あのラーメンライスを超えるラーメンライスはもう食べられないだろう。
これから記す話は、あるお店で食べたラーメンライスがとてつもなく美味しかったというなんてことのない話だ。
この1行で済むくらいだ。
しかし、このラーメンライスにはそこに辿り着くまでの様々な出来事があり、その工程もお話ししたい心持なのだ。だからといってその出来事がラーメンライスに関係があるかといえば、まったく関係はない。
でも語らなければならない。
1984年3月下旬。福島県や北関東にあるいくつかの温泉、鉱泉を巡る何度目かの旅の話。
当時筆者は21歳。大学3年の終わり。音楽活動のかたわら、友人T(CiiFaのいくつかの楽曲の作詞者)と温泉・鉱泉旅行に明け暮れていた。
温泉といっても、我々が訪れるのは一般的な有名観光温泉ではない。鄙びた一軒宿の温泉旅館やいわゆる湯治場、あるいは時代に取り残されたような昭和(当時も昭和だけど)の温泉街などを巡っていた。21歳の青年が好んで行くような場所ではない。
普段は我々が所有する360ccの軽自動車で旅をするのだが、このときは事情があり筆者実家のクルマを借りた。
余談だが、この温泉鉱泉めぐりは1982年から1992年あたりまで続いた。訪れた温泉は100湯と少し。10年間くらいだからそれほど多くはないかもしれないが、お気に入りの温泉に何度も足を運んだりもしたので温泉自体へ訪れた回数はかなり多い。
この旅は、初めて行く鉱泉の一軒宿に泊る予定だった。当然予約などしていない。(そもそも予約するという概念がなかった)
夜23時頃に東京を出発。すべて下道。国道6号までは普通に行き、茨城県に入ってからはなるべくディープな路地道を走る。”いつものコース”(注釈1)で水戸方面へ。大洗あたりで朝を迎え車中で仮眠。
(注釈1)
取手駅前から潮来方面へディープな道を巡り、そこから北浦沿いにさらにディープな激細道を北上し北浦を渡り51号近辺へ出るコース
10時頃に起きて茨城県を北上しいくつかの鉱泉へ入る。福島県に入ってから何度も通っている温泉旅館へお風呂だけ入る。ちなみにここは混浴だ。(ある曲のモデルになった宿)
その後さらに北上し、いよいよその鉱泉宿についた。しかし、その一軒宿の旅館はまるで廃墟だった。愕然としつつあまりの不気味な雰囲気に我々をして躊躇せしめるほどの佇まいだ。とてもここで夜を迎える勇気はなかった。
しかたなく他の温泉を地図で探す。さらに20Kmほど北上すると、市街地近くに聞いたことのない温泉があった。
一応温泉街になっているようだ。すでに夕方になっているのでそこまで行くことにした。
温泉街といっても宿が数件あるだけだった。車が入り易そうな立地にあるT旅館に入った。この温泉名もそうなのだが、変わった名前の旅館だった。
飛び込みでの入館だったが、まったく問題なく夕食も振舞われ、温泉(実際は鉱泉を沸かしていた)もとてもよかった。それだからこの宿には後年また宿泊したくらいだ。
さて次の日。
朝、朝食のことを聞きに来た仲居さんさんが「今日は雪ですよ」というので、驚いて飛び起きた。外を見ると曇ってはいるが雪も雨も降ってない。
朝食を運んできたその仲居さんに「雪降ってないじゃないですか」と聞くと「あれ?やんだかいな?」「あ、降ってたんですか」「んにゃ飛んでたの。山の方から」と言った。
東京方面への帰路。
当然、まっすぐには帰らず、さらに北上しつつ迂回してより内陸側コースを取った。東北本線のある駅前のキヨスクでこれ美味しいですか、これは?などと会話したり、県道沿いの今にもつぶれそうなドライブインに入ってコーヒーを飲んだりした。
南下して栃木県へ入った。なるべく裏路地系のディープな道を選択する我々なので大きな国道を避け、北関東の低い山を抜けるような県道系を走り、K町へ来た。
K町は小さな町だった。目抜き通りと思しき道には昔の家屋がたくさん並んでいた。ちょうど昼時だったので飯屋を探しながら走っていたら葬列に出くわした。
その葬列が通り過ぎるのを待ってその先を行くと、相当年季の入った家屋で大吉という看板を掲げた食堂を見つけた。しかもそれは右読み「吉大」だった。その屋号が書かれている木製の看板の文字は消えかかって黒くなっている。戦前の食堂だろうかと思った。
当然ここで食べるんでしょと僕ら。昼飯はここ以外考えられない。
お店に入ると小さなお婆さんが一人いた。テーブルは二つ。でも一つには新聞紙が積まれていたので使えるテーブルは一つだけ。椅子は昭和のパイプの椅子、座面がビニール。友人Tと「さっそく!笑」と興奮した。
メニューは忘れてしまった。そのとき友人Tが何を頼んだのか覚えていない。筆者はラーメンライスを注文した。
出てきたラーメンはいたって普通の醤油ラーメン。具は海苔とナルト、ハム、メンマ。チャーシューではなくハムだった。
スープはおそらく業務用の出来合いのもの。お店でじっくり煮込んだ手間のかかっているスープなんかではない。絶対インスタントのもの。
麺もどこかの製麺会社から仕入れていると思われる工場で作られたちぢれ麺。全体的に駄菓子に近い感覚だ。
そしてご飯は唐子模様のお茶碗によそってあり、しかも冷えて固い。おしんこ付きで、黄色いたくわんと漬かり過ぎたきゅうりの漬物だった。
と書くと、不味そうに普通は思うだろう。
こんなにとてつもなく美味いラーメンライスを筆者は食べたことがなかった。
感動した。
美味いとは一体どういうことなのだろう。
あの味が忘れられずこの旅行の数年後、また大吉を訪れたが既に閉店していた。
あれから40年あまり。現在、大吉の家屋は取り壊されて跡形もなくなくなっている。
筆者はあのときのラーメンライスより美味いと思ったラーメンライスにまだ出会っていない。たぶんもう出会うことはないだろう。
おまけ
当時、旅行記録としてカセットレコーダーを持参しており、ことあるごとにいろいろな音声を録音していた。実はこの1984年3月の旅行記録も存在している。そしてテープからwavに変換しているので現在も聞くことができる。
大吉での食事シーンは記録されておらず、お店を見つけた時の会話やラーメンライス食べたうまかったという感想だけだった。

