2014/10/24

(No.2262): 遠巒の廻廊(十)


前回:遠巒の廻廊(九)

「心当たりはありませんな」

片言の英語を話す初老の東洋人は
そういうとそそくさと扉を閉めようとした。

「あ、待ってください!」

ワイマールは扉の隙間に顔を挟みながら
続けた。

「夜分にぶしつけで恐縮です、でも人が
行方不明なんです、なんでもいいですから、
気付いたことがあれば、教えてもらえませんか、
2月の16日の午後三時半くらいにこのあたりに
中年の男性が歩いてきたはずなんです
見かけませんでしたか?」

ワイマールは一気にまくしたてた。

「ですから、心当たりはありません」
「だって、そいつの、行方不明になった友人の
iPhoneにこのお宅までの行き方が留守電で
残っていたんですよ」
「行き方?」
「はい、奴の家の前から正確に北北東に113歩と
いう留守電が入っていたのです」
「なんですかそれは」
「北北東に113歩歩くと、こちらの家の前に出るんです
それで我々がお尋ねしたというわけです」
「私は英語がよくわかりません、失礼」

言い終える前に扉は閉まった。
ワイマールは食い下がろうとしたが深更でもあり
今日は諦めようとヤン・ヨークビンセントが促した。

二人はとぼとぼともと来た道を歩き始めた。

「何か、手掛かりがあると思ったけれど、
まぁ映画じゃあるまいし、そんな都合良くいかないな」
「今のおじさん、中国人ですかね」
「なんでだい?ヤン君」
「それとも日本人かな」
「なにか気になるのかい?」
「いえ、別に。このあたりじゃ東洋人は珍しいですからね」
「そうかい?ウチの研究室にだって日本人はいるぜ」
「・・・あの家に引越して来たばかりなのかな」
「なぜだい?」

ヤン・ヨークビンセントは立ち止まった。
ワイマールがそれに気付かず二三歩あるいたところで
いきなりヤン・ヨークビンセントが言い募った。

「やっぱりおかしいですよ!」
「お、おい、どうしたヤン君」

ワイマールが振り返るとヤン・ヨークビンセントが
顔を僅かに赤らめて中空を凝視していた。

「ドアの隙間から部屋の中がちらっと見えましたが
人が住んでいる様子ではなかったですよ」
「部屋の中?」
「見た時はさほど変には思わなかったんですけど
今改めて思い返すと、あれはまるで売物件の部屋の
中ですよ」
「え?家具類が何もなかったってことかい?
そりゃ玄関だからな、調度品なんて何も置いてない
家なんかざらにあるだろう」
「いや、違うんです。玄関の奥の部屋も見えましたが
窓しかなかった。テーブルも椅子さえもなかった」
「いや、ドアの隙間からだしね、見えないところに
あったんじゃないかね、それかアジアでは家具無し
の内装が流行ってるとか」

ヤン・ヨークビンセントはワイマールのつまらない
ジョークを飲み込むと踵を返して先ほどの家へ歩き出した。

「お、おい、ヤン君!」
「ワイマールさん、確かめて来ます」
「確かめるって、何を?、おいキミ、ヤン君、
ちょっと待ってくれ」

足早に歩くヤン・ヨークビンセントの後を
追うようにワイマールも歩き出した。

その家の前で二人は立ち止まった。
幸いにまだ家の中の明かりは落とされていなかった。
時計は既に午前0時30分をまわっている。

「何を確かめるつもりなんだい」
「先生の居場所を知っている気がします」
「おい、早まるなよ」

ヤン・ヨークビンセントが呼び鈴を鳴らした。
二人は緊張した面持ちで待った。
奥から足音がしてこちらに近付いてくる。
先ほどの初老の東洋人の男の声だけが扉の
向こうから片言の発音で叫んだ。

「あんたたち、いい加減にしろ、警察呼ぶぞ」
「申し訳ありません、あと一つだけお聞きしたいの
ですが」

ヤン・ヨークビンセントが猫なで声で諭した。

「なんだ」
「失礼ですが、こちらには長いのでしょうか」
「あんたたちに話す道理はない。帰ってくれ」
「は、帰ります、どうも申し訳ありませんでした
ミスター?」
「スガイだ、もう寝るから帰ってくれ」

そう言うと、奥に行ってしまったようで
玄関の灯りも消えた。

「彼の名前、スガイ、と言いましたね」
「ああ、どこの国の名前だろう」
「わかりませんが、明日あの家の事を調べてみます」
「うむ、頼むよ、スガイとやらが住んでいるかどうか」



遠ざかる二人の後ろ姿を暗い部屋から見つめている
初老の東洋人の男。彼らが戻ってこないことを確認すると
男は奥の寝室へ入って行った。
ベッドもテーブルも椅子もないただの四角い部屋。
部屋の入り口のすぐ脇に旅行用スーツケースが
置かれている。
男はスーツケースを開けて、中から小さな
アタッシュケースを取り出すと床に置いた。
アタッシュケースはダイアル式暗証番号でロック
されているが男は慣れた手つきで解除し開けた。
その中には分厚い本のような体裁ではあるが、
紙ではなく獣の革に鉱石を解いた溶液で記述
してある古文書があった。
フェルディナンド・セジュウィッチバーグ博士が
発見した例の古文書である。

スーツケースの中の楕円形の機械が発光し
合図を送った。菅井はその機械の上面にある
いくつかのタッチセンサーを指でなぞって
合図へ応答した。

「まったく、予定外のことになった」

菅井は日本語でひとりごちると再びタッチセンサーを
指でなぞりはじめた。




(続く)



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