2023/11/15

(No.2646): 久々Triumph StreetCupの噺(3回目車検に向けて)

先日、バッテリーを心配しつつ数か月ぶりに
エンジンを掛けたら一発点火したので嬉々として
近所を駆った我がTriumph StreetCupは
気付けば3回目の車検を今月に控えている。

前車のDUCATI M696は6年11か月
乗っていたが現車Triumph StreetCupは
この11月で既に丸7年になった。
あのM696よりも長く所有しているのだと
改めて感慨を深めた。

DUCATI M696は6年11か月で
約4万キロを超える走行距離だったが
現車Triumph StreetCupは7年というのに
未だ1万キロ弱。

実際、二輪にあまり乗らなくなってしまった。
だから実は今回の車検は通さず、
いっそ車検のない某250ccに乗り換えようかと
算段していた。
ところが、別なところで物欲大魔王に蹂躙され
(SEQUENTIAL TAKE5大出費)
今回は車検を通す方がバイク買い替えるより
経済的にもよかろうという結論に至った。

なお、二輪を降りるという選択肢は
この世界には存在しない。


ゲンキンなもので車検を通すと決まったら
改めてStreetCupがとても良く見えて来て
やっぱかっこいいなー
カフェレーサー好きだなー
前傾姿勢だから腰がやばい?
そんなん言ってたらバイク乗れんぞ
もうこうなったらずーっと乗るぞ
と思うようになった。
冬グローブも買い替えたし
250に乗り換えるなんて、やめやめ!


有効期限1年とみた。





2023/10/04

(No.2645): ライブ機材の精査(望郷編)

 モンハンNowの回復薬は購入のみというビジネスモデルに
大人のスキームを感じる日々ですこんにちわエフおぴです。

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電子音楽表現のための様々な機材群は
すべて自分たちで会場に運ばねばならぬ。
そんなんあたりまえでし、
でもあんたらクルマ乗せりゃわけないでろ?
というご指摘は至極正論セイロン島であるのは
百も千も万もペタも承知したうえで言い募る。

過日dewey delta問題管理会議に於いて決議した
作業時間短縮を目的としたモニタる環境整備
による新規導入機材1Uラックマウント本体。

機材を減らしたはずが筆者の運搬ケースは
二回りも巨大化し、加えて
Moog Subsequent37のケース込み13Kgの
過積載重量がいつにも増して重くのしかかる。

Moogの圧倒的な音圧、粒立ち、存在感、
筆者の電子音楽表現にはかかせない機材だが
ライブに持ってくるには
「重すぎ、これはおうちで使うん」
という認識にいまさら至る。
重さで自作板もだんだん湾曲してきよた。


モニタ環境は整ったわけだから
メイン電子楽器をもっと身軽で
軽量且つMoogのようなかっこよさ
でライブ映えする筆者の電子音楽表現に叶う
電子楽器はないものか。
MODAL COBALT8を持ってるじゃ。
そーゆーシンセサイザーはないものか。
COBALT8があるじゃい。

ちょとまてよ。
そーいえばシーケンシャルサーキット
にタケ5というシンセがあったな。
SEQUENTIAL TAKE5
あのシーケンシャルサーキットによ。
いやおまえCOBALT8があるじ。

タケ伍、5音ポリアナログシンセサイザー
あのプロフェット5のフィルター載せて
44鍵でコンパクト
なんでいままであまり気にしなかったのか
とおもったら急速にして急激に傾倒
ちょまてよCOBALT8があん。

SHさんのサイトで確認。
「高ッ!円安で値上がってり」
こんなん買えねれ。
とは思いつつもタケ伍の情報を求め電網を駆け回り収集。
速やかに著しく筆者琴線がF#で弾かれる。
やべーついにシーケンシャルいくか。
COBALT8がありじ。


般若心経は「空の思想」を説いている。
自分が存在するとはどういうことなのか。
見えているもの
聞こえているもの
こだわってはいないか
味や香りなど皆ばらばらのはず
何のアテにもならない
だから存在は「空」であり
変化する性質であるからこそ
あらゆるものは形がなく
また形があるので「購入」ボタン押下。



あとがき
ディドロ効果の影響を強く受け後日談あり。
続く。


2023/09/13

(No.2644): フジロック2023

フジロック2023の感想。
そのメモをまたここに書き忘れていたので忘れないうちに。
というかもうすでに忘れかけている。


ところで、
先日NHKで放送した「ドキュメント72時間」のフジロック取材。
こんなことを言っては何だが
少々薄っぺらい内容だったように思う。

前夜祭の尺は長いし、最終日の朝でもう番組エンドロールじゃん。
木曜から取材入ったんならまぁ仕方ないのか。
あと権利関係か何か知らないが、外国アーティストとかまったく
俎上にのぼってなくて、あの有名大物日本人ロッカーが
やたらとフィーチャーされてた印象。
フジロックを何も知らない人があの番組みたら
勘違いしちゃいそうな気がした。



そんなことより自分のフジロックのことを。
いつもの写真のみでの簡潔メモでお送りする。

毎年、木曜の前夜祭から参加しているのだが
今年は諸事情で金曜の午後からの参加。
期間中珍しく一滴の雨も降らなかったのだが、
唯一の雨が現地へ行く途中の越後湯沢から苗場への道で遭った
ゲリラ豪雨。
苗場に着いたら雨は上がっていた。




今年のゲート。有名な写真撮影スポット。




夕暮れと夜のフィールドオブヘブン(FIELD OF HEAVEN)。
雰囲気が好ましいステージ。
コロナ前の方が周囲にお店がたくさんあって
夜はお店の灯りでもっと幻想的だった。





深夜にはところ天国で映画上映(富士映劇)もある。
金曜は2011年フジロック出演のYMOライブ、
土曜は「男はつらいよ・寅次郎恋やつれ」などを上映。
YMOライブを観る。
3人がステージに並んだの見たら涙が出た。
終演後、拍手が鳴りやまなかった。




老体に鞭打って25時レッドマーキーのOVERMONOを。
この時間帯でのテクノ。
昔はクラブで午前3時から出演とか
やってたのをしみじみ思いだす。
終演後外に出たらレッドマーキー前で
Hello1103のyukakoさんとばったりお会いする。
来場されていたのは存じ上げていましたが
この人ごみの中よくまぁお会いできましたすごいー




筆者の土曜のメインはTESTSET。ホワイトステージ。
ホワイトステージはテクノ系ライブも対応している
低域が豊かなメリハリのある音響が特徴。
音響的に良い場所で体験したかったので30分前からPA前に。

とても良いライブだった。
筆者の標榜するドラマーのいるテクノバンドの好例。
今井氏のボーカルもイっちゃってるカッコ良さ。

そして砂原氏の演奏するシンセベースの重厚な低域に圧倒される。
こんな太っとい低域を出すのはどこのシンセなのだろうかと
砂原氏が演奏しているキーボードの背面にあるメーカー名を
見たが読み取れず、形状からも機種が判明できなかった。

後日「FILTER」誌に砂原氏のインタビュー記事が載っていた。
あのシンセベースはソフトウエアであることを知り驚愕する。
ホワイトステージの豊かな低域再現力かもしれないが
それにしてもソフトウエアの音であれだけの存在感は
正直びっくりぽんだ。
そう言われてみれば演奏していたのはMIDIキーボードだったのか。
恐れ入りました。
(MIDIキーボードはNektarTechnology、ソフトウエアシンセはUVIとのこと)




もう10年近くも前だろうか、
初めてトミー富岡さんのステージを見たのは
フジロック場外パレスオブワンダーのさらに場末の
「フジウジ」という看板が出ていた
いかがわしい謎の見世物小屋の中。

放禁エロ満載なのにむちゃくちゃ上手い歌と演奏に
一見でファンになった。
その後トミー富岡さんは毎年フジロックに出演されており、
現在は苗場食堂ステージのオオトリにまで出世なさった。

その謎の見世物「フジウジ」が復活するというので
ところ天国の寄席に向かったが着いたときは終演間近だった。

交通費はおろか宿泊代も自腹、物販売り上げだけが望み
というので当然トートバッグを買ってお布施する。
サインもしてもらう。
昔のフジウジから見てますよと伝えたら
「ああ初期フジウジ組ですね」と言ってた。


とはいえステージは見られず不完全燃焼だったので
翌日日曜昼のトミー富岡さんソロステージは
最前列かぶりつきで堪能。
筆者のリクエストを無視するプレイを頂いた。
最高だった。





日曜日の日中。
グリーンステージ後方からホワイトステージへ行く道の
途中にある”トイレの丘”の上からグリーンステージを撮影。
ちょっと見にくいが、左下に見える白く積みあがっているものは
ペットボトルの山だ。
3日目になると山のように積みあがる。




最終日の夜。場外パレスオブワンダー。
アフターコロナで復活したエリア。
今年はサーカスが来ていた。
いつも疲れてへとへと状態でこのエリアに来るので
さらっとみて帰っちゃうことが多い。
なお、ルーキーアゴーゴーのステージもここにある。
ルーキーアゴーゴー:フジロックオーディションに合格したアーティストが出演できるステージ。





ところで、
トミー富岡さんのステージを是非とも地上波で流して欲しいなー
コンプライアンス的に100パー無理だけど。
また来年。


2023/09/08

(No.2643): 床屋を訪なう。(奮闘編)

若干の「男はつらいよ」風サブタイトルを装ってみた。

今回は(今回も)筆者の完敗だった。
そもそも最初のイベントで大敗したのだ。

いつもの床屋さんを訪れたのは平日の夕刻。
月末のせいなのかお客さんで混んでいた。
今回もアノ大柄な店長っぽい理容師さんだった。

椅子に座った最初のイベント儀式として、
温かいタオルで頭髪を蒸すのだが、
頭に巻かれた白いタオルは「温か~い」じゃなくて
熱湯茹でたて「激熱ッ!」だった。

しかも、普段なら頭に巻いてから、
垂れ下がった余分な部分を
耳の上あたりで巻いて直接耳にあたらないように
整えてくれるのだが、
なぜか今回は余分な部分をそのままにしてるものだから
両耳に激熱タオルが触れているのだ。
耳が火傷する!
「あっつ!!」
熱さで悲鳴を上げるところだった。

髪を蒸らす時間が必要なので
理容師さんはすぐにその場を離れてしまった。

これはマジで危険だと思い、耳のタオルを自分で外そうとしたら
手がケープに阻まれて動かなかった。
手を外に出すのも気が遠くなりそうな動作に感じられた。
万事休す!熱ちっ助けてぇ~! と叫ぼうとしたら
理容師さんが、スンッとタオルを取ってくれた。

その刹那、苦痛から解放された安堵感と
こんな雑な扱いされた僕って、、と思ったら
笑いがこみ上げて来て止めることができなかった。
ぐふへふふふぐふふふ
と笑ってしまった。しっかりと。
完敗した。

笑い顔を見られないために下を向いたら
ぐいっと顔をあげられた。
理容師さんは不審な目を筆者に注いでいる。

いつもはもっと長い時間タオルで髪を蒸しているのだが
きっとお客さんが多くて立て込んでいるので
蒸らす時間を端折ったのだろう。
逆に助かった。。


この後も数回にわたって「口角が上がる」「薄く笑う」出来事があった。
詳細を記すと長文になるので省略するが概ね以下の事象であった。

・洗髪 →ろくに拭かずに上体を起こすからびちゃびちゃ服が濡れた
・マッサージ →痛いのは承知の上だが今回はほぼ殴打
・髭剃り →力で押し付けて且つ超高速なので痛いし危なっかしい


この床屋さんは、雑なところもあるけど
どの理容師さんも散髪自体の技術は高いと思う。
とはいえ一般の感性をお持ちの人は、
上述のような仕打ちをされたらもうこんな床屋行くもんかと
怒り出すかもしれない。
それでいてここの床屋さんはけっこうお客さんが多いのだ。
素晴らしい。


まったく富士急ハイランドよりわくわくする遊園地だ。
次回が楽しみだ。


2023/08/25

(No.2642): お酒のこころだーの巻

 先日マネジャー氏を車に乗せているときお酒の話しになった。
筆者はまったく、ひとっ垂らしも飲めないので
マネジャー氏の酒逸話を聞くにつけすごいなーと思う。

筆者はお酒が美味しいと思ったことはほとんどなく、
ビールならコップ半分もいかないうちに顔が真っ赤になり
気持ちが悪くなる。
コップ一杯のんだら確実に嘔吐。

筆者にはお酒は毒水なのだ。
なぜなら筆者はアセトアルデヒドを分解する酵素がほぼない。
このアルデヒド脱水素酵素(ALDH)が低い人は
いくら訓練を積んでもお酒に強くなることはないとのこと。

よく、無理して飲んでたら飲めるようになったという話があるが
それは元々アルデヒド脱水素酵素を持っていた人である。

さらに、この酵素の活性は両親や祖父母からの遺伝子の影響を受ける。
筆者の場合、おそらく母親の遺伝情報を受け継いだのだろう。
母親はまったく飲めない人なのだ。
しかし、父親はたいへんな酒豪だった。
父の遺伝情報を貰っていれば筆者も飲めたんだろうか。



父はいくら飲んでも顔色ひとつ変えなかった。
酔っ払った父を一度も見たことがない。

仕事をリタイヤした後は家で一日中飲んでいた。
朝からよくカランカランとコップに氷を入れる音がして
ウイスキーをロックで嗜んでいた。
そのお酒が原因で父は肝臓癌であっけなく亡くなった。

お医者さんが、原因はアルコールですと言っていたので
お酒さえ控えてくれていればまだ生きられただろうと思う。
母親にもお酒はほどほどにと注意されていたが
好きな酒を我慢する方がストレスになる!と
豪語してたのでお酒で死んだのはある意味本望だろう。

だいたい、亡くなる少し前、意識が朦朧とした中でも
「今日は飲むぞー」と譫言を言っていたので、
本当にお酒が好きだったんだなと思う。

そういえば、8月は父の命日の月なのだった。
来年は十三回忌。


2023/07/17

(No.2641): dewey deltaライブの技法(修行編)

こんにちは。dewey deltaエフオピです。

本日はdewey deltaのライブ機材量過多による「修行」について
お話し致します。
翻ってみますと機材の多さはdeweyの頃からありました。


1 deweyの頃

エレクトロニック音楽のライブは、極論スタートボタン一発押すだけで
成立してしまうでしょう。それでも十分格好良いと思います。
むしろ潔し。憧れ。

しかし我々はその器にも至らず。
お客様の前で小賢しく何かをやっていたいのです。
てか間が持たない的な。
非社交的な我々がお客様との快活なコミュニケーションなど
機材なくして出来ようはずもなく。

そんなこんなでライブ時にいくつか機材を持ち込んで、
その場で生で音を鳴らす。演奏するともいいます。
当たり前といえば当たり前のことです。

しかし、身の丈を知らない我々は、
あれも持っていこう、新しく買った機材使いたいよお
といった欲求には抗えず、「業」を積み重ねてゆきます。
お陰で様々な霊障にも遭いました。
これはまた別のお話で。


2 dewey deltaになってさらに

さて、そんなdeweyにドラマーのハッチャキさんが加入し、
dewey deltaと成増。
(「〜と成増。」昔、仕事で重要顧客へのプレゼン資料にあった誤字 腹筋崩壊)

最初はハッチャキさんのドラムセット機材の多さに驚きました。
キックとフロアタム以外はスタンド類に至るまで
全部スタジオへライブ会場へ持ち込んでくるのです。

実はわたしも17年ほど前までドラムをちょっとだけやっていたことがあり、
(しかもごりごりのブルースバンドで)
ドラムの機材については多少知識があります。
ライブではスネアとキックペダル、たまにシンバルも
持ち込む人はいましたが、ドラムセットほぼ全て持ち込む人は
界隈ではほとんど見たことがありませんでした。

(ただ、ブルース界隈は大酒飲みが多いので
ドラムセットを車に積んで来るとライブ打ち上げで
お酒が飲めないという理由があるやなしや)


3 増える機材

dewey deltaの機材の多さという点では楽器ばかりではありません。
演者へのモニター環境機材もあるのです。
我々は自分達の音を専用のモニター環境で聴いています。
ライブでは各メンバーがイヤフォンやヘッドフォンを着けていますが
そのソースである音源を3人分に分割したり
曲のテンポがわかるようにクリックを音に混ぜて送出している
機材などがあります。

実は上手側はこのモニター機材群の方が圧倒的に多いのです。
(モニター環境構築は上手側担当)


4 修行のはじまり

ここまで機材が増えてしまうと、ライブセットを組み上げるだけで
大変な時間と労力を要します。

リハーサルスタジオを2時間取った場合は以下のタイムテーブルです。
機材搬入・組み上げ (40分)
リハ (実質60分以下)
バラシ・機材搬出 (20分)

もうリハ時間とか半分もないよ。ってなっちゃう。

5月に行われた超電子COMPLEX出演では事情により、
ライブ当日のサウンドチェック後に外のスタジオでリハをやる
という、不規則な流れになってしまいました。

このときわたくしは悟りました。
これは「修行」なのだ、と。
即ち、

機材搬入・組み上げ 、サウンドチェック、バラシ・機材搬出 、
機材搬入・組み上げ 、リハ、バラシ・機材搬出、 
機材搬入・組み上げ 、本番、バラシ・機材搬出 

もう演奏しているのか、機材組み上げとバラシを生業としているのか
わかりません。
猫の手でも借りたいという諺は実在します。


5 求人

さあ、あなたもdewey deltaのライブ機材搬入・組み上げ・バラシを
手伝ってみないか?!
スタッフパス支給

報酬:応相談


っていうか、機材減らせよ!


(あ、演出上の求人だからね)

2023/05/19

(No.2640): ちょうど10年前も今と同じ

これは今からちょうど10年前の記事だが、やってることは今と何ら変わっていない。
霊障っぽい事象まで。

2013/5/19のブログ
(No.1982): deweyの6/24ライブ用リハの日(その一)


霊障、それでも最近はかなり減ってきた印象。
いわゆる霊障と呼ばれるエレクトロニック音楽のライブをやる者たちに
起きる様々な電子楽器機器の挙動不審動作全般のこと。

ソフトウエアやハードウエアのバグや環境が原因だったこともあるが、
しかし冷静に振り返ればその原因のほとんどは操る人間側にある。
知識や経験不足による操作方法の誤りや取り扱い方であったりする。

最近はかなり減ってきたというのは、昔に比べたら少しは
そのあたりがちゃんとできるようになったのかと感じている。

もう大丈夫だ。

だから逆に最も恐ろしい事象を記してこれを厄払いとする。

同じ環境や同じ機器を使用しているのにある日あるとき突然機能しなくなる事象。
きっとどこかいつもと異なる要因がありそれが原因となっているのだが、
この障害発生時は原因の発見が困難である。

その最たる一番ヤバいタイミングは、本番ステージである。
主な霊障事象としてバックトラック音出ず、上手下手システム同期できず、
クリック音ドラムへ送れず、といったバンド生命線を断ち切られるような事態。

そのときは全員生演奏か、
3人でコントか漫談でもやるしかない。


厄落とし完了。



5月21日(日)超電子COMPLEX 池袋LIVE INN ROSA 15:30-21:00






2023/04/10

(No.2639): 超地球的存在です。(R.S. R.I.P.)

 1月に投稿した「Y.Tなら知っていますが」というタイトルは
YMOのアルバム「BGM」の収録曲「U.T」の中で聴かれる高橋幸宏さんの台詞なのだ。

今回のタイトルも「U.T」から。
細野晴臣さんの質問に答える坂本龍一さんの台詞。

細野「坂本さん、U.Tというのはどういう意味でしょうxxx(エフェクトボイス)」
坂本「はい、あー、超地球的存在です(ボコーダーボイス)」



NHKのインタビュー番組で坂本龍一さんご自身が自分の作品には
”坂本印”というものがない、と仰っていたが、ぜんぜんあると思う。

一聴すると、ああ教授の曲だなとなんとなくわかることが何よりの証拠。
あのコード感というか進行というか。空気というか。景色というか。
唯一無二。

筆者が好きな曲5選
音楽の計画千のナイフ(”BGM”版)、後奏Riot In LagosThatness and Thereness

どれも1980年~81年の作品。
後年晩年のソロ作品や映画音楽など素晴らしい作品も数多くあるが
やはり筆者は自分がテクノの衝撃を受けた時期の作品に心が留まる。

坂本龍一さん、ありがとうございました。
あなたが超地球的存在です。
今頃ユキヒロさんと談笑してますよね。


2023/04/06

(No.2638): 床屋を訪なう。(死闘編)

今後そんなに書くこともなかろうと思ってはいたが
やはり書かずにはいられない床屋さん。

担当は久しぶりにこの大柄な店長さんと思しき方。

上記リンクで描かれてある通りの、
その雑駁なそれでいて力強い「手の圧」は変わっていなかった。
いや、前回以上に向上していた。


入店。

初っ端の髪の毛にシュッシュッと水を吹きかけた後の
頭髪をむしりあげるその手の圧といったら
首の骨を折られるのではないかという恐怖を通り越して
笑いが込み上げてくる。

知ってたけど何この強さ!両足踏ん張ってないと吹き飛ばされるぞ。

左右に張り倒されるのでそれぞれ逆側に力を入れて、
首を動かさないように努めるがどうかすると、タイミングが合わず、
自分の力で首ががくっと動いてしまい我慢できずに口角を上げてニヤつく。

「何笑うとる気持ち悪!なんじゃこの客?」という目で蔑まれる。


髪切り中はあまり手の圧の登場はないため特に笑いポイントはない。
安心だ。
わたしは無表情で淡々としている。
先ほどの笑い顔の失敗はこれで帳消しになったであろう。


さぁいよいよ洗髪だ。
ここから気を引き締めていないとまずいことになる。
案の定、大きな手でガッシュグワッシュと髪の毛を洗われる。
しかし大丈夫だ。
この程度は予想していたし、むしろ気持ちがいい。
口角は無表情を保っている。

いつも通り湯で襟を濡らしながら洗髪終わり。
濡れたタオルで顔をさっと一度拭いただけで上体を起こされるものだから
びちゃびちゃと雫が滴る。

しかし大丈夫だ。
この程度で口角を上げているようではこの店の客とは言えない。


さぁここからが勝負だ。
起こされた上体へ間髪入れずマッサージタイムに突入する。

頭部から首、肩へとズダンズダンズダンズダンと巨大な両手で
マッサージと称する手技の応酬を受ける。
けっして痛くはないのだが、、、いや今日は痛いぞ。痛い。
ちょ、痛いって!
そう思ったらマジで笑ってしまった。
笑いを隠そうと思わず下を向き、咳払いなどをして誤魔化した。

「何笑うとる気持ち悪!なんじゃこの客?」という雰囲気が漂う。


その後すぐに髭剃り。床屋椅子を倒されて仰向けに寝る姿勢。
シェービングフォームを付けた後、熱いタオルで顔を覆う。
最初は熱いがだんだん冷えてきて温かくて気持ちがいい。
良い塩梅だ。

良い塩梅だ。
うん。
うん。
うん?
まだか。まだなのか。
そろそろ取ってもらえますか。
もういいんじゃないでしょうか。
ねぇ。
親方どこに行った?

さっき入口ドアの音がしてたけど、外に行っちゃったのか?
おいおい。マジか。
人の顔にタオルかぶせたまま外行っちゃったのか?
だいぶ時間が経ってますよ。
顔のタオルも既に冷えてきました。
タオルの端もだらんと落ちちゃいました。
親方どこに行った?
人の顔にタオル乗せたままどっかいっちゃうなんて最高過ぎるでしょ。

ガチャランーとドアの音がして親方が戻ってこられて手も洗わず(洗う音が聞こえず)
そのままわたしのタオルをむしり取ります。
その下には、口角が最上級にあがっており目をつぶりながら笑ってるわたし。

「何笑うとる気持ち悪!なんじゃこの客?」という気配びんびんです。



いろいろありすぎて会計時お釣りをもらわずに出てしまい
「あー、釣り釣りー!」

と呼び止められました。


2023/03/31

(No.2637): 量子の世界を訪なう。

こんにちは。今日は量子の世界の不思議についてのお話しです。
嘘のような話だけれど科学的に現実であるところが面白いなと。

以前からかいつまんで量子力学の記事は読んでいたのですが
量子の世界は面白いのでにわか的に書いてみました。
ちょっと違うところもあるかもだけどその辺りは大目に見てね。


「量子」とはものすごく小さい粒。例えば電子とか光子とか。
その量子の世界では不思議な現象が起こります。

その中でも有名な「量子もつれ」という事象についてのお話しです。
「量子もつれ」には主に以下の二つの不思議があります。

不思議その1
「人が観測するまでは全部持ってるのに、人が観測したらひとつの状態になる」
不思議その2
「お互いが遠くなはれているのに瞬時にテレポーテーション」


「量子もつれ」を作り出す
光子や電子を非線形光学結晶という部品に当てると、その光子の持つエネルギーを
50%づつに分けた2つの光子が出力されます。
このペアになった光子はそれぞれ「量子もつれ」という状態になっています。

このペアの光子は角運動量保存の法則により回転する方向(スピンの向き)は
上向き回転と下向き回転、または左回転右回転といったように、
必ず互いに逆向きでのペアとなります。



不思議その1
「人が観測するまでは全部持ってるのに、人が観測したらひとつの状態になる」

ここから、少々ややこしいというか変てこな話になります。
量子の不思議な性質で、そのスピンの向きは我々が「観測」するまで決まりません。


量子の性質として人間が「観測」するまで量子はあらゆる場所に同時に存在し、
いわゆる「波」の状態になっています。
つまり先ほどのペアの光子は「観測」するまでそれぞれ上向き回転と下向き回転の
両方を同時に持っている状態になっています。
(同時に持ってるって言われてもよくわかんないよね)

そして人間が「観測」すると「波動関数の収縮」というものが起こり
「粒」として収束しスピンの向きが決まります。
この時ひとつの光子を観測するたけで、もう一つの光子のスピンの向きも収束します。

いやいや、実は「観測」する前から、スピンの向きは決まっていて、
人間が「観測」したときに初めてそれを知るということなんじゃないの?
と思ってしまいます。
しかし、そうではありません。
繰り返しますが量子の性質は、
人間が観測する前はあらゆる状態が同時に存在」しており、
人間が観測するとその中のひとつの状態に収束する」のです。
。。不思議。


なお、「二重スリット実験」という有名な実験もあるので
ググってみればもっと詳しくわかります。



不思議その2
「お互いが遠くなはれているのに瞬時にテレポーテーション」

光子ペアの片方を「観測」すると、瞬時にもう片方の光子も同期して
スピンの向きが決まります。

ペアの光子の距離を遠くに離してみても同期します。

実際の実験ではペアの光子のひとつを地上に、もう一つを人工衛星までという距離の
実績があるそうです。

これだけ離しても、光子ペアの片方を「観測」すると、瞬時にもう片方の光子も同期して
スピンの向きが決まるのです。
どんなに離れていても見えない何かの繋がりがあるのでしょうか。

この現象を量子テレポーテーションといいます。
しかもこのとき光速を越える速度で同期するというのです。
。。不思議。


これを応用すれば遠く離れた場所へ瞬時にテレポーテーションできるのでしょうか。
現状は量子という極小の世界の非生物環境ですが、
タンパク質の分子などの比較的大きな物質でも可能となれば、
将来「どこでもドア」のような装置が出来るかもしれません。知らんけど。


2023/02/22

(No.2636): 床屋を訪なう。シリーズ再開

前回の記事で贔屓となったこの床屋さん
あれから9ヶ月以上、足繁く通っている。

通ってはいるのだが、特にドラマチックな展開はなかったので
記事にすることはなかった。
今日までは。


この店はスタンドアローン的な街の床屋さんかと思ったが、
そうではなく、いわゆるチェーン店のようだ。
しかし手広くやっている風ではなく、
周辺に2店舗ほどの小規模展開の床屋さんであると思う。

いつも必ずいる大柄な理容師さん
(上記「この床屋さん」記事で登場するおそらく店長)
の他に理容師さんが2〜3人いるのだが、入れ替わりがあるので
おそらく他のお店と持ち回りなのではないかと思っている。

今までの経験からこのような形態の床屋さんでも
理容師さんのスキルとセンスは概ね統一的な塩梅のことが多い。

ところが、本日ご担当された理容師さんは違った。
筆者は今回お初の方だった。

すごく丁寧な仕事ぶりで、カットが他の理容師さんとは
違う繊細な感じを受けた。
頭を張り倒されることもなく優しすぎるくらいの圧。

面白くもなんともない。
床屋さんに雑駁な面白さを求めている筆者にとっては
今回も振り幅ゼロ、無難な安定感か、と思っていた。


「眉毛を切りますか?」と聞かれたので「お願いします」と応えた。
専用のバリカン?的な器具で無造作に眉毛の辺りを
グワーンと刈っていった。
一瞬ギョッとしたのだが、鏡を見てもあまり変わらないように見えた。
ふーん

カットも終わり、洗髪に入った。
ここの床屋さんは洗い流す時は、客が自分で椅子から前にずり出て
シンクに頭を突っ込む式という他の床屋さんではあまり見られないタイプ。

そのとき普通理容師さんは椅子を高くして、お客さんの身体を
前傾姿勢にさせるのだ。
そうしないとシャワーで頭を流したときにお湯が首元まで濡れてしまうからだ。

ところが、この理容師さんは逆に椅子を一番低くした。
案の定お湯がシャツの襟を濡らす。

「お!?なんだ急にこの雑駁な感じは」と思った。
来たか。来たのか。

その後の肩揉み、髭剃りがまたカットの時とはえらい違う雑な扱いで、
特に髭剃り後のローション的なものを顔に付けるのが
天才バカボンのほっぺのクルクルみたいな感じで
筆者のほほをくるくるするのだ。

やばい。もうあと3秒続いたら爆笑していたところだった。
久しぶりに笑いを堪える。
口角が僅かに上がったのを見られただろうか。



「はい、終わりましたー」
「お世話様でしたー」

まぁこんなもんだろうと思ってメガネを受け取って
鏡で自分の顔を見た刹那、笑いの堤防が決壊した。


「なんやこの眉毛!」

平安時代の貴族麻呂的な。。

お店を出てから爆笑した。


いい店だ。また来よう。


2023/02/11

(No.2635): みんなで曲作り(80s)

1980年代、筆者が20歳前半の頃、バンドとして共作曲を作る場合
バンドメンバー皆んなが集まってわいわいと曲を作っていた。
現在でもそのような形態で作曲をしているバンドもあるのだろうが、
ネット時代になってからは曲データを共有して作っていく方式になった。


そう、今思い返せば、あれはひどく楽しい時だった。

集まる場所は、録音機材が置いてある筆者の部屋だった。
録音機材は初期の頃は4トラックのカセットMTRだった。
(数年後には8トラックのハーフインチテープMTRと
16ch-4busのコンソールミキサーも導入した)

共作曲作りは主に二通りあった。
ひとつは誰かがベーシックな曲の骨組みを作って来て
それをMTRに録音し直しながら、みんなで音を足していったりするやり方。
もうひとつは、みんなでわいわいやってるうちにその場で曲が出来てくるやり方だ。

ベーシックな曲を作ってくるといっても、現在のwavのように「データ」ではなく
良くてカセットテープに一発録音してきたり、
あるいは「こんな感じのやつー」とか言ってその場でシンセ弾いたりして
皆んなに聴いてもらうなどだ。

筆者が関わった共作はどちらかというとその場でできた曲が多い。
ちなみに、1983年〜84年当時の筆者所有シーケンサーはSH-101内蔵の128音記録の
ものしかなく、しかもテープ録音した音と同期ができなかったので
ドラム以外は基本的に全て手弾きだった。


誰かがリズムマシンで何か打ち込んでいて、「それいいねー」とか言いながら
別の奴がシンセでベースを弾いたりして、うひゃひゃ言いながら録音する。

カセットテープに録音するから、あらかじめ曲の構成を決めていないといけないのだが
我々の共作の場合はけっこう適当で、リズムマシンは8小節ループで延々録ったりした。

曲の構成は一応紙に進行を書いていた。とはいえ楽譜は書けない。
長方形の箱の絵を横に並べていく図。今でいうDAWのGUIのようなものに近い。
箱の絵の中にAメロとかサビとかAm とかコード書いたり。
箱の絵の右上に小節数を書いて。

そして今と違って、4トラックしかないので、録音できる音数が少ない。
4つのトラックを皆んなで工夫して音を足していく工程も面白かった。
たくさん音を入れたいから如何にトラックを空けるか。

トラック1:リズムマシン、トラック2:ベースを録ったら、
トラック1と2をミックスしてトラック3へバウンス録音して
空きトラックを作る。
でもあとでベース直そうと思ったら最初っから録り直しになる。
現在じゃ考えられない不自由な非合理性。
今ならcommand+Z(Ctrl+Z)で元に戻るし夢のようだね。



曲と並行して詞もその場で作ることもあった。
1984年に作った「minca」という曲の詞には「絨毯のキノコが 血を吐く民家」
というくだりがあるのだが、これは当時mincaを作っている時
筆者の部屋の絨毯があまりにも汚くてキノコでも生えてそうな状態だったことから
作詞のT氏がその場で思いついたフレーズだった。

ちなみに、1995年に「minca」をセルフカバーした際、筆者が詞のいくつかの
箇所を書き直したので「絨毯のキノコが 血を吐く民家」は
「絨毯のキノコが 身を剥ぐ民家」に変わった。
「絨毯のキノコ」は気に入っているのでそのまま残した。



今思うと、バンドメンバーがリアルタイムでその場で曲を作るという行為は
なかなか刺激的で興味深く面白い方法だったなと思う。
ただし、時間はそれなりにかかった。だいたい毎回徹夜が普通だった。

今ならスタジオを数回押さえて時間決めてやればできなくもないかな。。







2023/01/25

(No.2634): Y.Tなら知っていますが (Y.T. R.I.P.)

 今回は完全に個人的な想いの文章となります。(いつもそうなんだけど特に今回は)

1981年、筆者18歳、大学1年の初夏。
旧友Nから借りたカセットテープ、スネークマンショー「急いで口で吸え」に
収録されていたイエロー・マジック・オーケストラYMOの「磁世紀-開け心」を聴いて
何この変な音楽?かっこいいと思ったのが切っ掛け。

それまでYMOには興味がなかった。


筆者が高校生だった1979年に世界的ヒットとなったYMO「SOLID STATE SURVIVOR」
が発表されている。
1980年には2回目のワールドツアーも成功し、この頃には名実ともにテクノポップは
市民権を得ていた。

世間では一家に一枚ワイエムオーとまで言われていたが
しかし実は筆者はこの1981年まではYMOにまったく興味がなかった。
音楽といえば所ジョージさんの曲をフォークギターでコピーするくらいで
とにかく笑える変な曲ばかり聴いていた。


ところが、大学に入ったその6月。
冒頭にある通り、友人から借りたカセットテープに入っていた曲を聴いたとき
何この変な感じの曲、こういうのいいなと思った。
だがそのときはこの曲がYMOだと知らずにいた。

YMOの曲だと知ったときは正直驚いた。
だってYMOってなんかフュージョンっぽい曲をシンセサイザーの音で
チャラチャラやってるバンドでしょ、くらいにしか認識していなかったからだ。

こんな曲も作ってるんだ。
他の曲も聴いてみようと思った。
今年の3月に「BGM」というアルバムが出てるっていうじゃない。


1981年は筆者にとって人生のイベントでエポックな年でもあった。

その中でも大きな体験は「テクノ」という音楽に出会って
完全に埋没したことだ。

1981年3月に発売されたYMO「BGM」と
同年11月発売「テクノデリック」の2枚のアルバムで
筆者は完全にヤられてしまった。
ミトコンドリアに記録されたこの衝撃的感情は一生消えることはないだろう。
特にアルバム「BGM」は収録曲10曲全てにおいて筆者の音楽制作の血肉となった。

「BGM」や「テクノデリック」はそれまでのYMOの楽曲を期待していたファンを
完全に裏切った。
何かよく意味が分からない暗い曲ばっかり、気持ちが悪い曲ー、キャッチーでない
など多くの一般リスナーには酷評だった。
ところが、筆者のように逆に、これはかっこいい!と思う人々も少なからずいた。
後にこれら「BGM」と「テクノデリック」を嗜好して聴いていた人々の中から
数々の有名ミュージシャンを生むことになる。




YMOという音楽グループ(あえてバンドという表現はしない)は
当時の若者に音楽以外の様々なファクターを与えた。
当時のサブカルチャーと称した音楽雑誌ではファッションと音楽が
同一目線で語られるということが出始めた頃。

デザイナーでもあった高橋幸宏さんの渋谷パルコにあったお店「BRICKS MONO」。
1983年頃にシャツを買ったのだが、もう今は手元にない。
タグがロシアアヴァンギャルドっぽくてかっこいいんだよね。
本人がいるわけでもないのに入店するのにえらく緊張したのを覚えている。


とにかく、「あの」BGMを「あの」テクノデリックを創造した人達の一挙手一投足に
目が離せないのだ。
あんなかっこいいテクノ楽曲を作ってる人はいったいどんな発言をして
どんな家に住んでどんな暮らしをしているのか、興味は尽きないのだった。

だから小学館発行の初のYMO写真集「OMIYAGE」が出たときはすぐに本屋さんへ
買いに行った。
「OMIYAGE」には「BGM」レコーディング中の写真やメンバーの住まいの写真
などを見ることができて中綴じの糸が切れるまで読み耽った。
細野さんは床にKORG MS20が転がってるシンプルな部屋。
幸宏さんはしぶい和室と釣りの魚拓。
教授はアールデコで固めた大人の雰囲気。



生の幸宏さんを拝見したのは実は遅くて、
というかYMO3人を同時に生拝見したのは実は遅かった。
(1982年に細野さんは生で拝見した。モダンコレクションというライブで)

一番最初は1993年の再生YMOでの東京ドーム公演。
でもこれは生を拝見というよりは、スクリーンに映し出されるお姿を観た印象。

本当に肉眼で目の前で拝見したのは
2002年のスケッチショウのお披露目ライブ、青山スパイラルホール。
このとき教授も飛び入りして、細野さんと幸宏さんと3人でステージ上でYMOになったのだ。
筆者は興奮の坩堝。

その後、再始動したYMOやメタファイブをフジロック等のフェスで何回か拝見。

フジロックの夜のホワイトステージ。
山の中だけど、きっちり蝶ネクタイスーツにハットを召され
革靴でスタイリッシュにドラムをプレイされる幸宏さんのお姿。
そして、なんといっても楽曲の素晴らしさ、あの甘美な歌声、
あげればキリがないほど。
けっして忘れることはありません。

先日の細野さんのDaisy Holiday! 幸宏さん追悼放送で仰っておりました
「幸宏の最高傑作」と言わしめた曲。

YMO/BGM 「カムフラージュ

わたしももちろん最高傑作だと思います。



「あの」BGMを「あの」テクノデリックを創造した一人。

高橋幸宏さん、ありがとうございました。




2023/01/24

(No.2633): 遠巒の廻廊(十六)

 

直近バックナンバー
その男は振り向いてワイマールとヤン・ヨークビンセントを見た。

「この匂いか?、キンメツゲの香りだ」

そう言った男の顔は菅井だった。


「スガイ..」

「。。。」


ヤン・ヨークビンセントは座り込んだままそれを言うのがやっとだった。
ワイマールはまばたきを忘れ、口を開けたまま固まっている。


「あんたたち。」


菅井はここまで英語で言い、あとは日本語で言った。


「本当にしつこいねあんたたち。まさか勝手に人の家に入ってくるとはね」


菅井は彼らを無視してキンメツゲの束を床に置くと、よっこらしょと言いながら立ち上がった。
そのままこの寝室に作り付けられているクローゼットの扉を開けた。
クローゼットの奥にさらに隠し戸があり、それを押し開けると金庫の扉が現れた。
菅井がダイヤルを回して開けると中には一抱えほどの黒い長方形の箱が入っていた。


「よかった。この箱は見つけられなかったようだね」


ワイマールとヤン・ヨークビンセントはその動きを目で追っていたが
ヤン・ヨークビンセントはびくっと我に返って叫んだ。


「ミスタースガイ! あんた一体どこから入ったんだ!どこに隠れてたんだ!」


菅井はちらっとヤン・ヨークビンセントを見たが何も答えず、
箱を慎重に持ち上げて、開いて機械が覗くスーツケースの横に置いた。


「さて、わたしはこれでここからいなくなる。もうここへは戻らない。
本来ならあんたたちをどこかの時代へ飛ばさなければならないんだが、
スクナ様とご一緒では無理なんでな。運がいいよ。
遺物ももうここにはないしね。あんたたちがいくら騒ぎ立てたところでどうにもならんよ。

「日本語だよ、ヤン君」


ワイマールはようやくそう言うと立ち上がってヤン・ヨークビンセントへ教えた。


「英語で話してくれ。僕らには日本語はわからない。
我々は友人行方が知りたいだけなんだ、知っているなら教えてくれ」

「心配ない。ドクター・フェルディナンド・セジュウィッチバーグは生きている。過去に」


菅井は英語でそれだけ言うと、スーツケースの機械を操作し始めた。


過去に? 意味が通じないよ。英語が話せないんじゃ埒が明かないな」


とワイマールが言うと、ヤン・ヨークビンセントが飛び起きるように立ち上がって


「ほらやっぱり先生の名前を知ってるじゃないか!おい!先生はどこに!」


と叫んで菅井に掴みかかろうとした。


「危険!」


菅井が一喝した。
ヤン・ヨークビンセントは菅井に触れるや否や何か強い力で弾き飛ばされた。

突然、スーツケースを中心にして半球状に空間が歪んで見えるようになった。
まるで質の悪いガラスでできた半球状のお椀をかぶせたように見える。
その歪んだ透明なお椀の中で菅井はその中心にあるスーツケースの横で胡坐をかいている。
クローゼットから持ち出した箱もキンメツゲの束もその半球の中だ。
次第に水が流れるように半球空間の中のすべてが流れて行った。
その流れも次第に薄くなり、そして何もなくなった。

それをワイマールとヤン・ヨークビンセントの二人はただ見つめていた。
消えいる間際、バチンと盛大に空気振動音が鳴ったがすぐに無音になった。

それは十数秒の出来事だったが、ワイマールとヤン・ヨークビンセントにとっては
その何倍にも感じられた。
もうこの部屋の中には菅井の姿はおろか、スーツケースも
クローゼットから持ち出した箱も、そしてキンメツゲも消えていた。



「ワ、ワイマールさん、見ましたよね。。本当にこんなことって。。」

「ああ見た。。見たとも。やはりフェルディの発見したものはオーパーツだったんだよ。きっとそうだ

「ある程度解読してしまった先生を、あいつが誘拐したということですか」

きっとスガイの他にも仲間はいるんだと思う。あんな機械を使う連中だよ」

「先生は無事でしょうか。。」

スガイが言ってただろう。フェルディは生きてるって。過去に」

「過去に生きてるってどういう意味ですかね」

「さっきの現象を見ただろう。過去というのは時間の事かもしれないな」











ワイマールの家へ戻った二人はパソコンを開いてネットを使って調査を始めた。
過去に生きているという言葉をそのままの意味と捉え、
フェルディナンド・セジュウィッチバーグ博士の痕跡が、
彼の生まれる前の時代にないか調べていた。


「とはいうものの、何をどう調べていいものか、ねぇヤン君」

「漠然と検索しても何も見つけられませんよね。出てくるのは今の先生のことばかり」

「あのスガイというのはどうみても人間で日本人だろう。奴の痕跡を調べてみるか」

「いっそのこと大英図書館に行きますか。あそこなら昔の新聞記事も読める」







「ワイマールさん、これって関係ありますかね」


大英図書館の閲覧室で古い新聞記事を調べていたヤン・ヨークビンセントが
一冊の新聞記事の写しをワイマールへ見せた。


「ロンドンタイムズ紙の記者が日本へ取材旅行したとき日本の奇譚話を集めた
ということなんですが、Fukagawa Fuyuki-cho Tokyo(深川冬木町)
というところに奇妙な男がいたという記事です。
えーと、日付は1908年11月14日の新聞ですね

「105年前だね。どんな記事だい」

「その男の祖父にあたるトースケという人物がよその世界から来た”セジュイチバルグ”
という名のイギリス人を匿ったというんです」

「なんだいそりゃ?」

「この名前ってセジュウィッチバーグじゃないですかね」

「そうだとしても、その名前SEDGWICKBERGだってイギリスにも多いじゃないか」

「そうですか?ぼくは先生以外知らないですけどね。それと、
”よその世界”から来たっていうのも引っかかりますよ」

「外国人だからじゃないのかね」

「でもそれなら”イギリス人”だけでいいじゃないですか。
なんでわざわざ”よその世界”からってそのトースケという男は言ったんでしょうね。
記者も変な表現だとしてそのまま使ったのかなと」

「うん、まぁ僕らのあの体験したことを思えば、確かに気にはなる記事だね。
本当にフェルディのことかもしれないし。その記事はコピーを取っておこう。
しかしヤン君、膨大な新聞の中からよくそんな記事を見つけたもんだね」

「簡単ですよ。先ずは1900年前後のロンドンタイムズの中から
日本、SEDG WICK BERG両方出てくる記事をデータベースから検索してみたんです」


ヤン・ヨークビンセントは鼻を膨らませながら記事の写しを回してみせた。


「君はこういうことにも才能がありそうだね。
ところでヤン君、スガイがあの部屋のクローゼットの金庫の中から持ち出した黒い箱のことなんだけどさ」

「ええ、何ですかねあの箱。重そうには見えなかったけど慎重に持ってましたよね」

「うん。スガイがあの家に戻って来たのは、あの箱を取りに来るためだったんじゃないかな」

「何が入っているんでしょう。厳重に金庫に入れてましたよね。お金とか貴金属ですかね?」

「いや。そういうものではない気がするよ。
うまく言えないんだけど、何か禍々しいものという感じがするんだよ。
例えば呪われた剣みたいな。いやごめん、まったく論理的ではないんだけど、
なんというか感覚的なものなんだ」


ワイマールはそう言うと、肩をすくませてみせた。


ワイマールさん、言われてみれば僕もそんな気がします。あの場にいると
口がきけなくなるっていうのかな」

「うん。とにかく、あんな信じられない現象を起こしている連中だから
何があっても不思議じゃない気がするよ。まぁ僕ら科学者としてどうかとも思うけどね」

「科学者というか僕は先生の助手ですから」


そう言いながらヤン・ヨークビンセントはさきほどの新聞記事の写しを
なんとなしに見返していた。
すると記事の中の一つの単語に目を奪われた。

the Ark of the Covenan


「ワイマールさん、これってあの箱のことですかね。さっきの日本旅行した
記者の記事の続きですよ。日本の民俗学と絡めてますが、”セジュイチバルグ”
匿ったトースケという男がこの箱についても話していたようです

「はは、流石にアークじゃないだろうが。ちょっと記事を見せて。
ははぁ日本には箱神という箱の中にいる神をお祀りする風習があったようだよ。
日本語ではHako Gamiと発音するらしい」

「じゃぁあの箱の中に神が入っていたということですか?」

「比喩だとは思うがね。あの箱は消えてしまったし、今となっては調べる術はないね」








(続く)





2023/01/16

(No.2632): 1月15日ライブの日のこと

ライブ日の早朝。
パンダ車に機材をしこたま載せてスタジオへ急ぐ。
途中マネージャ氏をピックアップするのだが、約束の時間に間に合いそうにない。
急いで走っていると道の前方左側に見慣れないパイロンを見つける刹那、
警官が歩道側に座っているのを確認する。速度取り締まりレーダー!!

瞬時速度計に目を落とす。針は70km/h付近に見える。
何もかもおしまいだ。


案の定すぐ先で検問。赤色棒を回しながら警官に停車誘導される。
免許証を持って降りてこちらへと促される。

速度計測係の警官がわたしに62キロです。と告げる。
パイロン発見時にすぐにアクセル離したからエンブレ効いて速度が少し落ちたかな。
30キロオーバーでなくてよかった(ここは40Km/hの道)という感情。
22キロオーバーだった。
(20-25キロオーバーの範囲での減点と反則金が決まるらしい)


しかし交通違反で捕まったの30年ぶりだ。
30年間無事故無違反だったのに。
正しく厄年だ。自分が悪いんだけど。

若い警官がわたくしに尋問しながらタブレットでさくさくと打ち込む。
さすがに今はこういうガジェット利用してオンラインでやるよな。
昔は大福帳みたいなのに手書きしてた。

いやーあっはー捕まったの30年ぶりっすよ!と言って笑ってみる。
ゴールド免許ですもんねーと警官。
それで、何をしにどこまでいくんですかと尋問。
はッ、池袋まで!
池袋はお仕事ですか?
はぁーまぁそんなとこですわ。
心の声:池袋へびんびんなテクノのライブをしにいくんですよびんびんな。


渡された反則金支払い振込伝票を見て驚愕した。
15000円!

高くてすみませんねぇと警官は言った。
心の声:国庫に入るんだからワシの基礎年金に反映してくれるんだよね。
点数は2点。
これで、しばしゴールド免許じゃなくなった。2点だからすぐもどるかな。

※引用
過去2年以上にわたって無事故・無違反だった場合に限り、
3点以下の違反はその後3ヵ月間を無事故・無違反で過ごせば、
反則点が0点に戻る特例措置もあります。

おお助かる。


それでも20分ほどの遅刻で済みマネージャ氏をピックアップ。
そしてマネージャ氏から高橋幸宏さん訃報を聞く。
ショック。
やはりわたしにとってYMO御三方は特別な存在。
この世界に導いてくれた音楽を創り出した方々。
この話は別の機会で。

一路池袋のスタジオへ。
スタジオ後、池袋LIVE INN ROSA。
サウンドチェック。
昼食。名古屋コーチンハンバーグ定食。

超電子COMPLEX vol 19 本番。
MCで朝の速度違反取り締まりに遭った話をする。
MCのネタができて良かった。

DJされていたLOOPCUBEさんの幸宏さん特集の選曲で涙ぐんだ。
有名人の訃報で泣いたのは忌野清志郎さん以来だ。

そんなこともあって、「莫耶が劔も」は幸宏さんを思いながら演奏しました。


反則金15000円の支払いは銀行か郵便局でと。
えーー、ネットで払えないんですか?タブレットとか使ってるのに?
すみません、まだできないんですよ。

ほえー

2023/01/06

(No.2631): モテようとする努力を台無しにする紅い服を着る男

こんにちは。dewey deltaのエフオピです。
休日はサドルの低い自転車に乗り隣町まで紙やすりを買いに行きます。


わたくしは5回目の兎年を迎えました。
同級生の多くは寅年で、先に紅い服の着用権を獲得していました。
昨年、同級生のご母堂様お通夜に参列した際、久しぶりに会った
頭頂部毛髪の薄くなった友人に
「エフオピは来年だったっけ?(紅服着用権が)俺もうなっちゃったヨ、うへへへ」
と挨拶されました。

普段なら、年齢が一つあがったくらいでいちいち話題にはしませんが、
この紅服着用権を獲得できる年齢というのは
人生の中でも節目っぽいニュアンスなんだろうかと感じたのでした。

いよいよそういう季節になったのか、否わたくしには関係のないことだ
そう言い聞かせておりました。


わたくしの紅服着用権獲得日はdewey deltaのスタジオリハーサルの日でした。
現場ではマネージャ氏やtairaさんハッチャキさんから、
お目出度うお目出度うと祝言を頂戴しました。
そんななかマネージャ氏から紅服着用権の行使を促されましたが、
煩悩まみれのわたくしのこれからを勘案しますと
そんなもん着てられっかよと思ったのでございます。

わたくしの心の師匠でもあり、わたくしの座右の銘「それがいいんじゃない」を発した
みうらじゅん先生のいわゆる紅服を着用する自虐プレイ時の説法に全てがあります。

「今まで異性を意識してモテようとしてた努力を全て台無しにするっていうか、
無かったことにしてしまうっていうか、
ああこの人と恋をしたいなとかまず思わない、そういうファッションである」



2023/01/02

(No.2630): 2023卯年新年ご挨拶

昨年末配信しましたわたくしのツイキャス「DJ的式の塩梅」のアーカイブを
ちらと確認したところ、こいつあライブよりしどろもどろだ、
だいたいMCとかいつもしどろもどろじゃないか、
それなのにいったいなんでこんなことになったんだ
どうかしてるどうかしてる
目を覚ませ目を覚ませピギープギーご視聴ありがとうございました。

そんなdewey deltaと云フ唄ツキ電子音塊ドラム投げ合い楽団を
2023年も重箱の隅から隅までずずずいとお引回しの上回して回して
逆にも回し尽くしてオンオフ願い上げ奉り候。
(日本語文法放物線投棄式文章拡散評議会推薦)


これがキミ達のお父さんよりも年上の輩が書いた文章と知って
さぞ驚いていることだろう。
もうここへは来るんじゃないぞ。