2014/03/30

(No.2161): TMCS雨の最終日を訪なう


東京モーターサイクルショー
雨の中最終日を訪なう。

雨ぇ?関係ねぇ当然バイクっしょ
雨だろうが何だろうが
バイクで行くに決まってるっしょ
と気炎を吐きつつ恙無く
パンダ車(自動車)で出動す。

雨の日にバイクなんて
乗れるわけねぇじゃん
濡れるじゃんか、雨、うぜー。

というお考えの方が自分も含めて
多かったと思われ、クルマ駐車場が
もう満杯で満杯で笑っちゃうくらい
待たされてようやく入場。

待たされまくったので先ずは
B級グルメのケータリングで
チーズタコライスの大盛りを頬張る。

その後ようやく粛々と展示を観て回る。
雨の割にはお客さんはそこそこ。
でも激混みというほどでもなく
丁度よい塩梅の人の多さ。
以下、筆者の勝手な感想。


Royal Enfield Continental GT 535


最近気になっていた機種。
跨がった感じは、意外とちゃっちかった。
ニーグリップ感のコックピット周りの
雰囲気が少々「薄い」。
しかし小降りな割には鉄の含有量が
多いのか俯瞰するとドッシリ感もあり
バランスがいい。
とにかく見た目がカッコイイ。


Triumph Thruxton


実はこの機種は身近な人間が乗っている
こともあり、多少心得てはいる。
しかしこの2014年モデルの
フロントカウルはなかなかの面構えだ。
正面からの見栄えもさることながら
これによって全体のフォルムが
より一層のカフェレーサー属性に向いた。


DUCATI Monster1200S


実車を見たのも、跨がったのも初めて。
エンジン部の詰まった感じやラジエータ
やギアボックス下部のエアダクトっぽい
造形が意外と格好良く溶け込んでいた。
跨がって驚いたのが、足付きの良さ。
筆者は両足がべったりかかとまで
着いた。
スタッフの方の話しではシート高を
調整できるとのこと。
低過ぎますかと聞かれたが本当に
俄に信じ難いほどの低さだった。
これは日本人には受けるかもしれない。
あと、シートの形状が感動した。
筆者の六級号(Monster696)の
シートは男性ならA級股間直撃式。
Monster1200のシートは非常に
その辺りがうまく処理されていて
おそらくほとんど股間問題は
発生しないだろう。
これは実際に跨がらなければ
わからない。

おしまい。















2014/03/28

(No.2160): スタジヨの壁を叩きながら


Conus社製128コア区画分割式
重力制御コア AL-15Hに重力線系
集中による帯域輻輳状態が頻発する
状況を検知したため、deweyは現状
通りの二名体制を暫く敷くこととなった。

輻輳回避のため4/24ライブのリハを
スタジオにてギタギタと行う。
新たに仕込んだボコーダーパッチの
生音送り込みの箇所を失念し
あれーなんで音出ちゃうのー
と途方に暮れる奴もいれば、
アドホックが切れてiPadが不動、
ナノパッドのパラメータが初期化
世界は終わっているとMacBookを
再起動しまくる奴もいるという
数々の霊障に見舞われながら、
しかしBPM途中変更プロジェクト
同士の完全同期運転という
高難度の試みは無事成功し、
そして生歌は直接PAへ送ろうと
誓ったスタジオ練習だった。




スタジオ撤収直前関係者近影
全員がスマホを構える




[dewey Live Information]
2014-04-24-THU-IKEBUKURO-Chop
2014-05-28-WED-SHIBUYA-Last Waltz








2014/03/27

(No.2159): 爆音の閑さ


数年前、
deweyのベース担当だったkeiさんが
スタジオ練習で仰っていた。
「爆音ではなく小さい音でも聴けるライブを」
それを聞いて我らギャニュギャニュ振興会屑連合
(taira+エフオピ)は言い募った。
デカイ音じゃないとつまんなーい
デカイ音じゃないとつまんなーい。

しかし当時は全て生楽器演奏もあったので
実際は静かな楽曲もそこそこ演奏していた。



確かに爆音の力を借りるという意識は
当然ある。それが結果的に誤魔化しに
なったとしてもだ。
加えて爆音という状況は
非日常の提供を標榜する我々にとっては
前提条件でもあるのだ。
なぜなら、ステージ上の演者の立ち居
振る舞いという視覚効果も併せれば、
爆音の中の存在は確かに
非日常であるからだ。

爆音の中にあって、
弾力あるキックの絶海の底に立ち、
エッジの効いた矩形波の煙霧の森に沈み、
不自然なフォルマントの大気を吸う。

爆音の中は静かだ。
松尾芭蕉も読んでいる。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
つまりそれが我々ギャニュギャニュ振興会屑連合
(taira+エフオピ)の主張だった。



しかし、今改めて鑑みれば
その「爆音ではない」も一理あると
想うようになった。
なぜなら、爆音は場合よっては
負に作用することがあるからだ。
つまり爆音の種類によりけりである
ということを知った。

シューゲイザーような音響の弾幕を張り、
聴く人をして長時間鼓膜を高圧力轟音に
さらすような爆音。
この場合、爆音そのもので作品として
成立しているので爆音でなければ
意味をなさない。
ただし準備のないオーディエンス
に対しては体力的精神的打撃は著しい。
(体験済み)

一番厄介なのが、常識的爆音の領域を
凌駕する鼓膜の内圧との均衡を破壊する
脳内共鳴激音だ。
特に男性発声の中高域あたりの
周波数帯域とさらにその上の
高域手前の帯域を巨大に増幅したケース。
これは耳の奥がギンギンと響いて
激しい苦痛を伴う。
(体験済み)
しかし、一方でこのような不快轟音を
快楽と捉える好事家も少なからず
いらっしゃるので一方の了見で
まとめてしまうのは不適切だろう。


とはいえ、一般的に言えることは
過激な入力は抑え、あくまでも
適切な爆音を心掛けておきたい
ということだ。
努々忘れるべからず。

適切な爆音とは変な言い方だが
けだし現状のdeweyライブではやはり
音の大きさは重要なのだ。
それが誤摩化しであったとしても
それも含めてdeweyライブなのだ。


そんなdeweyのライブは
2014.04.24(木) 池袋手刀
2014.05.28(水) 渋谷ラストワルツ

ですーおほー
(むりやりのライブ告知)


2014/03/25

(No.2158): エキスポ70の少年の記憶


1970年、昭和四十五年、
小学校ニ年生のエフオピ少年は
母親に連れられて
大阪万国博覧会を訪なった。

エフオピ家は母親が江戸染井王子、
父親が東蝦夷胆振国の出身なので
関西方面に親戚などいないと
思っていたのだが、何やら
琵琶湖近辺に遠い親戚がおる
というのでそれを頼っての
大阪万博見物だったと
記憶している。

小学校ニ年生なのだからさぞや
万博の想い出が数多く残されて
いるだろうと思われるかも
知れないが、悲しいかな
正直ほとんど記憶にない。

とはいえ
断片的ではあるがいくつかの
記憶はある。
「太陽の塔」の中を歩いたこと。
中は螺旋階段になっていて
階段を昇るに従って
太古の地球から現在に向かって
オブジェが展示されていた。
「太陽の塔」は目玉の
パビリオンだったので
うれしかった。






しかし
「アメリカ館」の月の石など
混み過ぎてまったく見られ
なかったこと、
「ペプシ館」の建物造形が
恰好よくてそのおもちゃを
買ってもらったこと。
本編としてはその程度の
記憶しかないのだ。


しかし実はそんなことよりも
もっと強烈で鮮烈に残って
いる記憶がある。

それは動く歩道に乗るために
並んでいた時だったか
既に動く歩道に乗っていた時
だったか定かではないが、
エフオピ少年の前に
立っていた(歩いていた)
若い女の人のミニスカートを
エフオピ少年がめくりあげて、
パンツ、ストッキング越しで
尻をぴたぴたと触っている
記憶なのだ。

当然、まったく知らない
女の人の尻だ。
それをスカートをめくって
触っているのだ。
白いスカートだったのも
覚えている。
パンツの色も白だった。

その若い女の人は気付いて
慌てて振り向きざまスカートを
直しエフオピ少年の手を弾いた。

そこまでの記憶だ。


一緒に歩いていたであろう
母親や親戚から叱られた記憶
はない。

小学二年生のエフオピ少年は
なんで知らない女の人の
スカートをめくりあげて
しかもパンツの上からとはいえ
尻を触っていたのか。
どういう経緯でそうなったのか
しかも周りには万博のお客で
大人はたくさんいたはずだ。

前後の記憶は一切ない。

従って筆者のエキスポ70
大阪万博の記憶とは
若い女の尻を触った記憶に
集約されるのである。



2014/03/24

(No.2157): oh my vi-sa-ge(痛む腰をさすりながら)


visage初来日ライブを観に
高円寺highへ、
スティーヴ・ストレンジさんを
生で拝謁す。





19時スタートではあったが
visageは21時過ぎからだったので
本編のvisageの登場までにしこたまに
耳疲れアンド体力消耗してしまう
という事態に。

そのオープニングアクトには日本の
3つのバンドが出演されていた。
全てをしっかりと拝見拝聴した。
それぞれは非常にクオリティが高く、
visageとの対バンを張るほどの実力で
あることは火を見るよりも明らか。
間違いはないでろうことを百も千も
承知で敢えて忌憚のないことを
申し上げれば、何もせっかくの
visage公演に当ててくることも
なかろうと思う。
ブッキング的に。
なぜならこの3バンド様だけでも
全く成立しているし、なにより
それほどの濃い内容だった。
逆にもったいない。
だから、筆者はテクノを生業と
しているとはいえ、五十路越えの
身体にはこの2時間にも及んだ
オープニングアクトで、もはや
力尽きてしまった。
せ、せめて、1時間くらいだったなら
ベストコンディションでvisageに
臨めたというのに。


とはいえ、visageのステージは
結果的に最後の最後まで堪能できた。
会場は満杯。

古い曲の人気どころのイントロが
流れただけで絶叫し飛び跳ねる始末。
そう言う意味では我々の年代にとっての
至福の時であったように思う。
始まる前はあれほど疲れていた
というのに、それを忘れるほどの
ひとときだった。

楽曲は近年のアレンジもされていたが
やはり音色も含めた「オリジナル」の
再現性に高揚した。
加えてあの80年代初頭当時に
脳内に刷り込まれている風景が
加齢による変化はあるもののご本人が
眼前にいらっしゃるという状況に
興奮を禁じ得なかった。


構成を間違ったっていいじゃないか。
歌のピッチが多少ずれたってかまいやしない。
演じたことは全て真であるということを
私達は知っている。
なぜなら目の前で歌っておられる方は
正真正銘ホンモノの
スティーヴ・ストレンジさんその人
なのだから。

まさか80年代初頭当時
スティーヴ・ストレンジさんと一緒に
oh my vi-sa-ge って
合唱できるなんて思ってもみなかった。

胸が一杯になった。



知ってた曲のセトリの一部(順不同)

・Fade To Grey
・The Damned Don't Cry
・Anvil
・Night Train
・Pleasure Boys
・Mind Of A Toy
・Visage






(写真撮影OKとのことでしたので一枚だけ)




2014/03/21

(No.2156): 提唱会告知(予告編 壱)


電子グギギ音乱発式ユニット dewey のライブ
いつ:2014年04月24日 (木曜日)
どこ:池袋 手刀 (chop)




恥の碑へ 英霊の鬨を刻む火は
卯月の夜に賦し灯さるるべし


---
しまらく既存の二者に選る。
---



2014/03/20

(No.2155): ヴィ!サ!エージ!(Visageを聴きながら)


今年の正月早々、Visageが初来日!マジで!
との報を受け、ズボンのチャックを全開に
しながらチケットを買いに走ったことは
記憶に新しい。

Visageを知らない方々はVisageって
どんなバンドどんな音楽なのだろうかと
思うかもしれないが、そのあたりの
ことはググればすぐにYoutubeやらwiki
やらにあるので、敢えて筆者がとやかく
捲し立てる筋合いでもあるまい。
(書くのが面倒くさい:本音)

筆者にとってVisageとは以下のような
立ち位置なのである。
あくまでも筆者にとってと繰り返す。

日本:YMO
ドイツ:KRAFTWERK
UK:Visage


思い返せば
筆者が大学生だった1980年代初頭に
Visageを聴いている奴なんか
筆者の周りではほぼいなかった。
せいぜい当時一緒に音楽やってた
数名のみ。

大学の友人達はサザンなんとかとか
或いはオフコースなんとかとか
或いはアメリカン系のイージー
リスニング風洋楽系とか
そんなものを聴いていたので
そもそも話がまったく合わなかった。


Visageでは
やはりファーストの「Visage」
セカンドアルバム「The Anvil」までが
筆者の嗜好に近似だった。
だからその後ミッジユーロさんが
抜けたあとの楽曲については
疎遠になってしまった。
とはいえ、やはりフロントマンの
スティーヴ・ストレンジさんは
筆者の中では大きい存在だ。

当時、所謂音楽系譜に関する知識は
ほぼなかった(今でも全くない)ので
実はミッジユーロさんがどうの
ウルトラヴォックスがどうのといった
話題はずいぶんと後になってから
知ったのだった。


筆者のVisage観はテクノポップという
よりはニューロマンティックという
センスを築いた先人であるという認識だ。
筆者は特にニューロマに傾倒していた
わけではないが、やはり楽曲自体の
創りの妙、恰好の良さに尽きた。
音の構成、音像のカタチなど
ずいぶんと教えて頂いた。


それにしても..

ぐはー!
生スティーヴ・ストレンジさん
マジか!
楽しみ過ぎて、禿げそう。



3/23 高円寺highにて初来日公演
(前日は下北沢GARDEN)





2014/03/18

(No.2154): アー写撮影顛末之書


前回ニ○一三年四月の介
左衛門の庄忠信式安寧で
deweyとかいう奇怪電子雑響の
社を構える宣伝用写真撮影儀を
執行す。
概ね小春日和の於上野区某洋館
不意に一般観光客中にあって
我々の影こそライブ衣装然たる
腕章類と奇怪電子基板を加え
チューブ身体巻付軍装の
図らずも異空間事業拡大の妙。

洋館より徒歩傍に存する
村岡翁某池の地。
密する枯水仙の荒涼癖を纏う
水面を背景に呆連れ共の
巣窟と化し池敷地内雲茶屋へ
蟄居。

後手、国津神を奉る神社境内の道。
彼岸桜の点景を尊ぶ。










2014/03/17

(No.2153): 変幻式バキューム諸法


今回用拙屑塵ブログ原稿を
書き上げたにもいい加減に
書き上げたにも関わらずそれを
クラウドへアップするのを忘れ
いい加減に何もかも放棄し
いい加減に水洗トイレの水流の
藻屑と掻き消えたわたくしの心と
同様の日本語文法投棄(放物線的)
式の久々のこういう書き方がやっぱ
しっくりくるなーこんな屑ブログ
誰の目にも留まらないから
テキトーでいいやーそれにしても
水洗トイレって言い方なんか
懐かしいねーまだ汲み取り式便所
ばっかりの頃とかえーお前んち
水洗になったのーとか僻んだり
してね昭和四十年代後半くらい
かねーウチはどうだったっけねー
ウチがまだ汲み取り式の時は
汲み取り屋さんが来るのが
楽しくてねー特にさーあの
バキュームカーが好きでねー
大人になったらボクは
汲み取り屋さんになるんだって
言って親が驚いてたなー
なんたってさあのホースがさ
糞を吸う時にびゅるびゅるって
動くところが好きでさー
あの動きが堪らなかったよ
格好良くて音も好きだったなー
ビョボビュボって感じでねー
あとホースの先っぽには野球の
ボールがくっついててねー
今思うとバキュームの吸引を
押さえる的なボール
だったんだろうけどあれも
好きだったなーしかし
ホース先端にボールって
今考えたらすごい絵柄だな
こんばんわエフオピです。


おしまい。




2014/03/14

(No.2152): TMCSへゴー


XPサポート切れによりダウングレード
してたPCは7に戻して—とか
もうそれ古いから新しいの買ってーとか
社内のそーゆー支線作業がちりぽりと
出始めて来た昨今すいませんわたくしの
PCは元OSがVistaのようですがと問うと
うんじゃVistaに戻して—
えVista?7にするんじゃ?
うんないのーVistaねー
新しいの買うっていうのは
うんお金ないからだめー
えーVistaやだ
そしたらお古が出そうだからそれねー
というシーケンスを踏みながら
社内の吹き溜まり要素を高める所作も
板について参りましたこんばんわ
エフオピです。


ところで
3月末は東京モーターサイクルショウだ。
筆者の毎年の慰みイベとしてオンスケで
組み込まれているわけであるからして
すなわち粛々と参列しているわけだが、
やはり世界数多の二輪実車の数々が
所狭しと展示或いは跨れる状況
というのは二輪乗りであれば
少なからず高揚するものである。

モーターサイクルショウは四輪の
モーターショウと違い試乗会がある。
これも大きな楽しみだが、人気車種の
競争率はすこぶる高く早朝開門で
飛び込まねば乗れぬことを知っている。
去年はその工程をトレースして些か
疲労感が加速したので今年は
やめておくつもり。


DUCATIのブースは寄るだろう。
が、今のDUCATIで気になる車種は
強いて上げるならMonster以外ない。
Monsterでせぇ五十歩百歩だ。
またGT1000ポールスマートのような
クラシック系を出してくれないだろうか。
DUCATIに限ったことではないが
最近のオートバイのあの非金属の
纏い方がどうもしっくりこない。
(プラモデルのような非金属
オンパレードのM696に乗ってるくせに)

今、特に気になる機種といえば
ロイヤルエンフィールドの
コンチネンタル GT 535 だ。
空冷単気筒535cc 最高出力29hp 。
29hpって粋だ。
真のカフェレーサーはこうでなくちゃ。
ちゃんとセパハンだしね。
ちなみにDUCATI M696は
空冷2気筒696cc 80hp だ。
80も要らない。
でも29はなーもうちょっと欲しいねー
あっはっはh

そんな事を漫ろ浮かべながら
見て歩くのも一興。


2014/03/13

(No.2151): 粗忽のまくら(うっかりしちゃった)


世の中にはうっかりが多いてぇ人が
います。まぁあたくしなんかもね
うっかりするなんてぇことぁ少なくは
ないんですが。
皆様方の中にもそういう方ってぇのは
いらっしゃいまして、
戸を開けないで表ぇ出ようとしたり、
鏡に映った自分の顔見て驚いたりね、
いろんな方がぁおりますけども、

物を買った時なんかについております
取説とか説明文なんかもちゃちゃっと
流し見るだけだから
んもーそうじゃないてぇんだよこの人ぁ
あすこにこう書いてあったろう
なんと言われて、へーそうでしたっけねぇ
えっへっへなんて笑うんですね。

可愛げがあるんならまだいいんですが、
それがそうでもない人もおります。
なこと言ったって読んでねぇんだから
しょうがねぇでしょう、
などと開き直るもんですから
人をイラっとさせることが多いんですね。

お前ねぇ、そういうことをね
言うもんじゃないてぇんだよ、いいかい、
そうでございましたか、よく読み直して
みますとか何とか言えばさ、
あーそうかい、がんばんなよ、
くらいの返しができるてぇもんじゃないか
それを何だい、そんな言い草が
あるかてぇんだよ

やいこんちくしょう何を言ってやがんでぇ、
んなもんいちいち読んでられっか
傲慢な面ぁしやがってこちとら瓦版だって
生まれてこのかたいっぺんも読んだことぁ
ねぇんだ、んなちっこい字ぃなんぞ隅から
隅まで後生大事(でぇじ)に読んでられっか
こちとら江戸ッ子で気が短けぇんだ
がたがた抜かすとケツの玉引っこ抜くぞ
こんちくしょう

物騒なこと言う人もおります

あのねー、この人ぁもうだめだよ
脇ぃ行ってもね、相手しちゃなんねぇよ
なんてなことで煙たがられるてぇやつで。


でもまぁうっかりするなんてぇ
ことはぁ誰にでもあることですから
あまり目くじらを立てるのもどうかと
思います。


えーあたくしたちのお噺の方に
出て参りますうっかり者なんてぇのは
粗忽ものなんという言い方もしますが

「おい、ちょっくらごめんよ
 なんd






2014/03/12

(No.2150): コロッケそばのダウナー系(副題:三名dewey初スタジオリハ)


三人体制deweyの初スタジオ音合わせ
の日なのでスタジオ階下「吉そば」にて
コロッケそば360円を手繰り、
いなり70円を頬張り、鼻をかみながら
駆け付ける。

旧deweyでは所謂二名体制で
あったわけでそれはつまり最上階の
ボーカルブース的小部屋にてギャニュ
ギャニュ式を敷きまわしておったの
じゃが、今回から三名となりまして
それはそのボーカルブース的小部屋は
三名では使えませんビシッという
わけでありますから、
普通の部屋となりますから。



入室早々
「すげーなつかしー部屋ー」
「ドラムセット邪魔ー」
という掛け声の元粛々と各自機材を
ケーブルで繋いでゆく。
スタジオ予約時、板を乗せた
キーボードスタンドをお願いします、
とだけ言っていたのにちゃんと2台分
用意されていて小さな感動を得る。

このスタジオはボーカルブースより
は当然広いのだが二者がテーブルで
機材屋台をくみ上げるので些か狭い。
つまり冒頭の通りドラムセットが邪魔。
おかげでモニタースピーカ直下の
立ち位置となる。それに由来するのか
その音像の固いことといったらない。
これはもうどうにもこうにも辟易
したので鼻をかんだ。



新たなるレイヤーmieuさんの歌唱は
deweyの中にあってなるほど
溶け込む浮遊間を持つ印象である。
mieuさんのマイクラインはやはり我々の
ステージミキサーを通すより
直接PAへ渡した方がよかろうと思う。
そのほうがライブ時の良バランスを
担保できそうだと感じた。

なんとなく次回ライブセットリスト
を一通り流してみる。
前回ライブからの久々の
(といっても1カ月半くらい)
演奏であるのだが、案の定ほとんど
忘れていた。眼前のAbletonLiveの
タイムラインをなす術もなく茫然と
眺めている体。
うむ今日もよくできた。




ところで
mieuさんが過去に作詞した作品に
旧deweyの二者がそれぞれ曲を
打ったものを事前に共有していた
のだが、せっかくのこの大音量環境
であるからしてここはひとつ皆で
勢いで聴いてみましょう
ということになる。
ちなみに、詩を元に曲を乗せる
という楽曲制作の強度が
思いのほかあるということを知る。

ひとしきり確認後旧deweyの二者には
到底思いもつかない助言を得る。
拙駄曲にして
「歌部の尺が短過ぎで譜割破りができぬ」
「メロディが思い出せないほどの間奏を」


メロディが思い出せぬ程の間奏を挿入
せよ、という発案に驚いた。
というのも最終的にこの曲は三番へ
向かう間奏をなるべく長くしようと
思っていたからだ。
感心し唸る。



スタジオ後、復路の車中にて
なんとなく考えた。
このmieuさん作詞課題曲に
ついてはtaira氏の楽曲がまた
すこぶるキャッチーで且つ華麗な
楽曲に仕上がっているので、
逆に筆者の曲は所謂B面に
ありがちなちょっと変わった暗い
ダウナー系を標榜しようと思った。
とはいえ奇しくも二者とも三拍子を
選んでいたが。






2014/03/10

(No.2149): 遠巒の廻廊(七)


ぼうと光る白き壁を四方に囲む正方形の部屋。
天井も白い。その中央にわたくしは立っている。
わたくしの眼前には二人の痩せた男がいる。
左の男は白いガウンを羽織り、頭髪は半分が
全て剃られ、もう半分は三十センチもある
灰色の前髪が長く垂れ下がっている。
青白い顔。
右の男も同じく白いガウンを羽織り、頭髪を
短く刈り込んではいるがその側頭部に
数字の8を思わせる模様を描いている。
彼らがわたくしの前に立っている。
じっとしているが微妙に揺れている。
無言。
彼らを底辺とした三角形を描く頂点位置に
わたくしは立っている。

わたくしの右後ろには背の低い老人が一人
佇んでいる。坊主のような袈裟を掛けている。
黄色の袈裟だ。老人は言った。
「チュク語で読み上げるのだ」

わたくしはチュク語など話せない。
そう思っていると老人はこう付け加えた。
「なぁに、カタカナを振ってあげましょう」

そうか、カタカナを振ってくれるのなら
なんとかなりそうだ。
わたくしは本心からそう思った。
わたくしの緊張は僅かに緩んだ。
老人がわたくしに紙を手渡した。

そこには見たこともない文字がまるで
何かの暗号記号のように羅列して
並んでいた。
その下には日本語のカタカナで
こう書かれていた。


「アンジェリコ アステ クヮドリフォグリオ
 ディッセターレ ルーチェ ルーン デューイ」


わたくしは、抑揚をなるべく抑え、
それを読み上げた。
しかし声を張った。
そうしたほうが良いだろうと思ったからだ。

読み上げると、眼前の男たちがすっと
お辞儀をし微笑んだ。
右の男の歯が全てないことに今気付いた。
先ほどまでまるで生気のない動力の事切れた
ように立っていた二人の男は、
きびきびとした所作で踵を返して後ろへ
向き直ると、わたくしから遠ざかり歩いて行く。


彼らは襖を同時に開けて次の間へ
出て行った。
それを見送っているといつの間にか
天井の低い畳の部屋に
わたくしは立っていることに気付いた。
うす暗い部屋だ。

先ほどの白い灯りが消えたのだろうか。
消えたことさえ気付かなかったとは
どうしたことなのだろう。
紙を手渡した背の低い老人も
もう姿はない。案の定。
そう案の定こうなることは初めから知っていた。

彼らの出て行った襖は閉められている。
襖の右側に急な階段が設えてある。
こんな階段あったのか。
いつからここにあるのだろう。
木製の飴色、いや既に黒光りするような
年代物だとすぐにわかる。
階段の横は箪笥になっている。
そうだ、前にテレビの何かで見たことがある。
階段の段々がそれぞれ引き出しになっている
江戸時代の家具兼階段を。
嗚呼これがそうなのか。
現物を初めて見た。
実際はすごく小さいものなのだと思った。
人が歩くには少し小さい。

その階段の上から唐辛子売りが降りて来た。
源田鴻八郎というノボリを背中に指して
ほっかむりをして裾を端折っている。
絣の着物。
顔はよく見えないが、唐辛子売りの呼ぶ声が
低い天井のこの和室一杯に響き渡る。
朗々と清らかに。

「えー、江戸は内藤新宿のぉー
八つぅ房がぁー焼きぃー唐辛ぁー子いー」

「八つぅー房がぁー焼きぃー唐辛子いー」

「御用のぉーお向きはー」

「御用のぉーお向きはぁー」

「御用のぉーお向きh


その声で私は目を覚ました。

売り声がまだ遠くで聞こえるように感じる。
起き抜けに見慣れぬ部屋の風景に
一瞬どこかわからなくなった。
夢の続きかともよぎりながらすぐに
思い出した。
そうだ、菅井とやらの家だった

部屋の中は暗い。夜か。
障子を通して外から幾ばくかの明かりが
射し込んでいるので部屋の中は見えなくもない。

通された部屋とは別の部屋か。
畳の上に布団が敷いてあり私はそこに
寝ている。
上半身だけ起きて周りを見るが、
やはり暗いので電気を付けようと灯りの
スイッチを探す。
見当たらない。
布団から出る。
柱や壁なども見てみる。
灯りは見当たらない。
いや、天井には蛍光灯がない。
よく見れば壁にはコンセントもない。


布団の上に座って落ち着こう。
たしか、菅井から聞かされたのは
奴が天明三年生まれで江戸冬木町で
蘭医をやっていたとかいう話しで、
あと何だったっけ、そんな与太話されて、
頭おかしい奴だろうからトイレを借りる
ふりして逃げようと思っていたんだった。
それがなんで布団で寝ていたんだ。
ああ思い出せない。
どうなっちまったんだ。

ふいに襖を開ける音に驚き、振り向く。

着物を着た男がこちらを覗いている。
「目ぇ醒めたかい」

聞き覚えのない声だ。
「菅井」でもなさそうだ。
もう菅井の顔もよく覚えていない
っていうかこいつ、頭、なに髷っぽいわけ。



(続く)




2014/03/07

(No.2148): 1987年12月31日23時22分


1987年12月31日23時22分

僕らはNHK前の代々木公園側道にて
発電機を使ってサンプラーキーボードと
シンセサイザーとベースアンプ1台による
路上ゲリラライブを敢行した。
友人のサンプラーは当時60万円もした
EmuのE-maxという楽器、ぼくのシンセは
オーバーハイムのMatrix6だった。

警察官に止められるまでの約20分間に
わたってエゲツナイ電子爆音を捲し立てた。

通りすがりの人が足を止めるが
紡がれる激音になんなのこいつら
という風情で足早に立ち去る。
所謂起承転結のあるライブの体裁とは
あまりにもかけ離れた全て即興による
演奏だった。
E-maxからは主にリズム系を
Matrix6からはぐちゃぐちゃした音を。

そのうち警察官が数人走り寄って来て
音をさげなさいと言ってきた。
爆音だったのではぁ?と聞き返した。
音量を下げなさい、許可は?
ありません
いますぐやめなさい。

1987年12月31日23時51分撤収

借りて来た軽トラックに
ほうほうのていで機材を積め込み
逃げるように走り出してから
僕らは笑いあった。








2014/03/05

(No.2147): 虚文の森(第二十六回)


今晩は。ようこそ虚文の森へ。
今夜ご紹介するのは、電網辺境の末端に
在する一見ブログの体を装っている
塵屑散文集サイトからの虚文です。

このサイトの文集は何の役にも立たず、
誰の得にも成らず、ただただ無価値駄文と
意味の全くなさない文字の集合体が
二千百回以上綴られているというのです。

そしてより一層興味を削がれるのは
その文字列集合体は日本語の文法規則を
一切無視し、さも理のある文脈を展開創造
している体を装った詐欺文章紛いの
散文集だということです。

今夜は、その二千百回にも及ぶ虚文集の
中から以下の三編をご紹介しましょう。



(No.1962): 一九六ニ回目の雑慮
[解説]
前半のしどろもどろ加減を後半の
エンハンスにフェードさせる似非テクニックです。
某ゲーム世界を含ませながら得意の
他人のふんどしで相撲をとる的な怪作です。


(No.1088): レアミュールとロンドンナッフと
[解説]
思いついた言葉を前後の文脈に捉われず、
ただ書きならべてゆくという、作者の
性格と思想を表した駄文です。
聞くところによりますと、見直しも
全くせずにそのまま公開しているそうです。
一体何様のつもりなのでしょうか。


(No.2096): 2096年の挑戦
[解説]
ある時間軸を切り取ったかのような構図。
前後の脈絡も文脈も全て無であり、
ただ一遍のその瞬間のみで物語る方式です。
作者は新しい広告手法だと談じていますが
何のことはない陳腐な屁文の域を
出てはいません。
ちなみにタイトルはウルトラQの
「2020年の挑戦」のパクリです。


今夜ご紹介したものは二千百の中でも
ずいぶんと大人しい虚文ばかりです。
代表作ということでもありません。
否、代表作などないと思って
差し支えありません。
とはいえその中で不定期ですが連載の体で
発表しているものもあります。


当初時空をまたぐ大スペクタルの
プロットを描いていましたが結局
収拾のつかなくなった「遠巒の廻廊」。


deweyというギャニュギャニュ電子雑音バンドの
世界観を構築しようとメンバーのtaira氏の
物語とクロスさせたものの未だに着地点の
見えない「晃一郎と吉之助」。


トイレで夢想していた物語を具現化
するあまりプロットが巨大で複雑に
なりすぎて途中から筆を投げて
全てを無かったことにした
artium-zoac451」。

如何でしたでしょうか、ご覧頂いた通り
どれも清々しいほどに中途半端なもの
ばかりです。


さて、来週の虚文の森は、
「あちらさんてぇもんは誰でしたっけね」を
お送り致します。

それではごきげんよう。




2014/03/04

(No.2146): フジな人


日本最大規模の野外音楽イベントだか
日本ロックフェスティバルの先駆けだか
なんだか知らないが所謂夏フェスの
常套句をつくりだし猫も杓子も釜も蓋も
わんさかおいでなすってやれ誰それが
来るやれ誰太郎が出るなどと気炎を
吐きながら大し小いし楽しかったー
面白かったーなどと自慢話ばっかりで
心底嫌気が差す的な塩梅式が
全国各地で繰り広げられることになる
秋口に向けてのその年の初春に既に
何某かの支度がおっぱじめられている
という噂がどこからともなく流れ始め
ている昨今人ごみばっかりでトイレ
まで尋常でない行列つくって雨なんか
当然容赦なく降られて夏なのに寒い
とか言う始末で山道嫌というほど
歩くしマジで歩いて歩いてヘトヘトに
なるし音楽聴いてるのか山歩き
してるのかもわけわかんなくなるし
とか言いながら言うほど
起伏は激しくもないのに
やけに山ん中だからさー体力勝負よ
みたいなことうそぶきながら
いやマジいいから来てみなよとか
ひゃっほーいやっほーとか
来てる奴らなぜか皆変な
テンションでもうおっかねぇし
よっぽどピンで赤坂ブリッツとか
ZEPP東京とか渋谷AXとかで
観たほうがどんなに良いか
知れないのに金だってそこそこ
かかるってのにそんな
フジなんとかとかいう音楽フェスに
行く奴の気が知れねぇし行くこと
参戦とか言ったりしておまえ
何と戦ってんだよって話で
馬鹿じゃねぇの



アンチの立場になることも重要だ。
今年で連続14回目。毎年全日参戦。
馬鹿じゃねぇの。
FUJIROCK FESTIVAL




まだ一回目発表だが今年も
相変わらず出演者はほとんど
知らない人ばっかり。

いいぞ。






2014/03/03

(No.2145): KRAFTWERK考(あのときの四人編)


今回見られなかったらもう一生見られない
だろう見なかったらきっと後悔するに
違いない彼らももう歳だし今年来日したら
もう来ないだろうだからこの機会を逃しては
ならぬなんとしても嗚呼なんとしても拝見
拝聴仕る所存で嗚呼々々などと祈念していた
というのにここ数年のこの豊年の有り様と
いったら贅沢の極みと言わざるを得ぬほど
毎年来日しているので全部観てるではないか
2012年はNO NUKESで2013年は
単独ライブで2014年もサマソニの
オープニングアクトに出られるとの由
もうありがたみもへったくれも
ねぇってぇやつなんだけどぁこぉ
やっぱしパイオニアてぇやつのよぉ
操る生音てぇもんが聴けるんなら
NUMBERSでせぇ電卓でせぇコンピュータラヴ
でせぇテクノ神てぇやつのKRAFTWERK
御大のお噂でご機嫌を伺いやす。





KRAFTWERK、いまやラルフヒュッター
さんしかオリジナルメンバーがいない。
ラルフさんが辞めてしまったら、もはや
KRAFTWERKは存在し得ないだろう。

考えてみれば
1987年にウルフガングフルーアさんが
脱退した時点で真のKRAFTWERKは
なくなっていたのかもしれない。
しかもその数年後1991年には
カールバルトスさんが抜けた。その時は
嗚呼もうKRAFTWERKはなくなるんだと思った。

しかし、そうはならなかった。
ちょうどその頃「The MIX」というアルバムが
発表された。当時はKRAFTWERKの久々の新譜
ということで興奮したことを覚えている。
「The MIX」は新曲ではなく既存楽曲を
ハウス系にアレンジするという試みだった
ので酷評も多かった。
しかし筆者はかなりツボにはまった。
特に合成音声による歌唱に身震いした。

KRAFTWERKはボコーダーでも有名だが
ボコーダー自体は人間の演奏によるもので
あり「The MIX」の合成音声歌唱は
全てプログラミングによるものであった。

(しかしKRAFTWERKの操るボコーダーは
現存するボコーダーの中で一番好き。
作品としては特に「エネルギーの声」※1)

「The MIX」の合成音声歌唱の音質は
現在の初音ミク等に代表されるボーカル
エンジンのように人間と見紛うほどの
優秀なものではない。
エッジの効いた矩形波とホワイトノイズ
だけの要素をフィルタ加工して造り出された
フォルマントを有し、人間の複雑な発声を
極めてプリミティブな形で再現させた
不完全で妖艶なテクノロジの雑駁さを持つ。

それは正しく筆者の標榜する姿だ。


The Robots (The MIX)




ラルフさんと共に創設時からのメンバーだった
フローリアンシュナイダーさんが2009年に
脱退された時はもはやこれまでかと思った。
しかしそうはならなかった。
ラルフさんはウルフガングフルーアさんや
カールバルトスさんが抜けた時と同様に
身内からメンバーを加えての盤石なる
四人体制とされた。

今やオリジナルメンバーはラルフさんしか
残っていないがライブで繰り出される音楽は
往年の楽曲がほとんど。
つまり1981年のコンピュータワールドを
ピークとした有名楽曲群がセットリストで
あり、それらの時代は上述の四人体制で
あったわけで伝説の1981年中野サンプラザ
来日ライブの通り、あの四人でなければ
KRAFTWERKじゃないんだ。

ラルフヒュッター
フローリアンシュナイダー
カールバルトス
ウルフガングフルーア


Pocket Calculator Live 1981



筆者は1981年、大学1年だった。
しかしKRAFTWERK初来日ライブには
行けなかった。
返す返すも残念である。





(※1)
1975年 アルバム「放射能」に収録された
ボコーダーで喋ってるだけの作品


the voice of Energy (Radioactivity)