2014/07/30

(No.2223): FUJI ROCK’14 (弐)


【高橋幸宏 with In Phase】
YMO以来の3回目?フジロックご出演幸宏さん。
相変わらずシャツにネクタイ姿でドラム。
かわいいカーディガンも着てた。
自身のソロ曲エレクトロニカも数曲披露し
その時はドラムじゃなくて電子機材を弄ってた。
生でユキヒロドラムと歌を拝見拝聴できて幸せ。



【電気グルーヴ】
テクノでグリーンステージを満員にする技量は
やはりすごいなと思う。
ステージセットもちゃんとフェス仕様を考慮して
いて階段状のセットを設け、その中央にブース
を配置しているので、遠くからでも
見えるようになっていた。
ピエール瀧の役どころはやはりこのバンドでは
必須だと改めて思った。
瀧氏はボーカルでもあるがやはりステージを
縦横無尽に使ってオーディエンスとの
コミュニケーションを取るところが大きい。
動きの少ないテクノライブに動きを与えている。
卓球の安定したブーミーなキックも健在。
ピエール瀧が階段セットの最上段でマイクを
股間に挟みこんだ姿がスクリーンに大写しに
されたのが印象的。満面の笑顔。



【DISCLOSURE】
筆者初見。
deweyのようにテーブルを二つ向かい合わせた
ようなフォーメーションのテクノユニット。
下手側の人は立ちドラムもやってて
えらくかっこう良い。
キックはシーケンスされているがスネア等
上ものは電子ドラムで生演奏されていたと思う。
電気グルーヴと時間帯が被っていたので
最後の方しか観ることができなかった。
残念。



【ヒカシュー・フリー・インプロヴィゼーション・サミット】
坂田明さんやフーン・フール・トゥの人も参加。
インプロだったのでいつもの間奏のようなアヴァンギャルド
な感じが全編なのかと思っていたが、意外と普通の曲の
ように演奏していた。生のホーメイにやられた。



【TRAVIS】
ライブ初見。(だと思う)
パンフ写真と違ってボーカルの人が髭もじゃで
ずいぶんと老けて見えた。
声の伸びが惹き付けた。
ドラムのタイム感よかった。
後半の曲でメンバー4人がステージ前に
出て来てボーカルの人が
アコギ一本で歌い始めて、ドラムの人は
タンバリンやってて、途中から
そのアコギを弾くのと弦を押さえるのを
ベースとギターの人がそれぞれ別々に
担当した演出が面白かった。
みんな楽しそうだった。



【THE King ALL STARS】
加山雄三さんのバンド。
メンバーも豪華。最初心配していたが
オレンジコートは満員になった。
BPMの速いロックンロールをやる。
エルビスの曲もやってた。
オーディエンスはのりのりで凄い盛り上がり
なのだが、冷静にみるとオーディエンスも
バンドメンバーもたぶんスタッフ関係者も
全員、加山雄三さんに気を使ってるのが
ひしひしと感じられた。
そういう意味でも貴重なライブだった。
往年の名曲も聴けたし。
加山雄三さん途中で構成を間違えて
ボロボロの一幕もあったが、演奏後、
「ごめん俺の所為だ。俺が間違えた」
と謝っているのが可笑しかった。
いえいえ若大将に間違いなんかありませんぜ
若大将が正解ですと佐藤タイジ氏の
フォローも笑いを誘った。



【怪しい三人組】
おそらくオフィシャル出演者に載っていないのでは。
アトラクション枠。
サイレントブリーズで見たバンジョ(男性)と
スティールパン(女性)と歌+バイオリン(男性)の
3人組。歌っているのが詐欺師のような
インチキ魔法使いのようなおっさんで、
童謡のような民謡のような替え歌のような
そんなものを歌い踊る。
「くだらない音頭」は秀逸だった。
フジロック、くだらない、くだらないーおんどー
ベストアクトに入れてもよいと思っている。
当たり前と言えばそれまでだが
こんな僻地の出演者名すら載っていないのでは
ないかと思えるバンドでさえ、
楽器演奏が上手いというだけでなく、
そもそもエンターテインメントを熟知した
プロの技をお持ちなのだと感心した。



【フジウジ+トミー富岡】
迷わずベストアクトトップ3には入る。
もうこれは説明できない。
見てもらうしかない。
だから説明しない。
今回は3回観た。
フジウジさん、
客入れ時の「カモメは飛んだ」の熱唱。
トミー富岡さんの
「俺の、嫁の、叔父の話しを聞けー」
「うーみよー俺のうーみよー押せばーにじみ出ーるよー」
「赤いきつねと緑のたぬき」



また来年。



【FRF14 ギャラリー(2)】


オレンジコート(THE King ALL STARS)



ボードウォーク



フィールドオブヘブン



フィールドオブヘブン ロータスカフェ



フジウジ(フジウジとトミー富岡)
*写真撮影してツイッターで拡散せよとのご命令を受けての投稿である。念のため。



最終日ゲート

2014/07/29

(No.2222): FUJI ROCK’14 (壱)


正式に調査したところ筆者は今回の
フジロックで連続15回目だった。
なおフジロック自体の開催は今年で
18回目との由。

ということでこの拙ブログでは毎年恒例の
フジロックレビュー的なものを書くのだが
事細かに子細を連ねれば何週間分にも
なりそうなので印象のみのトピックを
2回に分けてしたためることにする。
(本音:面倒臭いから)
本文中には諸々フジロック用語が飛び出るが
都度説明はせずに進めるのでご了承頂きたい。



【1. いろんなものがなくなっていた】
・ゲートの少し先にあったオアシス広場へ向かう橋
橋がなくなっていたのに驚く。
グリーンステージ横にある橋でしか
オアシス広場へ行けなくなったのは導線的に
如何なものだろうかと危惧した。
しかし、結局最後まで大渋滞は経験しなかった。

・バイク駐車場とバイク相談テント
正確にはバイク駐車場はなくなったのではなく
オフィシャルグッズ後方のコンクリート敷地内に
移動した。
それと某バイク雑誌主体でバイク駐車場の横に
バイク相談テントがあったのだが旧駐車場が
なくなったことでテントは消滅していた。

・ワールドレストランのフランス料理屋さん
毎年楽しみにしていたプロヴァンス風チキンソテーを
出していたお店が今年は出店していなかった。
非常に残念だった。
ちなみに、阿佐ヶ谷(東京杉並区)のお店。

・DAY DREAMINGにPAブースがなくなっていた。
DJブース内でコンパクトにPAも兼ねる的なのか
バンド演奏の対応をやめたということか。



【2. 来場者数減った?】
例年並みかそれくらいかと思ったのは3日目の
日曜の午後くらいだった。
昨年と比較すると人はかなり少ないように感じた。
特に1日目金曜は、トイレはほぼ並ばないし
食事を買うのも非常に楽だった。
しかし当然ガラガラというわけではなく
程よい賑やかさもあってこれくらいの人口なら
ストレスなく満喫できる快適な密度だと思った。
一日券といえども2万円近いし、そもそも
出演者のネームバリューの方向から鑑みても
今年のフジロックはぱっとしなかったのだろう。
そういう相乗効果で人が増えなかったのでは
ないかと分析する。
あるいは、もう飽きたとか。
不謹慎かもしれないが、そのくらいの人口の
方が過ごしやすい。毎年、全日今年の金曜
くらいならバッチリなのに。



【3. 晴れて暑くて寒い】
フジロックと雨というのはもはや常識となり
雨の降らないフジロックなど、屁だ、などと
まことしやかにTL上を踊っている。
今年は天候に恵まれた。
前夜祭の夜に霧雨程度のぱらぱら、
最終日に降ったり止んだりでもぱらぱら、
だったが、残りの日は全て「晴れ」だった。
筆者の記憶では2012年も同様な晴れ
日が多かったのだが、今年は歴代でも
一位になれるんじゃないだろうか
くらいの「晴れ」だったのではないだろうか。
だろうか。

最終日は寒かった。
長袖必須。
夜は15度をきっていた。


( 次回はいよいよアクト関連の弐へつづく )



【FRF14 ギャラリー(1)】


1日目 ゲート



1日目 グリーンステージ



1日目 フィールドオブヘブン



1日目 ホワイトステージ(高橋幸宏さん)



1日目 グリーン、ホワイト間



1日目 グリーンステージ(電気グルーヴ)



1日目 パレスオブワンダー




2014/07/22

(No.2221): 左側マフラーの内側の秘密


一般的に、酷く汚れきったバイクの
駆動チェーンを掃除する場合、
チェーンクリーナと呼ばれるスプレー式の
薬剤とウエスで、先ずどす黒い汚れを落とし、
その後チェーンルブという同じく
スプレー式のチェーンオイルを吹く
というダンドリである。

以前、バイク屋のメカさんから
チェーンクリーナに手を出したら地獄です
走ると背中が黒い点々模様になります
というお話を既に背中に黒い点々を作りながら
聞いた覚えがある。

黒い点々とは、油的なアレが走行時に
スプロケットの遠心力により
飛びまくる現象のことを指す。
チェーンクリーナは劇的に汚れが落ちるのだが
その後に吹き付けるチェーンルブも相まって
油はねの宝庫になるカテゴリなのだ。

どうぢても使うならウエスの方に
吹きかけてそれで汚れを落とすように
したほうがよい。
そのほうが飛びにくい。そうしたまへ。
と、聞いていた。


当然、想像はしていたので
チェーンルブ塗布後、ウエスで余分な油を
拭き取っている。
にもかかわらずだ。
今回も綺麗な黒い点々がバイクのマフラー付近は
もとより、背負っていたカバンに模様を
描くのだった。

そんなわけで我が六級改号(DUCATI M696)の
左側マフラーの内側は、長年のチェーン油飛びまくりで
ごま塩状態から今では焼き物の釉薬のように
よい景色を作っている。



2014/07/17

(No.2218): 0716deweyライブ報告


deweyライブの個人的な筆者の想いとすれば
それは「非日常の体験である」を標榜して止まない。

ご存知の諸兄も多いと思うが、deweyは
電子雑音楽以外の創作要素をdewey
という世界観を構築するために利用している。
しかし起承転結もない無頓着で欠けた物語が、
一体どれほどの非日常性を造り出せるというのか。
そしてそれが果たして効果があるのか。
という永遠の課題を追いかける日々。

ライブ後の茶会で聞いた、
「液晶ドット欠が二次元とのインターフェイスである」
という考え方の病的なまでの「非日常性」と
等価といえるように、
電子雑音で彩られながら不思議な物語から現実世界に
忽然と現れた機械を装着した軍装の男達とのface to faceの
非日常の体験。


7月16日池袋手刀さんにてライブ。
果たして「非日常」は成立しただろうか。






TOKYO FUTURE MUSIC さんへ
dewey CD 「オルドビスの遺産」 納品。

ディープな東池袋のインディーズCDショップ。
是非お立ち寄りください。


2014/07/14

(No.2217): 特殊相対性理論方式のライブ告知


光の速度は常に一定
(秒速約30万km、1秒間に地球を7周半の速度)
という前提のもと、静止している物体の時間と
移動している物体の時間では移動している方が
時間はゆっくり進むのでdeweyのライブ告知を
以下のように定義すると


日時:2014年7月16日(水曜) 19:00
場所:池袋 手刀
タイトル:腐テクノを標榜する彼らは
失礼のないように演奏します


とはアインシュタインの特殊相対性理論である。


一見すると難しそうだが実は三平方の定理で
証明できるのだ。
三平方の定理とは 「底辺2 + 高さ2 = 斜辺2」



どういうことか説明しよう。例えば、
光で1秒かかる高さの光時計がある。
つまりひかってからその光が上に到達するまで
1秒間という透明な円柱を想像してほしい。

この円柱が宇宙船に積まれている。
宇宙船が静止している時、
宇宙船の乗組員テイラ君も
地上で宇宙船を観測しているエフォピ君も
この円柱の光時計は同じ時間に見える。




次に、その宇宙船が右方向に等速度で
光の速度の60%で移動すると想定しよう。

結論から言えば、この時、
テイラ君の時間とエフォピ君の時間は
異なるのだ。
その理由を分かりやすく解説しよう。

光時計自体が光速の60%で右方向へ
移動しているので、
光時計の光源から光が発射されると
その光の軌跡は右上がりに直進する。
この右上がりに直進する光の軌跡を
直角三角形の「斜辺」と考え、
宇宙船の移動距離を「底辺」とすれば、
その両辺から「高さ」が求められる。
「高さ」はつまり光時計の円柱なのだ。



「斜辺」の長さが1秒の時、
つまりこれは光時計の光源の、
光の軌跡の長さに当たり、この長さが
1秒ということは、地上から観測している
エフォピ君は1秒経っていることを示す
事実である。
ところが、宇宙船のテイラ君からみた
光時計の光源は、まだ円柱の八割のところしか
達していない。
つまりエフォピ君の時間は1秒だが
テイラ君の時間は0.8秒しかたっていない
という事実なのだ。

おわかりかな。
つまり、宇宙船のテイラ君は地上にいる
エフォピ君よりも時間がゆっくり進んでいる
ということを証明しているものである。

重要なのは、これはお伽噺でもなく
SFでもないということだ。
これは事実であり、現実世界で常に
起こっている現象である。

しかし我々の移動速度が極端に遅いことから
(ジェット飛行機はもとよりスペースシャトルでさえ)
影響をほとんど全くといっていいほど受けないのだ。
つまり要約するとこういうことだ。


dewey ライブ
日時:2014年7月16日(水曜) 19:00
場所:池袋 手刀
タイトル:腐テクノを標榜する彼らは
失礼のないように演奏します


なのだ。



2014/07/13

(No.2216): 富士岩盤連続12年


筆者は今年で12年連続。
フジロック。
しかもほとんどが全日フルコース。

最初数年くらいは夏フェスとかそんな言葉
まだ無くて、人もまだそんなに多くなくて
主催も手探りな感じで、必ずしも受けるだけでない
自分のことは自分でやるというポリシーに共感し
音楽以外の関わり方とかその空気感とか
そういうものの感覚が気に入ってたんだけど、
エコだのなんだのとお題目がつくようになってから
嫌気がさしはじめた、けれども、別にそれはそれで
勝手にやっててもらえばいいということに気付いて
自分は自分というスタンスや関わり方で楽しめば
いいんだと気付いて、最近だと猫も杓子も
夏フェスがどうのと話題にあがって
そういう「流行もの」を嫌厭する方々も多く
逆に人も減ってくれりゃいいのにという不埒な
ことも思いつつ筆者の今までのフジロックでの
音楽ライブ以外の思い出のベスト5を上げる。
ます。


5位 焚き火
梅雨の明けなかった冷夏の年、
雨の降っていた夜中、主催側がトコロ天国で
焚き火をやってくれて、あまりの寒さにあたった。
真夏に焚き火というのが不思議だった。

4位 インタビュー
雨の上がったオレンジコートで
外国のプレスの人にインタビューを受けた。
筆者がたまたまmobyのTシャツを着てて
そのTシャツを見て食いついて来た。
インタビュー内容はどのアクトが良かったとか
そんな内容だった。
オレンジコートは泥のぬかるみがすごくて
muddy waterがどうのこうのと言っていた。
ブルースマンに引っ掛けて。

3位 チキンソテー
筆者フェスご飯の中でダントツ1位。
オアシス広場で喰った店名失念のチキンソテー。
あまりの美味さで翌日も喰った。
残念ながら次の年は出店していなかったのだが、
ワールドレストランのフランス料理店にも
チキンソテーがあってこれもまた美味い。
今では毎年絶対喰うことにしている。
かかってる塩がいい。

2位 細野さん
細野晴臣さんご出演の年。
ライブ前日の深夜、到着されたばかりの
細野晴臣さんの横を歩いた。
ただ横を歩いただけなのに極度に緊張したのを
覚えている。
あのお声で側近の方と話されていて、
あ、あの低音ヴォイスだ!と心の中で絶叫した。

1位 全裸女子
全く謎だ。
もう6-7年前くらいか。
グリーンもヘブンも終わった深夜
たぶん25時近くか、グリーンに向かって
疲れ果ててとぼとぼ歩いていたら、
確かグリーンの前方からだと思うが
真っ裸の女の子が一人でこちらに歩いて来た。
若い女性だ。驚愕した。だって全裸。
どこも隠すこともせず、すたすたと歩いている。
しかもちょっと細めでスタイルよい。
その子は自分の前を歩き出して、
100mくらい先のオアシス広場へ入って行った。
ケツがぷりぷりしてたのも覚えている。
今思えばリストバンドもしていたかどうか
不明だが、あのあとどうなったのだろう、
というかなんで全裸だったのだ。
未だに謎だ。



番外編
そして2014年、
今年フジロックに加山雄三って。。。
もうね。


2014/07/11

(No.2215): 岩の祭壇


曇天。
土手様、すり鉢状。
薮。
眼前には背の低い木々が節操無く
密集している。

自分のいる場所から、そのすり鉢状の
下の方へくだるには、木のトンネルの
ような鬱蒼とした林の中を通らなくては
ならない。
林というのは些か大げさでほんの
僅かの間だけ木の下に入る程度。
すぐに出口は見えている。
くぐるとすり鉢状のほぼ底。
砂利が敷いてある。
すり鉢状の底は周りを薮や背の低い
木々に囲まれている。

正面に建物。
建物といっても自然の岩を、
そうこれはだいぶ巨大な岩だ。
岩をくり抜いたような
しかし窓枠などの人工物も一緒に
設えてある、
そういう建物。

誰もいない。
自分一人しかいない。
だいぶ薄暗くなって来た。
少し怖い。
砂利を踏んでこの岩の中に入る。
入り口は扉も無い。
岩をくり抜いている感じ。
中に入ると、入ってすぐ左手に
祭壇がある。

天井や壁は自然の岩そのもの。
その正面の壁の岩が1.5m×2m、
奥行き50cmほどにえぐられており、
その中に祭壇がある。
しかし、祭壇という雰囲気はない。
奉る偶像も或いは鏡的なものもない。
ただ岩が削られているだけ。
四角く窪んでいるだけだ。

ではなぜ祭壇と思ったのか。
何故だろう。
よく見ると、その四角くえぐられている
中央より少し上の岩肌に黒い小さな点が
見える。この岩は玄武岩のようだ。
その模様かと思ったがそうではない。
その点を凝視するとその中に何か
動いているものをみとめた。
僅か1cmにも満たない点だ。
穴かもしれない。
向こう側に誰かいるのか。

虫か?とも思ったがそうではないだろう。
詮索はやめた。
というのも一刻も早くここを立ち去りたい
衝動が沸き上がって来たからだ。
何故か怖い。

早くお参りして帰ろうと思った。
いつもの願掛けをしようと思うのだが
なかなか思い出せない。
怖い。ここを、早くここを立ち去りたい。
絞り出すように願掛けを終わらせると
踵を返して、早歩きで外に出た。

刹那、最初の土手の上にいた。
途中の記憶はない。
すり鉢状の底はもう見えない。
木々に覆われているのか
霧なのか
薮の茂みなのか
判然としないが、
ここからでは見えない。



2014/07/09

(No.2214): ケムール人方式の告知 (2回目)


下書きしていた今日分のブログ原稿を
手違いで一瞬にして削除してしまった
夜なので滞りなくライブのお知らせを打つ。

ハリウッド製のゴジラの映画がまた
公開されるらしいが、先週まで
昭和29年の第一作目ゴジラが
リマスター版として映画館で上映されて
いたのだ。
信じられないことに見忘れた。

昭和29年ゴジラは白黒作品である。
次作のゴジラの逆襲というアンギラスが
出る作品、それとその次の大怪獣バラン
までが白黒作品だったと思う。
特にバランはバララキ信仰
(アラバハキ)といった東北地方の
古い風習などの話しとうまくからめて
リアリティのある物語に仕上がっている。
しかも怖い。
白黒作品それ自体が恐怖感を
煽る役割もあったかもしれない。
(当時白黒は当たり前だったが今改めて
観るとそう想う)

テレビシリーズではウルトラQが白黒だ。
こちらも白黒独特の陰影が存在感を
高めた。
最近、彩色したカラー版ウルトラQが
話題になったのは記憶に新しい。

というか、
いつになったらライブ告知するのだ。
じゃそのウルトラQに出てたケムール人さんに
お願いしよう。
ケムール星人じゃなくてケムール人と
いう表記なんだよ。
間違えないでね。
前も告知してたしね。もう慣れたよね。
そいじゃ、どうぞ。








2014/07/08

(No.2213): ある恒星間航行クルーの一生


バフェッノ・ブレミオナ
2258年 - 2346年 (ヘリオス-C年代表記)
ヘリオス-C 管轄区
マーズ/リビュア州カテラテ区 出身
男性


--------------------------------------------
(略歴)

ヘリオス-C年代表記 2258年1月
連邦府直轄法務士である父 ノレカゴ・ブレミオナ、
サヴァ連邦軍大尉 母 ヴェシレ・メオリスの第二子
としてマーズ/リビュア州にて誕生。

5歳
マーズ/ヘラス州へ移転。

11歳
マーズ/ヘレスポントゥス州クア地区へ移転。
母ヴェシレが「イクオの月戦」でケプラー186fへ出兵。
バフェッノと兄のソホイッオは父と残る。

19歳 
連邦府サヴォ空時航行機構学校卒業。
ヘリオス-Cへ初渡航。海を初めて見る。

20歳
衛星間サブロイア要員としてゾア社入社。

22歳
母ヴェシレがケプラー186fより帰還。
そのまま退役する。

28歳
恒星航行ブリッジクルーレベル3要員の
資格試験に合格。

30歳
artium-zoac451 に搭乗。
ヘリオス-C(地球)からグリーゼ581g経由
エリダヌス座40Aまで。
航行期間は21年5か月14日6時間31分

38歳
乗客のミネジカリ・ホフスックと結婚。

44歳
グリーゼ581gに到着。
オッホ・デ・マタでギギネブラと呼ばれる
飛竜種の皮膚からオーポリボを採取。
ゾア社及び連邦府よりエレミ功賞を授与される。

51歳
エリダヌス座40Aに到着。
以降は主に恒星航行船の居住重力制御装置
(128コア区画分割式AL-15H)のメンテナンス
技術指導員として従事。

53歳
ゾア社退社。
反重力容磁気サイオン原基の原理を解析、
独自の重力制御機構を開発しバフノ社を設立。
同年、
温暖な気候であるグリーゼ581gへ移住するため
artium-zoac451に乗客として搭乗。
エリダヌス座40Aを後にする。

60歳
グリーゼ581gへ到着。永住権を得る。

88歳
オッホ・デ・マタのゥンベド特別区でデプスライト鉱石を
採掘中、9本の指を持つロダーネイに襲撃され死亡。
この時、妻のミネジカリも襲われたがかろうじて
助かり、下半身をサイボーグ化して127歳まで生きた。




【参考文献】
発見された航行日誌の一部

0385/11/18/F - 0386/01/02/H
0386/06/05/E - 0386/06/20/E


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ある前衛芸術家の一生
滑馬壮箆(こうま そうへい)編はこちら。





2014/07/06

(No.2212): スタンドカラー嗜好


何故だか昔からスタンドカラーの服装が好きだ。
今思えば最初の影響は1979年頃のYMOの
ステージ衣装である人民服だったかもしれない。
あの赤い人民服は正確にはスタンドカラーでは
ないのだろうが、とにかくテクノをやる衣装は
夏だろうが冬だろうが襟は立っていてピチっと
締めており、ボタンがずらっと並んでて、
当然長袖、色は黒、という服の印象がある。

こんな服。





肌を見せたり、ましてや上半身裸なんというのは
筋肉アメリカンロックの人に任せておけば良い
そんな風に思っていた。いや今も思っている。

とにかく、そういった嗜好が形作られてから
というもの、スタンドカラーに限らず普段も黒い服
ばかりになってしまった。
ましてスタンドカラーのジャケットだのコートだのを
見つけると欲しくなってしまう。

ちなみに最近格好良いと思っているのは
NHK大河ドラマの黒田官兵衛の着ている
黒の外套のような服。
あのスタンドカラー具合が良い。
ちなみにその役者・岡田准一氏が出ている
ビールのCMで彼が着ている服もまた
格好良い。黒のスタンドカラーの服。

そしてやはりその筋では御大である平沢進氏。
衣装もさることながら人前に出ている時の服が
ほぼ黒のスタンドカラー。
まさにテクノ服を地で行かれている的な塩梅は
流石。
ちなみに「ノモノスとイミューム」の楽屋で終演後
着替えられた私服も格好良かった。
首までなんかを巻いてた服。
色は黒ではなくベージュだったけど。


さて、翻ってdeweyの衣装である。
軍装のそれをモチーフにしてはいるが、
あまりにもあからさまであると変なリアリティを
持たれる恐れもありその回避策として、且つ、
同時にdeweyの世界観を構築するための
手段として様々な装置や部品を取り付けている。
現段階ではほぼ完成しているのだが
筆者の場合、やはりスタンドカラーには拘りたい
と思っていた。
しかし、もともとこの衣装は襟章部にホース部品
を接合しているため、襟を立てて
スタンドカラー化できなかった。
しかたがないので、制服の下に襟を立てた服を
着ようと試みた。




その写真。
なんかよくわからん。
あとあまりにも顔が酷かったので
ダミー人形に加工させて頂いた。
なんかもう、全部にダメだ。






スタンドカラーの服を下に着ましたが
イマイチはっきりしませんでした。
二行で終わる話しだ。




2014/07/03

(No.2211): 遠巒の廻廊(八)


「目ぇ醒めたかい」

着物を着た男はそういうと障子を開けながら
うす暗いこの部屋へ入ってきた。
私は布団から上半身を起こしているが
まだ夢うつつでぼうとしている。

隣の部屋からの明かりで僅かに逆光ではあるが
この男の風体として先ず目についたのが髪型だ。
剃髪ではないが髷を結っている。
三十歳前後と思われる。目の細い、
無精ひげが目立ち、唇の薄い、精悍な面構えだ。
袷がぞんざいになって胸板の下からさらしを
巻いているのが見える。

「ちいと暗れぇだろうが、すぐに馴れるよ」

言いながら男は入ってきた障子とは反対側の
表の庭へ出る障子を開けた。
もう殆ど陽は沈んでおり明るさは仄かだ。
どこかで魚を焼いているのだろう香ばしい
匂いがそよ風に乗ってきた。

「そこに盆が伏せてあんだろ、ちっとそれぁ
取ってくんねぇか」

その男が指す部屋の隅を見ると薄い皿の上に
お盆が伏せてある。
私は布団から出てその盆を男の前へ置いた。

今度は男は奥の部屋から火のついた小さな
蝋燭を持ってきた。そしてその盆を返して
その上にある細針に蝋燭を挿した。
蝋燭の明かりが意外にも眩しく感じられる。

「すまねぇが、今夜はこれで辛抱してくんな」

「あの・・えっと」

「わかってるよ、大丈夫(でぇじょうぶ)、
心配(しんぺい)はいらねぇよ。
着るものぉここへ置いてくぜ。
その格好だといろいろ都合がわりぃんだ」

「こ、ここはどこですか、あなたは、」

「まぁおいおいわかるこった、今夜は飯でも
喰って寝ちまってくれ」

「いや、でも・・」

と言ったきり次の言葉が出なかった。
この僅かの間の出来事に頭の中が
追いついていないのだ。

「あとで飯ぃ持ってきてやっから、
それに着替えておいてくんな」

そう言って出て行こうとする男を呼びとめた。

「ちょ、ちょっとあんた」

「なんでぇ?」

「もう何がなんだかわかんないんで。
ちょっと、説明くらいしてくださいよ」

「話しが聞きてぇってんだろ、
もちっとしてからのほうがいいぜ」

「そんな、、
菅井さんはどこいったんです。
ここは菅井さんの家じゃないんですか
わたしはなんで布団で寝てたんです
ここはどこなんですか、帰ります、もう
帰りますよ私は、冗談じゃない
仕事も置いてきちゃったんだし
いい加減にしてください
わざと蝋燭なんか待ちだして
ふざけるのもたいがいにしてくれ
ふざけんな、帰る!」

蟠っていた気持ちが一気に噴き出してしまった。
少々言いすぎたかと思っていると意外にも
男は笑っている。

「おめぇ帰(け)ぇるって、いってぇどこへ帰ぇる
つもりなんでぇ」

「どこへって自分の家だ」

「おめぇの家ぁ、ここだよ」

「なんでここが俺の家なんだよ、こんなとこ
はじめて来た」

「そりゃそうだろう、今日からここがおめぇの
家なんだよ」

「ふざけんな、帰る」

私は立ち上がって男の横から隣の部屋に入った。
そこは広い板の間で二階への階段も見える。
床も柱も天井も使い込まれ黒々としている。
古い屋敷のようだ。
大きな古民家といったところか。
他にも障子で仕切られた部屋がいくつか
あるようだ。
奥が土間になっていて表に出られる戸板が
見える。そこを目指して走った。

土間にあった雪駄をつっかけざま戸板を開けて
外に出た。そこは坪庭になっていた。
置き石と奇麗に刈り込まれたキンメツゲが
風に揺れている。
つと見るとこの家の周りは板塀で囲まれている
ようで、表に出るにはその板塀を
抜けなければならない。
黒く年季の入ったしかし頑丈そうな板塀だ。
置き石の先を歩くとその板塀の扉がある。
ここはこの家の勝手口のようだ。
躊躇なくその扉を開けて表へ出た。


出たのは往来であるが、舗装されておらず
道幅はかなり広い。そしてそこはまるで
中山道木曽路の奈良井宿のような佇まいの
家並みが道に沿って続いている。
もう陽が沈んでいるというのに電気の灯りは
一つもない。家々には提灯の明かりが美しい。

しかし、もっとも驚いたのは道行く人々だ。
まるで時代劇だ。皆着物を着ている。
髪型が変だ。髷姿。額を剃っている人もいる。
意外と人通りが多い。

右から歩いて来た絣の着物のおじさんが
私を見て驚いている。
「ははぁこりゃ珍しいお召し物ですな」


不意にぐいと肩を掴まれ、板塀の中へ
引っ張られた。先ほどの男だった。

「その格好で表ぇ出ちゃぁなんねぇ。
たいがいのことはおめぇの好きでいいが
いくつか決まりてぇやつがある。
そのあたりのことも明日話してやるから
今夜は部屋ぁ戻ってくれ」

塀の中に戻されると男が板塀の扉を閉め
閂を掛けた。
さほど高くはない板塀なので見上げれば
隣の家並みは見える。
やはり電柱も電線のたぐいも見当たらない。

「わかったろ、おめぇの帰(け)ぇるとこぁ
もうねぇんだよ、ここしか」

「おい、ここは一体どこなんだ」

私は改めてしかし静かに男に訪ねた。

「おめぇの知ってる言葉で言やぁ
ここはトウキョウよ」
「東京?うそつけこんな場所はない」
「おめぇのいた時代(じでぇ)からだと、
百八十年も前の東京よ。まぁ今ぁ江戸てぇ
呼ばわってるがな。ここは江戸冬木町辻前よ」

冬木町という名を聞いて
男の言葉は嘘ではないかもしれない
という漠然とした確信を持った。
膝の力が抜けて行くのを感じながら。


(続く)


2014/07/02

(No.2210): 現在レベル3(空冷2気筒デスモの熱価)


我が六級改号別名ducati m696何某。
3万キロも順調に越えて快調である。
快調ではあるがこの季節がら
だんだんと例の股ぐらのあの暑さ
いやさ熱さが盛り返してきた。



筆者は暑くてもライジャケを着る。
当然長袖。
今はまだ春秋向けの厚手のやつだが
真夏ではメッシュのライジャケを着る。
メッシュといえどもクソ暑い。
しかしその暑さの熱さの根源は
股下のあの御方
空冷2気筒デスモドロミック様の
熱波なのだ。

毎年夏になると我々は
この熱波地獄の餌食になる。
フレームの隙間からの熱を遮断するため
革を貼ったりもしたが
見た目が悪い上に全く効果はなく
惨敗に終わったこともあった。

ブイーンと走っている時はいいのだ。
しかし、止まった時が熱い。
特に渋滞は地獄だ。
カンカン照り気温35度アスファルト上
渋滞のど真ん中にあった場合、
修行の場となる。

どれくらいの修行かと言えば、
真夏太陽真上から直撃アスファルト上、
ちんちんに熱せられたダルマストーブを
股に挟みながら沸騰した鍋焼きうどんを
食べることと、ほぼ等価。
丹前こそ羽織っていないが長袖を着用。

この修行、何のメリットもない。


そんな六級改号別名ducati m696何某
であるが、そろそろプラグを交換した
ほうが良い。なぜならいつもの
ドンツク感が出始めたからだ。
低速でガタガタいう。
始動は一発だが、あなどると痛い目に合う。
なにごとも事前に対応、予防することが
コツだ。


ところでMonster821 デビュー。
(リンクはdarkモデル)

うーん、かっこいい。
珍しく琴線弾かれた。
でも水冷か。
空冷がいい。
エンジンはテスタストレッタだから
空冷は無理だ。


2014/07/01

(No.2209): テクノの年代測定を給する


筆者の30年の音楽活動を翻れば
あまたのライブハウスはもとより
クラブに至るまで、数多くのライブを
やってきた。いや、今もしている。

ところで
前にもこの拙屑ブログにおいて記した
ことがあるのだが、ある時からこの
ライブハウスにいる人々の中で筆者が
一番年配になる可能性が高くなったのだ。

何故なら筆者の年代でガチで音楽を
やっている者が極端に減ったからだ。
つまり、この年代といえば会社では
十分に管理職になっており仕事が
忙しくて音楽どころではなくなった、
家庭では子供の養育、進学などで
音楽どころではなくなったなどなど、
音楽をやめてしまった事象は
あげれば枚挙に暇がない。

ましてや、筆者の年代でテクノを
やってる輩など、皆無に等しい。
(唯一、CYRKONのえびたさんのみ)
真っ当な大人は皆、テクノどころか
音楽自体から離れて行った。
実際、筆者が大学生の頃に一緒に
やっていた仲間で現在も音楽やってる
者など一人として存在しない。


数年前、某ライブハウスにて。
リハ後に出演者全員を集めて何か
訓示的なことを言う店長がいて、
「俺は今四十何歳だけど、この中で
一番歳取ってるよなー、お前ら若いうちに
いろいろ苦労しとけよーあっはっは」
と言われた事があったが、
ドヤ顔の店長を見ながら
あたしゃぁあんたより5歳も年上だけど。
と思った。
それくらい年寄りはいない現場なのだ。

勘違いされては困るのだが
だからといって筆者は年下の方々の中に
いることが嫌いなのではない。
むしろ刺激を受ける事が多い。
大抵は面白い。
たまにマナーの守れない輩もいるが
それは稀。
大抵は皆しっかりとした方が多い。

しかしとはいえ年代的共通性があれば
それは当然嬉しい。
自分とほぼ同年代、或いは年上の方々が
いる現場。
それは緊張もするが、逆に安心感を持てる。
帰る港があるような安心感。

最近特にそれを感じている場所がある。
渋谷ラストワルツさん
(Last Waltz by shiosai)にはそれがある。
マルタ店長さんはじめPAの方も年代的
には筆者とほぼ同年代であろうと察する。
しかもこちらに出演される方々の年代も近い
ことが多い。
(お若い方も当然いらっしゃるよー)

わたしがやってきたことが
間違っていなかったと
気付かせてくれる。