2023/01/25

(No.2634): Y.Tなら知っていますが (Y.T. R.I.P.)

 今回は完全に個人的な想いの文章となります。(いつもそうなんだけど特に今回は)

1981年、筆者18歳、大学1年の初夏。
旧友Nから借りたカセットテープ、スネークマンショー「急いで口で吸え」に
収録されていたイエロー・マジック・オーケストラYMOの「磁世紀-開け心」を聴いて
何この変な音楽?かっこいいと思ったのが切っ掛け。

それまでYMOには興味がなかった。


筆者が高校生だった1979年に世界的ヒットとなったYMO「SOLID STATE SURVIVOR」
が発表されている。
1980年には2回目のワールドツアーも成功し、この頃には名実ともにテクノポップは
市民権を得ていた。

世間では一家に一枚ワイエムオーとまで言われていたが
しかし実は筆者はこの1981年まではYMOにまったく興味がなかった。
音楽といえば所ジョージさんの曲をフォークギターでコピーするくらいで
とにかく笑える変な曲ばかり聴いていた。


ところが、大学に入ったその6月。
冒頭にある通り、友人から借りたカセットテープに入っていた曲を聴いたとき
何この変な感じの曲、こういうのいいなと思った。
だがそのときはこの曲がYMOだと知らずにいた。

YMOの曲だと知ったときは正直驚いた。
だってYMOってなんかフュージョンっぽい曲をシンセサイザーの音で
チャラチャラやってるバンドでしょ、くらいにしか認識していなかったからだ。

こんな曲も作ってるんだ。
他の曲も聴いてみようと思った。
今年の3月に「BGM」というアルバムが出てるっていうじゃない。


1981年は筆者にとって人生のイベントでエポックな年でもあった。

その中でも大きな体験は「テクノ」という音楽に出会って
完全に埋没したことだ。

1981年3月に発売されたYMO「BGM」と
同年11月発売「テクノデリック」の2枚のアルバムで
筆者は完全にヤられてしまった。
ミトコンドリアに記録されたこの衝撃的感情は一生消えることはないだろう。
特にアルバム「BGM」は収録曲10曲全てにおいて筆者の音楽制作の血肉となった。

「BGM」や「テクノデリック」はそれまでのYMOの楽曲を期待していたファンを
完全に裏切った。
何かよく意味が分からない暗い曲ばっかり、気持ちが悪い曲ー、キャッチーでない
など多くの一般リスナーには酷評だった。
ところが、筆者のように逆に、これはかっこいい!と思う人々も少なからずいた。
後にこれら「BGM」と「テクノデリック」を嗜好して聴いていた人々の中から
数々の有名ミュージシャンを生むことになる。




YMOという音楽グループ(あえてバンドという表現はしない)は
当時の若者に音楽以外の様々なファクターを与えた。
当時のサブカルチャーと称した音楽雑誌ではファッションと音楽が
同一目線で語られるということが出始めた頃。

デザイナーでもあった高橋幸宏さんの渋谷パルコにあったお店「BRICKS MONO」。
1983年頃にシャツを買ったのだが、もう今は手元にない。
タグがロシアアヴァンギャルドっぽくてかっこいいんだよね。
本人がいるわけでもないのに入店するのにえらく緊張したのを覚えている。


とにかく、「あの」BGMを「あの」テクノデリックを創造した人達の一挙手一投足に
目が離せないのだ。
あんなかっこいいテクノ楽曲を作ってる人はいったいどんな発言をして
どんな家に住んでどんな暮らしをしているのか、興味は尽きないのだった。

だから小学館発行の初のYMO写真集「OMIYAGE」が出たときはすぐに本屋さんへ
買いに行った。
「OMIYAGE」には「BGM」レコーディング中の写真やメンバーの住まいの写真
などを見ることができて中綴じの糸が切れるまで読み耽った。
細野さんは床にKORG MS20が転がってるシンプルな部屋。
幸宏さんはしぶい和室と釣りの魚拓。
教授はアールデコで固めた大人の雰囲気。



生の幸宏さんを拝見したのは実は遅くて、
というかYMO3人を同時に生拝見したのは実は遅かった。
(1982年に細野さんは生で拝見した。モダンコレクションというライブで)

一番最初は1993年の再生YMOでの東京ドーム公演。
でもこれは生を拝見というよりは、スクリーンに映し出されるお姿を観た印象。

本当に肉眼で目の前で拝見したのは
2002年のスケッチショウのお披露目ライブ、青山スパイラルホール。
このとき教授も飛び入りして、細野さんと幸宏さんと3人でステージ上でYMOになったのだ。
筆者は興奮の坩堝。

その後、再始動したYMOやメタファイブをフジロック等のフェスで何回か拝見。

フジロックの夜のホワイトステージ。
山の中だけど、きっちり蝶ネクタイスーツにハットを召され
革靴でスタイリッシュにドラムをプレイされる幸宏さんのお姿。
そして、なんといっても楽曲の素晴らしさ、あの甘美な歌声、
あげればキリがないほど。
けっして忘れることはありません。

先日の細野さんのDaisy Holiday! 幸宏さん追悼放送で仰っておりました
「幸宏の最高傑作」と言わしめた曲。

YMO/BGM 「カムフラージュ

わたしももちろん最高傑作だと思います。



「あの」BGMを「あの」テクノデリックを創造した一人。

高橋幸宏さん、ありがとうございました。