2014/03/27

(No.2159): 爆音の閑さ


数年前、
deweyのベース担当だったkeiさんが
スタジオ練習で仰っていた。
「爆音ではなく小さい音でも聴けるライブを」
それを聞いて我らギャニュギャニュ振興会屑連合
(taira+エフオピ)は言い募った。
デカイ音じゃないとつまんなーい
デカイ音じゃないとつまんなーい。

しかし当時は全て生楽器演奏もあったので
実際は静かな楽曲もそこそこ演奏していた。



確かに爆音の力を借りるという意識は
当然ある。それが結果的に誤魔化しに
なったとしてもだ。
加えて爆音という状況は
非日常の提供を標榜する我々にとっては
前提条件でもあるのだ。
なぜなら、ステージ上の演者の立ち居
振る舞いという視覚効果も併せれば、
爆音の中の存在は確かに
非日常であるからだ。

爆音の中にあって、
弾力あるキックの絶海の底に立ち、
エッジの効いた矩形波の煙霧の森に沈み、
不自然なフォルマントの大気を吸う。

爆音の中は静かだ。
松尾芭蕉も読んでいる。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
つまりそれが我々ギャニュギャニュ振興会屑連合
(taira+エフオピ)の主張だった。



しかし、今改めて鑑みれば
その「爆音ではない」も一理あると
想うようになった。
なぜなら、爆音は場合よっては
負に作用することがあるからだ。
つまり爆音の種類によりけりである
ということを知った。

シューゲイザーような音響の弾幕を張り、
聴く人をして長時間鼓膜を高圧力轟音に
さらすような爆音。
この場合、爆音そのもので作品として
成立しているので爆音でなければ
意味をなさない。
ただし準備のないオーディエンス
に対しては体力的精神的打撃は著しい。
(体験済み)

一番厄介なのが、常識的爆音の領域を
凌駕する鼓膜の内圧との均衡を破壊する
脳内共鳴激音だ。
特に男性発声の中高域あたりの
周波数帯域とさらにその上の
高域手前の帯域を巨大に増幅したケース。
これは耳の奥がギンギンと響いて
激しい苦痛を伴う。
(体験済み)
しかし、一方でこのような不快轟音を
快楽と捉える好事家も少なからず
いらっしゃるので一方の了見で
まとめてしまうのは不適切だろう。


とはいえ、一般的に言えることは
過激な入力は抑え、あくまでも
適切な爆音を心掛けておきたい
ということだ。
努々忘れるべからず。

適切な爆音とは変な言い方だが
けだし現状のdeweyライブではやはり
音の大きさは重要なのだ。
それが誤摩化しであったとしても
それも含めてdeweyライブなのだ。


そんなdeweyのライブは
2014.04.24(木) 池袋手刀
2014.05.28(水) 渋谷ラストワルツ

ですーおほー
(むりやりのライブ告知)


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