2014/06/23

(No.2206): ゴルシェの椅子の存在(四)


前回までのお話し:ゴルシェの椅子の存在(三)




「淘汰の意識を携えつつしかしその汚名の
一切を晴らされぬまま、私はこの二年の間
ただひたすらに眼前の荒野を耕し続けた。

ある時は二人の術者を率いて事初めから終い
まで一切の遣り繰りを束ねる進攻の実績を
積み、またある時は人の間に立って相互利得を
分配し、且つその式典を主導した。

その結果、見合う糧を、いや見合う以上の
糧を納められていたかと問われれば、
必ずしも首は縦に振られぬ。
しかし、そもそもこれら案件の発芽は
部外から齎されたものではなく、
あくまでも私自身からの発案であり
それを現実に滞りなく実行した、
いわば無から有を生んだとて過言では
あるまい。
つまりはその実績にこそ、
評価されるべきものではないのか。

それが何故なのだ。
何一つ評価されずに何の施しも
持たないとは、俄に信じ難き所業。
まるで恩を仇で返す如き振る舞い。
これが眞なれば私は今後何を以って
仕えればよいものかわかりませぬ。
もはや私に残っているのは、、デユ・・」


「ゴルシェ君。君は最初に自分で
言っているではないのかね。
それが、淘汰ということなのじゃよ」




1966年 スダエル・ワイガ・ヒニシス著
「ゴルシェの椅子の存在」(四章 慟哭の二年)より
抜粋編集


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