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菅井は「お茶淹れてまいりましょう」と言って広間を出ていった。
月草寺先生と呼ばれるその男は向き直ると、笑顔で続けた。
「あんた、みたとこ方言もないけど、どこ?東京?」
「あ、はい。東京です」
「東京のどこ?」
「はぁ、国分寺ってとこです」
「国分寺!そいじゃ府中の隣じゃない。そうかい」
「府中にお住まいだったんですか?」
「ん? いやそうじゃねぇんだけどね。あんた俺の顔知ってる?」
「は? 」
ぜんぜん覚えのない顔。こんな髭面に知り合いはいない。
というか昭和44年ならわたしは6歳だったし覚えているはずもない。
「俺も当時はいくらか若かったし髭もなかったしな。と言ってもあのモンタージュ写真は冴えなかった」
「モンタージュ?」
「ぜんぜん似てないよな。俺に。だから知ってるわけないか ははは」
「ぜんぜん似てないよな。俺に。だから知ってるわけないか ははは」
月草寺先生は笑いながら袂から煙管とマッチを取り出した。
「昭和44年といえばわたしは6歳でした。すみません、覚えがないです」
それには応えず、
「この時代だと火をつけるのが億劫でね。菅井さんにもらったんだよ。
外では使うなって言われてるけどな」
月草寺先生は古びた小さなマッチ箱をわたしに見せながら、
「俺、3億円事件のひと」と言った。
そして器用にマッチで煙草の草に火をつけると煙管をうまそうにふかし始めた。
何のことかわからなかったがすぐに思いついた。
わたしが子供のころ日本中が大騒ぎとなった現金強奪事件だ。
府中刑務所前の道路で白バイ警官に化けた男が、
電機会社のボーナス3億円を積んだ銀行の車ごと強奪した事件だ。
結局犯人は捕まらず時効となった。
当時大学生だった叔父は国分寺市の恋ヶ窪に住んでいたが、
国分寺周辺が捜査範囲だったこともあり警察に何度も調べられたと話していた。
「え!?あの3億円事件の、犯人さんなんですか!」
「犯人さん?ははは、まぁそういうことだ。だけど結局この有様さね」
月草寺先生は煙管を口に咥えながら両手で着物の袂をつかんで広げてお道化てみせた。
「昭和44年の正月ころにこちらへ連れてこられたとおっしゃっていましたよね。
ということは事件直後にはすでにあっちの世界にはいなかったということなんですね」
「そうなのよ。捕まらないわけだよね」
「まぁまぁ、そんなことよりも、おかめ団子をいただきましょうよ」
そう言いながら菅井がお茶を運んできた。
月草寺先生がお茶をすすりながら広間の隅にある二つの箱を見て
「ああ、忘れてた、スクナ様が来たって?あの箱かい?」と聞いた。
「はい。もう起きなさると思いますよ」
「どうってこたぁねぇが、そろそろ別な世で過ごしたいもんだよ」
「お望みがあれば試してみますが、スクナ様次第ですので。。」
菅井と月草寺先生がそんな会話をしているものだから思い切って聞いてみた。
「わたしは元の時代へ戻れるのですか?」
「それもスクナ様次第です。が、念のため服をあなたへ渡すように藤助に言っておきました」
ああ、服はもらったよと言い終わらぬうちに
広間の隅にある木枠の箱が突然、ぬしっと動いた。
ように見えた。
恐る恐る見ていると、やはり箱がゆっくり振動しているようだ。
「あ、お起きになられた」
菅井はそう言うと、箱の蓋の端を持ってそっと小さく開けて隙間から覗き込んだ。
わたしは緊張のあまり手に汗が止まらない。
「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ上げ奉ります」
菅井はそう言うとまた蓋を閉じた。
わたしの緊張をよそに、月草寺先生はニヤニヤしてみているだけだ。
菅井がわたしに向き直り、こう言った。
「こちらが、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)様でおわします」
(つづく)
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