2013/07/16

(No.2022): 音を紡ぐ単機能機械の慈愛


やれ、ケーブル配線が多いとセッティングが面倒だとか、やれ、機材が多いと重いし運ぶの大変だとか、やれ、演奏後の機材撤収がぐちゃぐちゃになって気が遠くなるとか、そんなことでハードウエアを持ち出さないなんて、あんた本気で電子音楽やる気あんの
という罵声を自分自身に投げ掛けながら日々の生活を粛々と過ごしております。

やはりハードウエアの特に単機能のハードウエアの存在というものには惹きつけられる魅力がある。ここで重要なのは、上述の通りハードウエアといっても単機能であるということだ。所謂オールインワン的な音楽制作ステーション的な重厚なシンセサイザーは目的から逸脱するため除外したい。


例えば、ギター用のコンパクトエフェクタの類。フェイザーだけとかワウだけとかディストーションだけとか。或いは、テルミンのような楽器、或いはメモリー機能のないアナログのモノフォニックシンセサイザーとか。或いは再生スピード調整可能なカセットテープレコーダーとか。壊れた回路を持つ電子ブザーとか。ボリュームがガリっているラジオとか。

このようなブラックボックス化されていない、ただしくWYSIWYGのインターフェイスを持ち、全てのパラメータは眼前に用意され、ただし整理されずに、演者はただひたすらに、それらパラメータを演奏して音を送出するやりかた。
つまり、このようなパフォーマンスをオーディエンスは音楽を聴くというよりは、音を送出している演者の一挙手一投足を観察するという目的で肯定することができる。

偶然か必然かは演者の裁量とし、或いは見ている者の主観で物語り、その中にあって繰り返す音の一端を認識したならば、それを利用して演者もオーディエンスも音象の幅を広げることが容易であるし、けだし繰り返しが途切れたとしてもきっとその後の展開は、嬉しい裏切りに満ちているはずである。









「なるほど、要点はわかった。するとキミはこう言いたいんだね。deweyのライブではそういうハードウエア群を使い倒すのだ、と」


「いいえ。 重いからMacBookのみです」











0 件のコメント:

コメントを投稿