2008/10/09

(No.589): 実行の連鎖を記す噺


時間という概念を単なるツールとしてみた場合
時分秒といった単位で表すことができる。
が、一方で「流れる」或いは「刻む」といった
表現をすることがある。

この中でも「流れる」というのは、標本化していない
純然たる無段階スロープのアナログの考え方であろう。
一方「刻む」という語感には、無段階という形容ではなく
標本化の階段を一歩毎に進むといったデジタル的
ニュアンスを感じる。



仕事でシステムの設計をしていて、
ふとこんなストーリーを思い付いた。

さて、ここに時間をユニークキーとしたデータが
あるとしよう。
時間の粒度は、そう、ちょっと荒めで”1秒”である。

つまり、こういうことである。

2008年10月9日 22時21分14秒
2008年10月9日 22時21分15秒
2008年10月9日 22時21分16秒
2008年10月9日 22時21分17秒
2008年10月9日 22時21分18秒
2008年10月9日 22時21分19秒
 ・
 ・
 ・
 ・
 ~
というような、データがある。

上記、1行ずつを「レコード」と呼び、
これらデータは或るデータベースのテーブル(表)に
格納されている。
この時間の値が格納されている項目のことを
ここでは「現時点」と呼称する。
一体何億レコードあるのか定かではないほどに
連綿と続く。
果てしなく。

ここに或るプログラムがある。
そのプログラムは、グリニッジ標準時 =「現時点」の時、
そのレコードの他の項目に書かれている内容を
実行するという機能を持つ。


そう、我々のこの世界は「実行」の連鎖によって成り立っている
というストーリー。



「実行」の中には、人の生き死にから、経済動向、戦争、
環境、天変地異、星の運行までもが記載されている。
まさに、神の手によるデータである。

最後は、プログラムがアベンド(異常終了)して世界が「無」となる
という、哲学的なオチであり、2009年夏公開、撮影快調。







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