2015/06/08

(No.2349): 晃一郎と吉之助(軍装の行方)


本郷区駒込林町にあるカフヱ”歪の鎧”で晃一郎はさきほどからしかめっ面で新聞を読んでいる。その紙面には「村岡翁失脚、引退」の大きな活字が貼りついて踊っている。「成功ゆえの撤退、か」晃一郎はひとりごちると新聞を畳みながら冷めた珈琲を舐めた。

豊多摩郡大久保、同代々木の地で連日行われた提唱会。その成果を待たずして村岡翁の決断だった。しかしそれは提唱会の有無成否にかかわらず最初から決まっていた筋書きであろうことは想像に難くない。言うなれば切掛けを待っていただけだ。世間で騒がれている失脚という扱いはむしろ村岡翁側からのリークによるものとの見方もあり、それはつまり筋のある物語として帰結させることが目的だったのだろう。
これで上野単独区の独立、軍律立憲はなくなったことになるが、しかし、このままでは到底終わらない予感がする。その証拠に八月に何やら大箱でやらかすとの噂も聞く。

晃一郎がそんなことを反芻しているとカフヱのドアが乱暴に開いて吉之助が飛び込んできた。入るなり人目も憚らず「晃さーん」と言いながらきょろきょろと見まわしている。晃一郎は呆れ顔で手を挙げて教えた。


「お前ぇもちっと人さまの迷惑考げぇろ、みろ客が笑ってるじゃねぇか」
「面目ねぇ、でもよ晃さんの前ぇだけど、顛末ぁ聞きたくて飛んで来たんでさぁ」

そう言いながら吉之助は晃一郎の前へ座ると、勝手に珈琲をぐいと飲んでから「あー」と盛大に息を吐いた。

「おい、自分の注文くれぇ取れよ」

通りかかった女給に水出し珈琲と早口に言うとにやにやして晃一郎を見据えた。

「あにをニヤついてやがる。その顛末ってぇな何の顛末でぇ」
「何のって、奴らの提唱会のですよぉ」
「あにを云ってやがる、お前ぇも提唱会に行ってたじゃねぇか」
「情勢のですよ、情勢の顛末、提唱会のあと、あの爺さんが辞めたってんですよね」
「あにが情勢だってんだよ、お前ぇにわかんのかい」
「AbletonLiveのボコーダーの設定よりはわかりやす」
「へ、可笑しくもねぇぜ」

低空を飛ぶ複葉戦闘機と思われる轟音が響いた。カフヱの薄い波打つ窓ガラスがガタガタと鳴る。それを横目でみながら晃一郎は言った。

「村岡翁の号令は死んじゃいねぇはずだ」
「そうなんですかい、だってその新聞にも引退って載ってるじゃねぇですかい」
「おいら、こりゃ隠れ蓑だてぇ踏んでる。確かにあの爺さんは一線から退いた。そりゃ間違ぇねぇ。でも、そりゃもう手も口も出さねぇてぇ隠居爺いみてぇに縁側ぁ座って番茶ぁ啜りながら猫ぉ膝の上へ転がしてるとはぁ思えねぇんだ」
「でもあの爺さんはもう表には現れねぇってこってすよね」
「ああ、たぶんな。おそらく、くだんねぇ傀儡てぇやつが代わりに表ぇ出てくるぜ」
「それはぁあの軍装の奴らデューイですかね」
「とまではどうかわかんねぇが、村岡翁がこれからも裏で糸ぁ引くことだけはぁ見え見えだぜ」

そこへ金魚鉢をかたどった器に入った吉之助の珈琲が運ばれてきた。吉之助は嬉々として啜り始めた。

「ところが今ぁわかってることは、あの軍装の奴らも解かれるてぇことだ」
「え、するってぇともう提唱会もやらないってこってすかい」
「まぁ軍律立憲が事実上なくなったてぇんだから提唱会をやる意味もねぇって理屈にはなるがな」
「それで、クビってこってすか、デューイの奴ら」
「ところがそうじゃねぇらしい。。八月になりゃ。。」
「八月?」
「ああ、八月に、何かやることぁ掴んだんだが」
「て、提唱会ですかね」
「まぁそれに近ぇことぁやるんだろうが、ただな、八月ぁでけぇ箱でやるってぇ話だ」
「そいつあ本当ですかい」
「そんときゃ、奴らの軍装は解かれるらしいぜ」
「え、そしたら奴らどんな格好になるんだろう」
「しかも、八月ぁ新しい電磁的空気振動を記録した盤を配布展開するてぇ噂もあるぜ」
「本当ですかい、そいつぁまったく驚きやしたね」

また低空飛行の複葉機がすぐ上空を飛行しているようだ。珈琲茶碗がかたかたと鳴る。すぐに吉之助の言葉が聞き取れなくなるほどの轟音になるだろう。

「また来やがった。軍律立憲がなくなったてぇのによ」

と言って晃一郎は空を指差した。その声はすでに轟音にかき消されていた。吉之助は聞こえないのか黙ったまま残りの珈琲を啜っている。








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