2010/10/15

(No.1232): プチ秋葉原と前職と


前職、といってももう23~4年も前になるが
あのままあの会社に勤めていたら、
今頃どのような塩梅社員になっていただろうか
という不毛な想像をしてみる。


筆者の前職の会社は、
今では有名コンピュータメーカーになってしまったが
その企業の子会社だった。
現在でも子会社だけで200社近くあるのではないだろうか。

大学での専攻が理工学部電気工学科だったこともあり、
先輩も何人も就職しているというのでこの会社へ入った。
内容はハードウエアの設計だ。
筆者が就職したのは1985年であった。
当時の筆者の仕事内容は、銀行向けの
業務用ファクシミリ装置の
漢字データ変換部分の設計であった。

先ず、A3くらいの大きさの設計書に回路図を書く。
基本的にはデジタル回路図なので
ICとかLSIを組み合わせて回路を作る。
ただ、そのICやLSIを駆動させるために
クロック発生の回路等が必要で、そういう部分は
アナログ回路であった。

で、一通り設計書ができると、
別な場所にある同じ会社の支店工場に、
プリント板に配線パターンをエッチングしてもらい、
さらにICやLSIなどのパーツを実装してもらう。

数日後、
出来上がったプリント板に部品がハンダ付けされて
納品されてくる。
プリント板の大きさは、今で言うとAT互換機の
マザーボードくらいの大きさだった。


で、それを設計図通りか、仕様通りか、テストを行う。

何しろ、これが大変だった。
先ず、うまく動かない。

というか、初回通電する際は危険を伴うので
必ず、パターンチェックを行う。
しかしそれでも、動かない。
或いは動くのだが、仕様通りの信号が出力されない。
それが、自分の設計の所為なのか、
それとも配線パターンのミスなのか、
それを見つけるのが大仕事だった。

しかし、それはまだいい。
むしろ、楽しささえあった。
何故なら、職場はプチ秋葉原だったのだから。
見渡すかぎりの広いフロアの壁に備え付けられた
小さな無数の引き出しの中には
抵抗、可変抵抗、コンデンサ、水晶発振子、
トランジスタ、FET、ダイオード、発光ダイオード、
IC、LSI、などが有象無象に在庫されていた。
それらを好きなように使用することができた。
プリント板のパターンをカッターで削ったり、
あるいはリード線でハンダ付けしたり
場合によっては部品を差し替えたり
ハード的にできることをいろいろ試せるのである。
電子部品ヲタクにとっては天国である。

しかし、問題は、
とにかくデスマーチなんてものではなく
やってもやっても仕事が沸いてくることだった。
即ち、毎日23時とか24時とか。
土曜も日曜も出勤だった。
18時になると夕食メニューが配られ、
23時を過ぎると毛布が配られる職場って。

そんなの、辞めるでしょう。普通。


あれから、二十数年の時が流れたが
あのまま勤めていたら一体どうなっちまってただろう。
辞めたきっかけになった喧嘩した先輩や
辞表を破り捨てやがった課長や
分かり合えた同僚達は今どうしているのだろう。

現在、その会社は東証一部上場となり、
会社名も変わり世界的に展開している。

そのまま残ってたら、回路ヲタクで
世界を牛耳っていたかもしれない。
嗚呼辞めて良かった。

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