2014/02/19

(No.2140): 牧歌的テー論


パフユーなんとかの曲をテクノポップだとか
きやりーなんとかの曲をテクノなんちゃらだとか
という言い回しをよく見かけるのだが、
筆者から見たらぜんぜんテクノではない。
ただの優秀な国民的歌謡曲だ。
(いや褒め言葉です)
確かにトラック作ってる人はそっち方面だし、
そも楽曲自体もサウンドを聴けば
なるほどテクノポップですねと頷くことは
健全な社会人としてなら吝かではない。
しかし彼らはそもそも世に出ているその
文脈自体が筆者に言わせれば
既にテクノではないのだ。

流通のスキームに乗り、消費される音楽は
大衆芸能としての理を持ち、それはそれで
価値のあることだと認識はしている。
しかしそれは筆者の想うところではない。
真のテクノの理を辿るならやはり
名もなきベッドルームミュージシャンが創る
電子音楽を発露としたい。
言うなれば起承転結もない、発情の元に
生み出される素の電子音楽に筆者は
魅力を感じるしそれをテクノと呼びたい。
だからそういう文脈にこそ沈香の芳香が漂う
真の電子音楽テクノムジーク魂は宿ると
信じている。





ふーん、
じゃぁキミ聞くけど、キミの論理でいくと
YMOなんか当時相当売れたけどあれはどうなのよ
テクノじゃないのかい、
一家に一枚ワイエムオーとか言われてさ、
クラフトワークだってそうだ
え、どうなんだよ、そら、言ってみろよ、そら、
どうなんだよ。


まぁまぁまぁまぁ
固いことは抜きってことで
ここはどうぞひとつ。





沿度間喜三郎 著
1951年「牧歌的テー論」第二章より




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