2015/08/07

(No.2369): 25年前バリ島回顧録


25年ほど前インドネシアのバリ島に行った。
仕事場の旅行だったから当時はまだバブル的な塩梅だったのだろう。確か10人くらいで、4、5泊したと思う。宿泊地はクタの街だった。

初日と次の日くらいは有名観光スポット巡りだったが、3日目以降はほぼフリーだったので後輩のN君と二人で観光地化されていない普通の村に行ってみようということになった。前の日に部屋で地図を広げてどこにしようかと相談し、まるでダーツの旅のように適当に地図に指を当ててここだーなどと浮かれて決めた。その村の名前も今は忘れた。

翌日僕等はホテルを出ると繁華街を走って抜けた。なぜ走って抜けたかと言うと、日本人の観光客はホテルから一歩外に出ると現地の売り子達に囲まれて絡まれるからなのだ。
袖を引っ張るくらいならまだいい。腕を引かれてどこぞに連れ込まれてしまうのではないかと思えるほどの強引さで、「センエン、センエン(千円)」と言ってボールペンやら花でできた何かやらを売りつけようとする。

書いてて思い出した。
話は逸れるが、ホテルから歩いて2分ほどの場所に両替所があるのだがそこに行くのが大変だった。その短い距離なのにとにかく囲まれてどうにもならず、両替所に行く場合は複数人でドヤドヤと行かねばならなかった。

話を戻す。
で、繁華街の外れあたりでタクシーを捕まえる。なんか路肩に止まってたのを。
こちらは片言の英語で話すが、運転手はバリ語かインドネシア語で英語がわからず、しかし、地図を見せて、ここまで行ってーと依頼する。
料金はその場で交渉。

40分も走っただろうか、途中から未舗装の道になり少々不安になる。目的地と思われる村の中心の広場のような場所で降ろされた。
帰りもタクシーを使わないと帰れないので、何時にこの場所に迎えに来てくれと運転手に伝えようとする。が、なかなか伝わらず。クルマの外で運転手と大声で話していたのを見兼ねて近所の英語のわかる人が出てきてくれて通訳をしてもらった。
時間と帰りの料金の交渉をお願いした。



辺りは山の中でもなくほぼ平地なのだが畑が点在し、家もそこそこ建ち並んでいる。
後輩のN君とこっちに行ってみようと、文字通り行き当たりばったりの旅。日差しは暑く厳しくて、湿度もあったと記憶している。

この村は観光地ではなく普通の村なのだが、どうやら繁華街の土産物売り場に売ってたお土産用の木彫りなどを製造している家が多いらしく、開け放たれた家の前に座って木彫りをしている人が何人もいた。彫っているところ見ていると、何か話しかけてくるのだが言葉がわからないのでこちらはもう普通に日本語でいやーうまく彫るもんですねーなどと応える。

しばらく歩いてたら後輩N君が
「エフオピさん、ぼくウンコしたくなってきました、どっかの家でトイレ借ります」と言う。
「ちょ、え? トイレ借りるってマジか」
たしかに、公衆便所があるはずもなく、さすがに野グソはまずいだろうと。すると、後輩N君はすぐに目に着いた大きそうな家の庭(というか道と庭の境もあまりない)に躊躇なくずかずかと入り込み日本語で「すいませーん」と大声を出す。ハラハラして見ていると大柄なおばさんが家から出て来た。
私は日本から来た観光客です、みたいなことを英語で言ったあとウンコするポーズ(しゃがんで踏ん張る、おしりのところから手でバッバッってジェスチャーする)をしながら「トイレかしてください!」と日本語で懇願する。

そういうことは世界共通なのか驚いたことに、そのおばさんは笑顔でトイレを借してくれたのだ。しかも、僕らに冷たいお茶(茶色の紅茶みたいな飲み物)をご馳走してくれた。記念に一緒に写真まで撮った。幾重にもお礼を言って、辞す。
日本で外国人がウンコしたいからっつってお宅のトイレかしてくださーいなんて来たら、貸せますか?あなた。
本当に親切な人だった。



腹減りましたねーと後輩N君は言う。こんな村の中で食べる場所などあるものだろうか。
しばらく歩くと、少し先の右手に飲み物ののぼりが見える。近付いてみるとほぼオープンスペースの掘立小屋でそこは食堂だった。
お客さんは誰もいない。
座ったらちゃんとメニューも出てきた。ナシゴレンとアイスコーヒーを注文した。普通にナシゴレン、あるんだ。と思った。日本でいえばかつ丼とか親子丼とかそういうニュアンスなのだろうか。

そしてこのナシゴレンが、滅法美味かったのを覚えている。ナシゴレンは宿泊しているホテルでも食べたのだが、この店の方がぜんぜん美味かった。
周りに走り回っている鶏がいるのだが、目玉焼きのたまごはきっと彼女らの卵だろうと思う。濃厚で新鮮だった。粉っぽいコーヒーだって味わいがある。ナシゴレンに良く合う。



腹ごしらえを終えて再び散策する。とにかく暑くて暑くて、途中喫茶店のようなお店にも立ち寄る。喫茶店というよりも駄菓子屋といった感じ。一応冷房が効いていた。
コーラを飲んでいたら、そこの店主が話しかけてきて、それが日本語だった。聞いてみると数年前まで横浜に住んでいたという。その店主は50歳くらいのおじさん。僕らが日本語で話していたので懐かしくて話しかけたと言う。
その店主に「なんでこんなとこに来たの?」と聞かれ、普通の村に来てみたかったのですと答えたら相好を崩した。



タクシーとの待ち合わせ時間に村の広場へ着いた。タクシーは既に待っていた。朝、乗ってきた場所まで送ってもらう。ところが、道が少し変なことに気付く。着いたらしいのだが、見覚えのない場所で袋小路になっている。
お金を払えという。しかも、交渉した金額以上の金額を要求された。ノーノー場所も違うし、金額が違うと拒否すると、運転手はi have a gunと言いながらダッシュボードをポンポンと叩く。

びびりまくる筆者をよそに空手の段持ちの後輩N君が、
「エフオピさん、まかせてください、こんな野郎叩きのめしますよ」などと後部座席から運転手の肩を掴みだしてガクンガクンやりだした。
筆者は半泣きで「や、やめろよ、撃たれるよ、おい、やめろよ」と言ったのだが後輩N君はそれでも「ふざけんなよこの野郎金額決めたじゃんか」と一歩も引かないのだ。

結局運転手は銃は持ってなかったようで、後輩N君の逆恫喝が意表をついたのか諦めて朝の場所まで戻ってくれた。このような脅しでお金を払ってしまう観光客が多いのだろうと思った。
しかしこんな目に遭いながらも一応約束の金額は支払ってあげた。




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