2026/07/01

(No.2697): 遠巒の廻廊(十八)

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菅井がわたしに向き直り、こう言った。
「こちらが、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)様でおわします」


菅井の恐ろしく畏まった風体に気圧されて、わたしは告げられた名にピンとこなかった。
神話の神様の名だろうか。スクナヒコというのは聞いたことがある。
その本物が、という言い方も変だが、そもそも神さまなんて物理的に存在しないものではないのか?わざとそういう呼称をさせているのだろう。信仰としてのあるいは比喩としての存在ならわかるが、実際にいるわけがない。

「九頭手(くずて)さん、どうぞ、こちらへ」

固まっているわたしに菅井が箱の前へ来るように手招きした。月草寺先生はお茶を啜りながら楽しそうな表情でわたしを見ている。もう慣れてしまっているのか。
畳をすりながら
座ったままそっと近づいた。菅井は木の箱の蓋を開けた。

恐る恐る覗く。
箱の中に一回り小さい水槽のようなものがあった。水らしきもので満たされている。水槽を木の箱で覆っているといったほうが正しいだろう。水槽自体は透明な厚いアクリル板のようなもので作られている。水槽と言うよりも透明な四角い箱である。天板もあるので閉じられている箱だ。天板には小さな穴が4つ四方に開けられている。空気穴だろうか。水は箱一杯に満たされておらず、水面は天板と数センチの隙間があるようだ。

目を凝らすと、その水の中になにか動くものを認めた。自身で発光しているのか、うすぼんやりと淡く光っている。
形は、ない。例えるなら水とは密度の異なる物質が泳いでいるイメージだ。アルコールを混ぜたように水の中に揺らいだ「塊」がある。「塊」の動きで水面に波が立った。
突然、その揺らぎの塊が一つに集まって何か形を作り始めた。そして揺らぎの中に3つの小さな黒い点が出現した。揺らぎが濃くなり、球体状の揺らぎの塊に変化した。球状の中の黒い点は安定せず、それぞれがじわじわと動いているので、小さな虫が3匹動いているようにみえる。寒天の中にゴマが3粒あるようだ。そう思った刹那、

マツィ タティ」

という話声と思われる音が、わたしの耳に届いた。子供の声のような女性の声のような音だ。正しくは耳で聞くというよりも頭の中に響いた感じだ。言葉なのか意味も分からない。

「ご挨拶をされておりますよ。さぁ」

菅井はわたしの背中をぐいと箱に近づけた。わたしは上から覗き込みながらも黒い点達から目が離せなくなった。わたしは挨拶などできずそのまま動けなくなった。

「ワア スクナピコ ナリ」

また聞こえた。この水の中のモノ、球状の揺らぎの塊が、話しているのか?口らしきものもないのにどうして声が聴きとれるのだろう。揺らぎの塊の中にてんでに3つの黒い点がじわじわ動いている。

不意に「アマ」と聞こえた。
そう言ったきり球状の塊はしばらく沈黙した。それだから思わず「はい?」と聞き返した。ようやく自分の口が動いた。
すぐに、アマノ ヌコト モティキツァネと、声が聞こえた。
水面にさざ波がたち、3つの点がそれぞれ勝手な方向へくくくと動いた。
菅井は「あ、畏まりました」と言って立ち上がり隣の穀物置き場の方へ行ってしまった。菅井がいなくなって間が持てない状況に、月草寺先生が助け舟を出してくれた。

「スクナ様のお言葉は日本語だが古代語だから俺達にはわかんねぇことが多いんだ。翻訳機があるんでそれを使えってことさね。ハナッから用意してけばいいのにな、ガハハ」

菅井の態度とまるで違う月草寺先生のふざけた物言いに、わたしの緊張は少し解けた。しかし少名毘古那神は何やらブツブツと何かをしゃべっている。意味も分からないので答えようがなく、しかも気味が悪い。

「コノピノ ソラワ イカニ」
「ミツノ カハヘワ イツ スナリ」

そこへ菅井がアタッシュケースのようなカバンを持ってきて箱の、水槽の横に置いた。

「この時候機には天の沼琴(あめのぬごと)という神と通信する装置が組み込まれているのです」

菅井がカバンを開けると、機械らしきパネルが見えた。パネルにはいくつかの突起が出ている。加えて見たこともない文字や図形のような記号がパネル全体に整然と並んでいる。
菅井がその中のいくつかを指でなぞった。特に光ったりすることもなく何の変化もない。

わたしはスクナビコです」

突然、はっきりとした日本語で聴こえた。


(続く)





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