2026/04/25

(No.2695): クルマ奇譚 第18話(フィアット パンダ 13909 - 継続中 - 編)

 前回のあらすじ


フィアット パンダ 13909、2018年7月納車。
3代目パンダ、いわゆるパンダ3だが、別名パンダ13909と呼ぶ。13909とはこのパンダの車体型式番号であり、ABA-13909というのがパンダ3の番号だ。筆者のパンダ3は「Panda Easy twinair」が正式名称。色はモードグレー。




現車については何度も当ブログで紹介しているのでここでは特徴や印象や思い出を簡潔に書くだけにする。

デュアロジック
デュアロジックとはPanda Easyに搭載されている自動シフトチェンジ機能のことだ。このデュアロジックというものがPanda Easyの最大の「鬼門」である。詳細は拙ブログ記事の「(No.2661): フィアット パンダ3 の鬼門」をご参照あれ。


Panda Easyのトランスミッションは5速のマニュアル・トランスミッションである。が、クラッチのない2ペダル・マニュアルである。上述のデュアロジックという機構で、いわゆる「オートマ」運転が可能となっている。が、オートマチックモードはえげつないほどギクシャク運転になってとても酷い。なので筆者はオートマチックモードで運転することはほとんどない。

トランスミッションはマニュアルなので、「クリープ」がない。筆者はこのクリープがないことが大変気に入っている。マニュアルなんだからクリープないに決まってるけど。
見た目はオートマだが、当然「D」レンジはない。あくまでもマニュアル車でありギアは1速~5速と後進1速となっている。

筆者は必ずマニュアルモードで運転する。そうするとクラッチ操作のないシフトギアチェンジとなる。ただギアはUP/DOWN式なので、マニュアル操作のように「H」型のシフトパターンではないが、それでも圧倒的に運転しやすい。

せっかくマニュアルトランスミッションなんだから、デュアロジックなんて取っ払って欲しい。デュアロジックからマニュアル車変更キットなんてものが売り出されたら絶対買うのに。借金しても買う。



スクワークル
スクワークル」を基本とした秀逸なデザインが魅力。車体フォルム、ボディデザインに限らず、ライト類、インテリア、ステアリング、ダッシュボードの下地に至るまで徹底的に「スクワークル」を基本にデザインされている。とても魅力的なかたち。



0.9L ツインエアエンジン
このクルマの最大のポイントで筆者の一番のお気に入り。それはtwinairエンジンだ。
875cc 直列2気筒 8バルブ SOHCターボチャージャー。
875cc、2気筒!
今時2気筒エンジンって。すごいでしょ?最高過ぎるよ。しかも排気量は875cc。筆者が前に乗っていたオートバイの排気量は900ccだったからそれよりも小さいのよ。
エンジン音もトラクターのようでかっこういい。ガラガラガラガラ。

そしてこのエンジンにはターボがついている。これがまた粋なのだ。

Panda Easy twinairにはフィアット パンダ100HPと同じように、エンジン性能切替ボタンがある。エコモードとノーマルモードという組み合わせだ。
エコモードは、875ccだよねーと思わせるもっさり感のエコ走り。ノーマルモードに切り替えると、100HPのスポーツモード並(とまではいかないが)の加速が発生する。これ875cc!?2気筒!?ウソだろ!と絶対思うほど。逆にこの加速がノーマルモードなんだ!



フィアット公式からの取材
2020年、パンダリーノ主催のYさんの縁でフィアットジャパン公式サイトから取材を受けた。当時は時節柄もありリモート取材だったが、今思い返しても恥ずかしいほどの饒舌ぶりでフィアット愛を語ってしまった。そんな思い出。
出会うべくして出会った、Pandaとの日常



現状
2026年4月現在、Panda Easy twinairに乗って今年の7月でまる8年になる。いまのところ、大きな故障もなくきわめて快調である。鬼門であるデュアロジックもいまのところは問題なさそう。走行距離は5万6千キロ。
そして、車検やメンテナンスは様々な状況を勘案し、S区フィアットディーラーからK県にあるフィアット専門ガレージDさんへ移行した。筆者圏内からかなり遠いのだが腕は確かでとても誠実な印象。


フィアットはもうtwinairエンジンをやめてしまったし、現行フィアットには琴線に触れる車種は皆無だ。
琴線に触れるのは古い車ばかり。今後の車歴がどうなっていくのか。あたしにもわかりません! おしまい。


(車歴に追加があったらまた続く)


車歴参考年表




2026/04/24

(No.2694): クルマ奇譚 第17話(フィアット パンダ 100HP 編)

 前回のあらすじ


納車まで一度も現物を見ずに、乗らずに、納車日に初めて本物を見た。という買い方は2回目だったが、一目見るなりやっと想い通りの車に出会えたという喜びがあったフィアット パンダ 100HP。2008年1月納車。

1368cc、水冷直列4気筒DOHC16バルブエンジン、6速マニュアル・トランスミッション、右ハンドル、色は黒。赤いブレーキキャリパーがやんちゃな印象を与える。
後部荷物室もそれなりに広いので楽器機材類の積載は概ね良好だった。ただし49鍵シンセの横積みは車幅が微妙に足らなかった。

なにより特質すべきはその運転フィーリングである。アバルトの開発チームが作ったとされるだけあり、佇まいや性能に高いポテンシャルを持っている。
その本領はSPORTSモードボタンである。これをONにすると爆発的な加速を生むのだ。まるで別のエンジンに置き換えられたように性能が飛躍的に向上する。

大げさを承知で言うなら、街乗りでは使用せず高速道路でのみSPORTSモードONにしていた。なぜならSPORTSモード時は物凄い加速が発生するため、街中では運転しにくかったからだ。


2014年5月 第7回パンダリーノ2014 にて(実車)

2014年7月 新潟県にて(実車)


そして、このクルマ、「パンダ」だ。改めて言うが、フィアットのパンダなのだ。
いわゆる2代目のパンダ2になるわけだが、パンダといえば、やはりジウジアーロの傑作とも呼べる初代パンダの存在が大きい。この偉大なクルマなくしてパンダはない。当たり前だけど。

翻って、2代目とはいえ自分もパンダ乗りになったのだ。
パンダーパンダァー!と各所を調べまわっていたら「パンダリーノ」というフィアット・パンダのオーナーズミーティングが浜名湖で開催されることを知る。すぐに申し込み、第1回から参加した。

当時はフィアット・フェスタにも毎年参加しており、同じ100HP乗りの方とお友達になったり、クルマの交流関係も少しづつ広くなった。レース仕様パンダの競技パンダカップ観戦も楽しかった。
フィアット・フェスタの会場が群馬県へ移ってからは2回ほど参加したものの、そのうち行かなくなってしまった。
なおパンダリーノは現在も引き続き毎年参加中。


パンダのかわいいエピソードとして。
2009年頃に、フィアットの公式サイトで「パンダ写真コンテスト」があった。そのコンテストに阿佐ヶ谷のぱんだ珈琲店前で撮影した写真を応募したら、なんと1位になった!優勝景品にSONYのカーナビを頂いたことがあった。



さて、そのフィアット パンダ100HPであるが、故障もなく快適に、、と言いたいところだが実は納車直後から軽微なものがいくつかあった。
先ずは低速走行時のブレーキ鳴き。そして高速走行時にドアミラー辺りからビビリ音。いずれも対処してもらいすぐに改善した。

しかし2010年頃になるとクラッチに異変が起きた。
最初の頃はクラッチを踏み込むと異音が鳴った。「キー」って感じで。グリスアップして改善した。

ところがその1年後、今度は異音とともに、クラッチを奥まで踏み込んでからクラッチを繋ぐ際、足に「グググ」と抵抗を感じるようになった。クラッチペダルが戻りにくい症状。
ディーラーへ入庫して調べたらクラッチリレーズシリンダーの不具合ということで交換修理となった。

修理後は快調だった。
そしてその1年後くらいに突然、購入店だったフィアットディーラー店から「閉店のお知らせ!」が届く。えええ?!お店なくなっちゃうの?!パンダ買った店がなくなるー

また最寄りのお店がなくなってしまうのかと思っていたが、幸い100HPはその後特に不具合もなく元気に走った。
ディーラーが閉店したあと同じS区で欧州車専門ガレージを見つけて、何度か訪れたりした。そして2013年頃には新たにまたS区に別の系列のフィアット・ディーラー店がオープンしたのだった。


そんなこんなで数年経った2016年。
クラッチリレーズシリンダーを交換したにもかかわらず、またまたクラッチ異常が再発してしまったのだ。症状は前回とまったく同じ。

しかも、悪いことに同じタイミングで冷却水漏れも発生!下の写真はその状態を記録したもの。

1 冷却水はMAXになっているが

2 一晩の駐車でご覧のようにMIN以下まで冷却水が減っている


この頃はS区で見つけた欧州車専門ガレージで既に車検と何度かのオイル交換をしていたので、とりあえずそちらのお店へ持ち込んで調べてもらった。


冷却水漏れは奥まった場所で漏れていたが、なんとか処置をしてくれた。クラッチ異常については、完全に直すためにはエンジンを下ろす大規模な修理(クラッチ交換)が必要とのことで60万円以上!の見積額だった。

クラッチ異常はエンジンが温まっているときでも冷めているときでも発生していたが、走行中必ず症状が出るということでもなかった。
ということもあり、且つ見積額が高く、すぐには修理できなかったため、クラッチシリンダーのグリスアップなど可動部の調整とメンテナンスのみで乗り続ける選択を取った。


結局それから2年近く経ち、クラッチは相変わらずだったが、クラッチを繋ぐ際の抵抗感、繋ぎ難さ、に「慣れて」しまっていた。
そして4回目の車検を迎えるシーズンになった。車検の見積もりをしてもらったら、クラッチ修理を含めて冷汗が止まらない金額になった。
どっちみちそれほどのお金を払うなら、試しにこの100HPを下取り車として別なフィアット車へ乗り換えるという場合どんな塩梅になるだろうか。
その場合、乗り換えるクルマの選択肢は一つしかない。パンダだ。パンダ3だ。パンダ3に乗らなければならない。

実はパンダ3がデビューしてから、あの造形はただもんじゃないと思っていた。ジウジアーロにも引けを取らない考え抜かれた造形だと感じていた。イタリア車しかできない造形だと。パンダ2のあとパンダ3だ。パンダの連騰、最高じゃないか。


満を持してS区のフィアットディーラーを訪なう。
クラッチの事情を話し、このフィアット パンダ100HPを下取り車としてフィアット パンダ3を検討している旨を伝える。下取り価格をがんばってくれたおかげでするすると契約完了。

フィアット パンダ100HP、最高のホットハッチなイタリア車だった。約10年乗った。筆者の車歴史上同一車での最長記録となった。

それにしてもつくづく同じ車に長くなれない性分である。ボーノ!!



フィアット パンダ13909  - 継続中 - 編へ 続く)


車歴参考年表





2026/04/23

(No.2693): クルマ奇譚 第16話(フィアット プントHLX 編)

 前回のあらすじ


いよいよフィアットの章へ。


そのお店は高級イタリア車を多く扱っているディーラーである。つまりフィアットはどちらかといえば、いや絶対的に「高級」ではなく「庶民派」の車メーカーだ。その高級車ばかりの中に世捨て人のごとく一台だけポツンと新古車としてフィアット・プントが売られていた。

フィアット プント HLX(FIAT Punto HLX) というグレードで、いわゆる2代目プント188系の前期型である。

5ドアハッチバックで、1.2L 直列4気筒DOHC16バルブエンジンにトランスミッションはCVTスピードギア、右ハンドル。色はメタリックの赤っぽい色だった。同じスペックでELXというグレードがあるがそれの上位版(若干の装備とインテリアが違ったと思う)とのこと。

CVTは好きではないが、初フィアットプント、試乗して自分の直感に聞いてみようと思った。第一印象は「滑らかなクルマ」だった。フィアットってもっと泥臭い感じ(失礼!)かと思っていた。CVTだからか、加速がすごかった。そして意外にキビキビ走る。
イタリア車だなー。といったなんかその場のフィアットの雰囲気に飲みこまれ、気が付くとフォルクスワーゲン・ポロの下取り査定をしてもらっていた。即契約。


我々の世代でフィアットで思い浮かぶのは、チンクエチェントフィアット126、そしてパンダX1/9リトモなんていうのもあった。どれも1960、70、80年頃の好きなフィアット車だ。
イタリア車は電気系がすぐ壊れる。などという都市伝説のようなおかしな偏見も根付いていたが、アバルトに代表されるように、一方では強くやんちゃなイメージを持っていた。

初イタリア車、初フィアットという高揚感は収まるところを知らず、あれほど2ペダルを避けていたにもかかわらず、プントは運転の楽しさを享受できる素晴らしいクルマだった。
流石フィアットである、キビキビした走りの中に70、80年代のやんちゃなイタ車の香りがする独特なオーラを纏っていた。
そのオーラの奥には前車のフォルクスワーゲン・ポロと比べてわかる圧倒的なペナペナ感。室内の密閉度合いも少ない。イタリア車だなー。

そして、なんちゃってマニュアルモードというものがあり、CVT(無段変速)を勝手に6速に立て替えて手動でシフトレバーをアップダウンしてギアを切り替える式もできた。が、これはかなり運転しずらくてお粗末だった。しかしこういうぎこちなさを含めて許容できてしまうあたりイタリア車っぽいと感じていた。(思い込み100%!)


2006年頃 左がフィアット・プント(実車)
右は旧友Nの乗るアルファロメオ147
真ん中で仁王立ちしているのは当時の筆者




この頃からクルマのイベントに行くようになった。ミニのときはミニのイベントへ鎮西さんと参加したことはあったが、フィアットに乗るようになってからクルマイベントへ積極的に行くようになった。この頃、長野県伊那地方で行われていたフィアット・フェスタに行き始めた。

車検はフィアット・フェスタの主催であったS県にあるフィアット専門店へお願いしてみた。というのも、プントを購入したお店がかなり遠かったため頻繁に通うことができず、日々のメンテナンスなどでみてもらうお店も近所になかったからだ。しかしこのフィアット専門店も筆者圏内からは比較的遠かったので手軽に行くことができなかった。
とはいえエンジンオイル交換くらいのメンテ頻度で何の故障もなくプントの調子は素晴らしかった。イタリア車は電気系統がすぐに壊れるよ、などと周りから言われたものだが電装系故障は一度もなかった。


ところがある風の強い日、停めてあった自宅の自転車が倒れてきて、自転車のハンドルがプントのリアテールランプに直撃し大きく破損してしまった。破片をガムテープで貼って補修していたが雨が降れば乗れないし、そもそも公道では警察に止められてしまう可能性もある。

交換しようと思いヤフオクでプントのテールランプを落札した。しかしそれはプントHGTアバルトのテールランプだった。全然寸法が違っていたので取り付けられなかった。当たり前だけど。
そのときはHLXでも大丈夫かと勝手に思っていたので完全に自分の失敗。
(このテールランプは後年、ハッチャキ氏へ献上した)

破損したテールランプをどうするか、困ったな・・と思っていたところ、都内S区にフィアット・ディーラーができているという情報を得る。ここなら30分程度でいける距離だ。当然、このお店に相談しようと思ったのは言うまでもない。


ちょうどその頃、フィアットから6速マニュアルのパンダが発表されたニュースを見る。2007年の11月くらい。
それまでパンダはいわゆる2代目ニューパンダとしてラインナップされていて気にはなっていた。テールランプの相談と併せて、この6速マニュアルのパンダについても聞いてみよう。そうしよう。

さっそく都内S区にフィアット・ディーラーを訪ねる。
お店の商談スペースの壁にポスターが貼ってあった。そのポスターには「FIAT PANDA 100HP デビュー!」と書いてあり、黒い前傾の車体がかっこよく映っている。

「あ、あの、ポスターにあるパンダが最近でたやつですか」
「はい、パンダ100HP(ひゃくえいちぴー)という100馬力のスポーティーモデルで6速マニュアルのパンダです。130台の限定車です。」
「試乗車はあるんですか」
「申し訳ございません試乗車のご用意はありません。なんせ日本で130台しかないので。当店での在庫も残りはあと僅かなんです」
「テールランプ壊れてますけどプントは下取りできますか!?」
「そんなのは全然大丈夫です」
「え?!」


という、いつもの怒涛の流れで契約(多少脚色演出あり)。2007年12月のことだった。

といういわけでフィアット プントHLXは2005年から2008年1月までの約3年乗った。このプントのおかげでフィアット熱にスイッチが入ったのだった。
そして筆者の車歴史上最上位ランクインとなるフィアット パンダ 100HPのお話は次回。




(余談)
上述にある写真
旧友Nはいまだにこの写真にあるアルファロメオ147に乗っている。
この当時は綺麗な赤いボディカラーだが、現在は色褪せて剥がれ落ちてひどい状態になっている。本人は直すつもりはまったくなく、逆に経年劣化でいい味が出てきていると言ってる。わかってるなー。

2026/04/22

(No.2692): クルマ奇譚 第15話(フォルクスワーゲン・ポロ 編)

 前回のあらすじ


1.6L フォルクスワーゲン・ポロ 色は紺色、5MTの右ハンドル。
第一印象は、さすがドイツ車!作りが堅牢であると感じた。ドアを閉める音が重厚。横から追突されてもキャビン内は一切損傷なし、と思わせるに十分なドアの厚さ。
それに加えて、全ドアや窓を締め切ると外界と1ミリの隙間もない密閉度合いがすごい。気圧が変わるんじゃないかと思うほど。大げさに言えば。いや、大げさではなく実際耳がボンってなって空気が圧縮されるのがわかるくらいの密閉感だった。
それほど作りがしっかりしているので安心感が半端ない。水没しても浮きそう。

そしてそれは運転フィーリングにも影響している。5速マニュアルミッションのギアチェンジ動作がそれはドイツらしい?メカニカルで確実な動きなのだ。ガチッと入る気持ちよさ。ミニなんかはけっこう柔らかなギア入れ具合だったが、フォルクスワーゲン・ポロは真逆、ガチッガチッと入る。
スコッスコッではない。ガチッガチッ だ。
このギアチェンジ一つとっても、運転が楽しくなる。五感に訴えるフィーリングだ。五感つっても味と匂いはないけど。比喩よ比喩。
納車の日まで実車を一度も見なかったにしては、エンスー心も持ちながらそれでいて質実剛健、積載能力など実用性も兼ね備えたフォルクスワーゲン・ポロはお気に入りになった。
この頃テクノ系ユニット以外でもライブをけっこうこなしていたので機材運搬でも大変重宝した。


実は筆者は、ミニを降りてからクルマいじりというか、例えばエンジンオイル交換を自分で作業するといったことがなくなっていった。全部、ディーラーやオートバックス的なお店にお任せするという民に成り下がってしまった。フォルクスワーゲン・ポロも同様だった。

そんな塩梅でお店に任せていたのでクルマの保安については安心していたし、実際故障らしい故障はなかった。
唯一、2005年のフジロックの帰りにバッテリーがあがってしまいエンジンがかからなくなったことがあった。苗場から越後湯沢方面の17号沿いにある日帰り温泉施設の駐車場でだ。

昔のバッテリーと違って最近のバッテリーは直前までバリバリ元気なのに突然死するのだ。しかも筆者の横着で7年間一度もバッテリー交換しなかった!という信じられないおそ松さんだった。逆に7年もよくもったものだ。

そのときはJAFを呼んでバッテリージャンプしてもらいエンジンかけて、そのあと一度もエンジン切らずに一目散で東京へ帰り、そのままフォルクスワーゲンのディーラーへ入庫させた。


その後、バッテリーも新品になったし、やったーと思っていたある日のこと。
会社で仕事をするふりをしながら外車クルマ屋さんを巡るネット回遊をしていたら、一台のイタリア車の写真が目に飛び込んできた。その車はフィアットのプントだった。

イタ車かー、そういえば昔、旧友Nとジャックス(今はなき欧州車販売会社)でフィアット パンダ(初代)の試乗したっけなーなどと思い出に耽った。
フィアットか・・イタリア車か・・。嗚呼なんという甘美な響きなのだ。
まるで眠っていた子供が目を覚ましたようだった。そうかイタリア車だ。イタリア車に乗らなければならない。

そのお店は、イタリア車でも高級車の部類に入る車種を多く扱っている有名ディーラーだったが、なぜかそのページにはフィアット・プントが1台だけちょこんと載っている。
しかも、安い。走行距離も600Kmくらいで新古車として載っていた。ただしマニュアルミッションではない。CVTなのだ。

しかしわたしは直感を生きる人だ。これが運命でなくて何が運命ぞ。
仕事中に試乗したい旨メールを書き殴り勢いよく送信したのだった。

フォルクスワーゲン・ポロは1998年から車検を2回通し約7年間乗った。



フィアット・プントHLX編へ 続く)


車歴参考年表





2026/04/21

(No.2691): クルマ奇譚 第14話(ローバー200編)

 前回のあらすじ


読者には大変申し訳ないが、Rover200で書くことはあまりない。筆者の車歴史上、最も高級で最もツマラナイクルマだった。

結果から言うと、新車で購入しその車検を1年残したまま降りたのだった。だから所有期間は概ね2年弱。正直、あまり覚えていないのだが覚えている範囲で書くことにする。


おそらく、一般的見地からすると、Rover200はたいへんよくできたクルマということになるだろう。高級感溢れるインテリアと快適機能を有しており、居住空間の居心地は良い。
実際はそんなに高級ではないのだろうが、筆者の今までの車歴を見てもわかるとおり、本革シートとかなんとかヒーター搭載とか、そんな便利機能や高級感漂うインテリアはなかったからそう思ったのかもしれない。


運転という側面からみると、もうこれは楽しむという感覚はほぼゼロだ。筆者はそもそもオートマチック・トランスミッション自体が嫌いだが、Rover200はそれに輪をかけてガッカリ感満載だった。
何がガッカリかといえば、なんというか運転者の意思を削ぐのだ。つまり「操作させてくれない感」があった。具体的な事象はもう忘れてしまったが、なにしろクリープが半端なく力強かったのは覚えている。

何度も慣れようと試みたが、どうにもこうにも慣れることができず、とうとう2年で我慢の限界に達した。魔が差したことによる自責の念を噛みしめながらも、よく2年ももったと思う。
このクルマ、筆者にとって唯一の良い点は積載能力が十分だったことだ。実用車としては申し分ないだろう。


Rover200を降りると決めた瞬間から次の車探しが始まった。
とにかくマニュアル・ミッションを渇望した。そして商用車とみまがうほどのシンプルな車がいい。楽器を積みたいのでハッチバックがいい。

とはいえ当時の現行国産車には興味はなかった。いや、国産の商用車バンなどには興味はあった。しかしフォルクスワーゲン・タイプ3から始まった筆者の外車車歴は連綿と続けるべきだという「どうかしてる」信念を持っていた。
そして中古車(というか旧車だけど)で過去に過酷な試練を何度も経験していたので、中古車という選択肢は当時の筆者にはなかった。

そんなおり近所にフォルクスワーゲンのディーラー店ができたことを知る。最初の外車がフォルクスワーゲンだったということは関係なかっただろうが、今のフォルクスワーゲンはどんな塩梅になっているのか偵察のつもりで覗きに行った。そしてディーラー店員さんに試しに聞いてみた。マニュアル車ってあるんですかと。
日本で発売される外国車は高価なスポーツカーや4WD類を除けば、2ペダルのオートマチックやCVTばかりだ。

「うちの系列店に1台だけございます」と言うではないか。さっそく食い気味に詳細を聞く。
1600ccの紺色のフォルクスワーゲン・ポロ。グレードは忘れたが特に何も装備もなく商用車っぽい感じのやつ。
これぞ運命と言わずして何が運命ぞ。実車も見ず試乗もせず、その場で速攻で契約。


フォルクスワーゲン・ポロ編へ 続く)




車歴参考年表




2026/04/20

(No.2690): クルマ奇譚 第13話(ローバー ミニ メイフェア1.3i編)

 前回のあらすじ


1989年「オースチン・ローバー」は社名が「ローバー」になった。「オースチン」が消えたのには明らかに経営上の何某かの力が働いたのだろうか。

筆者のミニは「オースチン・ローバー」だった。購入した頃ちょうど「オースチン」が消えたタイミングだったのでおそらく、「オースチン」を冠する車種の在庫処分的な車だったのだと今になって思う。左ハンドルだったし。

しかし筆者に不満はなかった。
そもそもこのミニは自分の車歴上最高順位であることは間違いなかった。そして筆者史上初めての新車ということもあり、エンジンオイルも頻繁に自分で交換していたし、ゴム類が劣化しないようまめにメンテしたり可動部のグリスアップ等、出来る範囲のことは全部自分でやっていたくらいこのミニに傾倒していた。


そんななか、1回目の車検の見積もりの時、「新しいミニが出たんですよ」とディーラーのお兄さんは言った。
ローバー・グループとして世に問うインジェクション仕様のミニだ。しかもオースチンのときのようなダサかっこ悪い樹脂製のフロントグリルを撤廃し、逆に昔のようなメッキグリルを標準装備とした。当然エアコンもある。

「ローバー」になったからには旧態依然としてはだめだ。昔ながらの不安定極まりないキャブレター仕様では現代のニーズには到底応えられないのだ、というローバー・グループ経営陣のジャッジだったのだろうか。

ディーラーのお兄さんの説明では「安定のインジェクション仕様で馬力もアップ、今度は右ハンドルでどうですか、レーシンググリーン色もありますし!」と畳みかける。

実は、この言葉は正直悪魔のささやきだったのだ。
筆者は確かに上述通り、現状で不満はなかった、はずなのだが。

人間の業というものの本質は、己の意識の深層から沸き立つ別の自我なのであろうか。
それは突然襲ってきた。
面倒くさいことが楽しいとあれほど実感していたこの私の感性は鈍化してしまったとでもいうのか。

まるで生き物を飼育しているような、気温や気圧や湿度、あるいは季節に応じたキャブレターに対する重要な調整ノウハウを、楽しいスキルとして積むことが急に億劫になってしまったのだ。

その瞬間、わたしにはもうこの車に乗る資格はないと悟った。
気付いたら新車メタリックレーシング・グリーンのローバーミニメイフェア1.3iを契約。同じディーラーで2台目ということで下取り価格など諸々勉強して頂いた。1992年のことだ。


ローバーミニ メイフェア1.3i、インジェクションの安定性はもちろん素晴らしかったがフィーリングは別の車のようだった。
しかしけっして悪くはない。ゴーカートのようなキビキビしたドライビングは健在だし、ガタゴトした乗り心地の悪さも変わらす同じだ。
そして今回は全くのノーマルとした。改造やドレスアップなど一切せず素のまま。1300ccの排気量となって馬力もアップ。もはや「普通の車」と変わらない。
いや逆にミニを普通の車にまで昇華させた当時のローバーの技術力に感服せざるを得ないくらいだ。
そんな1.3iミニでも各地へ出かけた。長距離でも不安になる事象は一度もなく、当然故障とも無縁。


実車 1994年5月2日 たぶん長野県


ただ排気量が増えたせいでオーバーヒート気味になった記憶はある。特に冷房エアコンを点けると多少息切れした。がそれ以外はまったく不安はなく、前車のオースチンミニ同様にまめに手入れメンテナンスも欠かさなかった。
そして1回目の車検も通した。まだまだ乗るつもり。運転していてこんなに楽しい車は他には無い。だいたいこのデザインは世界一だ。いっそ一生このままでもいいくらい。そんな気概充分だったあの頃。


いつものディーラーは昔のようにミニ専門ではなくなり、いわゆる「ローバー・グループ」としてのディーラーとなっていた。
1996年、久しぶりにミニのパーツでも物色するか、といつものディーラーへ行った。
そこに3世代目だというRover200が展示してあった。


魔が差すという言葉がある。

筆者ごときが何様であろうか本革シートに身を包んだ、いわゆる高級車に少しだけ寄せるRover200に一瞬惹かれてしまった。フォルムもわりと当時の心境の琴線に触れた。しかもあれほど嫌いだった「オートマ」なのにだ。

ミニは車として運転する楽しみが最大化できるマシンだ。しかし実用性という観点からみると少々厳しいところがある。あくまでも「一般的目線」でだが。

ミニは積載能力があまりないのだ。大きな荷物が積めない。ぶっちゃけ言うと手持ちのシンセサイザーが積めなかった。いや、無理くり積めなくもないのだが、他の機材や荷物を含めるとなかなか手ごわい。ましてやシンセ積むと人を乗せることができなかった。

そんな境遇が以前から蟠っていて無意識にストレスに感じていたのだろう。
Rover200は広いハッチバックでたいへん実用的であるぞよ、という心の流れに応じ、「車は単なる道具」であるというEnthusiastとしてあるまじき文法に覆い尽くされ、あっさりとRover200に乗り換えてしまったのだ。ミニ1.3iも「普通の車」になっちゃったし、もう普通の車でいいんじゃね。みたいな。

まるで自動書記の如く、この乗り換えたあたりの記憶はあまりないくらいおかしな感覚だったのだろう。

魔が差した。 
筆者の車歴史上最大の黒歴史となったRover200の話しは次回。


PS
ミニは約8年間で2台を乗り継いだ。今もって筆者車歴史上最上位にある。
世の中に現存するミニの各個体がこれからも永遠に存続することを願わずにはいられない。



ローバー200編へ 続く)



車歴参考年表




2026/04/12

(No.2689): Oberheim Matrix6 と僕(完結編)

 (前回「混沌編」の続き)

購入して40年、物置に約30年間放置されたままだったOberheim Matrix6。6音中1音出ない。
調べたら6個実装されているICチップ CEM3396という主要部品の一つが壊れていることを発見。しかし内部を確認中にあろうことか誤ってもう一つのCEM3396も壊してしまった!前回はここまで。


CEM3396を交換するしか直す道はない。
しかしCEM3396は1980年代のICだし現在では製造されていないのではないか。互換部品がないだろうかと調べてみた。


最近ベリンガーがビンテージシンセのリメイク的な製品をたくさん発表しているが、あれは当時の部品を現代版にしたりその互換部品を開発したりして楽器を作っているという情報を知る。
なるほど、その筋でいけるかもしれないと調べたら案の定CEM3396の互換品とよべるものは確かに存在した。ところが、完全に同じ仕様ではなく、現在版に焼き直しされており新しい機能も盛り込まれているという。つまり、そのままでは使えないことが判明。


CEM3396は現在製造中止であるものの、デッドストックまたは中古部品としてそもそも販売自体されているのかを調べた。
海外にはヴィンテージシンセ専門でビス1本から抵抗器に至るまで概ね部品が揃うという部品屋さんがいくつかある。


米国の某サイトにCEM3396は存在した。しかも「新品」だという。しかし価格がべらぼうに高い。円安ということもあるがIC2個と送料で日本円で5万円近くかかる。さすがに高い。
他にもう少し安いものはないかとさらに調べを進めたら同じ米国だが別の某部品屋サイトにあった。価格は送料込み2万5千円くらいだった。
既に製造中止の80年代のチップだ。これくらいの価格は妥当だろうと何の躊躇もなく購入ポチ。


翌日、出荷準備のメールが来たので安心していたら、そのすぐ後にこの注文はキャンセルしましたので返金しますというメールが来た。
は?返金?なんぜ?と問い合わせしたら「すまん、この部品は在庫なしやった。SOLDOUTにするの忘れとったんや。そやから返金しますわ。かんにんな」という連絡をもらった。改めてそのサイトのページをみたらSOLDOUTに更新されていた。


四面楚歌、八方塞がり。どこぞに<安価な>CEM3396は売ってないものかと諦めつつフリマサイトも含めてネット回遊していたら、某ショッピングサイトで販売しているのを発見。
間違いなくCEM3396、しかも新品!、そして何より今までのサイトよりもだいぶ安い。CEM3396を2個と送料込みでなんと9千円。この店、よく見ると中国らしい。大丈夫かしらと不安を抱きながらもPayPal決済で購入。
不安をよそに決済後すぐに出荷準備のメールが来て数日後には発送しましたメールが来た。すごいぞ。


10日以上かかっただろうか、無事に到着!ちゃんとしたパッケージじゃん。ごめん疑って。
さっそく修理開始だ。



Oberheim Matrix6の壊れたCEM3396を二つ外したところ。U201とU301のソケット。



新しいCEM3396 2個をU201とU301へ装着。今度は慎重に。ICの向き、指さし確認。



ここで一度、電源を入れて音の確認したところ、問題なく6音全て発音できた。やったー。
せっかくなのでついでに、今後電池交換できるように電池ホルダーに改造することにした。ボタン電池も新品に交換。


改造前:右上の丸い黄色の枠のパーツがオリジナルの電池ホルダーと電池。これを取り外す。写真だけでみるとボタン電池は交換できそうにみえるが、実はバッチリはんだ付けされているのだ。



改造後:黒い電池ホルダーの赤黒コードをはんだ付け。余ったコードは付近のケーブルと一緒に結束バンドでとめておく。



なお、バッテリー交換時にメモリーダンプ(メモリー内容を外部へ保存)を一応実施しておいたが、メモリーは消えることはなかった。


Oberheim Matrix6のメモリーダンプはカセットテープを使うことになっているが、もう手元にはカセットレコーダーはないのでDAWを使ってSAVEデータを「録音」した。これで同じことができる。
DAWに記録されたSAVE DATAをチェックしたがデータ内容には問題なかった。ただし本体からメモリー内容は消えなかったため、このデータを使ってリストアはしていない。


メモリーダンプ中の表示

DAWでメモリーダンプ実施。データが「音」として記録される。

ベリファイ中の表示。DAWに記録されたメモリーダンプ内容をOberheim Matrix6のFROM CASSETTE 端子へ入力しデータ内容にエラーがないか確認しているところ。


なお、Oberheim Matrix6のマニュアルも当時のまま保管している。



40年前のOberheim Matrix6がこれで当時のままの内容で蘇った。今後、制作やライブで使用する日も来るだろう。
その日をお楽しみに。それではごきげんよう。