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麹町区三番町に在るカフェ”倉香の華”の店内にはクロード・ドビュッシーの「前奏曲集・ヴィーノの門」が低く流れていた。
逓信営轄所から呼び出しを受けた晃一郎がそのカフェで吉之助と落ち合ったのは陽も傾きかけた午後四時を回ったところだった。晃一郎が座るかしないうちに、待ちかねた吉之助が捲し立てた。
「お呼び出しぁは一体(いってぇ)何だったんで?」
「予想しちゃぁいたがよ、奴らの、デユーイの提唱会の有様を言って聞かせたてぇやつよ」
「珈琲を」
通りかかった給仕に注文すると、晃一郎はズボンのポケットから折り畳んだ一枚の紙切れを取り出し吉之助の前へ置いた。その紙切れにはこう記されていた。
仕諜命令書 第三九三八
発布
東京市第二逓信営轄
拡報技長 物部総爾郎
令
デユーイノ次期以降提唱会 デハ改めた規律則通リ
タキヲン粒子排出口付紅色発光ダイヲード基盤配設式
軍装飾ヲ着用ノ限リ此軍律発布報トス
「物部の野郎、こんなもんをばら撒いてやがった」
晃一郎は腕を組んで椅子に深く沈んだ。両手で紙を掴み睨んでいた吉之助だったが、そのうち諦めて突っ返した。
「晃さん、何が書かれてんだかおいらにゃぁてんで」
「早ぇ話が奴らまた、軍装に戻るってこった」
「この前(めぇ)の物腰やぁ、堅気のようでしたからねぇ」
「まぁ失脚した村岡翁の後釜に物部てぇ野郎が控(ひけ)えてたってことよ」
「そいつぁ何者なんです」
「ハナは村岡爺さんの傀儡てぇ噂もあったがよ、おいらの見立てじゃぁどうやら見当が違(ちげ)えらしい」
「するってぇとまたドンパチが始まるんですかい」
運ばれてきた珈琲を一口舐めると晃一郎は話を変えた。
「にしても渋谷町の箱ぁてぇした鳴りだったなぁ」
「晃さんの前(め)ぇだけど、あの箱鳴りぁ思い出しても動悸が上がりやす」
「そういや神無月を待たずして渋谷町の箱でもう一度何やらおっぱじめるてぇ噂を逓信営轄で聞き込んできたぜ、まぁまだ八百ってぇこともあるがよ」
「本当ですかい、そいつぁまた浮かれやすね」
「おめぇまたそんなことを、まだ決まっちゃいねぇよ」
晃一郎は命令書の紙をぐしゃりと丸めるとテーブルの灰皿へ投棄した。
店内の音楽はリヒャルト・シュトラウス 「サロメ 7つのヴェールの踊り」に変わっていた。
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