2015/02/26

(No.2309): 四鋒で囲む次期ベースギアの行方


下知はくだる。
先鋒として客先往訪に祭し敵ポータルを
焼き払いながら資金調達の術を揮わす。
受付では刃の熟女の案内にて所定の
文字列を綴る。この仕来りは嘗て
四輪二輪車検資金繰りで既に経験済み
であり即ちその進行に澱みはない。

次鋒として斯様な事務諸手続中に
おいても意中であるMacBookProの
所以を紐解く試練は今日も明日も続く。
社会的存在として客観視する勇気は過日
放屁放尿そして排便と共に排水溝の流れの
彼方へ消えて久しく、幾重にも張られた
非現実の幕の中で美しく汚い電子音が
確実に僕や君の耳の届くよう誓う。

中堅として何度も鳴動するiPhone6plusは
自ポータルへの攻撃の通知であり
それを見て見ぬ振りで電網の奥へと
価格.comの一覧を広げる夜は賢い。
そんな夜は僅か48時間足らずのうちに
筆舌に尽くし難い要求スペックは決まり
全てのパラメタは穏やかにしかし存分に
満たされる。

トリとして君臨する厄介な事はその要求
スペックを持つ価格が日々変動することだ。
間の悪い事に現在それは上昇傾向である。
そんな中でも幾ばくか下落したタイミングを
決して見逃さないための数々の施策を
脳内及び脳外シミュレーションを駆使しつつ
監視体制の強化を計る。

とまれかくまれライブ準備の幻影を担うこと
百千承知であり監視強化は喫緊の課題。




2015/02/24

(No.2308): 1983年2月24日(木)


1983年2月24日(木)

後期試験も終わり、補講が若干あるかもしれぬが
とりあえず進級は大丈夫だろう。
4月から3年になるから実験が始まるし専門も多くなる。
白衣も買わなければならないらしい。
白衣か。
グレーに染めてステージ衣装でも作るか。

しかしなにげに大学は春休みが一番長い。
これから4月までまるまる休みだ。
しかしやることは山ほどある。
S球場のバイトは4月までないが
単発の日雇いバイトはいくつか入れる予定。
活動資金が必要だ。
クルマの維持と音楽活動の資金のためだ。

その音楽活動、
僕と友人のKでやっているテクノユニット
「パーソナルクリニック」の曲作りと録音を今夜もやる。
一昨日から毎夜僕の自宅部屋スタジオで作業している。
カセットブックとして出すために制作しているのだ。

機材はTASCAM234という4TRカセットMTRと
同じくTASCAMの6chミキサーだ。
楽器はRolandSH101とカシオトーンMT60、
BossのDr.リズム、
スプリングリバーブ内蔵のギターアンプ、
キットから製作したフェイザーとパーカションシンセ。

Kが来たら先ず曲のアウトロが次曲のイントロと
繋がっている曲の構成を提案しよう。




2015/02/22

(No.2307): 0.8秒間の出来事の貴重な記録


deweyライブにおいて筆者のMacBook(無印)は
全ての楽曲のバックトラックとVJを担っている。

最近、Dr. CleanerというMac用の無料メモリ
管理アプリを導入したのだがこのアプリを入れた
ことによって搭載4GBなど見る間に使い果たす
ことを視覚的に認識し得ることとなりその環境が
良いのか悪いのかそれはつまるところスワップに
ぐいぐいと喰い込むこと必定というスペックであり
このパフヲーマンスにおいて担えるのでしょうか
担えるのでありましょうかと問うている右から
ライブの場数も相当数こなしてきたこの無印
白カーボネイトMacにおいて実際どうなのよ
些か手狭になってきた感はもう随分と昔から
語られており最近のあれですフラッシュ
ストレージだったりメモリは最低でも8GBは
積みたいよねだったりそんな煩悩を煩悩とは
認識せずいままさにわたくしはこうして
Apple Storeにてローン金利0%の報により
背中を圧されていることをしっかりと認識したうえで
わたくしは声に出していま問うているように
即ち薄給の至極当然なる理を以てしてもだね
キミはいいかいキミはいまそれをポチるという
つもりなのかねポチるというつもりなのかねと
聞いておる


ぐっと踏ん張り未だポチらず。



日本語訳:
Apple StoreでMacBookProを
カート入後の購入手続きボタンを
押下する寸前に思いとどまるまでの
僅か0.8秒間の出来事の貴重な記録。





2015/02/18

(No.2306): 晃一郎と吉之助(三月十九日提唱会告知 其の壱)


本銀町角駅に着いた東京市電から
寒そうにして晃一郎と吉之助が降りて来た。
襟を立てた黒の外套の晃一郎の手には
一枚のわら半紙が握られていた。
それにはこう書かれていた。


dewey提唱会報せ
とき  二○十五年 三月十九日 木曜
ところ 大久保 ひかりのうま


二人は本銀町(ほんしろがねちょう)の珈琲店
コンプレキシアーテで二乗林柾葦と待ち合わせをしていた。
待ち合わせにはまだ幾分の時間があるものの
この寒さで晃一郎達の足は急いた。

「それにしても晃さん、二乗林さんの話しってぇな
いってぇなんですかね」

袖から出た素の腕を組み寒さで肩をいからせて
吉之助が言った。厚手の褞袍を羽織ってはいるが
中はいつもの浴衣である。

「おめぇその格好で寒かぁねぇのかい」
「こちとら江戸っ子でさ、これっくらいの寒さなんざ
ぬるま湯みてぇなもんです屁みてぇなもんですよ、、
ってぇ言いてぇとこなんですが寒いもんは寒い」
「そらみろ、市電の中ぁまだいいが降りたら寒いぜ
あれほど襟巻きして来いと言ったじゃねぇか」
「その珈琲屋ってぇのはまだ遠いんですかね」
「すぐそこだ、早ぇとこ店ぇ入っちまおうぜ、
そこの先の角ぉ曲がったとこだ」

その時北風が強く吹きすさび、晃一郎の持っていた
わら半紙があらぬ方向に折れた。

「いけねぇ、懐に仕舞っておこう」
「晃さん、二乗林さんの話しってぇな、その半紙に
書いてあることに関わりがあるってこってすよね」
「まぁ、そういうこった、例の「鹵獲御旨の発布」
を後ろ盾にあの軍装の連中がまた何かやらかすって話しだ」
「結局、新たな提唱会の絡繰りなんですかね」
「そいつを奴から聞こうってぇ腹だ、さぁ着いたぜ」

晃一郎は期待と不安のなか珈琲店のドアを開けた。






2015/02/16

(No.2305): エフオピのテクノ黎明期の頃


筆者が高校三年の1980年の晩秋くらい。
大学受験で悶々としていた頃。
ニッポン放送のある番組で”変な音楽”特集が
あって、その番組で流れた
ヒカシュー「マスク」と
P−MODEL「ミサイル」
あとチャクラの曲名失念・・
その時この番組をカセットに録音していた。
しかし当時バンド名もぜんぜん知らず、
しかもテクノポップという概念もあまり
認知していなかった。

この前年の1979年にYMOが大ヒットし
いわゆるテクノポリスだとかライディーン
だとかが流行っていた時代である。
しかし筆者は全く興味が沸かなかった。
変わった音楽は好きで聴いていたが
その筆頭としては所ジョージさんであり
アルバムは全部持っていた。

当時、ヒカシューの「マスク」や
P−MODELの「ミサイル」は
”普通の曲”ではないという意味で
とても気に入って、その録音テープを
何度も聴いた。
ニーヤッと しーたら、とか
ミーサーイールの由来は、とか唄った。
自分の中のカテゴリとしては
所ジョージさんと同列の音楽だった。
今思えばまだ”向こう側”の意識で
聴いていたのだろう。


それから約半年後。
筆者が大学生になってまもなくの頃。
最初のきっかけは友人から聴かされた
スネークマンショー「急いで口で吸え」
の録音テープだった。

それまであまりにも音楽に対して
狭い視野でしか接してこなかった故、
ここに収録されている数々の楽曲に
心を奪われた。

友人が録音したテープだったので
カセットには曲名も何も記載がなく
シーナ&ザ・ロケッツ「レモンティー」の
シーナさんの声を聴いて最初は男の子だと
思っていた。(テープ再生回転数が
若干遅かった所為もある)
(先日の訃音に接し言葉もありません)

そしてサンディー「ジミー・マック 」、
ドクター・ケスラー「メケ・メケ」、
クラウス・ノミ「コールド・ソング 」。
それまで自分の聴いていた音楽とは
明らかに異質なものばかりで
大学生になったこともあってか
余計オトナの香りのような質感を得た。

そして何より、打ち抜かれたのは
YMO「磁性紀 開け心」だった。
フジカセットのテレビCMの音楽だったが
それはこの曲を聴く後だったのか事前に
知っていたかは忘れてしまった。
とにかく、筆者にとっては衝撃的だった。

なぜ衝撃的だったのかと言うと
だってYMOってライディーンとかの
流行ものディスコっぽい曲のバンドでしょ
と思っていたからだ。
それがなぜこんな変な曲を作っているのだ
かっこいいと思った。この機械的な音楽。

実はその時既にYMO「増殖」という
アルバムも出ていたが筆者は
全く知らなかった。
それを先に聴いていればこんな感想を
持たなかっただろう。

そしてその直後くらい。
父親のカセットテープの棚に
「YMO/BGM」というカセットテープを
見つけた。当時はアルバムの形態
としてLPレコードとカセットテープの
二つの品種で発売されることが多かった。
そのアルバムとしてのカセットテープだった。

どうやら”あの”YMOがイージー
リスニングっぽい”BGM”を出したんだ、
と父親が勘違いして買ったらしい。
しかし、父親は一回聴いただけで
しまい込んでいたのだ。
何故なら所謂”BGM”ではなかったから。


父親から借りたYMO/BGMのカセットを
聴いて、筆者は驚愕した。
この時の体験は筆者を”こちら側”へ
誘うのに十分だった。

バレエ
音楽の計画
ラップ現象
ハッピーエンド
千のナイフ
CUE
UT
カモフラージュ
MASS
LOOM

珠玉の楽曲群、全曲BPM120で4:30の尺
(千のナイフとLoom以外)
歌入り楽曲が多いにもかかわらず
歌詞カードはなく、LPレコードの裏ジャケには
レコーディングで使用した機材リストが
掲載されていた。
我々に「テクノ」という音楽を教えてくれた
アルバム。次作の「テクノデリック」と並び
筆者のバイブルとなった。
当然レコードを買い、
文字通りすり切れる程聴いた。
何万回聴いたかわからない。
楽曲の成り立ちから音塊の構成、
音像のバランス、アートディレクション、
などを学んだ。


筆者は1981年の7月からテクノの人になった。
もみあげを水平にカットした。
大学1年の夏だった。

その後、ヒカシューの「マスク」や
P−MODELの「ミサイル」なども
テクノの人になってから改めて聴き直した。
”こちら側”の意識で。





2015/02/13

(No.2304): 遠巒と思いきや報せの類(晃一郎と吉之助 番外編)


遠巒の廻廊」の次回プロットをみたらし団子を
喰いながら考えていたら蜜が床に落つるを知らず。
足袋がベタリと張り付きなんじゃこの蟠りはと
匂いを嗅げば即ちみたらしの蜜であることこれ
疑わざる事象。従って書斎の小窓を開け放ちて
隣家に向かって著しく絶叫す。
「みたらしの蜜に我屈す」
ある宵の口の出来事。

ちょうど同じ頃、本銀町角駅に着いた東京市電から
寒そうにして「晃一郎と吉之助」が降りて来た。
襟を立てた黒の外套の晃一郎の手には
一枚のわら半紙が握られていた。
そのわら半紙にはこう書かれていた。


dewey提唱会報せ
とき  二○十五年 三月十九日 木曜
ところ 大久保 ひかりのうま



2015/02/11

(No.2303): 「みいらとりがみいらになる」の変形型(ingress導入編)


昨年、11月初旬、仕事場で隣席のS君から
エフオピさんイングレスって知ってます?
と聞かれたのが発端だった。


「いや知らない何ソレ」
「GoogleのNiantic Labsってとこが
開発したスマホでやるオンラインゲームなんですけど」
「あーあーいらんいらんそーゆーの興味ねーから」
「地球規模の陣取りゲームなんですけどね」
「ふーん、面白いの?」
「ハマってます、昨日も10キロ歩いちゃいました」
「10キロも!? 歩くの?なんで?」
「緑組と青組に別れて陣取りの面積を競うん
ですけど、ポータルっていう実際の場所を
確保して3つのポータルをリンクして三角形の
自色陣地を作っていくんです」
「どっかに行くと実際にポータルっていうのがあるわけ?」
「ポータルは街の中にあるオブジェとか
神社とかお寺とか石碑とか、あと駅とか郵便局とか
図書館とかだったりします、そういう場所に
実際に行かないとならないんです」
「それは最初から勝手に決まってるの?」
「そういうのもあるみたいですが、プレイヤーが
ポータルを申請するんです」
「ふーん、つまりAR的な感じなのかな」
「そうとも言えますね。ゲーム上のやりこみ要素も
多いし、なにより実際にその場所に行かないと
いけないのがいいんじゃないでしょうか」
「へー、それじゃ外に出ないとだめなんだ」
「はい。家の中ではほとんどプレイできません、
詳しいところはここをみてください」
http://ja.wikipedia.org/wiki/Ingress


それから2ヶ月半後。
朝、出社直後自席。
S 「駅から来る途中レゾ焼いてポータル4つとって来ました」
F 「空いてるところにレゾ挿してきたよ」
S 「エフオピさん挿すかと思って空けておきました」
F 「おうありがとう、ところでS君グリフハックって今何点?」
S 「えーと、3200くらいです」
F 「3200!さすがやな、僕今やっと100越えたとこ」




以上、
「みいらとりがみいらになる」の変形型IIの例でした。



2015/02/06

(No.2302): 徒然ドラムからの履歴(2)


前回までのあらすじは ココ


deweyを結成した2006年当時、一番やりたかった
ことはtaira師のエレクトロな楽曲に筆者の
へぼへぼ生ドラムを重ねて演奏するライブだった。

KRAFTWERKに代表されるようにドラム自体も
全て電子音で構成する業態も当然好物である。
しかしブルースバンドで培った似非ドラムを
シーケンサーと同期して演奏することは
この業界に入ってからの標榜の一つであったし
そもそも電子音と生ドラムのミックスは
音響的にはもちろんライブという場において
つまり見世物としても大変魅力を感じていた。

ご存知の諸兄も多い事と思うが、所謂
打ち込み音楽で生ドラムを並走する場合
ドラマーは打ち込み曲のBPMや拍がわかる
ガイド信号を聞きながら演奏するのである。
古くはYMOがプロフェット5でわざわざ作った
”キ・コ・コ・コ  カ・コ・コ・コ” の
「クリック」が有名である。

筆者はdewey結成以前でもstereogimmikという
テクノバンドでクリックを聞きながら
電子ドラムを立って演奏したことはあった。
だからシーケンサーと人力同期すること自体は
既に経験していた。
イメージはわかっていたつもりだった。

しかし、聞くとやるとじゃ大違いを実感する。

筆者はクリックは嫌だった。
それでなくてもヘッドフォンをしてドラムを
叩くと自分の太鼓の音が聴こえ難くなって
演奏してても面白くないのである。
だから、どうせ聴こえないならせめて
バックトラックを聴きながら叩きたい
そう思った。
とはいえ実際は物理的技術的問題で
クリック音のみ別出力ができなかったことも
理由の一つである。


とにかく、うまく合わない。
バックトラックと生ドラムの同期。
バックトラックにはガイドとなる目印の音を
入れたりして工夫もしたのだが
実際ライブ演奏中にそのガイド音が聞こえなく
なったりして拍を見失うこと枚挙に暇がない。
いやそもそも筆者のテクニック不足で安定した
BPMで叩けない問題の方が大きかった。

ひょろひょろとした不安定なリズムが
正確な電子音シーケンスとからまる気持ち悪さと
いったら筆者の右に出る者はいないだろう。

2011年8月のライブを最後に筆者はスティックを
置いた。(そして折った)
戻ろうと思った。
鍵盤とスイッチとノブとフェーダーの人に。


以来、ドラムは叩いていない。
でもパラディドルは続けている(たまに)






2015/02/04

(No.2301): 三十数年ぶりに訪れたその医院は


三十数年ぶりに訪れたその医院は
外装はもとより待合室や診察室の内装まで
ほぼ当時のままだったので驚いた。
院長であるお医者さんは三十数年経った
その人ではなく、おそらく息子さんが
跡を継いだであろうことは想像に難くなく
なぜなら筆者と同じ年代くらいであったから。

三十数年前筆者が高校生の時分訪れた際
そこにいたお医者さん(つまり今のお医者の
お父上にあたる方)はテーブルに半ケツで
座り、しかもガムを噛みながらの診察だった。
今思うと驚異的な事態だがそのときは
なんか荒っぽいお医者だなー程度にしか
思わなかった。
しかし処置は手際が良くそして喋れば
べらんめぇ口調であったことが思い出される。


翻って跡を継いだであろう今のお医者さんは
至って普通であった。べらんめぇではなく。
なによりも先代と同じ医療科目を継いだのは
たいしたものだと思う。
所謂一般的な内科や外科等ではないので
なおさらそう思う。

お医者さんも高齢化が進んでいる。
筆者が子供の頃から診てもらっていた
近くの内科医院はお婆さん先生が
ご高齢で引退され一昨年閉院した。
こちらのように親子二代に渡り引き続いて
医院があるのは嬉しい。
待合室に貼ってあった診察スケジュールを
見たら、往診も週一でやられているようで
地域医療にも貢献されている。

三十数年ぶりに訪れたその医院は
外装はもとより待合室や診察室の内装まで
ほぼ当時のままであり、それはつまり
お世辞にも奇麗ではない。
しかしその質素さが逆に名医の予感を
孕んでいるとも言える。


さて
その医院は何科なのか
筆者はなぜ行ったのか

それはまた、別なお話し。






2015/02/01

(No.2300): dewey ライブ後記(at LastWaltz)


1月30日(金)
deweyのライブでありこの日は当然ピンポイントで雪。
渋谷ラストワルツ にて「東京ガジェット vol11.」

10:30
deweyメンバー間のスケジュール調整の結果
ライブ日当日にスタジオにてライブ用リハを
執り行うというスケジュールであったので
雪のわんさか降るなか機材群を筆者パンダ車
(FIATPANDA100HP)に積み込み
猛然とスタジオに突入する。

t「今日機材を準備してたらMacを乗せる台が見当たりません
なくしましたもうおしまいです」
f「マジで?何やってんすかもったいないなー、
ひょっとしたら前回ラストワルツさんに忘れてきたんじゃ?」





14:30
ingressの話題だけで概ね1時間半を費やし
快活にスタジオ練習は終了する。

15:00
遅い昼食でデニる。
雪は雨に変わった。

16:30
渋谷ラストワルツ 着。

t「PC乗せる台を前回忘れて帰ったかも知れません」
m「あんたら毎回何か忘れるね、あーあの近未来的なやつ?」
t/f「そうですそうです近未来的なやつ」
m「それならあります」
t/f「もうなんていいますか」



17:10
dewey リハ。
PA様のご指示によりステージミキサーのメインアウトを
相当小さくする。
(今までのライブ設定で一番出力を絞った)
外音の大きさ等この時は大丈夫だろうかと
少し心配だったが、実はこのあと本番でのPA様の
高品質なテクニックに大変感謝するのだった。
やはり入力は低めにして後段で出力をあげる方が
美しい大音響になることを改めて学習した。


18:30
開場

deway ではなく deweyなんです。
初めてではないライブハウス様でさえ
間違えられるバンド名。




19:35
コルネリさん
アコギ弾き語りの優しい牧歌的な世界観。



20:30
dewey
(セットリスト)
出囃子+電光浴
forces
腐肉
オルドビスの遺産
MCでイングレスの話しをしてドン引き(予定通り)
phoenix
そのためのバンパー



21:10
メテオールさん
存在感を伴った圧倒的なステージ。
押し出し感のあるテクノ民謡。




22:30
撤収。

メテオールのドラムご担当ハッチャキ様と
いろいろお話もさせて頂きdeweyのCDまで
ご購入頂き感謝でございます。
ULT-SOUND、ほんもの初めて見ました。

お越し頂きましたお客様、見て頂けたお客様
共演して頂いた出演者の皆様、渋谷ラストワルツPA様
マルタさん ありがとうございました。



-----------------------------------
以下、いつものギャニュギャニュ行進の様子。