2016/04/24

(No.2450): 式フェーズ遷陣(ライブ日程のお知らせ含)


前回拙ブログに於ひて記載の「土曜のdewey秋葉原見参的装い」は即ち次回ライブへの下見的ご挨拶であり、そのライブ詳細は諸事揃い次第お伝えする事憚らず、先んじて日程と地域のみ早めにお伝えするならば即ち6月18日土曜日於秋葉原と相成りて候。
そしてそしてぇ、次峰として7月15日金曜日と決まりて候。此方は取り急ぎ日程のみにて失礼の段容赦願ひたし。



ここ3週間ほどは楽曲制作週間とし、筆者スタジオ(studioF.O.P.)のNordLead2はキーボードスタンドに乗せたままの状態でケーブル結線もミキサーに繋いだまま過ごす。オーディオインターフェイスもMacBookProに刺さったまま。
普段筆者のスタジオでは機材、楽器類はもとよりケーブル類に至るまですべてケース等に収納しており、唯一むき出しのミキサーには埃除けテーブルクロスを掛けている。(そういう意味で唯一むき出しなのはモニタースピーカーだった。これらは結線して出しっ放しだ)
そうまでして仕舞う小心者としての理由は機材群に埃が積もるのが嫌いだからだ。
マメにクイックルワイパーなどで掃除すればよかろうと思う諸兄も多いだろう。確かに間違ってはいないのだが、それでもほこりは溜まるのだ(経験済み)

しかしこの環境は、ちょっと思いついてすぐにキーボードを弾いて作業をしたいという場合大変に困る。だから、楽曲制作期間を設けてその期間だけはすぐに作業ができるようにすべての楽器や機材はスタンばっておくようにしている。

そして本日その制作期間はほぼ終わったのでNordLead2をケースに収納し、結線していたケーブル類も撤収した。今後はライブへ向けての準備作業となるが、その仕込みの際に音入れする場合はソフトウエア中心となる予定なのでハード楽器も結線も不要。なお仕込み後はライブ練習になるので、今度はライブ使用機材を物理的にセッティングしておく練習期間というフェーズも用意してある。


2016/04/20

(No.2449): 秋葉原 コンソメ 20人格


先週土曜日、deweyの仕事でJR秋葉原駅に降りる。
秋葉原の街自体も1年ぶりくらいだろうか。普段はクルマ移動なのでJR総武線にて秋葉原駅で降りたのは40年ぶりくらいかもしれない。山手線と総武線の十字構造が懐かしかった。

38年ほど前筆者は高校生だった。高校時代の筆者は電子工作・鉄道模型オタクであり且つアマチュア無線にハマっていた時期だったので毎週のように秋葉原にやって来ていた。
当時はアマチュア無線の店がたくさんあったし、「ラジオの製作」誌などから製作記事のパーツ一覧を握りしめてはラジオデパートやラジオ会館の小間口店の間を練り歩きながら、ダイオードやら抵抗やらコンデンサやら2SC945やらを求める修行に余念がなかった。将来はあの小さな店の中にちょこんと座って抵抗やコンデンサなど電子パーツに囲まれて商うのだと半ば真剣に夢想していた。


筆者が秋葉原に毎週足しげく通った時分は1978年から80年くらいであり、同じく電子工作&アマチュア無線仲間で高校同級生のI君とよくつるんで徘徊した。
薄汚れた駅ビルの2階に軽食喫茶があってそこで僕等はよくランチを食べた。その店は必ずコンソメのスープがついてきた。何を食べたかの記憶は全くないが、コンソメスープだけは覚えている。
今でも秋葉原を思い浮かべると当時のコンソメスープの匂いをはっきりと思い出す。その店はラジオデパートと同じ建物の北側だったと思う。先週もtaira准将と供にその跡地に近づいて歩いているとき密かにコンソメを想い出していた。


筆者の住まいは東京都下中央線沿線であるがI君の家は新宿だったので秋葉原現地集合が多かった。秋葉原で買い物をしたあと筆者は早く家に帰って電子工作したい衝動に駆られるのだ。だからI君が帰りにウチにおいでよなどと誘ってくれるのだが、早く作りたいから帰ると断るのだ。しかしI君がウチで作っていきなよとさらに誘うものだから結局I君の家で晩御飯もご馳走になるという展開も幾度。

そんなある時I君の家で、これ面白いよと聞かされたLPアルバムがあった。それは「坂田明/20人格」だった。
このアルバムの中で特に好きだったのは「屋台のラーメン屋」「トラック運転手」「ピアノ練習曲」だった。「元総理と鍵盤の対話」もいい。
今もここで試聴できる。

そんなわけで、「秋葉原=コンソメ=20人格」が筆者の秋葉原メモワールである。
ちなみに筆者はこの翌年大学生になったばかりの頃にいよいよテクノ人になるのだが、この辺りの流れはその前夜的出来事なのであった。


2016/04/15

(No.2448): 潤沢な枯渇(NordLead2のFrequencyをいじりながら)


平沢さんの「呼んでるベル」はビル・メンテナンス会社(清掃会社)の歌なんじゃないかと思ってますこんばんわエフオピです。

締め切りは4/24。
零細tsuqugrowレーベルのdewey二者は締め切りに追われ課せられた新曲を毎夜造り上げているところなのです。

その曲は聴く人をして如何に裏切るかが目下の課題です。すなわち開始しばらくしての”混沌”でストップボタンに指が伸びるように設計されております。「もう聴かなくていいや」と思う、そう仕向けられているのです。ところが、時間を置けば置くほど、さっきのは何だったんだ、といった引っかかりに気付くことでしょう。
ちょっとだけ聞き返してみようと思い立ちます。

しかし、いざ聴いてみると、「なーんだ」といったそっけない感想に支配されるのです。加えて「もういいや、もう飽きた」と。そしてそのまま忘れ去られます。
ところが忘れていたというのに、また暫く時間を置くとあなたはまた聴きたくなるのです。「ちょ、あれは何だったんだ」 



そんな不思議なものを勢威制作中の図













発表は次回ライブで。
いつ?6月?





2016/04/13

(No.2447): ぼくとワイルド7


「ワイルド7」で特に好きなお話は「千金のロード」「緑の墓」「コンクリートゲリラ」である。自分の中では「ワイルド7」を以下のようなフェーズとして捉えている。
フェーズ1:「コンクリートゲリラ」、「千金のロード」〜「緑の墓」
フェーズ2:「野生の七人」〜「誘拐のおきて」
フェーズ3:「首にロープ」〜「地獄の神話」
次の「運命の七星」は読んだのだが、以降最終話に至るまでは実は未読であるのでフェーズなし。


筆者の中でのこのフェーズ別けは「ワイルド7」を読み始めに起因している。「ワイルド7」は筆者が小学生時代、昭和四十年代に「単行本」にて読んだのが最初だった。筆者は週刊漫画雑誌をほとんど読まなかった小学生だったので漫画情報は概ね単行本からだった。
実は最初に読んだワイルド7作品は9巻10巻の「千金のロード」なのだった。小学校5年生くらいかと思う。そのあと一つ前のお話しの「コンクリートゲリラ」を読んだ。だから、”世界”や”チャーシュー”の殉職は後で知った。そしてその後、1巻「野生の七人」から順に読み始めた。


当時父親がカセットレコーダー付きラジオ(いわゆるラジカセ)を買ってたので、それを使って友達数人とラジオドラマ風に「ワイルド7」をテープに吹き込んだりした。
(編集註)吹き込む=録音すること

4人くらいでやるから一人何役もやる。筆者は”オヤブン”、”テル”役だった。(千金のロード)あとたまに”草波さん”も。
「千金のロード」はベトナム戦争の戦場から始まる。冒頭は”オヤブン”の独り舞台だ。今でも覚えているセリフ。
「ハーレェェ」
(爆風に吹き飛ばされる)
「サワダキョウイチがおっ死んじゃうのも無理ねぇな」
「こわいねーいきなりバカバカきちゃってさ」
「どこまでが米軍でどこまでがパテトラオか境界線のわかんないところだねぇ」

断片的だけど、こんな感じだったか。40年以上も前のセリフよく覚えてるな。

そして中学生になると友達の間でモデルガンが流行った。これも「ワイルド7」が切っ掛けだった。当時のモデルガンは銃口が詰まった金属製で金色だった。実銃は黒なので中学生男子はやはり黒い金属に憧れる。そこで金属を黒く染める薬品(合法)を塗ってはみたがお世辞にも黒ではなく、しかもひどくムラのある薄墨の水墨画風の仕上がりになった。それでも中学生男子は悦に入る。
金属製モデルガンは火薬を詰めた弾を装填して実際のトリガーの衝撃で発火させて音と煙を楽しむ式。手入れしないと火薬の残りカスで酸化したりする。


えーと何の話でしたっけ?
そうそうワイルド7、ワイルド7


やはり筆者は銃身の上部に冷却用の四角い穴が空いている”オヤブン”の357マグナム・コルト・パイソンが欲しかったが最初に買ったのはデリンジャーだった。それからすぐにアメ横でモーゼルC96を買って(もらって)”世界”と同じやつだカッケーとか思っていたが、その後映画「ダーティハリー」の影響で44マグナム・S&W M29(銃身の長い方)を正月のお年玉で買ってしまい、そんなもの買って何になるのアンタ!と母親にひどく叱られた。
友達はワルサーP38とかルガーP08など持っていて羨望の眼差しだった。ちなみにオートマチック銃は大人になってサバゲーをやってた頃にベレッタ、デザートイーグルを求めた。


えーと何の話でしたっけ?
そうそうワイルド7、ワイルド7


え?バイク嗜好も「ワイルド7」が切っ掛けかって?いや実はバイクには10年ほど前までほとんど興味はなかったのです。
でも「ワイルド7」に出てくるバイクは地味に、いや中には派手に改造してるのがあるからカッコイイとは思ってました。wikiで見て始めて知ったのですが”両国”のバイクがノートンだったという渋さ。しかもサイドカーでロケット砲ですからねー
って見てたら”八百”もノートンかよ!あれフルカウルじゃなかったっけ。
は?”テル”がトライアンフ!トライデントT160のチョッパー風改造だって、ほほー”ユキ”嬢はドカティにも乗ってたのね。そして”草波さん”はアルファロメオだったのか!


えーと何の話でしたっけ?
そうそうワイルド7、ワイルド7


そういうわけで、あれです、読みたくなってきたなー
久し振りに読むか、
大人買いするか、大人買い。



望月三起也さん 追悼
素晴らしい作品を有難うございました。
「最前線」も大好きです。


2016/04/04

(No.2446): 楽曲制作の添景


The Walking Dead シーズン4の途中まで視聴しているが、この作品は死亡フラグの読めない脚本がハマる理由の一つであろう。
ええマジか!と思うこと枚挙に暇がない。
昨日もええマジか!と滞りなく叫んだのでAbletonLiveに向かい新たな曲に取り組むものの、当初の構想通りにいくはずもなく途中で引き返せなくなった末、結局ゴミ箱に投棄したAbletonLiveプロジェクトファイルは都合二つ、今まさに三つ目のファイルをゴミ箱へドロップするところですこんばんはエフオピの中の人です。


作曲の手法、音楽制作のプロダクションに関してはクリエイター諸士千差万別であろう。この曲一体どうやって創ったのだろうと思う事も多い。だから他者の楽曲制作手法には興味がある。
よく考えたら相方taira准将の曲制作手法も実はあまり知らない。deweyではデータを送り合って進めるので各個人の制作プロセスまでは意外とブラックボックスなのだ。
しかし以前スタジオでボーカル録音した際、taira准将が歌メロディをその場で作曲しながら録音していたことがあり、なるほどこんな具合でメロディを作っておられるのかとその時は興味深く見ていた。

スタジオや自宅などで複数人で曲を創る(というかレコーディングする)というのは1980年代にはよくやった。みんなでわいわいと録音するので、その場でいろいろなアイデアが出て面白い作業だった。現代のようにDAWが普及し、個人作業の割合が増えてくると大勢での同時作業というのもなかなか難しくなる。



ところで目下筆者の標榜して止まないすこぶるお気に入りであるところのドイツの mouse on mars の楽曲制作には非常に興味がある。あの音像は一体どんな技(わざ)で創られているのだろうか。

幸せなことに企画ものとはいえYOUTUBEにmouse on marsの楽曲制作風景の動画が複数存在している。どれも自前スタジオにてJan St. Wernerと Andi Tomaが曲を制作している風景だ。何度も繰り返し見ているが興味が尽きない。


Mouse on Mars - Against The Clock

FACTマガジン 10分間で曲作るシリーズ


Mouse on Mars make a 21-track album live in 21 minutes

21分で21曲


Mouse on Mars - Live Studio Sampling Session

スタジオライブ


本来のアルバム制作とは違うかもしれないが、基本的なアプローチは遠からずという気もする。DAWを中心としながらも様々な音源を様々なプロセスに通して偶然に現れる音を拾い上げる式。