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父親の四十九日を終える。
納骨。位牌への入魂。
それぞれが流れるような読経により
儀式としての安堵感が参列者へ伝わる。
そんな読経を聴きながら、
ひとつ得心したことがある。
人の死に関する様々な儀式とか読経というのは
実は亡くなった人のためだけではなく、
あとに残った生きている人間にも向けられている
のではないかということである。
いやむしろ、人の死を通して
生きている人間へのこれからの生き様を
説いているような、そんな気がするのだ。
それが、さまざまな儀式だったり
その中を流れる読経だったり。
そうか、そういうことだったのだ。
と、得心した。
ありがとう。
PS
筆者
「びゃっこやのむすめのイントロの声って
ひらさわさん声をautotuneでやってるの?」
鎮Zさん
「しらないw サンプリングなんじゃないのかな
だって、全部できてからわたされるんだもん」
筆者
「そんなもんすか」
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