2024/11/14

(No.2669): 「空」という概念

はじめに
にわかに聞きかじった程度だし
すべて諸先輩方々からの受け売りに過ぎず
まったく不勉強極まりなく理解しているのか
と問われれば誠に心許ないのです。
という前説を踏まえて書くことにします。


筆者の曲「Nullexism」は仏教の「空」のことを
歌った曲なのです。
「般若心経」の一節を各種書物から自分なりに訳し、
さらに英訳したものです。
作曲当時「空」を「Null」と表現しました。
(なおNullexismはNullを使った造語です)
「Null」をIT用語の「空の文字列」「無」という意味に
当てはめて捉えていました。

しかしその後諸々調べていきますと
どうやら「Null」ではないのだということに至りました。

般若心経には「色即是空 空即是色」という一節があります。

この世の真理として、すべてのものは常に変化しており
実体はなくすべて縁起・因果によって生じている
という意味と理解しています。

ここで「空」の概念がでてきます。
「空」は「無」ではなく「0」ゼロの概念に近いというのです。

「0」ゼロは「無」ではなく、
あくまでも「0」ゼロという値です。
「1」や「2」と同じ”値”です。


例えばここに桃があります。
それを私が食べてしまった、とすると普通
桃が私に食べられてなくなったという言い方になります。

それを「空」の概念では
その桃は私に食べられたという因果を持って
「無い」という性質を得た。
となるのだそうです。

それを聞いてちょっと考えたのが
コンピュータプログラム的表現。
変数「桃」を「私が食べる」という処理によって
変数「桃」のプロパティ「exist」がfalseに設定された。
みたいな。


さて「無い」という性質を得た桃は
どこにいってしまったのか。
それは「無いという性質を得た桃」という”情報”が
空間の履歴として残っているというのです。


もちろん物質としての桃は私の体内にあり
消化され私の一部になっていきます。
しかし確かに、桃が存在したという事実や、
そしてその桃が食べられて無くなった
(無いという性質を得た桃)
という事実があったわけで、
その情報はこの世界の出来事の履歴として
残っているというのです。

つまりその空間履歴こそがいわゆる
アカシックレコードなのではないかと思っています。





次回は「悟り」とは?「苦」とは