2024/02/14

(No.2658): クルマ奇譚(オースチン・ローバー ミニ メイフェア 編)

 前回のあらすじ



1989年1月。
Mini Mayfair (ミニ メイフェア)を納車。人生初めての新車。
Miniといっても、現在街中で見られるBMW MINIではない。
サー・アレック・イシゴニスの設計として有名な
イギリスのBMC(ブリティッシュモーターコーポレーション)
Miniである。

筆者の購入したときはAustin Rover Miniというブランドだった。
日本のディーラーもAustin Rover Japanと言った。
そして筆者が買ったMiniは左ハンドル!
ご存知とは思うがイギリスは日本と同じ左側通行で右ハンドル。
それなのに左ハンドル。
その理由とは。


当時のディーラ車Miniはメイフェアとスプライト
という2種類のタイプのみだった。
1991年にはミニ・クーパーが復活するがそれまでは二者択一。
スプライトはメイフェアの廉価版的なモデルで、
フロントグリルのデザインがいまいち格好悪かった。

車体の色が赤と黒くらいしかなかったと思う。
白もあったかな。忘れた。
メイフェアでもっと違う色の在庫車は
ありませんかとディーラーのお兄さんへ尋ねたら
紺色があります、でも欧州仕様の左ハンドルなんです
というではないか。

どこの世界にMiniの左ハンドルを買う奴がいるのかと。
イノチェンティ・ミニでもあるまいに。
とその時は思った。

ところが、
数日経つとじわじわ想いが変化してきた。
まず紺色がいい。
しかもよく考えたら左ハンドルのMiniなんて希少車だ。
ゴーカートのようなきびきび走るその操作を
左ハンドルでやるのがまた面白いに違いない。
というわけで紺色欧州仕様のMini Mayfairとなった。


1991年5月 実車
横に突っ立ているのはエフオピ28歳の輩



Mini Mayfairには改造も施した。
簡単なところではフロントグリルとミラーを交換。
ミラーはドアミラーからフェンダーミラーに。
少し昔のMiniの雰囲気に。

そして、マフラーをセンター出し1本に換装。
当時Miniの排気系チューンでは流行ってた。
サイレンサーが黄色塗装されて排気音も太かった。

それと天井に穴を開けてキャンバストップ仕様に改造した。
これも格好良かったし、ルーフを開けて走るのも楽しかった。
雨もりは一切しなかった。


Miniは故障が多いなどと知ったようなこという輩がいるが
それは全て迷信だ。
その真実は1970年台後半から1980年台前半まで
国内正規ディーラーがなかったので
未整備の古いMiniが出回り故障が頻発したことから
そんな迷信が生まれたのだと聞く。

ちゃんとメンテナンスすればまったく故障しない
とても優秀な車だ。
実際、筆者は8年間で2台のMiniに乗ってきたが
純正箇所が故障したことは一度もなかった。

1991年頃。
当時、鎮西さんもMiniに乗っていた。
色はシルバーのMini 1000だったと思う。
メイフェアよりも少し古いタイプ。
2台でツーリングがてら、富士スピードウエイで開催していた
Miniのお祭りイベントへ一緒に出掛けたりした。


そして1992年になるとインジェクション仕様の
1300ccのMini 1.3iが発表された。
ちょうど車検の見積りでディーラーを訪れたら
インジェクションのMini、馬力もアップ、
今度は右ハンドルで、レーシンググリーン色もあります。

という悪魔の囁きをディーラーのお兄さんから聞く。


(ローバー ミニ メイフェア1.3i編へ 続く)



車歴参考年表