2017/09/30

(No.2547): 今夜の出来事(詰んだ状態でもライブお知らせ)


レーベル運営+音楽活動資金獲得のための労使契約がらみの或る飲み会、といってもそもそも取引先様主催の会だったのだが、その席上でのこと。

もう15年くらい前に一緒にお仕事をさせて頂いた取引先の方から「エフオピさんまだバンドやってるんですかテクノの」と聞かれ、
「やってます、っていうかよく覚えてましたね、っていうかテクノやってるって言いましたっけ私」
「はい、テクノカットはそのためにしてるんです的な話もされてましたよ」
「うへぇ」
「ライブやってるんですか」
「やってますね」
「どんなペースでやってるんですか」
「次は10月にあります」
すると筆者後輩が
「エフオピさんのバンドのCD、全国流通(実際は別の言い方だが業界素性がわかってしまうのでこの表現で表記)してるんですよ」
などというものだから周辺の方々が反応し出したので、全力で話題を別な方に仕向ける。


帰りしな、つい最近までお仕事を一緒にさせて頂いていた取引先のマネージャの方と挨拶したとき
「エフオピさんのブログたまに見ていますよ」
と仰るものだから、激しく動揺し笑顔のままフリーズして、詰んだ。



みてますかー
つぎのライブはこれですー
dewey[読み:デューイ]っていう名前のやつです

10/9 祝月 四谷LOTUS
15:00-22:00

Jeuli-Joie
jack of all trades
Hello1103
Cuicks
dewey
yumegiwatone
キャサルン。
ノボ
ODOLLELA


deweyは18:20くらいからですー



完璧だ。

2017/09/23

(No.2546): 音楽創環境埃概論


音楽を作る物理的環境。
スタジオ然とした環境を好み、卓を中心としシンセやら録音機材を周囲に配し、そしていつでも音が出せるよう各種ケーブルも常に接続した状態だった。
こいつは見た目にもやる気創作のモチベーションを向上させるのに叶った環境であり、思い立ったらすぐに創作作業に取りかかれる環境を目指した。




しかし、そんな状態で2週間もほっておくといいだろう。すぐに埃がたまる。ホコリくらいなんだ。と思う諸兄もいらっしゃるとは思うが、機材に埃が溜まるのはカッチョ悪いうえに気分的にも萎えるし、何よりミキサーのフェーダの隙間とかノブとかガリが出るし、ケーブルのジャックの接点不良にもなる。

人が居るのだから汚れるのは当り前である。だから毎日掃除していれば気にすることもないだろう。
いやー毎日掃除はできないよなぁ、多くて週一かなー。
いや、もう僕は埃なんか気にしないもんふふふーん。と自分に言い聞かせる。
さうだ、キミ、機材の上に埃よけの大きな布とかカーテンの切れ端とかを掛けておけばよいぢゃないか。これで解決だ。

しかしそうは問屋が卸さない。布とか掛けてたとしても埃ってやつは溜まるものなのです。

こまめに掃除しなくても埃がたまらない方法は何か。
詰まるところ、機材、ケーブル類はケースにしまう。作業のときに、ケースから機材を出し、ケーブルを接続し、組み上げる。
この環境なら使う時だけおもてに出すのでほとんど埃がたまらないのだ。

いやー、こりゃええがな。
機材もしっかりとしまってあるので、いつ使っても新品みたいに綺麗だ。うほほー、ほ、ほ。。。

いや、ちょっと待った。そいつは本末転倒じゃねぇか。だって思い立ったらすぐに音が出せる環境を目指してるんじゃぁないのかい。
しかも、音楽制作するたびに、ケースから機材を出し、ケーブルを接続し、組み上げ、終わったら逆の工程でまたしまうなんて、そんなのを創作のたびにやってごらんなせぇ、あーもうめんどくせぇ、、、ってなる。
そもそも音楽を作るという主目的をめんどくせぇとか思うようになったら、もうおしまいでしょ。お前様はいったい何がしたいのだねという状況に陥ってしまう。

その機材組み上げを儀式だと思えばいい。そう思ったこともないわけではない。逆にわくわくしながら組み立てる。そんな時期もあった。
しかしねキミ、、いやもう何も言いますまい。



私の音楽制作環境はこの二極を行ったり来たりしながら30数年も経つのだ。

そして、現状はこれ。






2017/09/19

(No.2545): 最近思い出したYMO体験のこととか


先日BSのM社長さんがYMOは六本木系でフュージョンだから聴かなかったというツイートをされていました。
それはファーストとセカンドアルバムのことだと思うんですよね。いや、細かく言うなら「ライディーン」だの「テクノポリス」だのといった巷で超弩級に有名になった曲の印象だと思うんです。

私はM社長さんよりも二つ歳上ですしYMOは主に大学生時代にど真ん中リアルタイムで経験したので敢えて言及させて頂くならば、私もかの有名楽曲群については、当時全くと言っていいほど興味はありませんでした。
実際はYMOのファーストとセカンドアルバムが出た時は私は高校生でした。しかも当時私は鉄道模型とアマチュア無線にどっぷりハマったヲタクでありましたゆえ、YMOなどというものはほとんど知らないでいました。
確かになんかメカニカルなヒュージョン音楽っぽいくらいにしか思っていなかったと記憶しています。ちなみにP-MODELも知ってましたが、所ジョージやつボイノリオなどと同じ変わった音楽をやってる人達だと思ってました。(この話は別の時に)
YMOは「公的抑圧」というライブ盤のあと1980年にスネークマンショーをカップリングした「増殖」を出します。が、実はこの時まだ私はYMOに興味がなっかたので全くのスルーでした。


1981年大学に入った年の7月、友人からカセットテープに録音したスネークマンショー「急いで口で吸え」を聴かされたのがきっかけでした。
そこに収録されていた「開け心 磁世紀」を聴いて、これがあのヒュージョンやってたイエローマジックなんとかというバンドの曲なの?と知って驚いたのです。この機械的な反復とガチャガチャとした音像。好き。

YMOってヒュージョンやってたバンドじゃなかったっけと思って、改めてYMOを調べたら、この年の冬に「BGM」というアルバムが出ているのを知ります。
レコード屋へ行こうとしたら、父親がこれ聞かないからお前にやるとくれたカセットテープがなんと「YMO/BGM」でした。(録音したものじゃなくてカセットテープの品種で売られていたもの)
「なんで親父がこんなの買ってんの」
「BGMって、これぜんぜんBGMじゃねぇから」


で、部屋に戻ってカセットデッキに入れてプレイボタンをガチャっと押し込むんですよ。そしたら、もうね、ガクブルしました。音楽で震えたのは初めてでした。なんじゃこれって思った。
いわゆる当時の時代でいうBGMという概念じゃないわけですよぜんぜん、、いやそんなことよりも、当時私の周りの連中が聴いている音楽とは全く別なものでした。これが初めて「テクノ」音楽を体験した瞬間でした。

まずもってピコピコしてない。
生ドラムだけどサウンドは生ドラムじゃない。
声が機械加工。歌詞は英語。
ギターがない。
これ重要だからもう一回。ギターサウンドではない。
乾いた音と湿った音のバランスが良い。
全体的に暗い。
どんより。
アンニュイ。

この年の11月に出た「テクノデリック」でもう完全にやられました。私にとって「BGM」と「テクノデリック」は血肉になりました。この2枚に出会わなかったらきっと音楽やってなかったでしょう。
ちなみに特に好きな曲は「Mass」、「灰色の段階」、「ラップ現象」、「カモフラージュ」かな
ほとんど細野さん楽曲。あと幸宏さん。

結局、YMO好きになってから「増殖」はもとよりファーストもセカンドも聴き込んだのでした。simoonなんか名曲ですよ。あのハットの打ち込みとか70年代で既に完成されてるとか魔法か。




だからM社長さん、「BGM」とか「テクノデリック」聴かなかったのかなと思った次第。
まぁ確かに”新宿”っぽくはないけどねぇ。



2017/09/14

(No.2544): 歩く、こと (一)


いわゆるウヲーキングという部類に入るのだろうか。数年前からタイミングが合えば長い距離を歩くようにしている。とはいえ、スポーツというほどストイックなものではない。比較的長い距離を街を散策しながら歩く散歩の範疇である。

とくにここ数カ月は週3回ほど4〜5Km/回 歩いている。せいぜい4Km程度だからたいした距離ではない、が実際歩くとそこそこ疲れる齢。
普段スポーツもせず、移動にはバイクやらクルマやら電車やらが多いので、運動不足であるが、その改善のためというよりは散策しながら歩くのが好きなだけだ。
実際、電車で仕事帰りには手前の駅で降りて歩くとか、オフ日はちょいと歩きに出るとか、そんな程度だ。

歩く時は音楽もラジオも一切聴かないのが筆者流。しかも歩きながら考え事もほとんどしない。ただ只管に歩くルートの選定と街を探検すること、そして「呼吸」に集中する。
(あ、あとたまにingressもね)

GoogleMapを見ながらこっちが面白そうだとか、こんな道あったんだとか、そんな感じで適当にルートを決める。だからなるべく新しい道を、踏み入れたことのない場所を歩くようにしている。


そんなある夜のこと。
仕事帰り、某駅で下車し自宅までの4kmほどの道のりを歩いていた。駅から1kmも歩くと急に人通りも少なくなってくる。
ここを曲がったことないな、その先はI街道に出るし、よし行ってみよう。
都内といえどこのあたりは雑木林や畑も散在し、住宅街ではあるが外灯はちらほらとしかなく薄暗いところ。夜は歩いている人もいない。

しばらく歩いていると右上方向からお婆さんと思しき声が聞こえて来た。誰かと会話をしているのかと思ったが、そうではなくよく聞き取れないが、なにかを繰り返し言っている。右側には二階建ての老人ホーム風な建物。
耳をそばだてるとそれは、「おかえりなさいー」「おかえりなさいー」だとわかった。声のする方向を凝視すると、果たしてその二階の一つの部屋の窓から人の顔が突き出ているのを見た。
「!」一瞬びっくりした。
その部屋の灯りの逆光で顔まではよく見えないのだが、どうやらその部屋に入居しているお婆さんのようで窓から顔だけを突き出して筆者を見下ろし、「おかえりなさいー」「おかえりなさいー」と言っていたのだ。

筆者は軽く会釈をしてその場を後にした。


あのお婆さんは前の道を人が通るたびに、ああして「おかえりなさい」と声を掛けているのだろう。

その声はしばらく続いていた。



2017/09/12

(No.2543): 今は昔のテーな物語(其の壱)


テクノやってるのに同期できずほとんど手弾きだった1983〜4年。
貧乏大学生では満足な機材も買えなかったが、某球場整理員と運送屋のバイトで貯めた金でどうにかTASCAM234と同じくTASCAM 106 6chミキサーを購入。
TASCAM234は4トラックのカセットMTR。







楽器はカシオトーンMT60と壊れて正しく打ち込めないBoss DR-55のみ。






自動演奏はDR55のリズムボックスからのチャカポコ音とMT60の内蔵リズムくらい。エフェクターは唯一キットで自作したフェイザー一つ。

それでもそれまではカセットデッキ2台のピンポン録音だったから、「ちゃんとした機材」としての4トラックのカセットMTRは天国のようだった。
だってちゃんと「多重録音」できる!
たった4つのトラックだけど僕らには広大なキャンバスだった。
Tr1 リズムボックス、Tr2 ベース これをミックスしてTr3へトラックダウン。Tr4 シンセ1 Tr1 シンセ2 を録音。これらあとで右に振るからまとめてTr2へミックス、Tr1 シンセ3 録音したら、Tr4に歌を録音。
あーすごいなー夢のようだ。


その後もバイトしまくってBoss DR110とRoland SH101を購入。SH101は128音の”デジタル”シーケンサーを内蔵していた。





(このSH101は実機。今でも所有。この写真も今撮影したものだよ)


シーケンサーというはじめての自動演奏体験に興奮した。そして念願のドラムマシンとの同期もできた。

DR110にはトリガーアウトがあって、アクセントを打ち込んだタイミングでトリガーパルスを出力し、それをSH101のトリガーINで受けられたのだ。
YMO/BGMの「バレエ」のイントロなんかを再現して悦に入っていた。

しかし、しばらくすると少し不満がもやもやと。
その原因はシーケンサの記録できる音数が少ない・・・・、ではなく、”複数パートの同期”ができないことだった。つまりDR110ドラム+SH101シーケンスを録音してしまうと、その録音した音に新たに同期演奏ができないのである。

つまりこういうことだ。
最初はDR110がマスターとなりSH101をスレーブとして同期し、ドラム音とSH101音をMTRに録音する。で、次に別のシーケンスを録音しようと思ったら、そのドラム音とSH101音に同期してシンセを発音させなければならない。
しかし!、録音した音とSH101を同期する方法がない!
であるからして、自動演奏できるのは曲中一つのパートのみであり、残りは全て手弾き演奏するしかないのだった。
嗚呼、でもいろんなシーケンスをたくさん録音したいじゃん。でもそれができないのよ。だってもう同期できないんだもん。

なんとかならんかなー、
今度はその録音した音をマスターとし、つまりMTRをマスターとしSH101をスレーブ同期させたいのだよ。

1984年当時SMPTEがもう話題として出ていたか忘れたがサンレコ誌によるとテープシンクするには一つのトラックにタイムコードを録音し、それを元にして同期運転させるのだという。そんなのRoland MC-4とかプロの使う機材ならできるんでしょうが僕たちのチープな機材じゃぜんぜんできっこないっす無理。

しかし、そこをなんとかできないものかと研究に研究を重ねた結果(うそ)、不安定ながらもテープシンクと呼べるようなやりかたを発見したのである。(ドヤ)
とは言え、今思えば実際ベタな方法なのだが。。。
その方法とはDR110のトリガー信号自体をMTRの1トラックに録音するだけなのだ。で、その録音したトリガー信号のトラックのみを個別に出力し、SH101のトリガーINに入れる。
このとき録音レベルをかなり大きくして録音していないとうまく同期できないこともわかった。

SH101のシーケンサをスレーブスタートし、MTRを再生させるとSH101が録音済みテープの音に同期して発音した。
もうね感動したよね。ほんとに。

今は昔の物語。





ちなみに、それから数年後ハーフインチの8TrMTRにグレードアップしたときには普通にSMPTEを使うようになっていた。



2017/09/01

(No.2542): 杯の道 (streetcup顛末記) 其の拾


我が黒灰杯号Triumph StreetCupの夏も終わり、
灼熱地獄もいまや懐かしく、
などとこの涼しさを励みに言ってはみたものの、
まだ九月あたまだというから、
この後まだまだ容赦はないだろう、
いや真冬でもあんなに熱かったじゃないか、
と中空をぼうっと見つめるうちに、
私はあの時の、
そう、
8月9日あたりの最高気温37度酷暑日の、
その夜の、
鉄馬黒灰杯号Triumph StreetCupとの思い出を、
夜だというのに、
気温33度、
湿度80%、
などと大げさなくらいあって、
それだけでもひと汗かくというのに、
そこえ持ってきて、
我が鉄馬、
黒灰杯号Triumph StreetCupのエンジン熱ったら、
200度もあろうかという灼熱の鉄の塊が、
わずか数センチの距離で、
実際にはわたくしの膝に密着し、
いや密着せずともそも熱波が、
めくるめく熱波が、
わたくしの下半身に襲いかかる様は、
想像を絶する温度であり、
そして、
それが短時間ならまだしも、
まだ我慢もできようものの、
1時間以上も股ぐらに挟み込んだ、
あの前傾姿勢とあらば、
いやバイクなんだから、
走れば涼しいのではという堅気な人々は
皆口を揃えるが、
走っても熱風、
停まっても熱風、
灼熱の鉄の塊を股ぐらに挟み込み、
いつしかわたくしの意識は、
逃げ水のようなマイトレーヤを
どこまでも追っている。

1906年 海槇夫鈷流 著「花紅柳緑之神韻」より
(にほんご文法放物線投棄述式特許出願精査中)





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本日付けでTriumph日本サイト更新。
Triumph StreetCup リコール情報

このブログの通りメーカーから部品設計には問題なしとかなんとか言って製造工程での品質のバラつきであるとの回答だったが案の定そうではなくやはり設計上の問題だったのか。

なに?ハザードランプが点かなくなるだと?
そんな甘っちょろいもんじゃなかった。
最初に起きた時はメイン電源が断線してエンジン不動。
二回目はウインカー沈黙不動。
だった。
筆者の場合はハザードは正常に動作していたと記憶している。メインハーネスだから断線箇所によっては症状が違うのだろうか。なんにせよ、認めてリコールだしたのはよかった。