2023/02/11

(No.2635): みんなで曲作り(80s)

1980年代、筆者が20歳前半の頃、バンドとして共作曲を作る場合
バンドメンバー皆んなが集まってわいわいと曲を作っていた。
現在でもそのような形態で作曲をしているバンドもあるのだろうが、
ネット時代になってからは曲データを共有して作っていく方式になった。


そう、今思い返せば、あれはひどく楽しい時だった。

集まる場所は、録音機材が置いてある筆者の部屋だった。
録音機材は初期の頃は4トラックのカセットMTRだった。
(数年後には8トラックのハーフインチテープMTRと
16ch-4busのコンソールミキサーも導入した)

共作曲作りは主に二通りあった。
ひとつは誰かがベーシックな曲の骨組みを作って来て
それをMTRに録音し直しながら、みんなで音を足していったりするやり方。
もうひとつは、みんなでわいわいやってるうちにその場で曲が出来てくるやり方だ。

ベーシックな曲を作ってくるといっても、現在のwavのように「データ」ではなく
良くてカセットテープに一発録音してきたり、
あるいは「こんな感じのやつー」とか言ってその場でシンセ弾いたりして
皆んなに聴いてもらうなどだ。

筆者が関わった共作はどちらかというとその場でできた曲が多い。
ちなみに、1983年〜84年当時の筆者所有シーケンサーはSH-101内蔵の128音記録の
ものしかなく、しかもテープ録音した音と同期ができなかったので
ドラム以外は基本的に全て手弾きだった。


誰かがリズムマシンで何か打ち込んでいて、「それいいねー」とか言いながら
別の奴がシンセでベースを弾いたりして、うひゃひゃ言いながら録音する。

カセットテープに録音するから、あらかじめ曲の構成を決めていないといけないのだが
我々の共作の場合はけっこう適当で、リズムマシンは8小節ループで延々録ったりした。

曲の構成は一応紙に進行を書いていた。とはいえ楽譜は書けない。
長方形の箱の絵を横に並べていく図。今でいうDAWのGUIのようなものに近い。
箱の絵の中にAメロとかサビとかAm とかコード書いたり。
箱の絵の右上に小節数を書いて。

そして今と違って、4トラックしかないので、録音できる音数が少ない。
4つのトラックを皆んなで工夫して音を足していく工程も面白かった。
たくさん音を入れたいから如何にトラックを空けるか。

トラック1:リズムマシン、トラック2:ベースを録ったら、
トラック1と2をミックスしてトラック3へバウンス録音して
空きトラックを作る。
でもあとでベース直そうと思ったら最初っから録り直しになる。
現在じゃ考えられない不自由な非合理性。
今ならcommand+Z(Ctrl+Z)で元に戻るし夢のようだね。



曲と並行して詞もその場で作ることもあった。
1984年に作った「minca」という曲の詞には「絨毯のキノコが 血を吐く民家」
というくだりがあるのだが、これは当時mincaを作っている時
筆者の部屋の絨毯があまりにも汚くてキノコでも生えてそうな状態だったことから
作詞のT氏がその場で思いついたフレーズだった。

ちなみに、1995年に「minca」をセルフカバーした際、筆者が詞のいくつかの
箇所を書き直したので「絨毯のキノコが 血を吐く民家」は
「絨毯のキノコが 身を剥ぐ民家」に変わった。
「絨毯のキノコ」は気に入っているのでそのまま残した。



今思うと、バンドメンバーがリアルタイムでその場で曲を作るという行為は
なかなか刺激的で興味深く面白い方法だったなと思う。
ただし、時間はそれなりにかかった。だいたい毎回徹夜が普通だった。

今ならスタジオを数回押さえて時間決めてやればできなくもないかな。。







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