2013/08/29

(No.2049): このボタン押せば音楽奏でる


(原文ママ)
もう数十年にも前になる。
我々屑雑音響電子音楽家はその
ライブ手法において所謂「打ち込み」
と呼称される音楽のライブ時の再現性
について、様々な誤解や罵倒を
黙受していた。


つまり、音楽ライブというものは
トラディショナルな楽器演奏を
伴わなければならなかった。
ステージに奇怪な機械を並べて
ボタンを押したりスイッチを入れたり、
或いはノブを回すことによって「演奏」する
という行為は、それは演奏ではないとして
否定された。
かのYMO御大であるにせよドラム、ベース、
そして鍵盤を演奏する。
ちなみにクラフトワークは例外。
このボタン押せば音楽奏でる神。


いや上述を軽やかに逸脱する音楽ライブも
あったことは事実だ。その歴史は古く
確かに一方では前衛的時間芸術というカテゴリに
おいて存在していた。たとえば、
ピアノにボールをぶつけるだけのライブとか。
(1960年代に実際にあった)
或いはジョン・ケージの「4分30秒」は
有名である。


ここで取り上げているものは、そのような
芸術作品ではなく、ベッドルームで
コンピュータやシーケンサなどで作り上げた
電子音楽をライブで再現する場合の話だ。
それらは演奏情報のデータ化が事前に
成されており、シンセサイザーなどの音源に
MIDIの演奏情報を送る事で自動演奏できる
或いは、事前に記録したオーディオを鳴らす
といった構造を持つ。

つまり、
再生ボタンを押すだけで何が
演奏なのだと、何がライブなのだと
そういう論旨だった。
つまり、
弦の一本も弾かずに何を言うか
ボタンを押すだけなら昨日生まれた赤ん坊でも
同じ演奏ができるわッたわけッ
ただのカラオケに過ぎんわ。つまらぬわ。
カラオケのほうがまだ歌えるからええわボケッ

そういう論旨だった。



時は流れた。

電子音楽の制作ツールが格段に進歩し、
奇しくもテクノロジによって
偶発性を備えた演奏要素が盛り込まれ
音楽の現場のダイナミズムの確保に成功した。

しかもそれは楽器演奏のシミュレーション
などではなく、オリジナルの電子デバイスに
(ソフトウエアにせよハードウエアにせよ)
特化した特殊な演奏方法であり、それは過日
ボタン押下やノブ回しといった機械操作で
ライブを成立させようとした想いと
等価でありしかし等価ではなかった。

つまり
その理由を突き詰めれば明らかであり、
つまり、一番の変化というのは
テクノロジの恩恵では実はなかったのだ。
すなわち、
裾野の広がった電子雑音響の世界そのものが
新しいライブ技法という概念を生み出した、
そういう環境の変化のことだった。

別の言い方をすれば、この変化は
人の意識の進化に由来するものである
とも言えよう。



(日本語訳)
deweyライブでのleapmotionのジェスチャー演奏
面白かったよねー
launchpadもそこそこハッタリきくしねー

三行で済む話だ。





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