2013/07/17

(No.2023): 音楽流通業界の噺


一般に流通業態にある音楽CDは音楽作品ではなく、小売業の扱うただの商品である。
何がいつどれくらい売れるのかという分析にはじまり適切な在庫を持ち、如何に機会損失を防ぎ利益を上げられるか、CDショップはそういう店舗経営が必要なのだ。
だから主に売れ筋商品を仕入れる。

年に1枚も売れないようなマニアックな電子音響作品などを在庫にしようものならデッドストックとなり、棚の肥しと化す。肥やしだけならまだいいが、在庫は資産計上されてしまうためそういうことがないように棚の肥しは全て耕され、駆逐される。
つまり売れ筋しか在庫させない。
生活するためには売らなければ食っていけないので当然売れる商品しか仕入れない。それが現在の日本の一般的なCDショップだ。

それでは売れている商品は音楽として良いものなのだろうか。たくさんの人々が買っているから良い音楽なのだろうか。マジョリティの意思によって我々は正しく導かれるのだろうか。


音楽として良い作品というものの基準はそもそも主観でしかない。
つまり、こういうことだ。
私はこのサウザンドオールスタアズが好きで良いと思っているから買っているわけで、deweyの変態電子雑音響なんか糞がッ雑音がッ誰が買うかッボケッということと等価だ。

つまり主観だからこそ、音楽の嗜好は千差万別十人十色であり、それを前提とすればマジョリティの意思が全てだとは到底思えないのだ。
そういうスキームに対してアンチの姿勢で活動されているお店もあるにはある。
中野ブロードウエイにあるショップメカノさんは有名だろう。
俯瞰してみればそのようなマイノリティ専用店ともとれる店の存在は音楽流通業界の歪を矯正するカンフル薬なのかもしれない。バランスを保っている的な。とはいえ、バランスを保っているのは一部と言わざるを得ないだろう。

あとは、むしろ巨大なCDショップ。当然ばかばか売れるJ-POP系の商品もたくさんあるがmouse on mars のアナログ盤もひょいと置いてあったりする店。しかしこういうお店は特殊で、主に売筋主力商品の売上げで店舗経営が可能でその分、マニアックな客向けにもそういう作品を在庫できる体力があるということだろう。


何れにしても、我々の欲する作品を探そうとしたら一般の普通のCDショップには影も形も、ぬ(ないの意)。
ということなのだ。









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