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世界のベッドルームミュージシャン。
良い音楽を創っているのにまったく陽の目を
見ずにいつしか音楽から離れてしまうという人も
大勢いるだろう。
soundcloudやらで世界のベッドルームミュージシャン
の楽曲を聴く。
うまいなーとかかっこいいとか、そりゃたくさん
存在しているのは言うまでもなく、
たいしたもんだと感心するばかりで、
当然筆者になど想像もつかないような
ハッとする音象があったり、だから
楽しいことは楽しい。
しかし、何というか、筆者の内にある
本質の琴線を弾くまでのそういう楽曲には
巡り逢えない。
唯一、ベッドルームミュージシャンで
筆者の本質の琴線を弾(はじ)きまくられた人
がいる。
その人とは1982年くらいに知り合って
一緒に音楽制作をやったりもしたし、
大学卒業後、しばらくは一緒にユニットもやった。
しかし会社勤めゆえ、その後だんだんと
疎遠になってしまった。
大学時代に彼は2枚のアルバムを制作した。
(実際はカセットテープ/ブックレット)
この2枚は筆者の中ではYMO/BGMやTechnodelicと
並ぶほどのインパクトを与えた名盤だ。
文字通り擦り切れるまで聴いた。
当時のテクノの手法を使ってはいるが
サウンドメイクはもとよりメロディも印象的で
且つそこはかとなくアカデミックな匂いのする
完成度は高いものだった。
Roland TR-808とKORG MONOPOLYのみで制作していた。
彼はシーケンサーは所持しておらず、
打ち込みと呼べるものはTR808のみであり
唯一音階のあるシーケンスといえばTR808経由での
トリガ駆動によるMONOPOLY内蔵アルペジェータのみで、
ほとんど全ては手弾きだった。
(実際、当時のベッドルームミュージシャンの多くは
同じような構成だった。筆者の場合はSH101だった。)
ノイズの使い方、声の使い方も秀逸で多くを学んだ。
彼はアバンギャルドものからポップなものまで
幅広く創っていた。
TASCAM244という4TRのカセットテープを使ったMTRで制作
されているが、今思うとクオリティも半端ではなかった。
次の新しい曲を聴きたい!
と思ったベッドルームミュージシャンは
この人を置いて他にいない。
(dewey除く テヘ)
切望してはや30年が過ぎた。
大学を出た彼は東京にある
シンセサイザーメーカーK社に就職したが
その後I県にあるコンピュータ機器メーカーへ
転職した。
ここまではメールのやりとりで連絡はついたが
その後、どうなったのか消息はつかめなかった。
そんな折、彼の消息を思いがけないところで知った。
去年、彼のことをツイートしていると思われる
ツイートを自分のTL上で発見したのだ。
昔K社にいた●●さん、今じゃ●●社の社長だ
みたいなツイート。
ええッ と思った。
しゃ、しゃちょーて・・
というか、本人?
素でツイートされるって名前知られるくらい有名?
早速、実名フルネームでぐぐったらヒットしまくり。
どうやら間違いなく本人のようだ。
コンピュータ機器関連会社の社長になっていた。
彼と「民家ッ!、民家ッ!」と
馬鹿テクノ歌謡っぽい曲を作って歌ってた30年前と
なんら変わらんことを今でも現役でやっている筆者に
比べて。
人生とは不思議なもんです。
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