2015/05/26

(No.2345): D寺の出来事


S県H市に存するD寺。日本でも有数の汽水湖であるH湖を南に臨み、K山の稜線に沿うように建っている。八百年前の山門が麓の平地に在り、そこから境内までは登り斜面をだいぶ歩く。
D寺を訪なったのは昼を少し過ぎた頃だった。射すような日差しが五月とは思えぬ暑さである。蝉の声がしないことが夏ではないとわかるくらいだ。この暑さに加え平日の昼ということもあり、私の他に参拝する者はいない。

本堂へはさらに階段を登る。登りながら右手を見ると山の斜面を利用した墓地となっている。さほどの広さはないが古来から周辺集落の菩提寺なのであろう、古い墓が多い。とはいえ、真新しい墓石も点在している。つまり現在もその機能は続いているのだろう。

本堂も山門同様古く、承元年間というから八百年以上は経つ。しかし近年修復や補修を行ったのであろうか、お堂本体の朱塗りも色あせてはおらず、装飾の色彩もまだ鮮やかである。




境内には鐘撞堂をはじめまたいくつかの分祀によるお堂も建ち並んでいる。こちらは時代がずいぶん経っているそのままという風情で、風雨にさらされ建物が風化し白茶けている。

本堂でお参りを済ませ、境内をゆっくり一周りする。本堂のある高台からは麓が眺められるが、それほどの絶景ではなくすぐ下の墓地が視界に広がる程度だ。


ふと墓地の一点に目が行く。
苔蒸した鏡餅のような形をした相当古い墓と思われる前の階段状の石の上に、五〜六歳くらいのおかっぱの女の子がちょこんと座っているのを見た。明るい色のワンピースを着ているように見える。お墓参りに来たのだろうと思って辺りを見てみるが大人の姿がない。いや上から見渡してもその女の子以外、墓地には誰もいない。

一瞬、ぎょっとなった。
何故墓場に子供が一人でいるのだろう。今日は平日であり今は昼だ。学校や幼稚園はどうしたのか。だいたい大人がそばにいないのはおかしい。
女の子は私に気付いていないようで下を向いたまま足をぷらぷらさせている。

あ、そうか、きっとD寺の子供なのだ。今日は学校は休みなのだろう。私はそう思うことにして本堂の方へ戻った。
境内の鬱蒼とした木々の影で涼む。炎天下とはいえ、そよぐ風はひんやりと気持ちがよい。木陰は一層涼やかだ。しかし先ほどの子供はいつも一人で墓場で遊んでいるのだろうか。いや待て、お寺の子供ならそういう遊びもありか、などとつらつらと想う。

ひとしきり休んだので、私は本堂を後にし登ってきた階段を下りはじめた。しばらく降りて墓地が左に見えてきた。さっきの女の子がいなかったら、それはきっと帰ったのだ。そう思いながら女の子がいた方向を見る。

まだいた。
墓石と墓石の間からちらちらと見える。今度は立って何かしている。水桶がそばにあって、どうやら柄杓で水を墓石に掛けているようだ。ちゃぽんと水の音がする。カコンと柄杓が桶に当たる音もする。それを繰り返している。

日陰もなく暑くはないのだろうか。まぁ水があるのだし大丈夫だろう。そう思いながら階段を下りた。

その時ふと気になった。
さっき本堂の方から見た時、女の子のそばに桶などなかったはずだ。しかもこの短い時間で女の子が一人で水を入れた重たい桶と柄杓を担いでこの階段を登ったというのか。
立ち止まって少し考えたあと、私は踵を返して再び階段を登った。

もう一度見て、もし女の子がいなかったら、それは、もしかするのかもしれない。何故ならこの階段を使わなければ帰れないからだ。当然女の子は階段を下りてきていない。
ここまで来ても水の音は聞こえない。もしやと意を決してその墓石の方を見る。



女の子は、いた。
まだ水で遊んでいる。

私は納得してお寺を後にした。





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