2020/11/16

(No.2585): 遠巒の廻廊(十五)


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蔵の観音扉が静かに開き始めた。わたしと藤助は固唾を吞んで扉の奥を凝視した。

「き、君は、つまりその”お上”とやらには会ったことがあるんだろう? 指図をもらってるんだから?」

今まさにあの暗がりから現れるであろう”お上”の形相を想像して怖くなってきた。藤助の顔見知りなら有り難い。

「いえ、ひとたびもありやせん。いつも世話所てぇ役人から聞くだけなんで」
「その役人ってのは菅井って奴じゃないのか?」
「すがい?名は知りやせん」

刹那、扉の奥の暗がりから、木の箱を抱えた背広にハンチング帽の男がひょいと飛び出た。わたしと藤助はぎょっと固まった。

「ああ、こんばんは、いやこんにちはかな」

菅井だった。菅井だとわかると、急に力が抜けた。

「な、なんだ菅井さんか、てっきり”お上”かと思ったよ」
「”お上”?、ああ彼らのことですか。ちょうど良かった今日はそのことで来たんですよ」

「旦那、役人てぇのはこの方ですよ」

藤助が言うと、菅井がぶっきら棒に言った。

「藤助、おまいさんちょいと橋場の月草寺先生んとこまで使いに行ってくんねぇか。スクナ様がお見えになりますとお伝えしな。そしたらもう今日は帰(け)ぇんな」

そう言うと菅井は奥の広間に向かって歩き始めた。慌ててわたしも後を追う。
藤助は「す、く、な さま」と繰り返し菅井に頭を下げると素直に行ってしまった。

「菅井さん、スクナさまって誰?お上のことですか?」

私の質問には答えずに菅井は続けた。

「このまえ、預けたオルドビスの遺物はどこにありますか」
「え? あ、あのケースはあのまま広間のすみに置きっぱなしですよ」
「わかりました」

菅井は広間に置いてあるケースに近寄るとその前に座り、持っていた箱をケースの前に置いた。
何の箱だろう。見たところリンゴでも入っていそうな木枠の箱だが、それほど高さはない箱だ。いわゆる行李を一回り小さくしたくらいの大きさだ。

「こちらに、座ってください」

何がはじまるのか恐る恐る少し離れて座ると菅井はこちらに向き直って言った。

「箱神というのをご存知ですか?」
「はこがみ?なんです?」
「日本では今でも、あ、これはあなたの時代での話ですが、ある地域ではいまだに伝承されているところもあります。箱の中に神をお祀りする風習です」
「はぁ、その箱がそうなんですか?」
「古くは紀元前の、遠い異国で証の箱とも呼ばれていたようです。」

このシチュエーションでその箱に何か秘密があることは確実だろう。そう思うと緊張して身体がぎこちなくなる。わたしが黙っていると菅井はさらに続けた。

「少し突拍子もない事なので、おいおいお話致しますが、いや、もう突拍子もないことに慣れてしまっておりますよね。はっはははは」

菅井は愉快そうにひとしきり笑うと木箱を指でそっと撫でた。スクナ様というのはその箱神のことなのか?
「そのスクナ様ってのが、”お上”なんですか? ちょ、え?その箱の中の」
「こんつはー」

と、その時門のある戸口から声がした。
「月草寺先生、おあがんなさい」菅井が戸口に向かって叫んだ。さきほど藤助が使いに出された先の人だろうか。ここに人が訪れるなどと今までは考えもしなかった。
わたしの頭はスクナ様で占められていたが、急に現実に戻された気持ちだ。

「菅井さん、こんつは。お久しぶりですね。ここに来るのも何年ぶりだろうかね。いや、俺にとってのね」

灰色の絣の着物に羽織、矢羽絣柄の帯を締めた若旦那風の男がずかずかと広間に入ってきた。わたしよりも若く見える。40歳前後だろうか。
若旦那風と思ったのは着物だけで、口の周りは髭が伸び放題、総髪で髷も結ってない。

「月草寺先生、どうも暫くでした。お元気そうですな」
「何?菅井さんもあちこち飛び回ってるの」
「いやぁさきほど、こっちに着いたばかりでしてねぇ」
「お、あんたか、最近こっちに来た人ってのは」

月草寺先生という人が胡坐をかきつつ私を見てニヤニヤした。なんという挨拶をしていいものか、しかも最近といってももう2年も経つしな、と躊躇っていると

「この人は、月草寺先生と同じ時代から来たんですよ」と菅井が言った。
「へぇ、あんた何年に来たの?」
「2年前です」
「違うよ、こっちに来た時のあんたが居た年よ」
「ああ、2013年です」
「2013年! うわぁ未来人だね、確か、平成だったよな」
「そうです。あなたも過去に飛ばされたのですか?」
「ああ、まぁそんなところだけどね。俺は昭和43年いや44年だったよ。1969年の正月だった」

月草寺先生はそう言うと、思い出したように袂から紙包を出して「あ、これ飯倉片町のおかめ団子のみたらし。美味いよ、どうぞ」
と菅井に渡した。
「ほほー、こいつあぁどうも、ここのは餡がうめぇんだ」

菅井は「お茶淹れてまいりましょう」と言って広間を出ていった。月草寺先生はわたしに向き直ると、笑顔で続けた。

「あんた、みたとこ方言もないけど、どこ?東京?」
「あ、はい。東京です」
「東京のどこ?」
「?、はぁ、国分寺ってとこです」
「国分寺!そいじゃ府中の隣じゃない。そうかい」
「府中にお住まいだったんですか?」
「ん? いやそうじゃねぇんだけどね。あんた俺の顔知ってる?」
「??は? 」

ぜんぜん覚えのない顔。こんな髭面に知り合いはいない。
というか昭和44年ならわたしは6歳だったし覚えているはずもない。


(つづく)

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