっち方面の
音楽をナニしているが、実はkraftwerkのライブを
初めて見たのは2002年のエレクトラグライド
なのだ。
1981年と1998年は見ていない。

しかし、2004年の来日に関しては
東京は当然として、そしてその後
大阪の会場まで足を伸ばした。
そしてその8年後昨年の2012年のno nukes。
そして今年の3D 8日間ライブ。

そういうわけだから
今までで5回ライブをみたことになる。
1980年代の筆者をここへ呼んで
なんでおまい81年のライブ行かなかったんだ
え、なんでなんだ、ぜんぜん行けたじゃんか
おい、おいとゆっている、おまいッ
と、きゃつ(自分)のケツの穴から手を入れて
奥歯ガタガタいわしたい心境だ。


さて、それはともかく
今回のライブ、なるほど期待を裏切らない
有る意味ベタなクラフトワークの音塊が
3D映像による立体感とよく似合ったライブだった。

当然のことながら目新しさはないのだが
(編集註:若干アレンジが違う曲もあった)
やはりクラフトワークの出す生音を聴ける
というのは貴重な体験だ。
生音じゃないじゃないかだって?
そりゃキミ違うよ
息遣いさね
息遣いの妙さね。

しかし、そうはいっても我々世代のファンに
とってはやはり
フローリアン・シュナイダーさん
カール・バルトスさん
ヴォルフガング・フリューアさん

そしてラルフ・ヒュッターさん
の4人でないと本来のクラフトワークとしての
息遣いは体験できないだろう。
そういう意味では筆者は1981年のライブに
立ち会えていないというのは一生の不覚。


とはいってもやはり泣く子も黙る
クラフトワークである。
そうさ未来に目を向けるべきだ。
現在オリジナルメンバーはラルフさんのみであるが
それでも純然たるクラフトワークには
違いない。
それが商業的な理由にしろ。

それよりも、アレだ、ラルフさん66歳。
あのエキスポ2000の時のスーツ着て
ちょっと痛々しいというか
スーツったって、服じゃなくて
被りモノ的なスキューバスーツみたいな
いやあのコスチュームがいいんじゃん
的なこともわかるのだけれど
筆者的には普通の背広でやって欲しい。
いわゆるクラフトワーク色の赤シャツ黒ネクタイ
ではなく、白シャツグレーネクタイとか
黒っぽいジャケット着て
そういう身形で、四人並んでいるのも
かっこいいと思うのだが。


2時間はあっという間だった。
アンコールもなく、きっちりと
ミュージックノンストップで終わる。
次の来日はあるのだろうかという
感傷の想いが立った。























2013/05/12

(No.1978): パンダ車のオイル交換とかリーノとかそれから


パンダリーノ2013今年は参加の由。
去年はtaico clubが前週にあったため
流石に毎週遠出は資金繰りも体力もキツイ
という理由で不参加であった。
今年は2年ぶりの参加。
2008年の初回開催より去年を除き
毎年参加している。
場所は毎年、浜松の渚園という
海の中に浮かぶ島。


パンダリーノはフィアット パンダの
オーナーやファンによるオフ会的な催し。
参加台数が尋常じゃないくらい多いにも
かかわらず、ほとんどがフリータイム、参加者が
好きずきに過ごすというほんわか指向が特徴。
参加台数、最大で200台を超えた年もあったと
記憶している。新旧パンダ車が200台、
整然と並ぶさまは世界的に見ても稀少な光景
ということで各方面からも注目されているとの由。

フィアット パンダは1980年の第一世代から
2012年の第三世代まで3種類のパンダが存在する。
第三世代パンダは今年日本デビュー。
(正規ディーラーではまだ未発売)
第一世代、第二世代のパンダに関しては
wikiに詳しいので参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/フィアット・パンダ

ちなみに、今更のアレであるが
筆者のパンダ車は第二世代のパンダで
100HPというモデル。(2007年型)


そのパンダリーノのため、というわけでもないのだが、
昨年の12月の車検からエンジンオイルを交換して
いなかったので、果たして交換する。
当然、ディーラーではなく、オートバックスにて。
ちなみに、フィアット社の指定オイルは
セレニア20Kというオイルなのだが、
オートバックスにそんなもんあるわきゃない。
以前、オートバックス店員にセレニアありますか
と聞いたところ、そんなオイル名前も聞いた事ない
とけんもほろろだった。

オートバックスでオイル交換する場合は
いつもはヴァルボリンを入れているのだが
今回は10W-40のヴァルボリンがなかったので
elfのレゼルブというオイルを入れてみた。
粘度は当然10W-40で。

しかし、四輪のオイルは安い。
高いのももちろんあるのだが
elfの10W-40、4L缶で4,280円だ。
DUCATI M696に入れているオイルは
Shell Advance VSXというオイルなのだが
1Lあたり2,300円だ。
バイクのほうが過酷だからだろうけれども
そうとう割高感満載だ。
それを知っているから、四輪のオイル交換で
オイル会員なら工賃もタダなので
なんだかんだで5,000円でお釣りが来る
という塩梅式で和む。

和んだついでにシガーソケット周りの電装小物を
何点か買い求めた。
その話しはまた別の日に。

オイル交換後、なんか走りがスムーズになったのは
たぶん気のせいだろう。
んそ。
ほんとに滑らかになったよ。



2013/05/10

(No.1977): いよいよ次回ライブ用の仕込みをはじめる。


いよいよ次回ライブ用の仕込みをはじめる。
前回ライブの曲も数曲残るので
直すべきところを直すべく、
AbletonLiveを立ち上げる。
流石にやり方は忘れはしないもので
やるべきことを黙々とこなす体。

来週の土曜はリハスタ1回目なので
それまで新曲へのボコーダー適用を
考えなければならないが、それは後日として
今夜は既存楽曲の細かい修正と
バランス直し、音の差し替え等を行う。

しょっぱなにしてはかなり具合の良い
塩梅式となった。いい調子だ。
どれくらい具合が良いのかは
ライブで確認しよう。
ライブ期待してよし。
たぶん。
たぶん。





とかいいながら、告知2回目。

【dewey Live情報】
2013.06.24(MON)
大塚Deepa
OPEN 17:30 START 18:00
ADV/DOOR ¥2000/¥2500
 (23:00~Bar URASHIMA Time to till morning. Entrance Free!!)

[Live]
BUZZ SQUAD
DOOOMBOYS
花とワルツ。
dewey
Lemonade-Launcher
BIG FIRE

[FLOOR LIVE]
スパナ乙

[RESIDENT DJ]
Macho
Hoshiya
広ヰ茶魔
おにる 


twitterにて @dewey_lumb_fop までリプ頂ければ
チケット取り置きします。

2013/05/09

(No.1976): そろそろライブ準備のアレをナニする話し


dewey相方のtai-ra氏がライブ準備のために
日夜奮闘していることを知り

それにひきかえこのわたくしはどうだ、
すっかりふしだらな生活に埋没している
すっかり不埒な生活を費やしている
このままではいけない
このままではまずい
このままでは便所の床に寝なければならぬ
このままではdeweyをクビになってしまう
このままではッ、このままではッ
はッ、はッ、と思い立ち、
わたくしはわたくしの眼前にある
このMacBookに
TASCAMのオーディオインターフェイスと
Novation Launchpadをつつがなく
USB結線し、
今まさに立ちあげ、それをして
AbletonLiveを起動せしめんと
今まさに、
せしめんとしているところで目が覚めた、
夢だったのか、いや夢なんかではない、
なぜなら眼前には
オーディオインターフェイスと
Launchpadが接続されAbletonLiveの
アレンジウインドウが、仄かに
そして巨大に立ちあがっている
MacBookがあるではないか、そうだ、
わたくしにはやることが山ほどあるのだ
いわく、
既存楽曲の一部音の差し替え、
ボコーダーキャリア音源の移動、
tai-ra氏新曲へのボコーダー接続と
その仕込み、そして何より、
前回ライブの演奏内容を思い出す作業、
これら千緒万端を挙行するために
わたくしは今から
全裸になり、
夜とはいえだんだんと春の陽気にも
一段と拍車のかかった今夜、
威勢よく街へ繰り出し
へーいへいへいへへーいと
笊節奏之介の如く咆哮する所存である。




ヤベーそろそろdeweyライブの準備やらないとー。
たった1行で済む話だ。








2013/05/08

(No.1975): ステージ中央の最果てから見る景色


ドラマーとしてステージへあがっていた頃
筆者はステージ上のドラムの位置がとても
好きだった。
通常、ドラムセットはステージ中央の
一番奥に配置されている。
客席側からは一番遠い場所だ。

昔、PCCという名前の60-70年代ロックソウル
昭和歌謡バンド(最大時で6人編成だった)で
ドラムをやっていた頃。
ライブ時にスローン(ドラム用の椅子)に座って
周りを見渡すと、メンバー全員が自分の視野に
入る感じや、
そういうフロントの人々の背中を見ながら
ステージ最果ての狭い空間に一人いるという
シチュエーションが、とても好きだった。
この、ステージの奥に座った状態で見る
左右のステージの「余白」というべき部分が
落ち着くのだ。

ライブハウスによってはものすごく狭いステージ
もあるので、そういう場所では
その「余白」はほとんどない。
下手はフロアタムとライドシンバルで塞がり
上手はハットで塞がれる。
そんな閉じ込められる感も、好ましい。



こんなことを書いていたら久しぶりに
ギターバンド然とした中でドラムを
やりたくなった。
たまにはあのドラムの位置に座りたい。
たまには電子雑音響ではない曲で。







2013/05/06

(No.1974): 1200光年の一日目。


この数日間に筆者の身に起きた
数々の現象について、今ここで、こうして
皆の前で大々的に語ろうと、筆者は
仁王立ちで腰に手を当ててコーヒー牛乳を
飲んでいる。

一日目。
太陽系を離脱するまでは、極めて順調な
航行であったが、しかし外宇宙の境界に
近付くと電子風の勢いが増してきた。
加えて系境界に近づけば近づくほど、
温度が極端に下がってきた。
外宇宙に出た途端、凄まじい電子風と
体感温度摂氏マイナス10度に身を
さらしながらの航行となり、しかも雨まで降って来る。
追い打ちを掛けるように惑星ケプラー22b行き
光速艇への積み込み時間が迫ってきて
宇宙港モス・アイズリーには僅か出航2分前に到着する。
通常光速艇への乗船には最低でも30分前には
自機体を自走させて積み込まなければならないのだが
今回は関係クルーの方達の連携プレーにより
たった2分間で積み込みは完了した。感謝。
ハラハラドキドキだったことは言うまでもない。
光速艇は定刻通り出航した。

無事出航したのだが、光速移行時の重力場の関係で
船は激しく揺れた。ケプラー22bまでは地球時間で
約3時間の航行。事前に飲んだ酔い止めがなんとか
効いていたが、頭を低くして寝ていないと目が回る。

ケプラー22bに着陸。
[二日目に続く]




2013/05/01

(No.1973): 惑星ケプラー22bへの騎航


Conus社の反重力エンジン「4702」と
ZOAC社のタキオン輻射型ブースタモジュール
「ゾア-071」を搭載した吾が六級改M696号は
恒星ケプラー22系の惑星bへの出航を前にして
タキオン粒子を注入しているところである。

はくちょう座に存する恒星ケプラー22を周回する
惑星ケプラー22bは平均気温は22度である。
ツーリングにはうってつけの場所だ。
地球からの距離は約600光年である。
往復で1200光年。


うむ、22度ならば上下革装甲武装し、
春ものグローブ、天気が天気ならカッパすら
持たぬ、という潔い井出達で問題なかろう 
などと、調子に乗っていたならば、直前の
ケプラー22b天気予報をみて愕然となった。

「雨、最高気温10度」(へたすりゃ8度)。

こちらでは10度後半20度なんなんだというのに
また冬に逆戻り的な気温だ。
さらにそこへ持ってきて雨だという。
冬の雨の中を、しかも長距離航行を、
身一つで踊りだそうというのだから
フォーメーションの組み直しをせざるを得ぬ。


よくよく吟味してみれば、雨+低温状態は
初日のみという。ただ全日気温は10~14度
くらいなので低温状態は続くが、
雨は初日のみのようだ。

であるなら、初日を乗り切れば概ね問題はぬ。
従って、二日目以降に重きを置く的な塩梅式で
組み立て直す。

上下革武装はそのまま。
とはいえやはりカッパと雨用グローブも持つ。
通常グローブは春ものはやめて冬用にする。
ただし今年購入のペアスロープ製ではなく、
現役を引退しているPOWERAGEの旧式冬グローブ
とする。退役しているボロなのだが
ペアスロープよりも指運が的確にできるのだ。
長距離ツーにはちょうどよかろう。



そろそろタキオン粒子の注入が完了したようだ。
しばらく地球を離れまする。
では参りましょうぞ。