2012/12/10

(No.1865): 6カーブ眼鏡の仕業


パンが焼ける香ばしい匂いの中、
オルフェスは150年以上もその家の応接間で
仕事をしている樫の木の椅子にもたれながら
冷めた粉っぽいカッフェを飲んでいる。
レニーナはパンの焼け具合を気にするそぶりを
しながらしきりにオルフェスを伺っている。

「嗚呼、神代より語り継がれている伝承を
いまここに想い立つらん」
そう言ってオルフェスは樫の木の椅子から
腰を少し浮かせた。
その刹那レニーナはここぞとばかりに声を張った。
「オートバイ乗りの眼鏡は塩梅が悪うございます
何か良い居合手はございますでしょうや」

顔だけレニーナへ向けて片目をつぶる。
「むろんさ、レニーナ。つまりこういうことさ」
そういってオルフェスは椅子から立ち上がった。
「香草をふんだんに塗りたくったツクグロウ鳥を
窯に入れるのではなく、ねぇキミ、ブナの木の
そう一抱えもある大鍋に、放り込むということさ」

「あなたは、ライポジの塩梅を知っているので
しょうや」

オルフェスは「いや、なに」と言ってから、
左足を前に出すと、ポケットから茶色の
ハンカチを取り出しその場でポンと中空へ放った。
ひらひらと舞い降りるハンカチを見送りながら
「担いで行くというのかい?その腕で?」
あっはっはとひとしきり笑った。

「オルフェス、あなたはあなたのライポジが
前傾であるゆえ、前傾という形状の本質を
見抜こうとしないのでしょう」

オルフェスはあっはっはと再び哄笑して言った。
「あのキミ違うよ、だってさぁ、レコードの枚数
なんか言ったら僕なんか8万枚ありますよロック
それをさぁ全部聴きまくって感じんのはぁ、
いいものもある、だけど悪いものもある」

「バイク用(特に前傾姿勢)眼鏡の需要を
思い巡らせれば、そこも、ここも、ほら
あすこにもといった具合には行きませんわ」
レニーナは手を拭きながら間口の広い
葡萄のジャム瓶を持って、緩やかに
オルフェスの前に歩み出た。

「おい、レニーナ、君は僕の恥を十分に
知っているはずじゃないのかい。
実に気立てのいい上等兵様だったということをね」

「わたくしは、当然電網でもお店を探しております
しかし、わたくしはわたくしとしての律義としての
オートバイ眼鏡のアプローチを確約したいのです」

「そいつぁ意外だ。だって考えてもみてくれたまえ
だって、そうじゃないか、そういうキミがここにいて
キミがここにいるという風情をだね、いまここに、
こうしているというんだから、つまりね、いいかい、
そういうことなんだろう?違うのかい?」

「オルフェス、あなた、それなりのちゃんとした
ものを作ろうと思ったら、それなりのちゃんとした
ものがないと、それはきぐしねぇことになりますわ」

ははぁ、とオルフェスは曖昧な相槌を打ちながら
「まったく君の言うことは誠に不思議な話ばかりで、
困るよ。尤も、僕らの言うきぐしねさはねぇ
そんじょそこらのきぐしねさとはわけが違うよ」

「ですから、もう一度言いますわ。
フレームもレンズもカーブがかかっていて
顔の輪郭にフィットするのですわ、あの、つまり
つまり、あの、目とレンズの距離が短いほど、
上目使いに視界はレンズ内に収まるという
寸法なのですわ」

「レニーナ、もう十分わかったよ。
とにかくそこに座ってくれないかい、レニーナ。
いいかいレニーナ、神代より語り継がれている伝承を
いまから言って聴かせてあげよう、ようくようく。」

「ようく、ようく」




1909年 レッミ・システビ著
「裁量の歯車」より
(第二章6カーブ眼鏡の仕業)抜粋



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