2016/05/09

(No.2453): 6月ライブの支度(其の壱)


taira准将作と筆者作のdewey新曲のあれこれを、それぞれが音を足したりしながら、且つライブでの演奏を考慮してバックトラックを組み上げていくフェーズ。

taira准将作の楽曲にブーミーな低域と高域エッジの効いたキックを打ち、へっへっこいつぁいつになくグルービーなリズム隊になりやした、と鼻の穴をふくらましながらエフオピリズム入り仮ミックスwavをtaira准将へ投げたその翌日、たわけ拍が取れぬわMIDIのままよこせとゆっている直すから、と華麗にダメ出しをされたので御意と頭を垂れながらプロジェクトファイルを暴投、taira准将直し後返ってきたファイルを鳴らすと低域はきっちり残ったままでリズムパターンは修正されていた。なるほどこういう解釈だったのかと合点がいった。

dewey楽曲は各自のソロ作品をただ集めているわけではないが、曲単位の主導なプロデュースについては概ねその曲の作曲者が担当している。だから音が足された自曲に対してはそれがdewey範囲内であるかというジャッジが実践され、そうして最終的にdewey化が完了するのである。


taira准将の創る曲はどちらかというと上もの重視であり、メロディ、コード、あるいはシーケンス、ノイズなどが幾層にも重なった重厚さを持つ。加えてリズムスタイルは特徴があり複雑なポリリズム形態をとりながら甘いクオンタイズ感が独特のグルーブを得るが、ミックスバランスは割と奥に置かれる。

翻って筆者曲はそれとは逆にリズム重視でありミックスバランスもドラム系を基音として行う傾向がある。特にキックを聴かせる(効かせる)ために周囲の音を抑えることが多い。そして持続音で空間を埋めることはあまりしない。基本音は薄い。スッカスカ。
だからそこにtaira准将の旋律やコード感が加わると一気に画素数が増える快感がある。実はこの凹凸具合がdewey楽曲の妙なのだろうと分析する。


そしてライブではそれに両者の生演奏やリアルミックス、或いは歌唱の一期一会的な音が加わることでdeweyライブが完成する。オーディエンスの皆様は完成されたdewey楽曲を聴くことになるのでこうなるまでの過程を知る由もなく、それがまた愉しい。


(其の弐へ続く)



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