2017/03/03

(No.2512): 「嵯峨塩倶楽部」のころ


今夜、奇しくも前回のこの屑ブログで書いた旧友と地元の焼き鳥屋で飲んだ。(ウーロン茶を。筆者は。)

旧友Oは1984年に「嵯峨塩倶楽部」というユニットを一緒にやっていた男で、現在は行政書士であり某大学の教授でもある。
彼は作詞担当で、筆者が楽曲制作全般を担っていた。数年前まで彼の実名を楽曲とともにwebにあげていた時期があって当然彼の承諾済みだが、学生が目ざとく見つけて、先生ってこんなことやってたんですか?と言われることがあったと嬉しそうに言っていたのだ。
むしろ今夜も、なんで俺の名前消したのだもっと晒せと言っていた。いやおまえの名前はググると出てるくらいだから、周辺がいろいろとわかってしまう可能性もあるので消したのだ。
旧友Oとは幼馴染であり同い年で小学校1年からの付き合いだからもう50年近い。最近は年に1回会えばいいほうだが。


1984年は筆者たちは大学3年から4年でバイトと音楽に明け暮れていた時代だ。今でいう就活などぜんぜん眼中になかった。
当時筆者は「嵯峨塩倶楽部」の他に「古湯坊」という4人編成くらいのバンドもやっていた。くらいというのはコアメンバー筆者入れて2名(旧友Oとは別の男)とあとは流動的に人が入ったり出たりしていたから。
そのほとんどを制作活動に重点をおいて作品作りに没頭していた時期だ。

「嵯峨塩倶楽部」は旧友Oが作詞してそれに筆者が曲をつけるというスタイルで始めたユニット。もともと詩があったのではなくユニットのために彼が書き下ろしたのだが、できあがった詩を見て筆者は爆笑した。彼の詩は通常流通に乗せにくい非常にマニアックなもので、方向性としては様々な性を題材にした内容が多かった。
曲は詩をもらってから作ったので、先に曲からできたことはなかった。

「嵯峨塩倶楽部」は1枚のカセットブックを発表したあと自然消滅してしまったが、実はその中の何曲かは自分でも気に入ったものがあったのでその十数年後の1997-8年頃にアレンジを変えて当時買ったばかりのVS880で作り直したのだ。それは今でもよく聴いている。


そんな「嵯峨塩倶楽部」のカセットブックからタイトルのみを以下に記す。

スポーツで発散させなさい
ツエツエバエの唄

野草
毛出もの
背の高ヰ人


「ツエツエバエの唄」と「野草」以外は取りようによってはだいたいエロい詩。

またいつか音源と合わせてどこかで公開したい。
楽曲的にはdeweyでもいけそうだが、なんせ詩がアレなのでそんなに危なくなさそうなものを。ちなみに旧友Oはどんどんやってくれと言っている。



秘蔵蔵出し 1984年「嵯峨塩倶楽部」のカセットブックの手作り感満載ブックレット
詩など主なテキストは旧友O自らの毛筆による手書き。アー写は地元の神社で撮影した。












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