2026/07/30

(No.2700): フジロック26

26回目のフジロック。2026年という意味ではなく、筆者のフジロック参加回数です。連続26年間参加。しかもほぼ前夜祭からの全通。あんたどうかしてると言われてしまう。

どうかしてるという内容には「過酷な環境でよく全通など」という意味合いもあるかもしれませんが、ここに来てそれはコスト的な意味を示しているのではないかと思うのです。その話は後述します。


今年のフジロックのお天気。前夜祭、DAY1、DAY2ともに自分が会場にいた時間は晴れや曇りだったので概ね快適。DAY3最終日だけ雨になりましたが、それでも大雨ではありませんでした。
そんなフジロック生活では毎日2万歩前後は歩きました。今年は一か所にじっくりいるというよりはあちこち歩き回った印象です。




そんなフジロック生活の詳細は都度Xでポストしていたのでそちらをご覧ください。
こちらでは特に印象に残ったものをいくつかご紹介。



前夜祭

オアシス広場のメッセージボードに書き込みしました。使ったボールペンの字が細くて読めないし、最終日までには誰かに上書かれるかなと思ったけど最終日まで残ってました。(写真は最終日深夜の状態)



DAY1

TESTSET
at レッドマーキー
重低音ベースはシンセベース、主に砂原氏が弾くかトラック埋め込み。タイトな生ドラム、エレクトロニックの中でのギターサウンド、そして圧倒的グルーヴィ歌唱。エレクトロニック音楽におけるバンドサウンドのある種完成形と感じました。何度観てもかっこいい。憧れの存在。


BAD TRIP SUMMER
at ジプシーアヴァロン
HUGENのTP氏も出演されるというので拝見拝聴。
シンセキーボードとドラムの超絶プレイを核にTP氏の歌を自身でリアルエフェクトしたり、ダンスパフォーマンスあり、シタール、トランペットがさらに厚く包み込む音楽。人力アンビエント、現代音楽、独自の世界観が何か生き物のように感じました。



DAY2

BASEMENT JAXX
at グリーンステージ
筆者がstereogimmikというクラブ系エレクトロニックユニットをやっていた当時にけっこう聴いていたのがBASEMENT JAXXの「Rendez-Vu」という曲です。それをグリーンステージで聴けるとは!しかもすんごい久しぶりに聴きました。
前回のフジロック2014ではホワイトステージ出演でした。今年はグリーンの音響でも堪能。ダンスパフォーマンスあり、高品位な踊れるエレクトロニックサウンドでお祭り的なステージは圧巻でした。


トミー富岡
at ところ天国 筍亭
筆者はトミー富岡さんを見るために毎年フジロックに来ているといっても過言ではありません。透析の合間の3日間で9ステージお疲れさまでした。
筆者にとっての新ネタもありつついつものコンプラ無視エロ系やモノマネなど爆笑ステージ。コアなファンも大勢いると思います。歌もギターもめっちゃ上手いのです。ギャラも交通費も出ないらしいので物販で応援します。今回はTシャツを購入。うちわにサインももらいました。
トミー富岡さんのステージはだいたいリクエスト大会になるんだけど、武田鉄矢のモノマネが本人よりも似ているからまた観たかったので海援隊をリクエストしました。
「母に捧げるバラード」の「タヒね!」っていうのを期待してたけど、そしたらオケ付きで「贈る言葉」を演ってくれました。意外に真面目に歌ってましたね。
あと好きなのが福山雅治モノマネで歌う曲(曲名失念)で「ティッシュの山を片付けないと勘違いされる」っていう替え歌フレーズ(笑

鈴々舎馬るこ師匠の落語も拝聴。馬るこ師匠も毎年かかせない。「託おじさん所」の噺は去年も聴いたけど熱演で面白かったです。
頂いたブロマイドが偶然トミーさんの顔に似ているという(笑(写真参照)



TOMORA
at ホワイトステージ
鈴々舎馬るこ師匠が終わってからホワイトへ移動してのTOMORA。
ケミカル・ブラザーズのトム・ローランズとノルウェーのシンガーソングライター オーロラによるエレクトロニック・デュオ。
オーロラちゃん、MCで上手な日本語を話しててとってもキュート。トラックはケミカルの音と言えばそうだけどやはり雰囲気はどことなく違う感じでした。ホワイトステージの重低音で迫力ばりばりなのは言うまでもありません。透明感のあるオーロラボイスが秘訣。

知り合いのミュージシャンymさんからX経由でトムが苗場食堂でDJやるみたいすよて情報もらってたけどピラミッドガーデンでSILENT POETS観てたから結局行けず終い。翌日調べたら本当にDJやったらしくてうぎゃーってなりました。



DAY3

平沢進+会人
at グリーンステージ
何故か平沢さんのときは雨があがっていたのでした。フジロック出演3回目でグリーンステージ。
娯楽的な商業的な成功よりも個性的な独自の世界観を貫くアーティストに
フジロックは敏感なんだなと改めて思いました。
グリーンステージの青天井爆音で平沢曲が演奏される光景が幻のように映りました。フェスなので初見の方にもわかりやすいのでしょう、「BERSERK -Forces-」演やったのには驚きました。
相変わらず歌のピッチも安定しており、赤い扇子を落としたことさえもライブならではの僥倖と感じました。落としたことに一瞬慌てたところも良き。
終演後、鎮西さんが「うるさかった?」と聞いてきたので、フェスだしグリーンだしこれくらいデカくてもいいんじゃないのと答えました。


Massive Attack
at グリーンステージ
雨がぽつぽつ降ったりやんだり。
ドラムセットが2台と思わせないタイトなリズム隊。エレクトロニック音楽と映像で顕されるメッセージ性のあるライブでした。
何故彼らがあのような世界的な様々な事象を直接的に表現するに至ったのか、という経緯に想いを馳せるステージでした。
「自分の感情や思考は本当に自分のものなんだろうか?」のテロップが終わりの方で映し出されていました。
溢れる数多の真偽ソースやAIという提示システムによって我々の思考を塗り替えられているかもしれない。だからそれは本当に自分の思考なのかと問われているのかなと思いました。
誤った情報に踊らされることはもちろん論外ですが、嘘を提示するAIを間違っていると認識しながら逆にそれを利用して新たな創造の糧とする思考は、面白い発見が期待できるんじゃないかなとも思いました。
いやそんなことより「Teardrop」を生で聴けて単純に、正直に、良かった。





最後にコストのこと。
フジロックのために1年かけて貯金をしているのです。チケットは冬の2月から行動し、早割や一番最初の安い前売りを求めます。宿も諸々調整します。それを26年間やってきました。これからもやります。ただそれだけです。


SEE YOU NEXT YEAR FUJI ROCK FESTIVAL 27





おまけ
フェス飯(一部)
アイスコーヒーとブラウニー
at ピラミッドガーデン

プルドポークライス
at オアシス広場

ロティサリーチキン ライスセット
at オレンジカフェ

能登たい焼きとハニーレモンジンジャー
at ピラミッドガーデン

野菜ハヤシライス温玉のせ
at オアシス広場

天国煮干しラーメン
at ところ天国

シナモンドーナツとアイスコーヒー
at キャンプサイトエリア内














2026/07/05

(No.2699): いつかのラーメンライス

あのラーメンライスを超えるラーメンライスはもう食べられないだろう。

 これから記す話は、あるお店で食べたラーメンライスがとてつもなく美味しかったというなんてことのない話だ。
この1行で済むくらいだ。

しかし、このラーメンライスにはそこに辿り着くまでの様々な出来事があり、その工程もお話ししたい心持なのだ。だからといってその出来事がラーメンライスに関係があるかといえば、まったく関係はない。
でも語らなければならない。


1984年3月下旬。福島県や北関東にあるいくつかの温泉、鉱泉を巡る何度目かの旅の話。

当時筆者は21歳。大学3年の終わり。音楽活動のかたわら、友人T(CiiFaのいくつかの楽曲の作詞者)と温泉・鉱泉旅行に明け暮れていた。

温泉といっても、我々が訪れるのは一般的な有名観光温泉ではない。鄙びた一軒宿の温泉旅館やいわゆる湯治場、あるいは時代に取り残されたような昭和(当時も昭和だけど)の温泉街などを巡っていた。21歳の青年が好んで行くような場所ではない。
普段は我々が所有する360ccの軽自動車で旅をするのだが、このときは事情があり筆者実家のクルマを借りた。

余談だが、この温泉鉱泉めぐりは1982年から1992年あたりまで続いた。訪れた温泉は100湯と少し。10年間くらいだからそれほど多くはないかもしれないが、お気に入りの温泉に何度も足を運んだりもしたので温泉自体へ訪れた回数はかなり多い。


この旅は、初めて行く鉱泉の一軒宿に泊る予定だった。当然予約などしていない。(そもそも予約するという概念がなかった)
夜23時頃に東京を出発。すべて下道。国道6号までは普通に行き、茨城県に入ってからはなるべくディープな路地道を走る。”いつものコース”(注釈1)で水戸方面へ。大洗あたりで朝を迎え車中で仮眠。

(注釈1)
取手駅前から潮来方面へディープな道を巡り、そこから北浦沿いにさらにディープな激細道を北上し北浦を渡り51号近辺へ出るコース

10時頃に起きて茨城県を北上しいくつかの鉱泉へ入る。福島県に入ってから何度も通っている温泉旅館へお風呂だけ入る。ちなみにここは混浴だ。(ある曲のモデルになった宿)


その後さらに北上し、いよいよその鉱泉宿についた。しかし、その一軒宿の旅館はまるで廃墟だった。愕然としつつあまりの不気味な雰囲気に我々をして躊躇せしめるほどの佇まいだ。とてもここで夜を迎える勇気はなかった

しかたなく他の温泉を地図で探す。さらに20Kmほど北上すると、市街地近くに聞いたことのない温泉があった。
一応温泉街になっているようだ。すでに夕方になっているのでそこまで行くことにした。

温泉街といっても宿が数件あるだけだった。車が入り易そうな立地にあるT旅館に入った。この温泉名もそうなのだが、変わった名前の旅館だった。
飛び込みでの入館だったが、まったく問題なく夕食も振舞われ、温泉(実際は鉱泉を沸かしていた)もとてもよかった。それだからこの宿には後年また宿泊したくらいだ。

さて次の日。
朝、朝食のことを聞きに来た仲居さんさんが「今日は雪ですよ」というので、驚いて飛び起きた。外を見ると曇ってはいるが雪も雨も降ってない。
朝食を運んできたその仲居さんに「雪降ってないじゃないですか」と聞くと「あれ?やんだかいな?」「あ、降ってたんですか」「んにゃ飛んでたの。山の方から」と言った。


東京方面への帰路。
当然、まっすぐには帰らず、さらに北上しつつ
迂回してより内陸側コースを取った。東北本線のある駅前のキヨスクでこれ美味しいですか、これは?などと会話したり、県道沿いの今にもつぶれそうなドライブインに入ってコーヒーを飲んだりした。

南下して栃木県へ入った。なるべく裏路地系のディープな道を選択する我々なので大きな国道を避け、北関東の低い山を抜けるような県道系を走り、K町へ来た。
K町は小さな町だった。目抜き通りと思しき道には昔の家屋がたくさん並んでいた。ちょうど昼時だったので飯屋を探しながら走っていたら葬列に出くわした。


こんな感じの葬列(AIにより作成)

その葬列が通り過ぎるのを待ってその先を行くと、相当年季の入った家屋で大吉という看板を掲げた食堂を見つけた。しかもそれは右読み「吉大」だった。その屋号が書かれている木製の看板の文字は消えかかって黒くなっている。戦前の食堂だろうかと思った。

当然ここで食べるんでしょと僕ら。昼飯はここ以外考えられない。


こんな雰囲気のお店だった(AIにより作成)


お店に入ると小さなお婆さんが一人いた。テーブルは二つ。でも一つには新聞紙が積まれていたので使えるテーブルは一つだけ。椅子は昭和のパイプの椅子、座面がビニール。友人Tと「さっそく!笑」と興奮した。
メニューは忘れてしまった。そのとき友人Tが何を頼んだのか覚えていない。筆者はラーメンライスを注文した。

出てきたラーメンはいたって普通の醤油ラーメン。具は海苔とナルト、ハム、メンマ。チャーシューではなくハムだった。
スープはおそらく業務用の出来合いのもの。お店でじっくり煮込んだ手間のかかっているスープなんかではない。絶対インスタントのもの。
麺もどこかの製麺会社から仕入れていると思われる工場で作られたちぢれ麺。全体的に駄菓子に近い感覚だ。
そしてご飯は唐子模様のお茶碗によそってあり、しかも冷えて固い。おしんこ付きで、黄色いたくわんと漬かり過ぎたきゅうりの漬物だった。

と書くと、不味そうに普通は思うだろう。

こんなにとてつもなく美味いラーメンライスを筆者は食べたことがなかった。
感動した。
美味いとは一体どういうことなのだろう。
あの味が忘れられずこの旅行の数年後、また大吉を訪れたが既に閉店していた。


あれから40年あまり。現在、大吉の家屋は取り壊されて跡形もなくなくなっている。
筆者はあのときのラーメンライスより美味いと思ったラーメンライスにまだ出会っていない。たぶんもう出会うことはないだろう。


おまけ

当時、旅行記録としてカセットレコーダーを持参しており、ことあるごとにいろいろな音声を録音していた。実はこの1984年3月の旅行記録も存在している。そしてテープからwavに変換しているので現在も聞くことができる。
大吉での食事シーンは記録されておらず、お店を見つけた時の会話やラーメンライス食べたうまかったという感想だけだった。


2026/07/03

(No.2698): 遠巒の廻廊(十九)

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わたしはスクナビコです」

突然、はっきりとした日本語で聴こえた。どう応えていいものか戸惑っていると菅井が「ご挨拶を」と促した。そういわれてもどう挨拶するのだろう。
「は、はじめまして 九頭手(くずて)といいます」と、普通の挨拶をしてしまった。話したら少し気が楽になってきた。その勢いを借りてわたしは少名毘古那神へ問うた

「スクナビコ様、あなたは神なのですか?」

菅井が手のひらをわたしに向けて慌てて制した。しかし気にも留めないように少名毘古那神はすぐに返してきた。

「わたしたちは数千年前からここにいます。 この惑星に”意識”の発生を確認したからです。”意識”は何も施さないと矛盾の連鎖を引き起こします。 状態を監視し場合によっては修復するのがわたしたちの役割です。 あなたたちの持つ思考から生まれた神という概念は、もしかしたらそれに相当するのかもしれません。 スクナビコという呼称はあなたたちが付けたものです」

少名毘古那神はスイッチでも入ったように話し出した。柔らかい女性の声のようだ。それにしても今イシキ?と言ったのか?意識のことか。
いいえという答えを期待して聞いてみたが、いきなり難解な話をしてきた。

「よくわからないのですが、つまり本物の神様ということなんですね・・」

諦めたのか菅井が付け加えた。

「古来から箱神様の信仰をはじめ、いくつかの言い伝えや神話の出来事はスクナ様やお仲間が関係しているとお聞きしておりますよ。わたしも詳しくは存じませんが」

わたしはため息をつくのが精一杯だった。


今までわたしへ起こった事についていろいろ聞きたいことがあるのだが、それよりも少名毘古那神の発する声?が耳に届くのがどうにも気持ちが悪い。というより耳で聴いている感覚はないのに聞こえるということが不思議でならない。

「どのようにしてわたしに語り掛けられるのですか。テレパシーのようなものですか?」

水槽の中で波が立った。少名毘古那神の3つの黒い点が互いにゆっくり回転しはじめた。

「わたしたちは、あなた方のような主体的となる生物組織を持ちません。この惑星の、”意識”ある生命の思考はまだ完全に理解していませんが、わたしたちの主体は”意識”です」

わたしの問いの答えにもなっていないと思っていると少名毘古那神は続けた。

「この時空間に存在する物質はすべてラーキュクパつまり素粒子でできています。わたしはこのような姿ですが、わたしもあなたもラーキュクパでできています」

「畏れながら、生物的組織をお持ちでないとおっしゃいましたが、ス、スクナ様は拝見すると寒天のような生物組織に見えますが」と勇気を出して言った。
菅井が慌てて「これこれ」と制したが少名毘古那神は気にもせず続けた。

「この時空間で物質として存在しなければならないため、最低限の生物組織は有しています。ですが主体はあくまでも”意識”です」

それに「はぁ」と曖昧に応じた。

「意識は生物的な要素だけで成り立っていません。例えばあなたなら頭の骨の中にある脳と呼ばれる臓器の中だけで意識が生まれているのではありません。
脳を構成する細胞、例えば大脳皮質を構成する細胞の分子、その分子を構成するラーキュクパ、つまり素粒子があります」

だいぶ専門的な話をしだした。ここが江戸時代だということを忘れてしまう。
この分野はわたしは詳しくはないが好きな話だ。実際、興味が湧いてきたので身を乗り出すほどだ。
少名毘古那神はさらに続けた。

ラーキュクパは非観測時にパラレルワールドで存在します。そのときの振動がこの空間に満たされる全ての振動のどれかと共鳴しあってコヒーレンスが起き、”意識”は出現するのです。 意識の発芽は脳細胞としても、意識の作用は肉体を離れて共鳴しあっている空間と結びついています。すなわち、わたしの意識はあなたと結びついているのです」

申し訳ございません、さっぱりわかりませんと思いつつ、つまり意識とは肉体だけで発生するものではないと言っているのだろう。それで言葉が伝わるということなのだろうか。
しかし新たな疑問も。

「翻訳機、えーっと、なんでしたっけ」
「天の沼琴です」と菅井が代わりに言ってくれた。
「その、意識で会話できるなら天の沼琴は要らないのではないですか」

「あなたが意識主体の存在であればその通り天の沼琴は不要です。しかしながら、あなたたちは生物組織主体の存在です。その場合、わたしの意識による会話は直接あなたへ伝わりません。さきほどのように言語として現れるからです。わたしたちのことばがわかればそれも可能でしょうが、そうではないので天の沼琴は必要です

「ははぁーそういうことですか。なんとなく理解しました」

そんなやりとりを見ていた月草寺先生が、空になった湯呑を弄びながら退屈そうな表情で「あーあ、もっと面白れぇ話ができねぇもんかねぁ」とひとりごちた。




(続く)




2026/07/01

(No.2697): 遠巒の廻廊(十八)

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菅井がわたしに向き直り、こう言った。
「こちらが、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)様でおわします」


菅井の恐ろしく畏まった風体に気圧されて、わたしは告げられた名にピンとこなかった。
神話の神様の名だろうか。スクナヒコというのは聞いたことがある。
その本物が、という言い方も変だが、そもそも神さまなんて物理的に存在しないものではないのか?わざとそういう呼称をさせているのだろう。信仰としてのあるいは比喩としての存在ならわかるが、実際にいるわけがない。

「九頭手(くずて)さん、どうぞ、こちらへ」

固まっているわたしに菅井が箱の前へ来るように手招きした。月草寺先生はお茶を啜りながら楽しそうな表情でわたしを見ている。もう慣れてしまっているのか。
畳をすりながら
座ったままそっと近づいた。菅井は木の箱の蓋を開けた。

恐る恐る覗く。
箱の中に一回り小さい水槽のようなものがあった。水らしきもので満たされている。水槽を木の箱で覆っているといったほうが正しいだろう。水槽自体は透明な厚いアクリル板のようなもので作られている。水槽と言うよりも透明な四角い箱である。天板もあるので閉じられている箱だ。天板には小さな穴が4つ四方に開けられている。空気穴だろうか。水は箱一杯に満たされておらず、水面は天板と数センチの隙間があるようだ。

目を凝らすと、その水の中になにか動くものを認めた。自身で発光しているのか、うすぼんやりと淡く光っている。
形は、ない。例えるなら水とは密度の異なる物質が泳いでいるイメージだ。アルコールを混ぜたように水の中に揺らいだ「塊」がある。「塊」の動きで水面に波が立った。
突然、その揺らぎの塊が一つに集まって何か形を作り始めた。そして揺らぎの中に3つの小さな黒い点が出現した。揺らぎが濃くなり、球体状の揺らぎの塊に変化した。球状の中の黒い点は安定せず、それぞれがじわじわと動いているので、小さな虫が3匹動いているようにみえる。寒天の中にゴマが3粒あるようだ。そう思った刹那、

マツィ タティ」

という話声と思われる音が、わたしの耳に届いた。子供の声のような女性の声のような音だ。正しくは耳で聞くというよりも頭の中に響いた感じだ。言葉なのか意味も分からない。

「ご挨拶をされておりますよ。さぁ」

菅井はわたしの背中をぐいと箱に近づけた。わたしは上から覗き込みながらも黒い点達から目が離せなくなった。挨拶などできずそのまま動けなくなった。

「ワア スクナピコ ナリ」

また聞こえた。この水の中のモノ、球状の揺らぎの塊が、話しているのか?口らしきものもないのにどうして声が聴きとれるのだろう。揺らぎの塊の中にてんでに3つの黒い点がじわじわ動いている。

不意に「アマ」と聞こえた。
そう言ったきり球状の塊はしばらく沈黙した。それだから思わず「はい?」と聞き返した。ようやく自分の口が動いた。
すぐに、アマノ ヌコト モティキツァネと、声が聞こえた。
水面にさざ波がたち、3つの点がそれぞれ勝手な方向へくくくと動いた。
菅井は「あ、畏まりました」と言って立ち上がり隣の穀物置き場の方へ行ってしまった。菅井がいなくなって間が持てない状況に、月草寺先生が助け舟を出してくれた。

「スクナ様のお言葉は日本語だが古代語だから俺達にはわかんねぇことが多いんだ。翻訳機があるんでそれを使えってことさね。ハナッから用意してけばいいのにな、ガハハ」

菅井の態度とまるで違う月草寺先生のふざけた物言いに、わたしの緊張は少し解けた。しかし少名毘古那神は何やらブツブツと何かをしゃべっている。意味も分からないので答えようがなく、しかも気味が悪い。

「コノピノ ソラワ イカニ」
「ミツノ カハヘワ イツ スナリ」

そこへ菅井がアタッシュケースのようなカバンを持ってきて箱の、水槽の横に置いた。

「この時候機には天の沼琴(あめのぬごと)という神と通信する装置が組み込まれているのです」

菅井がカバンを開けると、機械らしきパネルが見えた。パネルにはいくつかの突起が出ている。加えて見たこともない文字や図形のような記号がパネル全体に整然と並んでいる。
菅井がその中のいくつかを指でなぞった。特に光ったりすることもなく何の変化もない。

わたしはスクナビコです」

突然、はっきりとした日本語で聴こえた。


(続く)