2024/05/10

(No.2662): あしたの髪型

今日のお題はエフオピの髪型変貌について考える。
講演 エフオピ
筋書 エフオピ
お囃子 エフオピ
(TBSラジオ 小沢昭一的こころの物まねで)


わたしは男子高校だったんでありますが、
高校では鉄道研究部の副部長をしておりまして
そしてアマチュア無線や電子工作を
趣味にしておりましたので
週末は秋葉原に出かけることが多かったんです。

1970年代後半の秋葉原は
今と大きく違っておりまして、
電子部品屋さんやアマチュア無線屋さんが
それはもうたくさん軒を連ねていたんですね。

当時の秋葉原はパソコンのパの字も
アニメのアの字もない街だったですし
オタクという概念もまだなかった時代ですが、
確実にわたしは電子工作オタクでした。

そんな街に似合う髪型かどうかわかりませんが
わたしは耳が隠れるくらいの長髪でボサボサ。
クセっ毛なので伸ばすとウェーブがかかって
それを無理やりに七三に分けているんですから、
はたから見たらその髪型にこの顔ですから
さぞイヤらしい風貌に見えたかもしれません。
実際イヤらしかったので間違いではありません。


その後電子工作オタクが高じて
大学は理工系の電気工学へ進みます。
そして大学1年の6月にYMO/BGMを聴いて
強い衝撃を受けるんですね。
その影響で7月にはもみあげをバッサリと落とし
テクノカットにしてしまいます。
巷ではYMOに影響されて一時テクノカットの
若者が増えるんですがすぐに熱が冷めて、
皆んなサーファーカットに戻っていくんですね。
80年代初頭頃のことであります。

わたしはといえば今現在に至るまで
もみあげを伸ばしたことはありません。
世の中がどう変わっても
テクノカットの心意気でいる
という間抜けなことを続けております。


大学卒業後しばらくは「リクルート・カット」
を装いつつももみあげは落としているのですが、
20歳代後半からだんだん短髪になっていきまして
デップで髪をツンツンに立てちゃうんです。

30歳代は刈り上げにオールバックでした。
これもデップで固めてました。

40歳代はツーブロックを多用しました。
円形脱毛症がしばらく続いていたので
ツーブロック長い方の髪でハゲを隠して
中は過激な刈り上げにしておりました。

50歳代からは概ね現在のソフトモヒカン
になってまいります。
実は最初の頃は床屋さんで
「両サイドと後ろをバリカンで刈り上げ」
と注文していたのですが、
ある時「ソフトモヒカンですね?」
と聞かれましたので、そうか!
この髪型のことをソフトモヒカン
と呼ぶのかとそのとき知った
ということがありました。
へー、モ、モヒカンだったんだ
なんて感慨に耽ったりもしました。

そして60歳代ですが、
いっそ髪を伸ばして
前髪を垂らして便所の窓から
覗き込もうかと思っておりますが、
それはまた明日のこころだァーッ!
(TBSラジオ 小沢昭一的こころの物まねで)