2010/01/29

(No.1017): iPadと印象と


既に、Apple iPadのことは世界中で
あーでもないこーでもないと
様々な評価、感想、憶測が
飛び交ってるので
ここらで、数多電網上のこれこんなの
それあれやニュースサイト
などを流し読みした筆者の
身勝手でテキトウで
偏見に満ちた印象を記録する。


ぶっちゃけ、なんじゃこりゃ。
というのが第一印象。
全然欲しくない。

これだったらiPodTouchの方がいい。
いや、VAIOの方がいい。

電子書籍のビジネスモデルの話もあるが
本はやっぱり「本」がいい。
自己発光する液晶画面で
「本」は読みたくない。
紙がいい。紙が。

ブラウザでサイト閲覧と
どこが違うのかだって?
もうぜんッぜんッ違う。
うんこと鼻くそくらい違う。
次元が違う。
事前の脳の作用が違う。
空気が違う。
感触が違う。

わざわざ、重い本を持ち歩く
ということ自体がいい。
そういう、非合理的な行いが素敵だ。


高橋克彦の「竜の柩」第2巻がもうすぐ
読み終わる、が、
すぐに続きの第3巻を読みたいなら
2巻も3巻も持ち歩くのだ。

えーそんなの面倒くせぇ。
という気持ちになることが嬉しい。
必要なのは2巻の終わり数ページなのに
2巻まるごと持ち歩かなければならない。
嗚呼なんと非合理的なんだろう。
正しくこれが「本」というものだ。

ちなみに、その真逆としては
泉昌之「豪快さん」だろう。
文庫本は読んだページをその場で破り捨てる。
全部読み終わったら、ゼロページになるという
豪快さだ。

まぁ何れにしても
電子書籍はその一片でしかないが
トータルでみても
既存のデバイスが大きくなっただけ
という印象しかない。


Appleは極めて個性的で
古くはMacintoshSE30にしろ
MacintoshLCにしろ
iPodにしろiPhoneにしろ
その足元には今まで何匹もどじょうがいた。
今回ははてさてどんな結果になるのだろう。
まぁ大ヒットしようと閑古鳥だろうと
我々にとってはどっちでもいいことだが。


ところが、実機を手に取ったら
一瞬で虜になってしまうかもしれない。
それがAppleというブランドの恐ろしいところだ。
1980年代後半、Macエバンジェリストだった
筆者が言うのだから間違いない。

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