2019/11/16

(No.2582): クルマ奇譚(スズキ フロンテクーペGXCF 編  加筆修正版)

▪️
高校を卒業する春、普通自動車運転免許を取った。
大学生になってしばらくは
実家のトヨタ チェイサー(オートマ)を運転していた。
こんなじじくさい車は嫌だ、
もっとヤングな女の子にモテるクルマに乗るんだ!
と、所謂80年代初頭の勘違い大学生は
自分のクルマに想いを馳せていた。
当時、日雇いで割の良い体力系バイトが
いくつかあったのでそれでお金を貯めて
セリカでSOLEXの4連キャブみたいなアレで
と妄想は膨らんだ。

大学の講義中、中古車情報誌を読んでいたら
なんとも格好良いデザインのクルマが目に止まった。
スズキ フロンテクーペGXCF

360ccの軽自動車!
ぜんぜんセリカと違うが何故か惹かれるのだった。
デザインはあのジウジアーロじゃないか。
一目惚れ。
エンジンは3気筒3連キャブ水冷2サイクルエンジンをリアに積む。



地元の同級生友人Nにもこのクルマかっこいいよねー
という話をしていたらあるときそいつが来て、
隣市の中古車屋にこのクルマ24万円で売ってたぜと言うのだ。
「見たい!いやちょっと待て今ちょうど1万円あるから買いに行こう」
「ほんとに?1万円ってこれ24万だよ」
「なぁにげっぷをやるんだよ、げっぷをな」
「おまえ、月賦やったことあんの?」
「ないけどさ、なんかアレだろ月払いにするやつだろう」
「あんた大丈夫?」
「ぼく、大丈夫」 
と幸宏さんのアルバムタイトルをからめて
1万円握りしめて買いに行ったのが、
筆者の最初のクルマだった。
車の購入費用には車体価格以外に車検整備代や諸経費、
税金などがかかることをまったく知らずに。


くだんの中古車屋さんは店長のおじさんが一人で経営していた。
数台の軽自動車や軽トラなどを並べて修理と販売をしている
どこにでもある町の中古車屋さんだった。
そこに赤というか汚いオレンジというか厭らしい色の
フロンテクーペが展示してあった。

勢いで来店てしまったものの、さすがに18歳の青年が
自動車を契約するのには些か躊躇がいった。
そのお店の事務所で車のことを聞いていたら、
外に展示してあるフロンテクーペを見ている通行人が現れた。
そうしたら店長が、
ほーら、また見に来たでしょ。
売れちゃうんだよねああいう車はすぐに。
と畳みかけるので本能がかかか買います月賦で!
と軽快に初車を契約した。
全部でいくらしたか覚えていないが
本当に24回払いで買った。
未成年だったので親の承諾か何かが必要だったはずだが
どうにか取り付けたのだろう。


1972年製スズキ フロンテクーペGXCF
実に良いクルマだった。
このとき1981年の6月頃か。
元の色はあずき色だったのだが前のオーナーがオールペンしたようだ。
事故車だったのか、左側フェンダー部だけ微妙に色が違った。
それがまたオツだった。

車高が低く、まるでゴーカートのようだった。
ほぼ2シーター。一応後部席はあるものの大人4人が乗ると
後ろの人は拷問を受ける。

2サイクルなので常にエンジンオイルを常備して
補充しながら走る。
筆者はフロントグリルを外し、
金網を黒く塗装したものを自作し装着していた。

エアクリーナーも楕円形のやつ(中身はスポンジ)に変えたり
プラグに装着して火花の威力をあげる的なパーツなどをつけてた。
あと、排気音を変えるためのマフラーの中に突っ込む筒状のやつとか。
 思い出した!あと、薄いピンク色の絨毯を敷いて土禁
(土足厳禁)にしてた。最高にダサい。

ローンが終わるか終わらないかの頃合いに
親の知人がトヨタマークIIを廃車にするというので貰い受ける。
フロンテクーぺは、友人Tに3万円で売った。



1983年ころ? 
写真は友人Tに売った後の実車で
アヴァンギャルド温泉旅の帰り道だと思う。
落ちてた傘をさしてテクノ音楽のことを考えている若き筆者。





0 件のコメント:

コメントを投稿