2016/12/30

(No.2501): 遠巒の廻廊(十四)


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ここに来てもうすぐ二度目の夏が来る。数日前からの雨もあがり、大気はかなり蒸し暑くなってきた。そろそろ梅雨が明けるだろう。
冷暖房もない世だが、ここは真夏でも意外と快適に過ごせることを知った。むしろ冬の寒さの方が堪える。どうせ外から見えない生活なのだから、「時侯機」でストーブくらい持ってきても良さそうなものだ。とはいえ電気がないからさすがに冷房は無理だろう。あ、ストーブにしたって薪ストーブじゃないとだめか。石油なんてないしな。そう思ったらニヤついた。

「なんです旦那」

朝餉を終え茶を啜りながらぼうと庭を眺めていたわたしに藤助が声を掛けた。

「お、お早う藤助、来てたのか早いな」
「あに笑ってんです」
「ここに来てもう二年になるのかと思ったら、ついな」
「もうそんなになりやすかね」

そう言いながら藤助が一抱えもある行李を畳に置いた。

「なんだいそりゃ」
「旦那の着物ですぜ」
「夏用のかい? それなら去年のがあるからいいよ。それともどっか旅でもさせてくれるのかい、せっかく江戸にいるんだから、別な場所も見てみたいしね」
「旦那がここに来た時に着てた着物ですよ」

この服では人目につくと怪しまれるという理由で、ここに来てすぐに藤助が何処かへ隠してしまったわたしの服だ。

「返してくれるのか? なんで今更」
「お上から指図があったんでさ」
「ええ!なんだって。。。」

晴天の霹靂、いや僥倖の訪れにそれ以上言い募れなかった。”お上”とはいわゆる幕府のことではなく、わたしをこの時代に送った連中のことだ。

「あっしにはなんともわかりやせんが、近ぇうちに下知が降りるんじゃねぇかと」
「なおさら旅に行きたいね、せっかくこの時代にいるんだから、戻ったら夢だったって思っちゃう」
「旅ぁできねぇと思いやす、足ぁ伸ばせてせいぜい品川てぇところですかね」
「まぁ話半分だよ。。」
「めでてぇかもしれねぇって話なのに、こんなこたぁ言いたかぁねぇんですがね、旦那の時代に戻れるかはわかりやせんぜ」
「え、なんだい君、そのがっかりさせる物言いは」

言いながらお茶を一気に煽ると横目で藤助を睨んだ。しかし本心は揺れ動いていた。住めば都とはよく言ったものだ。帰らずにこのままこの時代で一生を送るというのも悪くはない気もしていた。
よしんば帰ったとして、この時代に飛ばされた直後に戻される可能性もあるが、そもそも元の時代に戻ってもわたしの居場所があるのだろうか。かといってここの生活とて果たしてわたしはわたしとして存在しているのだろうかとさえ思えてくる。

わたしの表情を気遣いながら藤助が何か言い始めたとき、裏庭の蔵の方からバチンと大きな音がした。
わたしと藤助は同時に飛び上がった。

「来た!」

わたしは叫びながら蔵の扉の前まで走った。ガキンという音とともに蔵の観音扉が静かに開き始めた。



(つづく)

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