2015/04/22

(No.2332): 「温泉鉱泉と電子音楽の効能」のその前


1981年から1988年くらいにかけて日本各地(主に北関東、甲信、東北)の温泉や鉱泉に頻繁に行った。
おそらく70〜80湯近くは行っていると思う。筆者の時代でいうと大学時代から社会人数年くらいまでの間である。主にトホホテクノユニットなどを一緒にやっていたAと行くことが多かったが、他の音楽関係者数名ともよく行った。

有名な観光温泉地は見向きもせず、知る人ぞ知る一軒宿の温泉や寂れた湯治場を好んだ。そういうところは昔ながらの混浴も多かった。筆者は「温泉鉱泉と電子音楽の効能」と謳ったサイトを1994年くらいから1997年くらいまで運営していたことがあったが、それはこの80年代の経験を活かしたテクノ音楽と温泉鉱泉の関係を説いた非常にマニアックなサイトだった。一部の好事家の間では話題になったと聞く。

実際、80年代には様々な実験を試みた。一体どんなことをやっていたのかというと、例えば、F県H郡に存するY温泉I旅館にて、午前2時にカセットデッキで「Mass」を小音量で再生しながら湯温38度の温めの温泉にじっくり入るというパフォーマンスや、F県B市B温泉の旅館の部屋で「BirthdayParty」に合わせて三人の男が非日常的な演舞をそっと繰り広げた様子を撮影した作品など、「場違いな光景」を記録するという表現活動を行っていた。

今でこそ温泉は若い人が観光に訪れることは極めて普通のことだが、当時、温泉、まして湯治場などには二十歳代前半の若い男達が行くということはまずなかった。本当に病気を治す真の意味の湯治でしかありえなかった。だから筆者たちが湯に浸かっていると必ず爺さん婆さんから話しかけられたものだ。
「あんたら若けぇのになんだべしたーこんなとこ来てー」

そんなときは不審に思われないために、僕たちこういう温泉が好きなんですと言った。本当に好きだからウソは言っていない。電子音楽と温泉鉱泉の効能を確かめているのです、とは言えないだろう。

最後に「寂れた湯治場」という表現の意味を付け加えておこう。これは例えば歴史のある当時のままの建物や風呂場の「時代がかかった」感などのことではなく、夕食のメニューに町のスーパーで売っていたハムカツが出てくるトホホ感といった「中途半端さ」という意味なのだ。我々にとっては非常に重要な指標となる。


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