2009/02/08

(No.695): 週末GTA4


青空晴天なので仕事の為に簿記の勉強でもしようと
家中の雨戸を閉めお香を焚きながらGTA4を起動する。

何度も言うようだが、いや言わせてくれ。
私は嘗てこのようなゲームをやったことがない。
確かにGTAシリーズという意味では
基本コンセプトを継承しており、「このようなゲーム」という
範疇では、経験はしている。が
「このような」にも限度がある。


GTA4のLibertyCityという仮想世界は
そんじょそこらにあるゲ-ムとは一線を画す。
確かに、そこにあるのは、現実世界のデフォルメであり、
たかだかコンピュータのシミュレーションによる
ヴァーチュアルワールドである。

しかし、GTA4のLibertyCityが
そんじょそこらにあるゲ-ムと違うのは
唯一つ、「街が活きている」ということである。


リンク先やYouTubeを検索すればGTA4にまつわる様々な
動画を見ることができよう。
ほとんどは非現実的なスタントシーン、
或いは思わず笑ってしまう非現実的な残酷シーンが多い。

しかし、筆者が思うGTA4の真骨頂とは
ずばり「街」であり、「暮らし」である。

何の変哲もない、街を歩く人々や行きかう車やバイクなど
そのような「普通である」ということの方が魅力的である。
じっくり観察していると、これほど普通であるということが
コンピュータゲームの世界においてはなんと魅力的で
そして感動的であるのかということに気付かされるのである。

「街を活性させる」というこの最強な機能は
このゲームのコアなのである。
それは、卓越したグラフィックにより、
よりリアリティを持ち、且つ小道具などの登場で
リアリティさが倍増する。

通行人が持つテイクアウト用コーヒーカップを落とす。
手荷物を落とす。
カメラで写真を撮る。
新聞を読む。
携帯電話で電話する。
煙草を吸う。
PCを使う。

街を行く人々は、生活をしているのだ。


さて次回は
ニコ・ベリックの食生活だ。








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