2015/02/16

(No.2305): エフオピのテクノ黎明期の頃


筆者が高校三年の1980年の晩秋くらい。
大学受験で悶々としていた頃。
ニッポン放送のある番組で”変な音楽”特集が
あって、その番組で流れた
ヒカシュー「マスク」と
P−MODEL「ミサイル」
あとチャクラの曲名失念・・
その時この番組をカセットに録音していた。
しかし当時バンド名もぜんぜん知らず、
しかもテクノポップという概念もあまり
認知していなかった。

この前年の1979年にYMOが大ヒットし
いわゆるテクノポリスだとかライディーン
だとかが流行っていた時代である。
しかし筆者は全く興味が沸かなかった。
変わった音楽は好きで聴いていたが
その筆頭としては所ジョージさんであり
アルバムは全部持っていた。

当時、ヒカシューの「マスク」や
P−MODELの「ミサイル」は
”普通の曲”ではないという意味で
とても気に入って、その録音テープを
何度も聴いた。
ニーヤッと しーたら、とか
ミーサーイールの由来は、とか唄った。
自分の中のカテゴリとしては
所ジョージさんと同列の音楽だった。
今思えばまだ”向こう側”の意識で
聴いていたのだろう。


それから約半年後。
筆者が大学生になってまもなくの頃。
最初のきっかけは友人から聴かされた
スネークマンショー「急いで口で吸え」
の録音テープだった。

それまであまりにも音楽に対して
狭い視野でしか接してこなかった故、
ここに収録されている数々の楽曲に
心を奪われた。

友人が録音したテープだったので
カセットには曲名も何も記載がなく
シーナ&ザ・ロケッツ「レモンティー」の
シーナさんの声を聴いて最初は男の子だと
思っていた。(テープ再生回転数が
若干遅かった所為もある)
(先日の訃音に接し言葉もありません)

そしてサンディー「ジミー・マック 」、
ドクター・ケスラー「メケ・メケ」、
クラウス・ノミ「コールド・ソング 」。
それまで自分の聴いていた音楽とは
明らかに異質なものばかりで
大学生になったこともあってか
余計オトナの香りのような質感を得た。

そして何より、打ち抜かれたのは
YMO「磁性紀 開け心」だった。
フジカセットのテレビCMの音楽だったが
それはこの曲を聴く後だったのか事前に
知っていたかは忘れてしまった。
とにかく、筆者にとっては衝撃的だった。

なぜ衝撃的だったのかと言うと
だってYMOってライディーンとかの
流行ものディスコっぽい曲のバンドでしょ
と思っていたからだ。
それがなぜこんな変な曲を作っているのだ
かっこいいと思った。この機械的な音楽。

実はその時既にYMO「増殖」という
アルバムも出ていたが筆者は
全く知らなかった。
それを先に聴いていればこんな感想を
持たなかっただろう。

そしてその直後くらい。
父親のカセットテープの棚に
「YMO/BGM」というカセットテープを
見つけた。当時はアルバムの形態
としてLPレコードとカセットテープの
二つの品種で発売されることが多かった。
そのアルバムとしてのカセットテープだった。

どうやら”あの”YMOがイージー
リスニングっぽい”BGM”を出したんだ、
と父親が勘違いして買ったらしい。
しかし、父親は一回聴いただけで
しまい込んでいたのだ。
何故なら所謂”BGM”ではなかったから。


父親から借りたYMO/BGMのカセットを
聴いて、筆者は驚愕した。
この時の体験は筆者を”こちら側”へ
誘うのに十分だった。

バレエ
音楽の計画
ラップ現象
ハッピーエンド
千のナイフ
CUE
UT
カモフラージュ
MASS
LOOM

珠玉の楽曲群、全曲BPM120で4:30の尺
(千のナイフとLoom以外)
歌入り楽曲が多いにもかかわらず
歌詞カードはなく、LPレコードの裏ジャケには
レコーディングで使用した機材リストが
掲載されていた。
我々に「テクノ」という音楽を教えてくれた
アルバム。次作の「テクノデリック」と並び
筆者のバイブルとなった。
当然レコードを買い、
文字通りすり切れる程聴いた。
何万回聴いたかわからない。
楽曲の成り立ちから音塊の構成、
音像のバランス、アートディレクション、
などを学んだ。


筆者は1981年の7月からテクノの人になった。
もみあげを水平にカットした。
大学1年の夏だった。

その後、ヒカシューの「マスク」や
P−MODELの「ミサイル」なども
テクノの人になってから改めて聴き直した。
”こちら側”の意識で。





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