2014/10/30

(No.2264): ステージの上で。


ステージの上。
Macから音が出ない。
私はとても焦っている。
なぜならもうライブは始まっているからだ。
しかし、Macから音が出ない。
一向にその気配がない。

マウスポインタはくるくると回転している。
そのまま何の反応もない。
下手側の相方taira師の機材テーブルに
taira師の姿がない。
たしか今日はdeweyのライブのはずだ。
本番だというのになぜいないのだ。
もう幕は上がっているのにどこに行って
しまったのだろう。
KEY楽器にでも行ったのだろうか。

私はとても焦っている。
音が鳴らない。
ミキサーのフェーダはあがってる。
だのに音が出てない。
客席側は暗くてよく見えない。
しかしたくさんの頭の影が揺れている。
珍しく満員に近い。
皆が固唾をのんで見守っているのがわかる。

私はネジを巻いている。
ゼンマイのネジだ。
けっこう大きい箱にネジが飛び出ていて
それを回している。
かなり重い。
お客はその様子を見ている。
私は得意げになってネジを回す。

子供のころゼンマイ仕掛けのおもちゃの
ネジ巻きは手が痛くなってぜんぜん
巻けなかったことを思い出す。
よく父親に巻いてもらったっけ。

嗚呼そうか忘れていた。
VGAケーブルを繋いでいなかった。
だから絵が出てないのだ。
しかしVGAケーブルは持ってきてなかった。
買おうと思って新宿ヨドバシへ行ったのは
一昨日だったか、その前だったか。

あの時はほら、タンタルコンデンサを
見つけてさ、僕ら笑ったじゃないか。
あったよ、キミ、ほらご覧よ。
緑色の。

真空管も一緒に買おうとしたけど
なくてねぇ。
足を棒にして探したんだけど
三共電気にもなくてさ
サンエイパーツセンターに戻ったほうが
いいだろうってキミは言ったね。



起床。
7時AM


2014/10/27

(No.2263): アカシックローダ


数百年も前の石彫や建物などを間近に見て触る時
静物でありながら非常に躍動的な時代感を
感じる。それはおそらく数百年もの時間をかけて
幾人もの人生を通過した何某かの想いが
静かにとても静かに伝わってくるからだろう。


















2014/10/24

(No.2262): 遠巒の廻廊(十)


前回:遠巒の廻廊(九)

「心当たりはありませんな」

片言の英語を話す初老の東洋人は
そういうとそそくさと扉を閉めようとした。

「あ、待ってください!」

ワイマールは扉の隙間に顔を挟みながら
続けた。

「夜分にぶしつけで恐縮です、でも人が
行方不明なんです、なんでもいいですから、
気付いたことがあれば、教えてもらえませんか、
2月の16日の午後三時半くらいにこのあたりに
中年の男性が歩いてきたはずなんです
見かけませんでしたか?」

ワイマールは一気にまくしたてた。

「ですから、心当たりはありません」
「だって、そいつの、行方不明になった友人の
iPhoneにこのお宅までの行き方が留守電で
残っていたんですよ」
「行き方?」
「はい、奴の家の前から正確に北北東に113歩と
いう留守電が入っていたのです」
「なんですかそれは」
「北北東に113歩歩くと、こちらの家の前に出るんです
それで我々がお尋ねしたというわけです」
「私は英語がよくわかりません、失礼」

言い終える前に扉は閉まった。
ワイマールは食い下がろうとしたが深更でもあり
今日は諦めようとヤン・ヨークビンセントが促した。

二人はとぼとぼともと来た道を歩き始めた。

「何か、手掛かりがあると思ったけれど、
まぁ映画じゃあるまいし、そんな都合良くいかないな」
「今のおじさん、中国人ですかね」
「なんでだい?ヤン君」
「それとも日本人かな」
「なにか気になるのかい?」
「いえ、別に。このあたりじゃ東洋人は珍しいですからね」
「そうかい?ウチの研究室にだって日本人はいるぜ」
「・・・あの家に引越して来たばかりなのかな」
「なぜだい?」

ヤン・ヨークビンセントは立ち止まった。
ワイマールがそれに気付かず二三歩あるいたところで
いきなりヤン・ヨークビンセントが言い募った。

「やっぱりおかしいですよ!」
「お、おい、どうしたヤン君」

ワイマールが振り返るとヤン・ヨークビンセントが
顔を僅かに赤らめて中空を凝視していた。

「ドアの隙間から部屋の中がちらっと見えましたが
人が住んでいる様子ではなかったですよ」
「部屋の中?」
「見た時はさほど変には思わなかったんですけど
今改めて思い返すと、あれはまるで売物件の部屋の
中ですよ」
「え?家具類が何もなかったってことかい?
そりゃ玄関だからな、調度品なんて何も置いてない
家なんかざらにあるだろう」
「いや、違うんです。玄関の奥の部屋も見えましたが
窓しかなかった。テーブルも椅子さえもなかった」
「いや、ドアの隙間からだしね、見えないところに
あったんじゃないかね、それかアジアでは家具無し
の内装が流行ってるとか」

ヤン・ヨークビンセントはワイマールのつまらない
ジョークを飲み込むと踵を返して先ほどの家へ歩き出した。

「お、おい、ヤン君!」
「ワイマールさん、確かめて来ます」
「確かめるって、何を?、おいキミ、ヤン君、
ちょっと待ってくれ」

足早に歩くヤン・ヨークビンセントの後を
追うようにワイマールも歩き出した。

その家の前で二人は立ち止まった。
幸いにまだ家の中の明かりは落とされていなかった。
時計は既に午前0時30分をまわっている。

「何を確かめるつもりなんだい」
「先生の居場所を知っている気がします」
「おい、早まるなよ」

ヤン・ヨークビンセントが呼び鈴を鳴らした。
二人は緊張した面持ちで待った。
奥から足音がしてこちらに近付いてくる。
先ほどの初老の東洋人の男の声だけが扉の
向こうから片言の発音で叫んだ。

「あんたたち、いい加減にしろ、警察呼ぶぞ」
「申し訳ありません、あと一つだけお聞きしたいの
ですが」

ヤン・ヨークビンセントが猫なで声で諭した。

「なんだ」
「失礼ですが、こちらには長いのでしょうか」
「あんたたちに話す道理はない。帰ってくれ」
「は、帰ります、どうも申し訳ありませんでした
ミスター?」
「スガイだ、もう寝るから帰ってくれ」

そう言うと、奥に行ってしまったようで
玄関の灯りも消えた。

「彼の名前、スガイ、と言いましたね」
「ああ、どこの国の名前だろう」
「わかりませんが、明日あの家の事を調べてみます」
「うむ、頼むよ、スガイとやらが住んでいるかどうか」



遠ざかる二人の後ろ姿を暗い部屋から見つめている
初老の東洋人の男。彼らが戻ってこないことを確認すると
男は奥の寝室へ入って行った。
ベッドもテーブルも椅子もないただの四角い部屋。
部屋の入り口のすぐ脇に旅行用スーツケースが
置かれている。
男はスーツケースを開けて、中から小さな
アタッシュケースを取り出すと床に置いた。
アタッシュケースはダイアル式暗証番号でロック
されているが男は慣れた手つきで解除し開けた。
その中には分厚い本のような体裁ではあるが、
紙ではなく獣の革に鉱石を解いた溶液で記述
してある古文書があった。
フェルディナンド・セジュウィッチバーグ博士が
発見した例の古文書である。

スーツケースの中の楕円形の機械が発光し
合図を送った。菅井はその機械の上面にある
いくつかのタッチセンサーを指でなぞって
合図へ応答した。

「まったく、予定外のことになった」

菅井は日本語でひとりごちると再びタッチセンサーを
指でなぞりはじめた。




(続く)



2014/10/22

(No.2261): 10/15ライブ後記と11/5ライブ告知


10/15ライブの後記も文章では書かず
なにやら写真のみという体たらくぶりに
相方taira師のブログがもう大層盤石なので
是非ともご覧頂くとして10/15ライブは
なかなか新しい事が目白押しのアレで
なかなか面白かったり厳しかったりしたので
とりとめもなくいまから短編をしたためる。

あたらしのこと二選。
3人編成deweyとして初舞台を踏むmieuさん
と彼女の操るUltranova音の圧倒的な存在。
そして音に同期する映像の運用。
しかし映像についてはまだまだ課題が多い
ことを知った。







以下映像の課題についてのアレ。
映像の制御方法は一応企業秘密的な取り扱い
とさせて頂くが、などと言う程大したアレではなく
逆に書くのが恥ずかしいくらいなので隠しておく
ものであり、その恥ずかしさの分だけ
ライブ中の操作が雑然としているのだ。
このあたりはもう少し合理的に整理しなければならぬ。

なぜなら、ライブ最終曲「そのためのバンパー」
の映像が途中で消えてしまったからだ。
しかも復帰させようとあれこれ操作していたら、
あろうことか突然我々のCD「オルドビスの遺産」の
宣伝用ポップが大写しになるというまったく予定に
ない映像が出てしまい、マジでパニクった。

あとで撮影を依頼しているedieに、
あれはわざと宣伝を挿入したのか?ぷふッダサッ
と聞かれたがまったくそーゆーことではなく、
筆者の操作ミスによるものだ。
見えぬ場所を薮から棒にダブルクリックしたので
宣伝用画像ファイルでも開けてしまったのだろう。
曲の後半から映像はなんとか復帰できたのでほっとした。
しかし恐ろしいことだ。

そんな逆境も何事も失敗を重ねて育ってゆくのだ
というポジティブシンキングで乗切った。
ははは愉快愉快。

そんな愉快な次回deweyのライブは再び二名編成
に戻りますが映像同期電子雑音ライブはそのまま。
ラストワルツさんでのVJ付き電子雑音ライブは
必見です。マジで。
共演させて頂くSPIKYSさんもtugaiさんも格好良い
独創的な音楽をやられています。
そして何より素敵な方ばかりです。
ロスからもLeafy Satori Riskさんが来日!
よしなに。


2014.11.05 水曜
渋谷Last Waltz

東京ガジェット vol.10
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

[Live]
Leafy Satori Risk (from Los Angeles)
SPIKYS
tugai
dewey

2014/10/20

(No.2260): EV考(そりゃそうだもの編)


だんだん寒くなってくると
鼻が詰まりはじめるですこんばんわ。
ところでフォルクスワーゲンからUP!の
EV版(電気自動車)が日本発売される
というではないですか。

かねてから筆者が申し述べているように
既発のハイブリッドカーとかEVだとか
にはぜんぜん興味が湧かないのです。
否、正確にはその技術的側面では
大いに興味はありますが、特に完全な
電気自動車のカテゴリにおいては
期待するばかりであります。
補足するならば、
エコ信仰などではなく純粋に技術的興味と
単純に面白そうだからなのです。
だって充電して動くなんて面白いじゃ
ないですか。


ではなぜぜんぜん興味が湧かないなどと
不埒なことを言うのかといえば
それはつまりガワの問題なのです。
ガワ、すなわち外見、容姿、カタチ。
筆者のクルマ基準の一つは
筆者嗜好合致の見た目なのです。

例えばEVではなくハイブリッド車ですが
トヨタプリウスのコンビニ的形状、
EV、日産リーフの日曜日のお父さん的形状、
など筆者琴線にまったく触れぬ加減は
枚挙に暇がありません。
まだ三菱i-mievのコロコロ感の方が
好感が持てます。

新しいモノという発想からか
デザインの方向がどうにもこうにも
筆者にはダサく感じられてしまうのです。
いや失敬。
大企業が満を持して世に送り出している
のですから、それなりの関門をくぐり
抜けて来たカタチなのでしょう。
しかしながら大変申し訳ありませんが
筆者にはその格好良さがわかりません。

だから既存のデザインでEVを出せば
どうなのだろうか、という思いは
前々からありました。

実は既に外車では例があります。
メルセデスのsmart。
smart自体に興味がないので
どうもこうもないのですが、
しかし既存のガワでEVを作る
という発想は素敵です。

そして冒頭のフォルクスワーゲン
UP! EVの記事に繋がるのです。
UP!は人気車だしそこそこ需要も
稼げてEVマーケットの様相が変化する
可能性もあるでしょう。


などと調べていたら、FIAT500eなるEVが
あるではないですか。
FIAT500は筆者の大好きなクルマです。
日本発売はないようですが、アメリカでは
2013年夏に既に発売されているようです。
迂闊でした。
押さえていませんでした。

2013年5月の試乗レポ

日本に入ってきたらかなり食指が
動くことは間違ありません。
ガワは大事です。
しかし満充電での走行可能距離数が
140kmはまだまだ少ないです。
それでも現存するEVの中では長距離のようですが
やはり実用性には今ひとつ乏しい気がします。
もう少し技術の進歩を待ちましょう。

ちなみにモーター駆動の場合の
トランスミッションはないのだそうです。
よって1速のみでギアチェンジの概念はありません。
それもまた一興。




2014/10/17

(No.2259): 3人deweyライブ写真集


10/15 ワイルドサイドトウキョウ 19:20























all photo by edie.s (stereogimmik)
-------------------------------------------------------


ライブ直前、ステージ上でセッティング中。
PAスタッフの方々と。
上手のエフオピ立ち位置から撮影。
(撮影:エフオピ)



バックステージパス。
dewayというレアなパス。
(撮影:エフオピ)



出番直前に楽屋で。
punsucaのノブナリさんに撮影して頂いた。
(撮影:ノブナリさん(punsuca))




2014/10/14

(No.2258): 欠番だったけど大巾カットで密かに復活


HSさん+ Pmodelのライブを拝見しに品川ステラボールを訪なう。関係者受付にてdeweyのエフオピですと告げると二階ですと案内される。



オールスタンディングだと思っていたので(前回の核Pライブがそうだった)どぎまぎして間違えて普通の二階席へ行く。スタッフの方に関係者席はあちらですと促される。カーテンで仕切られた小部屋になっていてそこに専用トイレも冷蔵庫もソファもある。その先が観覧席になっている。席には見たことある方々が座っておられてたいへん恐縮する。

開演。
白髪HS博士と1号氏の寸分狂わない挙動が全て組み込まれたシークエンスの一部であることを彷彿とさせうるに十分な活躍。記憶量はさぞ膨大であったろうと思う。そしていつもの鮮烈なHSさんの生歌。完璧なピッチと声量は匠的職人の域である。人間国宝級。

加えて品川ステラボールの音響は大層良かった。重低音から高域までよくでており中低域のもこもこ感もなくすっきりしていた。何より筆者好みの弾力のある低域が嬉しかった。

筆者胸熱だった曲。パラレルコザック、SPEED TUBE、庭師KING、TOWN-0 PHASE-5
SPEED TUBEは驚いた。まさかやるとは。でも懐かしかった。個人的には特別な想いのある庭師KINGが聴けて大満足だった。


終演後。鎮Z技師から入電。
「いまどこにいるのだ?」
「えーと関係者席の控え室です」
「上手の下通路からまわってきなさい」
うへー
鎮Z技師と合流し、HSさんの楽屋へ。挨拶してきなさいと促されたが周りはもうバリバリの関係者ばっかりの中にしょぼくれたおっさんが迷子になってる風。HSさんに「あうふ、おうふ」とご挨拶してあっという間に退室。相変わらずすごいオーラ、そして白髪!綺麗!

< 以下 大幅カット >

それにしても今回もいろいろ勉強になった。
日々精進日々精進


2014/10/12

(No.2257): キカイダー01とT池と胸元


小学生4年か5年か位の頃「キカイダー01」という
所謂仮面ライダー亜種のテレビドラマがあった。
その前に「キカイダー」があっての続編だったと思う。
特にファンではなかったがある切っ掛けで
観るようになった。
(筆者は変身ヒーローものよりも
昭和三十年代の東宝円谷怪獣が好きだった)

筆者の地元から自転車で1時間ほどのところ
東京と埼玉の県境にある人口湖のある場所。
その中に埋もれるように小さな自然の沼があった。
この沼は子供達の間では「たっちゃん池」と呼ばれていた。
小学生の頃友達とここによくザリガニ釣りに来た。
噂ではたっちゃんという子が溺れて亡くなったから
そう呼ばれているのだと言われていたが真相は知らない。

最寄りに私鉄の駅はあったがそこから小高い
山というか丘があって「たっちゃん池」はその先に
あった。周りは鬱蒼とした森の中で、歩道は
ある程度整備はされていたが当時は当然未舗装である。
このあたりはやけに湧き水がありあちこちに
水がしみ出していた。ちょっとした水たまりを
作っている窪地などもあった。所謂湿地帯的。

その日はいつものように友達数名とチャリンコで
麓まで来て、そこから「たっちゃん池」まで歩いた。
ところが来てみると、大勢の大人が池の周りに
いるではないか。
釣り客ではないだろうし、なにごとだと、僕らは
遠巻きにして見ていた。
それはなんと、キカイダー01の撮影だったのだ。

池の淵の護岸のところに一人の女優さんが
寝そべっているのを見た。
それを至近距離でカメラ撮影している。
レフ板の人が数名。

その女優さんは志穂美悦子さんだった。
そう、ビジンダー役の人だ。
しかもそのシーンは胸元を大胆に広げていたのだ。
子供心にこれは見てよいものなのかと思ったが
それでも視線は釘付けになり目に焼き付いた。
実はそれ以外あまり記憶に残っていない。
それほどドキドキしたことを覚えている。
それ以来キカイダー01は毎週観た。

いま調べたら志穂美悦子さん当時18歳くらい
だった。筆者と7〜8歳しか違わなかったのか。


最近たまたま「たっちゃん池」付近を通ったので
寄ってみた。約40年ぶりだ。
未だに森の中ではあるが道は大変綺麗に整備されて
公園化されていた。
今では岸辺には入れなくて柵が出来てしまっていたが
志穂美悦子さんが横たわっていた護岸は
今も残っていた。





2014/10/09

(No.2256): お酒が飲めない噺(その三)


筆者はお酒が全く飲めない。
このテーマは既出である。
しかも何度も書き示している。
そして違う視点でまた書く。

大学生や社会人成り立ての頃は
大人になった気分がまだ残って
いたので、アルコール類を少しは
飲んだりしていた。
しかし、ビール僅かコップ一杯で
顔は真っ赤になり鼓動は早鐘を打つ。
それで終わればマシな方でほぼ毎回
気持ちが悪くなる。
それでも我慢して飲み続けると吐く。

人はお酒で気持ちが良くなるというが
あれは嘘だった。
逆だ。
気持ちが悪くなる。
著しく辛い。

社会人2年目の時、飲み会の帰り
電車の中で卒倒したことがあった。
乗客は誰一人近寄らず筆者の周りには
空間ができた。
阿佐ヶ谷駅のホームに這いずって
途中下車。ベンチに横臥。
しばらく気絶した。
早鐘鼓動に煽られ悪寒と吐き気と眩暈。
もう金輪際アルコールの摂取は
やめようと誓った。

おそらく筆者はアルコールを分解する
酵素が極端に少ないのだろう。
亡き父は酒豪だったのに息子は下戸だ。
しかもどんなに深酒をしてもいつも
ジェントルな人だった。
だから酩酊しているところを一度も
見たことはない。
晩年などは昼間っから水割り飲んでたし。
そんなに飲んで酔っぱらわないのと
聞いたら、これっぱっこで酔うかよ
としゅっとしていた。
もっとも父はその酒に命を取られたのだが。

ところで、前にも書いたことがあるが
筆者はこの歳になっても一人で酒場に
入ったことがない。
かの井の頭五郎さんのように下戸でも
食事のために酒場に入るという度胸もない。
赤ちょうちんとか全く無縁。
そうゆう文化が一切ない。
まったく別の世界の話しだ。

だから実は羨ましいのだ。
一人でふらっと入る酒場。




2014/10/07

(No.2255): SCRAMBLER所感


ようやく姿を見せたDUCATI SCRAMBLER.
どうやら4つのモデルがあるようだ。
icon
urban enduro
classic
full throttle

リンクはfull throttle
http://scramblerducati.com/en/bike/full-throttle

今までのDUCATIにはないカジュアルな感じ。
もともとSCRAMBLERというモデルは
1970年代にあったというがその復刻とも違う。
kawasakiのTRのようなトラッカーという
ジャンルに近い容姿なれど、そことも若干違う
気がする。
不思議な新しいカテゴリ。

4つのモデルはそれぞれ少しずつ違っており
筆者的にはfull throttleモデルが好み。
筆者嗜好は性能云々ではなくあくまでも
「見た目」が好きか嫌いかのみである。
full throttleモデルは全体的な見た目の
バランスが良い。
エンジン付近のぎゅっと詰った感じがいい。
ローハンドルも好き。筆者ならさらに低く短く
したい。テルミニョーニのマフラーが
標準装備なのもよろしい。短いマフラー
かっこいい。
車体長さが短く見える。実際短い。
昆虫みたいでかっこいい。

そして最新なのにいつもの
L型空冷2気筒デスモドロミックエンジン。
803ccという排気量も良い。

写真で見ると、クラッチは油圧ではなく
ワイヤーで直接式なのかしら。
シリンダーが見えない。
一応ACPTクラッチみたいだから
軽いのだろうが。
何れにしてもMonsterに次いで筆者的にはヒット。



2014/10/06

(No.2254): 腰痛:Lv2(C1近影付き)


黒柴C1号もうすぐ14歳13Kgの奴を持ち上げた
ときはなんともなかった。毎日毎日やってるの
が逆に油断だった。奴は噛むクセがあり持ち上
げるのもちょっとしたコツを要する。それは噛
まれないようにいや、奴の名誉のために付け加
えておくならやたらめったら無駄に噛むのでは
なく脅威を払うために噛むのである。従って奴
に脅威を与えなければ十分に大人しい奴なので
あってそれを流すような体勢で持ち上げたのは
いつものことだったはずなのに奴を解き放した
あと異変に気付いた。腰にぴりぴり感が走る。
この感じは数年前の感じと同じ感覚ではないの
か。そうあの時は重いものを持ったわけでもな
く急に所謂ぎっくり腰的な腰痛に見舞われあた
ふたと翻弄したものだったがそれと同じ感覚じ
ゃないかこれはマジでかマジかそれはマズイじ
ゃないかと思っていたら時間の経過とともに痛
みはホンモノへと変わっていった。屈めぬ。腰
をやっちまった。ライブまでに治さねばならぬ。


意外と重いC1号近影 後ろは超軽いC2号

2014/10/02

(No.2253): 江戸ことばあすび(一)


今回は江戸のことば、文化について
お話ししましょう。
この話しをするってぇとあたしは江戸弁に
なっちまうんで、ひとつご勘弁くだせぇ。

語源の話しでもあるんですが、
今はもう使わなくなりましたけれども
昭和のはじめ頃までは使われていたんですね。
何かてぇと、
例えば、お店で買い物しておあしを払おう
てぇときにお勘定が足りなかったとか、
あるいは、財布を忘れてきちゃったてぇことぁ
たまにあるもんです。
江戸の頃ぁこんなとき、お店の人が
お客さんのお宅まで一緒に行って
お勘定払ってもらうんですね。このとき、
お宅まで一緒に付いて来る人のことを
「馬」と言ったそうです。

「こないだ俺ぁ財布忘れて馬ひっぱってきちゃった」
「なんでぇみっともねぇ真似すんねぇ」
なんて使われてたんですね。

なんでこの人のことを「馬」と言ったか。
これは「なか」のことばだったんですね。
「なか」てぇと今の台東区千束三丁目あたり
このあたりは昔は吉原と呼ばれていたところ
になります。

昔ぁ吉原へ馬で通ったてぇ時代があったそうです。
日本橋、神田界隈から吉原へ出掛けることに
なりますってぇと必ず通るところが今で言う
蔵前通りの駒形橋あたり。
ここから松の並木道が続いていたそうで
ここに馬子さんがいて、吉原まで馬に乗って
行けたんだそうです。

それで吉原の入り口大門(おおもん)で馬を
降りるんですね。
一晩遊んで朝んなって、お店にお金を払うんですが
あすび過ぎ呑み過ぎでおあしが足らねぇてぇことに
なるってぇとお店の人がお客さんと一緒に大門まで
来て、帰りの客を待ってる馬子さんに
「ちょいとすまないけどねこのお客さまはねゆんべ
うちの店であすんでくだすったの、ちょいとね
お勘定が足らないの、すまないけれどもお供して
お勘定もらってきておくれ」
馬子さんは、お客さんを馬に乗せてお宅まで
行くんですね。馬は家に入れませんから
お勘定もらうまでの間、脇に馬をつないでおくんです。
だから、
「おー、トメんとこの角にまた馬がつないであるよ
こないだもそうだよ、あんちくしょうはよく馬を
ひっぱってきやがんな、しょうがねぇ野郎だ」
なんてことを言われるんですね。

で、馬子さんが預かったお勘定をお店に渡すと
お駄賃を頂けるというそんなシステムだったそうです。
ところが、お客の中には悪い奴もいて馬子さんを
まいてだまして逃げちまうなんてのもいたらしいんですね。
馬子さんの方でもちょっとまとまったお勘定もらったら
むらむらっと妙な了簡起こして店へ届けないで
そのまんまどっか行っちゃったなんてことも
たくさんあったそうです。
そういうことが度重なるってぇとこれじゃいけねぇ
ということで、もう馬子さんをあてにしないで
店の方から人を出そうということになり、今度は
店の若い衆(し)が付いて来る。
だから、馬の代わりに付いて来たんでその人のことを
ぞくに「馬」てぇことを言ったそうです。

この若い衆(し)のことを妓夫太郎、
詰めて「ぎゅう」なんてぇいいましてね、
「ゆうべ格子ですすめた妓夫(ぎゅう)が 今朝はのこのこ馬になる」
なんてぇ都々逸も残っておりまして本日は江戸のことば
「馬をひっぱる」についてのお話でした。
そりではまた。