1985年4月、筆者は大学を卒業して音楽活動は継続しながら某有名電機メーカーへエンジニアとして入社した。バブル前夜であり今でいう働き方云々などという概念は鼻くそほどもない時代である。
その会社は労働組合が巨大で大変強い力を持っていたので一般社員への無理な労働は常に監視されていた。にもかかわらず、筆者の所属部署は最前線の重要部署だったので、組合の監視からは特別に除外されていた。従って残業、休日出勤は当たり前だった。
一般の勤務時間は8:20~17:20。17時半には帰れるなんて夢のような話だ。
筆者の部署は8:20に出社し、16時を回ると課長が残業申請のマークシートを課員へ配り出す。
労働組合が厳しいので、残業するのも勝手にできない。あくまでも社員の意思として残業を「自主的に」申請するという規則なのだが、筆者の部署はそういうのが除外なので社員の意思は関係ない。
課長から「5.0つけておいて」などと指示される。5時間残業しろという意味だが、途中夕食食べる時間があるので23時頃まで残業しろということだ。
17時近辺になると出前を取る夕食のメニューが回ってくる。夜は彼女とデートなんで帰りたいですなどという状況は絶望的だった。
5.0ならまだいい。ギリ帰れるから。21時を過ぎると毛布を支給される場合がある。徹夜で仕事しなさいということだ。
さらに過酷なのは、土曜、日曜だ。
金曜の16時になると金曜の残業の他に土曜の分と日曜の分の2枚の休日出勤申請カードを配りだす。「土曜は8.0、日曜は5.0でいいや」などと課長は平気で言う。土曜は8時間出勤、日曜は5時間出勤でいいや、いいやじゃねぇだろこのタコ!
今思えば、時代背景にもよるが長時間残業や休出が常套手段となっているのはプロジェクト計画が正しく機能せず破綻していたのだろう。
そんな生活も10か月ほどして筆者は我慢の限界に達し、直属の先輩上司と胸ぐらを掴みあうほどに大喧嘩をやらかした。生意気にもまだ入社1年も満たない新入社員の分際でだ。
喧嘩のきっかけは、筆者が残業をやらずにブッちぎったからなのだ。
地方の支社工場から年配の技術者の方がこちらへ泊まり込みで仕事に来ており、筆者はその方とペアで仕事をしていた。
その日はどうしても定時で帰りたくて、年配の技術者の方へ相談したら、「ああーいいすっよ帰って。大丈夫やっておきますから」とおっしゃったのでお言葉に甘えて定時でサクッと帰ったのだ。
その翌朝のこと。先輩が血相変えて筆者の席に来て、「昨日何で帰った!○○さんが来てくれてるのにお前何考えてんだ!バカヤロウ」などと大声で怒鳴った。
若気の至りで売り言葉に買い言葉、筆者は瞬時にキレてしまい「毎日残業で土日も休みもねえ!あんた、こんな状況おかしいと思わんのか!バカはお前だ」的な感じでこちらも応戦した。
おまえ仕事を何だと思ってるとか言われつつお互いが胸倉を掴むことになり係長が間に入って収まったが、100人いるフロアが騒然となり、なんだなんだどうしたと大変な騒ぎとなった。
その翌日、辞表を課長へ出した。そうしたら課長が「お前、甘いんだよ、まだ学生気分なんだ。辞めるなら次決まってからにしろ」そう怒鳴ると辞表を目の前で破った。
まるでなんかのドラマを見ているようだった。ほんとうに破るんだ。
残業と休出で月に150時間以上はあっただろうか。そのおかげで給料には残業や休出分は正しく反映されており、かなり高給だった。おそらく当時の理系新卒の中でもだいぶ高かったと思う。
紆余曲折あり結局、1年も待たず11か月と少しでその会社を退職した。課長から「お前みたいな奴初めてだ」と言われた。
当然退職金はないけれど11か月分の給料は使う暇もなかったのでだいぶ貯まっていた。
1986年、Oberheim Matrix6を買う。即金で。たしか24万円くらいだったと思う。
楽勝で買えた。
ようやくOberheim Matrix6が出てきたね。
この話の続き、てか本題は次のお話ってことで。じゃね。