2013/12/19

(No.2104): 晃一郎と吉之助(二月三日提唱会告知)


いつもの階段を勢いよく駆け上がってきた吉之助は
ひんやりと静まり返った部屋の中をきょろきょろと
見渡した。
通りに面した一尺ほどの小窓は閉じられているが
波打ったガラス越しに薄日が差し込んでいる。

なんでぇ晃さんいねぇのか

ひとりごちながら吉之助は小窓を開けようと
畳の上を踏み進んだ。

なるほどしばらく留守だったとみえ
初冬の大気によって存分に冷え切った畳を感じ
改めて冬の訪れを認識するに至った。
とはいえ、小窓を開け放てば日差しのそれが
冷えた畳の上へ降り注ぎ、その有様にややもすると
小春をも想起させるそんな午後である。

久しぶりに晃一郎宅を訪なったものの
訪ねた主の留守という思いも寄らぬ仕打ちに
吉之助は、はてさてどうしたものかと小窓から
ぼんやりと表通りを眺めていた。


やっぱり寒ぃやねと口に出して言うと
小窓を閉めようと手を掛けた。
つと、通りをこちらに歩いてくる外套に
見覚えのある黒のインバネスコートを着た男が
目に入った。あ、晃さんだ

「晃さんッ晃さんッ」

吉之助が声を張り上げると、通りを歩く何人かが
周りを見渡し振り返った。
インバネスコートの男は二階の小窓を認めて
すっこんでろというような仕草でまた正面を
向いて歩きだした。


しばらくすると階段を晃一郎があがってきた。

「晃さんどこいってたんだい、おいら待ってたんだぜ
いま、しばち(火鉢)に火ぃ起こしたからよ」
「おめぇ勝手に人んちに上がり込んで何してやがんで」
「そんな水くせぇこと言いっこなしですよ」

それに構わずに晃一郎は続けた。

「で、何の用なんでぇ」
「そいつですよ晃さん、ほら今年の夏の盛りのことですよ」
「夏?あんだっけ」

言いながら晃一郎は外套も脱がずに火鉢を抱えるように
座りこんだ。それを目で追いながら駄々をこねるように
吉之助が続けた。

「もう、忘れちまったんですかい、次の提唱会
晦日ぐれぇになるってぇ話しだったじゃねぇですかい
もう晦日もでぇぶ押し迫ってきちまってますよ」
「忘れちゃいねぇよ。それよりおめぇ覚えていやがったのか」
「あたぼうですよ、だってまたあれが見られんでしょ」
「おめぇは気楽でいいな」
「また行きてぇんで、その段取りをつけやしょうよ」

晃一郎はよっこいしょと立ちあがりしなインバネスコートを
脱いで鴨居のえもん掛けに無造作に吊るした。
そのコートのポケットから一枚の紙きれを取り出した。

「あーあー、肩んとこをちゃんと掛けねぇと一張羅の外套が
シワになりやすよ、直しにゃニ円は取られる」
「おめぇ女房みてぇだな、ほら、おめぇの
行きたがってるってぇやつよ」

そう言いながらその紙きれを吉之助のひざ元に
投げるように渡した。
その紙には軍装の男二名が向かい合って喫茶している
様子の写真を背景として、こう書かれている。

『提唱会 告知』
『不忍を忍ぶ御旗は不二故に唯忍岡の号令でのみ翻るべし』





「晃さんッ、これ、て、提唱会の」
「おうさ、おめぇの欲しがってたてぇやつよ」
「晦日じゃねえんですね、・・二月三日、来年の、
来年の二月三日、場所は池袋区手刀なんでやすね」
「おれぁ今日、このビラのことで呼ばれてたんで」
「へー、で、どちらまで」

火鉢の上のやかんから湯気が立ち昇りはじめたのを
見て吉之助は湯呑に湯を注いで晃一郎のひざ元へ置いた。
それを見ながら晃一郎は続けた。

「おめぇにゃ言ってもわかんねぇだろうがよ、
九段区の電信公社に行ってた」
「で、でんしん、なんでそんなとこに晃さんが」
「あすこにゃ官吏で二乗林ってぇ古い仲間がいるんだがよ
そいつと会ってた」
「そのお人からこれをもらったてぇんで?」


晃一郎はずずっと湯をすすって口を湿らせた。

「奴の話じゃぁいよいよ単独区の独立が現実のものに
なるてぇ話だ、村岡ってぇ隠居が画策したとんでもねぇ
絵空事に軍部も法科省もそれに加担してるってぇんだ」
「ちょいと晃さん、おいらにゃさっぱりわかんねぇ」

吉之助の問いには応えず継いだ。

「だがよ、実現するためにゃ上院採決で可決させなきゃ
なんねぇ」
「じょ、じょういんさいけつでかけつ?」
「そこでその村岡ってぇ爺さんの差し金での宣伝部隊、
つまり提唱会ってぇのをおっぱじめて草案の拡散を
企てたってぇ筋書きよ」
「それがあの、軍装の二人がやってる提唱会だった
ってぇことですかい」
「おうよ、おめぇもわかってきたじゃねぇか」
「いんや、からっきしわかんねぇ」

湯を一気に飲み干すと、
晃一郎は棒読みのようにして
しゃべりだした。

「[村岡翁の草稿を電磁的に拡声]」

「なんです、それ」
「二乗林が言うにぁ草稿を電磁的に置き換えて
造語まで拵えてよ、それを拡散させるってぇはなしだ」
「よくわかんねぇけど、するってぇとどうなるってぇんです」

「するってぇとおめぇそりゃ、
・・提唱会に行ってみなきゃわかんねぇってこった」

そこまで言うと
晃一郎は吉之助から提唱会告知のビラを
奪い取り、それを持って立ち上がると一尺ほどの小窓の
窓辺に寄った。

表では北風の通り道を寒そうに襟を立てながら歩く人影
が行き来している。
それをぼんやりと眺めながら

「行ってみなけゃ、わかんねぇ か」

誰に言うでもなくそう口にした。




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