80年代からテクノ音楽の道を突き進んでいる筆者がoasis live '25 東京ライブ二日目にチケットがないにもかかわらず東京ドームへ行った。
oasisとして来日しているその現場へ行ってみたかった。
2024年にoasis復活を知り世界ツアーで日本にも来る。それから1年の間壮絶なチケット争奪戦が繰り広げられた。しかしチケットは最後まで取ることができなかった。
筆者はoasisのライブを何回か観た。最後に観たのは2009年のフジロック。その直後ギャラガー兄弟が喧嘩別れしoasisは解散。それが2024年に再結成し2025年に16年ぶりにoasisライブで世界ツアー。
なぜテクノ人である筆者がこのギターロックバンドに心を寄せるのか。筆者はテクノ人ではあるが、テクノばかり聴いているわけではない。
そもそもクレイジーキャッツは大好きだし、所ジョージのLPレコードは全部持っている。きたやまおさむ氏のバンド「自切俳人とヒューマンズー」の「世界は君のもの」というへんてこフォーク曲は筆者のアンセムの一つといっても過言ではない。
といったようにテクノ以外の音楽もよく聴く。oasisが上述のアーティスト達と音楽性が全く違うことは承知だが筆者の感覚としてはあまり違いはない。
しかしoasisは決定的に他の追従を許さない魅力があると筆者は想う。
それは「Authenticity」である。
筆者にとって理由は大きく2つある。
一つは兄ノエル・ギャラガーの天才的な作曲能力と、弟リアム・ギャラガーのカリスマ歌唱というギャラガー兄弟の持つ稀有な「本物の」才能だ。
oasis楽曲はノエルのソングライティングの良さに尽きる。oasis楽曲はブリットポップとも呼ばれておりシンプルなコードなのにそれに乗るメロディがとても印象的。耳に残る魔法の旋律ばかりだ。
それをリアムが独特のマンチェスターなまりで歌い上げる。後ろに手を組んで上向きで歌うポーズはリアムのアイコンだろう。リアムの声がまたいい。
ノエルさんの歌も好きだけどね。
二つ目はギャラガー兄弟の歯に衣着せぬ物言いや素行の悪さといった「本物の」不良性だ。荒ぶれ方は日本だったら完全アウト、今のコンプライアンスばりばり引っ掛かるやつばかり。50歳を越えてなお彼らは本物のマンチェスターバーネイジの不良だ。
品行方正を求め過ぎ、良い子を演出するあまり何の魅力もないスポンサーの言いなり音楽・バンドではない。
さらに付け加えるなら労働者階級出身のギャラガー兄弟が音楽で金儲けをして成り上がったところ。
今回のツアーチケットも目ん玉が飛び出るほどの高額なシート席もあるし、大量の物販は完売の嵐なのだから。アディダス等企業とのコラボ商品も高価なものばかり。関係者、企業が多いのでそれぞれ配分されるのだろうが全体の市場規模は莫大だろう。
oasisは金になると企業は群がる。そんなズブズブをギャラガー兄弟がどう思っているかは知らないが、世界ツアー全売り上げは小国の国家予算並に及ぶのは想像に難くない。
こうした状況はすべてギャラガー兄弟の特異な存在によるものでその存在は「本物性」ゆえなのではないかと思う。
良い悪いは関係なく。
本物は魅力的だ。
