2016/01/29

(No.2427): 物欲調停奇譚(minilogue困窮懇求編)


ハンドシェイクを省略したUDPは投げっ放しの一斉同報向きなのでオンライン対戦ゲームの被弾判定なんかで使われてるよたぶんこんばんわエフオピです。




次回以降に応ずるdeweyライブ準備の段粛々と。
既存楽曲あれやこれやと変げ変容の所作散りばめの、なを新たな曲の創作登場の在りや無しや。総じみて埋もれるべき音は埋め、掘り起こすべき音は救済す。日々是琢磨切磋(↑回転↓)。


折も折、昂じたる拙心の柱をも曲がらざるを得ぬ事象在らざる。
すなはち久しくの拙琴線の弾く此のシンセサイザーなるを獲得奪取すべくはその課題一覧を詳らかに作成し、リスクを並べマネジメントしながら臨むも、かの拙四輪フィアットパンダ100HP冷却水漏れ修理の業にていくばくかの財を投げ打ちかと云へば、他方に二十日前入庫せしむる拙二輪六級改号ドカテイM696の点検整備並びにスプロケチェーン交換の儀に向かひ、本日其の完了の報に接するもその対価に拙耳を疑ひし程なる財を釣瓶にとし、今此処に拙の懐は誠急に枯寂なりける。
従ひて拙高らかに云うなりしが此のシンセサイザー瞬く二台賄い程にして余り在る財を彼等に与えしも、拙如何の後悔も無やと。




(訳)
KORG minilogue欲しいけどクルマとバイクですっからかんもうダメだ。
一行で済む話だ。




2016/01/27

(No.2426): 九枚の話


コードサイニング証明書の署名アルゴリズムSHA1の有効期限は2015/12/31ですとっくに終わってますのでこんばんわエフオピです。



「私を構成する9枚」というハッシュタグに導かれ筆者も投降した。投稿した。



下記の番号順に徒然に想いを記す。
① ② ③
④ ⑤ ⑥
⑦ ⑧ ⑨


①:YMO / BGM (1981)
筆者大学1年のとき出会ったこの世界に入る切っ掛けとなった重要な作品。全曲大好き。楽曲制作、サウンドエンジニアリングを学び、多大な影響を受けた。永遠のバイブル。ちなみに「YMO/BGM」と同時期に筆者エポック的重要な作品は「スネークマンショー / 急いで口で吸え」であり9枚に入れたかったが次点。


②:細野晴臣 / フィルハーモニー (1982)
「YMO / BGM」同様に血肉となった作品。ミュージックコンクレートの要素を知る。「プラトニック」の鋭角なフロアタム音に痺れまくり、「お誕生日会」のレゾナンスの効いたチョッパー音反復に酔う。


③:KraftWerk / ComputerWorld (1981)
YMOがポリフォニックだとするとクラフトワークはモノフォニックが沢山という印象。色を学ぶ。この時代の4人が好み。クラフトワークと言ったら、ラルフ、フローリアン、カール、ウルフガングである。It's More Fun to Compute 同じく永遠のバイブル。


④:ハナ肇とクレイジーキャッツ / シビレ節 (1966)
筆者は生まれてはいたが当然リアルタイムではない。だって1966年だと3歳。ハナ肇とクレイジーキャッツの数多楽曲は筆者が大学時代になってから聴きまくった。当時世間的には特にリバイバルされていなかったが、テクノをやる一方で60年代のキッチュさにひれ伏す。そしてほとんどの曲を作詞した青島幸男氏の感性に脱帽。


⑤:所ジョージ / ジョージファースト現金(ナマ)に手を出せ (1977)
筆者中学3年のとき、ニッポン放送のオールナイトニッポン火曜日が所ジョージだった。まだあまり有名ではなかった。自作の変な曲ばかり歌ってたのが好きで躊躇なくお小遣いで買ったアルバム。1980年頃までのアルバムは全て買った。これ聴くと中三の頃の高校受験の思い出が巡る。


⑥:mouse on mars / Autoditacker (1997)
stereogimmikのedieから教えてもらったドイツのユニット。以来、盲信中。mouse on marsの音楽ほど筆者の嗜好のど真ん中を貫くものはない。(筆者の中ではYMO、kraftwerkをも凌ぐ勢い)何と言えばいいのか言葉では表せない標榜感を具現化した音像。しかも年を歳を重ねるほど、彼らの作り出す電子音楽の円熟さは見事と言うほかない。音の配置(帯域、質感、バランス、奥行き、メロディ、リズム)が絶妙。そしてずば抜けてグルーヴが違う。


⑦:Visage / Visage (1980)
UK発ニューロマンティックの祖。Visageも大学時代に聴きまくった。ミッジユーロ氏在籍時が熱い。「Moon Over Moscow」、「Mind of a Toy」が好き。そして2014年の初来日、まさかスティーブストレンジ氏を生で見られるとは。しかもそれが最初で最後の来日となってしまった。ご本人とVisa-ageなどと並唱できたことは一生の宝。


⑧:平沢進 / AURORA (1994)
筆者はP-MODELよりはソロの方が好み。「広場で」は秀逸。やはり平沢氏は平沢節に尽きる。特にソロは今も昔もパッド、ストリングスを多用しておりそれに相まって平沢節の”旋律”や”譜割”によっていわゆる電子音楽やテクノというカテゴリではなくつまり「ヒラサワ」というジャンルになる。(妄想)


⑨:RCサクセション / PLEASE (1980)
こちらもよく聴いたのは大学時代の80年代前半。このアルバムくらいから注目した。まったく電子音楽の要素は皆無だが、何故だか忌野清志郎氏の歌唱(声と歌い方)と詞に惹きつけられた。当初は変わった歌い方をする人がいるバンドという印象だった。筆者はいわゆるロック系のギターバンドは好きではないのだが、例外もある。2009年5月9日のAOYAMA ROCK'N ROLL SHOWには弔問した。



2016/01/25

(No.2425): 冷却水のキミ(入庫の巻)


前回までのあらすじ

上記のリンクにある通り昨年の5月上旬に発覚した我がパンダ車のところのFIAT Panda100HP何某左衛門の冷却水漏れ?漏れてる?のか案件。
しかしこの時は漏れ箇所の特定に至らず、また急を要するほどでもなかったため冷却水を随時補給しながら、あの真夏炎天下を走り抜け、その紅葉の山麓を巡り、そして雪もちらつく今日この頃までそこそこの体でやってきたのだった。


ところが先週末、2週間ぶりにパンダ車のボンネットを開けたてぇやつで。その冷却水リザーブタンクのミニマム線よりもさらに下方に落ち込んだ赤い冷却水のキミの水平線を見るや否や思わず 何ツ!?と叫んだと思いねぇ。
そのまま踵を返すが如くエンジンの下を覗き込むならば、地面に直径30cmになんなんとする水たまり然とする沁みの水の沁みのキミを確認するため、クルマをちょいと動かしてその水たまりを観察すれば、僅かに赤みのある濡れ縁の指で触ればこれは紛う事なき冷却水のキミであることは間違いなし。

とはいえ普通に走行できるうえに水温計の温度も普段と変わらずではあるが、これはもはやフィアット屋さんへ行かねばなるまい。いつまでも冷却水と鬼ごっこをしているわけにもいかず、まして長距離走行時にいっそドバーっと冷却水が大漏れになってもマズイわけである。

ドバーッで思い出した。



ココデ回想
1983年くらいに1975年製初代ミツビシセレステに乗ってたときのこと。
走行中に冷却水が車内にドバーっと漏れたことがあったよ。熱くてねーあっはっは、あんときは緑色だった。バスクリンみたいなやつね。
同乗の友人は大ウケで、っていうか熱い熱いって笑いながら。何なのお前のクルマーとか言って。車内はもう熱いの臭いのでしかも当然オーバーヒートになりつつあって路肩に停めて、近所の家からやかん借りて水を足して、
そうそうしかもそのやかん借りた家のおじさんがすごい親切でねぇ、ちょっと見てやるといって懐中電灯(夜だった)もデカイの持ってきてくれて、ボンネット開けて、車内へ向かうラジエーターホース(ゴム製)を切って車内に行かないようにU字にまげてまたエンジン方向へ戻す的な応急処置をしてくれたんだった。
だからそれ以来、暖房なしのクルマになった。
当然冷房もないよ。ハナッから。

回想オワリ



話を戻そう。
ちなみにフィアット屋と呼称しているが、実はこのお店はフィアット専門ではなくイタフラ屋(イタリア車とフランス車)さんなんである。でもショールームの方はほぼイタリア車な感じ。工場の方の事務所内には普通にセレニアとか置いてあるし。
(セレニア=フィアット、アルファロメオの指定エンジンオイル)

そのフィアット屋さんの顔見知りのメカさんにジャッキアップして診てもらう。アンダーカバーを外したら、冷却水でびちょびちょだった。とはいえ圧をかけても漏れ箇所を特定できないのでテッテテキに調べますとのことでパンダ車を預け入庫。



翌日早くにフィアット屋のメカさんから入電。漏れ箇所がわかったとのこと。

「ラジエータからエンジンへ向かうパイプが漏れていました」
「あーそーでしたかー、わかってよかった(また昔の二の舞になるかと)」
「その場所に手が入らないので交換するにはマフラーへ接続してるエキゾーストパイプを外さなければならないんです」
「はー、そうですか」
「それでですね、お見積りなんですが、そんな作業もありますので部品工賃込みで○万○千円くらいになります」
「え? も、申し訳ありません、き、聞き間違えたのかもしれないので、も、もう一度お願いします」
「○万○千円くらいになります」


私のKORG minilogueは完全に雲散霧消した。



2016/01/21

(No.2424): いつもの僕4(突飛なライブ告知含)


( 前回のあらすじ前々回のあらすじ )


少なくとも昨年の夏頃までは、殴り書き形式文法放物線投棄式にて拙ブログには憚りなく文章を好き放題投げ込んでいたのだが、ダッシュボード画面で確認する昨今のページビューの多さに、ちょまってちゃんとしますからちゃんとしますからなどと一見猛省の体で臨んだのだが筆の進みは遅々となりそのうち、いい加減おめぇいい歳ェをぶっこいて何ィを書いてやがんだてぇげぇにしねぇってぇとケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯がたがたいわすぞというツッコミがいつ来るのかと震える日々でございますこんばんわ。

アラカジメ申し上げておきますが今あなたが読んでいるこの腐文章は完全なるフィクションでありナンセンスであります故何卒ご容赦のほどオン願い上げ奉りながら今夜もご覧の通りの一方通行進入禁止的文法放物線投棄式IIを発動しておりますエフオピです。

曾祖父の遺言で書いた文章は見直しません。一切。


「然しキミ、何だよ、KORG minilogueの咄だがね、久し振りにさね、僕は琴線が弾かれた想ゐだよ、
然しキミ、在れだよ、その身代なんだがね、嫌ァそんなべら棒(べらんめぇあたぼうよ)な身代ではないんだがね、さうさね僕は弐円七拾伍銭程と想うんだがね、
けれども然しねキミ、僕の大型自動二輪の六級改号のさね、メインテンナンスにさね、さうさね僕は伍円八拾銭は下らねいと想うんだがね、
其れで以ってねキミ、つまりかう云うことだよ、富士ロツクの切符だのとも兼ね合ゐのだね、い々かひよほくお聞きよ、併せ持ったてぇ奴にだよ、
其の総払いのだね、い々かひ氣をしつかりとお持ちよ、拾参円八拾五銭てぇ塩梅に成りやしなゐかとかう想ふんだがね、だうだろうか」

一気にまくしたてた晃一郎は懐からしわくちゃになった一枚のガリ版刷りの半紙を取り出し、目をぱちくりさせている吉之助の顔前へ突き出した。
その掠れた印字にはこう書かれてあった。


dewey [デューイ]  ギャニュ式電子音塊拡唱会

とき  2016年3月4日 金曜日
ところ 大宮 ヒソミネ

詳細追って報べし





2016/01/19

(No.2423): 1月18日(月)雪のち晴れ


朝起きたら雪がたくさん積もっていました。雪は雨に変わっています。朝のテレビニュースでは各鉄道は間引き運転にて駅は混雑していますとの報せです。
とはいってもそれほどでもないだろうと何を根拠に思ったのでしょう、いつも通りの時間に地元私鉄S鉄道のH駅へゆくと既にホームは人だらけ。通常10分でJR中央線K駅に着くのに今日は30分以上もかかりました。
K駅に着いたら乗り換え改札が閉鎖されていて一旦改札の外へ出ろとの案内です。あたりはものすごい大勢の人でごった返しています。JR上りホームへは少しづつ人を入れているらしく改札前、いや駅構内、いや駅の外まで長蛇の列です。
詰みました。

どうしようもないので一旦帰ろうとまた私鉄S鉄道ホームへ行きました。しかし一向に電車が来ません。ホームの寒さに耐えられず、もう駅の外に出て喫茶店でも入ろうと思いました。駅ビルのコーヒーショップは当然満席、パン屋にすら逃げ込む人多数です。
外は冷たい雨が降り、雪がシャーベット状になって靴に沁みます。とても寒いです。
行くあてもなくふらふらと、いやぐしゃぐしゃと歩いて気が遠くなりかけたとき私鉄S鉄道K駅南口行きのバスが停まっているのを見かけました。
あれに乗るのだとダッシュしてどうにかバスに乗車。とりあえず暖を取る目的のみでバスに乗りました。

しかもバスは意外にも空いており座れました。バスに揺られながらあー生き返った助かったと虚ろな目で景色を眺めました。そうか、私鉄S鉄道K駅からSS線でJR山手線のT駅へ行けるじゃんこのルートで行こう、と決めます。

私鉄S鉄道K駅から乗車。ホームもそれほど混んではいませんでしたが電車はぎゅうぎゅう詰め。準急でしたが、雪のため+急病人発生などの影響で各駅の停車時間が大変長く且つノロノロ運転です。
普通ならJR山手線のT駅まで40分程度のはずなのに、結局1時間30分はかかりました。

ようやく仕事場へ到着したときは昼の12時でした。4時間もかかりました。うへー。












(この文章は2308年イタリア北部カ・ディ・セッラ地方の21世紀の地層から発見されたポリカーボネイト板に原始的なポラリ語の一種で書かれていた文字を現代語に訳したものです)





2016/01/17

(No.2422): 1/15 deweyライブ後記(健忘編)


予定調和的しどろもどろMC中に曲が始まるというタイムライン一式完全セット方式ライブは無事終えた。dewey結成10周年の年、一発目ライブ終了。
今回も新たにお知り合いになれた共演者様やお客様方々に、ライブを重ねる度に斯様に認知の輪が広がるというのは誠に嬉しいことである。

今回は平沢さんカバーはやらず全曲オリジナル楽曲だったにもかかわらずdeweyを一聴された方からP-MODELやソフトバレエよりのサウンドですねというご感想を頂く。本人たちはあまりそのような匂いはさせていないつもりだったのだがわかる方にはわかってしまうのかと驚いた次第。
しかもその方はmouse on marsもご存知で久しぶりにお話が合う方に邂逅した。


ところで先の拙ブログでも書いたようにdeweyライブでは映像も同時に垂れ流しているのだが、今回はライブハウスの設備的事情でスクリーンではなくステージ全体に映す式であった。そのため投影されている映像がイマイチわかりにくかった。一応、我々のライブは音と絵の両方を混ぜて創り出しているという都合もあり、このあたりは我々の会場ハードウエアの事前検証が不十分だったことが原因である。
ちなみに映像もエフオピ側MBPから出力するのでステージからPA席にあるプロジェクタまでケーブルを這わせる必要がある。今回は上述の設備的事情から演者側が映像ケーブル用意することになっていたため20mのVGA映像ケーブルを持参した。

deweyの前に演奏されたjeuli joieさんは背景に白い布を設置し映像もちゃんと映るうえに見た目にも世界観を感じられる演出にもなっていて良い手法だと感心した。jeuli joieさんはサウンドも洗練されており、透き通るボーカルで素敵なライブであった。



そんなライブ翌日、機材の確認をしていたらその映像ケーブルまるごと、ライブハウスへ忘れてきたことを思い出した。



演奏もしどろもどろなdeweyのぼくら。
今年もよろしくお願いいたします。




そーいえば、出演者全員揃って顔合わせのときブッキングの方にデウエイ?とか紹介されてデューイですなどとこちらが言い直すことも一度や二度ではありません。やはり発音がわからないらしい。
カタカナ表記もオフィシャルに載せるかいっそ今年もよろしくお願いいたします。





2016/01/13

(No.2421): deweyライブの戯法(1月15日編)


レーベル運営資金捻出労使契約先の元旦ばたばたからのクライアントほぎゃーどわりゃーからの明けて今週も別件の諸事対応びゃぎゃびゃぎゃーにて禿げそうです禿げあがりそうですこんばんわエフオピです。
今年も飛び切り読みにくさを標榜します。


さぁ、ところで今週の金曜日1月15日はdeweyのライブなんです。
deweyライブではほぼ毎回セトリや仕込みも含めて変化させております。若干だったり大幅だったり。今回も旧曲のリアレンジを含め新しい音もなんやかやと加えております。

ところで、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますがdeweyのライブは映像と同期しています。
ライブ時にスクリーン等に投影するあの稚拙映像です。どのように同期しているのですかというご質問も稀に頂くわけですが、簡単にお話しますとコンピュータ上で音と映像を同じタイムラインで処理しているのです。さらに言い募るとするならdeweyライブの一番の特徴はスタートしたら止められないということなのです。それはライブ全体を一つのタイムラインで構成しているためです。
とはいえ、MCがあるセットの場合は一旦コンピュータを止めて、しどろもどろへどへどMCをやってから再びスタートさせる式なのです。しかし今回1/15ライブはほげほげMCの時間も含めて全てコンピュータ上のタイムラインで突き進む式をやってみるのです。
ですから全てにおいて「尺」が決まっているわけです。

予想:しどろもどろ中に次の曲が始まる式

という塩梅式。面白いよー
そんな面白いライブのお知らせ


2016年1月15日(金)
四谷Lotus

【NONSTOP CIRCUS vol.6】
OPEN 18:00 / START 18:30
前売¥1500 / 当日¥2000(ドリンク代別途¥600)
出演:
She,in the haze
ザ・モンキーフリップス
Jeuli-Joie
LVA HELA
dewey


deweyは3番目 19:40からです。
さぁいっちょうヴァァーっといくかー(出展:植木等先生)



2016/01/08

(No.2420): 年始苦行の巻


2016年1月1日
昼過ぎに筆者iPhoneに着信。番号のプリフィックスは見覚えのある番号。え、仕事関係の番号だ。一体なんだろうとおそるおそる出ると仕事関係Mさん。明けましておめでとうございます本年も宜しく云々などとはじめるもんだから何?わざわざ年始挨拶で電話してきたのか、と一瞬たりとも思った自分を20秒後に呪うハメになる。
緊急事態につき仕事場へすぐに来てくださいいいから来なさいっていうか来い。

出社後慌ただしく諸々調査などを行い事態は収束に向かった。しかしすっかりと収まるにはまだ数日いや1週間以上はかかるだろうかと思いつつも手順さえ確立したのであとは任せれば年始始業までには落ち着くだろうと夜に帰宅した。でもこのあといろいろありそうな予感。


1月5日
年始始業真っ先にクライアントへ状況報告を兼ね電話しつつ内部では対策会議を開き年明け早々フルスロットル状態。クライアントへの報告書を書き上げ上層部へレビューをかけるが、報告書のある部分を削除しろとの命令がくだる。
御意と答えたものの、上長とここを削っちゃったらまずいよねクライアント気付いたらやばくねなどと危惧しながらも、クライアントへは早く提出しなければならないためメールで投げる。


1月6日
昼過ぎ、クライアントから入電。報告書から削除した部分の内容についてなぜその部分が書かれていないのかと叱責を受ける。
いやー書いてたんですけどね上から書くなって言われたんで消したんすよぐへへへへなどとは口が裂けても言えないので、ただただ頭を垂れるのみ。
上層部へ報告。クライアントは一瞬で気付いてさんざん問い詰められました。仕方がねぇなぁじゃぁ書いていいよと抜かしやがるので御意と答える。ちゃんとあーしてこーして再作成した報告書を送る。


1月8日
クライアントにてご報告会。うへへへへ、くわきゃっーくわっきゃっきゃ、どわひひひ、ぐしゅーん、ぼろんーぼろぼろーん、ぷしゅ
無事終わる。





2016/01/04

(No.2419): 生誕私信 (脱力編)


一月の四日、艾服に三つ歳を重ねる。
これを読んでいる諸君。この屑 糞ブログッヘンモルゲーヘンを書き殴っているdeweyのエフオピという輩は、諸君のお父さん達と同じ世代だということを知っているか。
よっく考えてみたまへ。君のお父さんが奇怪な機械を装着した立て襟軍装を纏い、得体の知れぬ電子音塊をこねくりまわすアンダーグラウンドなライブ活動に日夜励んでいるとしたら。
諸君らは一体どう思うかねこんばんわエフオピです。

筆者がテクノ、エレクトロニック系音楽をやりはじめた35年前、その当時一緒にやっていた仲間で未だに音楽をやっているのは誰一人としていない。
みんな堅気になってしまった。つまり未だにこんな”面白い”ことやってるのは筆者だけだ。ざまぁみやがれ。

なんて愉快なんだろう。



2016/01/01

(No.2418): 2016年 新年のご挨拶


五十路を二つも三つも超えつつあるというのに未だうだつの上がらぬ否今後も決してうだつは上がらぬであろう落ちこぼれ的特性を持ってして相も変わらずビャビビャビギャニュギャニュピギーみたいな電子音をこれでもかと無表情でやってるオッサンに私は成りたい否既に成っているです謹賀新年。

というわけで本年もまっこと読みにくいこの日本語文法放物線投棄式文章を目がチカチカする感じで書き殴る所存にて2016年もdeweyを隅から隅までずずずいっとお引き回しの上回して回してオン願い上げ奉り候由。




昨年の正月号に続き 2016年 新年特別企画
スタジオF.O.P.の卓 接写






新年特別企画 第二弾
2016.01.15 ライブフライヤー