2012/12/06

(No.1861): 外界酒宴掟


事ある毎に殴り書いているが
筆者はお酒が飲めぬ。

学生の頃や社会人になったばかりの頃は
大人であるといった風情で、調子に乗って
少しは飲んではいたのだが、
だいたいちっともおいしくない上に、
顔は真っ赤になり動悸でドキドキが
激しくなり結果的に吐くか、あるいは
貧血のような症状で倒れるか
そんな苦痛しかなかった。
社会人なりたての頃、
帰りの下りJR中央線快速高尾行き
車内で高円寺あたりでぶっ倒れた
こともあった。


お酒が飲めないのは人生の半分を
捨てていますねぇ
的なことを言ってくる輩がいるが
そんな時筆者は、
へっへっへさいでやんすねぇ
もう面目ねぇこってへっへっと
揉み手をしながら生瓢箪野郎を演じつつ、
心の中では中指を突き立ててすっこんでろ
このアル中ブタ野郎がッと罵倒している。
実際その中指が相手の鼻の穴(向かって左側)
に突き刺さったこともある。

しかしこれが実は言い得て妙なる部分も
あると感じている。
人生の半分というのは言い過ぎだとしても
大事な何かに遭遇できないという
所謂機会損失はあるかもしれない。

つまり「酒の席」というものが
ただ単にお酒を呑むというだけではなく
情報交換だったり意思疎通だったり
或いは議論だったりという
他者との関係を持つ場として
有益な作用を齎すことが多いのではないか
と思うのだ。
あくまでも会社や仕事場の会議などの
それではなく。

お酒の文化は遥か紀元前にも遡るゆえ
確かにその文脈からはある種の常套性が
感じられる。
人の中にあることは確かだろう。
だから全く否定するものではない。

否定するものではない
するものではない
が・・

禁物なのは付き合いで嫌々飲み会とか
俺の酒が飲めねぇのか的な酒畜は
今すぐ消えて欲しい。

上述のように機会損失だのと書いては
みたものの、
正直に言えば筆者は飲みの席は苦手だ。
特に人がだんだんと酔っていく様は
見ていてシラけるものだ。
本人達は気持ちいいのかもしれないが
相手をしている我々はとても辛い。


機会損失だと?知るかボケ
そんなとこでチマチマ情報交換なんぞ
いらんわ。
しなくて結構ッ!ああ結構だね
けっこう毛だらけ猫灰だらけ、
ケツの周りはクソだらけ、
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、
大したもんだよカエルのしょんべん、
四角四面は豆腐屋の娘、
色は白いが水臭い、
四谷赤坂麹町、
ちゃらちゃら流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちしょんべんとくらぁ
べらぼうめぇッ
こっちから願い下げだぁこのやろうッ
ざまぁみやがれッ


忘年会の予定「0」







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