2018/03/02

(No.2563): B G M のおもひで


37年前の1981年3月21日発売されたYMOの「BGM」というレコードアルバムは大人のYMOファンにはあまり受け入れられず、むしろその当時の小中学生が聴いていたという現象があったという。
(後年、細野さんのインタビューでもそのような発言があった)

1981年4月から大学生となった筆者は半分大人としてYMO/BGMを受け入れたのかと言うと、実はそもそもその年の7月までYMOにはほとんど興味がなかったのだ。


所謂ライディーンやテクノポリスが大ヒットしたのは筆者が高校生の頃で、一家に一枚ワイエムオーとまで言われていたほどの人気ぶりだったが、筆者は高校では鉄道研究部の副部長でアマチュア無線と電気工作を趣味とする所謂元祖ヲタク系だったので、流行りの若者音楽などには嗜好が向かなかった。
なにしろ毎週末は秋葉原のラジヲ会館などに通っては抵抗だのコンデンサだのを物色していた口だ。

ところが大学に入ったその年の初夏、1981年7月に筆者同級生の友人から借りたスネークマンショー「急いで口で吸え」を録音したカセットテープが切っ掛けで、突然YMOに興味を持った。
それに収録されていた「開け心 磁性紀」を聴いたからだ。この音楽は何だと思った。

誰の曲なのかと聞いたらYMOだというではないか。YMOはライディーンとかのひゅーじょんなバンドだよね、こんなよくわかんない曲もやるんだ。しかも電子機器を使って音楽作ったり演奏してるっていうのを知って俄然興味が湧いたのだ。(それまで興味がなかったからあまり知らなかった)
今年の3月には新譜が出たらしいというのを聞いて、聴いてみたくなった。


そして決定的だったのがその直後くらい。信じられないことに父親のカセットラックの中に何故かYMO/BGMを見つけた。なんで親父がこんなもん持ってんだ。という疑問もありつつ、そりゃもう当然聴くわけです。
初めて聴いた時、筆者はうおおおおおと震えたのでございます。まだ覚えてる。なんか怖かったから。そのとき18歳でしたが感覚が小中学生と同じだったのでしょう。

なぜ父親がYMO/BGMのカセット(当時はレコードとカセットで発売していた)を買っていたのか、父は数年前に隣接次元へ遷移してしまっているので今となっては聞くことはできないが、おそらく、「BGM」というタイトルを勘違いして買ったものと思われる。
イージーリスニングっぽいまさにバックグラウンドミュージックとでも思って聴いたら、ラップ!ラップ!とかメイキングミュージックとかギブミーアキューとかドコドコダカダカドコドコダカダカ、超地球的存在デスとか、何じゃこりゃ、呪文か?お経か?とでも思ったに違いない。

しかし、当時あなたの息子はこれを聴いて覚醒してしまったのです。そして37年経った今でもそれは続いております。


ちなみに、YMO/BGM はレコードで2枚、CDで2枚所有している。
裏面の機材リストも好き。


PS
実際、ファーストもセカンドも名曲が揃っているのをあとで知った。
simoon、absolute ego dance、大好き。




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