2018/01/10

(No.2557): よみじの駄菓子


筆者が子供の頃の従兄達の家。東京下町の長屋。
叔父は江戸っ子の家系でありながら一人称は「僕」。叔父の兄妹(筆者の母含む)は皆、威勢が良くべらんめぇ口調であるのに、叔父だけ「ボク」。
そして叔父は叔母のことを「キミ」と呼んだ。
若い頃から酒もたばこも博打も打たず。物静か。几帳面。真面目。九十歳にして歯が全て揃っており一本も抜けておらず、歯医者さんが驚愕したという逸話。
今朝、齢九十と七カ月にて叔父が隣接次元へ旅立たれました。長い間本当にありがとうございました。




その長屋。
三軒長屋が横に二つ。裏も長屋だったっけ。
そうそう長屋の一番端は駄菓子屋だった。叔父の家から二軒隣。その駄菓子屋は今思えば訳あり風な中年女性が一人で切り盛りしていた。
夏になると、よしずの簾を立て掛けてかき氷の旗がひらひら。冬はおでん。その店には小さな鉄板もあってそこで焼きそばなんかもやるんだけど、子供にはすごく高価な食べ物だった。
子供の定番は赤茶色の甘いおふ(ふ菓子)、ビニールチューブに入った何だかわからない甘い粉、梅ジャムせんべいなど。
ローセキも売っててな、それで道に絵を描いたりした。
あと、こんなのもあった。コンピュータに読ませる小さな穴のあいた紙テープとか、一体あれは何に使うのか今持って不明だが、筆者は家の中に貼り巡らせて叔母を怒らせたりした。
昭和40年代のはなし。

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