2008/07/13

(No.513): 解明されようとすること

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二輪に乗り始めた頃、
しばらくは取り留めのない「違和感」を感じていた。
それは、二輪免許取得前の原付エイプ時代からの
「違和感」で、二輪免許を取得後も
今思い返せば1年ほどは続いていただろうか。
そのうち「違和感」自体を感じなくなり
忘れ去られてしまった。

ところが、先日、ふとしたことが切欠で
当時の「違和感」というものが何であったのか
ということが判明したのである。

それは大きな交差点を歩いて横断していたときのこと。
信号の点滅がはじまったので横断歩道を斜めに渡り車道を横切る。
横断歩道の上を歩いている時は感じないが
横断歩道ではない車道上を「素」で立つ、歩くということに
「違和感」を感じる
ということに気が付いた。

こんなところに、居て、大丈夫だろうか
などといった不安感を伴う「違和感」である。

二輪に乗る前の筆者の場合、車道における己のポジションは
必ず四輪という枠の中においてであり
外界とは四輪の装甲によって隔たりが作られていた。

一方オートバイというのは、身一つで機械に跨り
身一つで車道に躍り出るというものである。

「車道における己のポジション」において
「身一つで」というシチュエーションが
そのような境遇に慣れ親しんでいない場合に
「違和感」となって舞い降りるということに気付いた。

すごいぞ。
どんどん解明されていく。


(2008.07.12 撮影)







2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めてオートバイに乗ったときの、
身体と路上とのあまりの不可分さ具合に戸惑いながらも高揚した記憶を思い出しました。

オートバイはあらゆる不安と切り離せない乗り物であり、あらゆる不安を喚起させてくれる。その点こそがオートバイの魅力なのだと思います。

大体、エンジンと操縦者の身体がむき出しな乗り物なんてなかなかないですよね。

dewey エフオピ さんのコメント...

>平さん
まったくもって
エンジンと操縦者の身体がむき出しな乗り物はオートバイと飛行艇サボイアS-21くらいでしょうか。

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